12
ソフィア、クレメンティーヌ。
良い子だあ。
……責められるべきは運営か私か。
「……ソフィア、ありがとう。もう大丈夫」
そんなに身長が変わらないソフィアの肩に顔を埋めて泣いていた私がそう言って顔を上げると、聖母マリア像の様な慈愛に満ちたソフィアがいた。
うぇ、また泣きそう。
「……目が腫れてしまいましたね、冷やすものを持って来ます」
そう言って何処に行こうとしたソフィアの袖を掴んだ私は小さな声で引き留める。
「もう少しだけ側に居て」
ぴくり、と微かに反応したソフィアは止まってくれた。
袖を持ったままソファーへと移動しても黙って付いて来てくれた。
すとんと崩れる様に座った私に引っ張られソフィアもソファーに座る。
すぐに立ち上がろうとするソフィアの腕を両手で抱き込んだ。
「ちょっとだけ。ちょっとだけだから一緒に」
「……少しだけですよ?本当は絶対許されない行為なのですから」
駄目だと言いながらもソフィアは隣に座ってくれ、私のされるがままになる。
すり、と抱き込んだソフィアの腕にすり寄ると石鹸の香りがした。
「……あのさ、たまにでいいからこうやってくっついてもいいかな?」
「クレハ様は家族とそうされてきたのですか?」
「もう15歳だからたまにだけどね」
「クレハ様が望むのでしたら」
「……ソフィアは嫌じゃない?」
「嫌だなんて全く思いません。烏滸がましいかもしれませんが、妹がいればこういう感じなのかと思っておりました」
「妹?ソフィア、兄妹は?」
「……年の離れた兄と姉がおります」
ここで頭の中のクレメンティーヌからストップがかかる。
ソフィアはある伯爵家の婚外子だと。
本妻とその子供である兄と姉に此処に来るまで虐げられていたらしい。
此処に来た時はガリガリで3歳年下のクレメンティーヌより小さかった。
服に隠れた場所には古いものから新しいものまで、至るところに痣や傷痕があったんだとか。
ソフィアの母親はその伯爵家の使用人で既に亡くなっている。
肝心の父親である伯爵は、妻の生家である侯爵家の派閥で頭が上がらない為、ソフィアへの虐待を止めさせる事が出来なかった。
たまたまその伯爵家のお茶会に招かれたクレメンティーヌの母親に付いて行った時、庭の隅に居たソフィアを見つけたクレメンティーヌが我儘を言って自分の侍女にと呼び寄せたんだとか。
最初は話す事さえ怯えて出来なかったらしい。
「ごめん、嫌な事思い出させたね」
くすりと笑ったソフィア。
「クレメンティーヌ様にお聞きになりましたか。ですが大丈夫ですよ。もう随分と昔の話です。それに此処に来て公爵夫妻とクレメンティーヌ様がそれまでの分まで優しくして下さったおかげで、何とも思わなくなりましたから。だからお気になさらないで下さい」
ソフィアの微笑みは儚くて弱い。
虐待を受けた事は無いからわからないけれど、幼い頃に刻みつけられた酷い記憶はすぐには消えないだろう。
私の世界にも虐待はあったし、そういう話は情報として知ってる。
ソフィアがクレメンティーヌの侍女になった背景にはこういう事情があったのか。
そりゃあ、クレメンティーヌに盲目的に心酔するよ。
命の恩人なんだから。
勿論二人には時間をかけて築き上げた信頼関係があるし、ソフィアが完璧なクレメンティーヌを尊敬してるのも間違いない。
でもそれだけではなかったんだ。
ゲームには出てこないよ、こんな裏事情。
もっともっと、ちゃんと二人を知りたい。
いつまでいるかわからなくても、この二人をゲームの人物に当てはめて接する事はもう出来ない。
私をちゃんと見て知ろうとしてくれる大切な人達だ。
元の世界でも一人しかいなかったのに、たった一週間で二人も出逢えるなんて……。
その二人に対して私も誠実でいたい。
家族についてはソフィアから話してくれるまで待とう。
もっとソフィアやクレメンティーヌと仲良くなれるといいな。
「……ソフィア、明日凄く楽しみだよ」
「……では私も気合を入れて準備致します。クレハ様に喜んで貰える様に」
いつもの出来る侍女の微笑みではないソフィアの笑顔に私は満面の笑みで応えた。
◇◇◇◇◇◇
だから何でまたこうなるかなっ!!
フォレスター公爵領の街で、ソフィアが準備してくれた街中を歩く女の子と相違ない可愛らしい服を着た私の手を、これまた其処らを歩く青年達と変わらない服に身を包み質素な帽子を被った王太子様が掴んでいる。
その輝くイケメン振りは服や帽子では隠し切れず、街を歩く幼女から老婆まで、更には男性の目すら奪っている。
当然、手を繋がれ隣にいる私も注目されている訳で。
「で、殿下。て、手を離して下さいませ」
「しぃー。こんな所でその呼び名はいけない。ヴィーと」
ヴィー……。
確か王太子様の名前はヴィンセント。だからきっと愛称だ。だけどいくら婚約者とはいえ王太子様を愛称呼びは駄目だろう。
「よ、呼べませんわ」
「たった3文字だよ。ほら、言ってみて?」
期待に満ちた子供みたいにきらきらした瞳で強要するなんて狡い。
断れないじゃない。
「うっ、ヴ、ヴィー」
「うん、クレイ」
クレイは確かクレメンティーヌの愛称だ。
時々お母様がそう呼ぶから間違いない。
だけど本当に嬉しそうに笑いながら答えるこの王太子様、一体何処から現れた?
何で昨日突然決めたこのお忍びを知ってる?
疑問が顔に出てたのか少し苦笑しながら王太子様が教えてくれる。
「王家には優秀な目と耳がある。そして私の婚約者である君には護衛として影も付いている。知ろうとすれば私は、君が何時何をしたのか、誰に何を言ったのかまで知る事が出来る。勿論、そこまではしてないけれど。だけどこれはいけない。護衛も付けず街に出るなど危険な事はさせられない。言ったよね?君に何かあれば私は冷静ではいられないと」
言った、言ってた。
だけどたかが街に行くだけだよ?
しかも髪の色も瞳の色も魔法で変えてるし、誰もクレメンティーヌとは気付かない。
……気付かないはずだったのに。
この王太子様は一発で見抜いた。
視界に入った途端一直線でやって来たからそうなんだろう。
「私がクレイをわからない訳がないよ」
また顔に出てたのか何も言ってないのに返事がきた。
むぅ、と頬が膨らんだのが自分でわかる。
そう、悔しい。
だって屋敷を出る前鏡でチェックしたら完璧だと思ったのだ。
これなら誰にも絶対ばれっこない。
流石クレメンティーヌとソフィアだって絶賛したのに!
「くすくす、君の負けだ。だけどこれでも譲歩はしたんだよ?街に出る事は許可したよ、但し私と一緒ならね?本来なら街に出る事も許可したくなかったんだから、諦めて私と行こう?」
楽しそうに繋いた手を軽く揺する王太子様。
もう!
本当に何でまたこうなるかなっ!
次回の投稿は11/2(月)です。