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……って、とんでもない  作者: 文音
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家庭教師 2


 貴晶に射竦められたわたしの身体を、瞬時にして信号が駆け巡る。

 ぞくぞくと、後から小刻みに這い上がってくる震えに、口の端が持ち上がる。

 ――微笑わらっている自分に、わたしは気づいていなかった。

 音も無くそれが引いた後も、残り続ける余韻ががくがくとわたしの四肢を縛っていて、その場にまっすぐに立っているのが精いっぱいで。


 ――今のはなに?


 とにかくこの時のわたしは混乱していた。

 わたしのいらぬ気遣いが、貴晶のプライドを傷つけた? こんなことで、こんなに怒るようなやつだったっけ?


 貴晶の成績が良いのは、わたしもよく知っている。うちの中学は成績上位者の氏名を掲示したりはしていない。けれどもそんな人達はたいがい固定のメンバーで、噂話にうといわたしの耳にも、貴晶が常に学年首位を争う位置につけていると称賛の声とともに届いていた。 


 だからといって幼馴染でしかも同級生を相手に、わたしの志望校合格へ向けての学習サポートを真剣にお願いするとか、普通に考えてあり得ない。

 貴俊さんに、お母さんは家庭教師としてわたしの勉強をみてほしいとお願いしていた。貴俊さんの代わりにってことは……、貴晶は先生で、わたしは生徒?

 さすがに、それはちょっと。……わたしにも一応プライドが――。

 しかしそんなわたしの意地やその他諸々の感情は、この際どこかへ置いてこざるを得なくなった。


 底冷えのする光を宿した、貴晶の鋭い眼。あの眼を、一瞬とはいえ、目の当たりにした後では……

 それにこだわるのは、まずいと。こだわれば貴晶に即座に見抜かれて、つまらないプライドどころではなくなる事態に陥るだろうことも、……わたしは知っている。


 ――本当は、嬉しかった。




 男女の性差による変化が現れはじめるのは、個人差はあるもののだいたい小学校の高学年にさしかかる辺り。

 その頃からだろうか。物心がつく前から兄妹のようにして育ったわたしと貴晶の仲もまた、徐々に変わっていってしまったのは。わたし達の間に、特別決定的な何かがあったわけではない……と思うのに。

 中学生になって、環境の変化も重なって、気づいた時には信じられないくらいよそよそしい関係になってしまっていた。

 以前は理由なんかなくても、さながら血を分けた兄妹の如く、わたし達は一緒にいた。

 そんな親密な絆がわたし達の間にあったなんて、中学から一緒になった同級生達の誰も想像すらできなかっただろうなって程……



 貴晶の家とは、家族ぐるみのお付き合いがある。

 悠希やお互いのお母さん達がいる場面では、彼らが間にはいってくれるので、わたし達はそれまでとほぼ変わりなく接することができていたように思う。

 でも、二人きりになってしまうと。


 ……もともとが、『姉さん達、ひっつきすぎ』と悠希がヤキモチを焼いて割り込んでくるくらい、わたし達は仲良しだった。それが、成長期になってもまったく同じように……なんてどだいムリな話だってことは、わたしも頭ではわかってる。


 でも、妙な間があいてしまう時があって。

 お互いにどうしようかと、相手の出方を探り合っているような……?

 なにを話そうか? なにか話したほうがいいだろうか?

 こんなこと、いちいち気にしている自分が、まどろっこしくてしょうがない。

 前はいったいどんな風に話していたのだったかと、記憶をたどってみてもこれに関してわたしの頭はいっこうに働いてくれず、感覚が思い出せない。

 会う度に恰好よく成長している貴晶の姿に――幼い頃とは変わってしまった幼馴染に、緊張して、ぎこちなく当たり障りのない話題を選んで言葉少なに話しをするのがやっとの有様。


 それで事足りてしまっているなんて。……貴晶はいったいどう感じているんだろう?

 貴晶は男の子だし、学校でも友達が多くて。寂しいなんて、わたしだけ?


 そんな想いが積み重なっていくうちに、気弱になってしまったわたしの心は、「……まあいいか」……と。

 知らず知らずのうちに失ってしまったものを、どうやって取り戻したらいいのかわからない。

 女子と男子では成長にともない、段々なんでも打ち解けて話せる間柄ではなくなってくる。それは、わたし達に限ったことではないだろう。

 仕方のないことなのだと。

 そうやって片付けて、押し殺して。

 ……それでも心のどこかに穴があいたような言いようのない虚しさを、どうしようもなくて。



 貴晶のほうから、――来てくれた。




 ……しかし。現実はそうそう甘くない。


 『とりあえず見せてみろ』と言われて、わたしが渋々差し出した一学期始めにあった実力テストの答案用紙。一通り見終わった貴晶は、『今から頑張ればなんとかなるだろ。そのかわり、ついてこいよ』とこちらが拍子抜けするくらいあっさりと告げると、さっそくノートに何事かを書きつけていた。


 この間、「生きた心地がしない」とは、正にこのこと……

 よもや幼馴染に自分のテストの答案を、――それもあまり出来のよくない代物を、こんなにマジマジと真剣に見られる日がこようとは。

 ……泣きたい。穴があったら、いや、なくても自分で掘って入りたい。

 こんなことなら、もっと頑張っとくんだったーーーー!

 単純にできなかった問題どころか、特に苦手な英語とか理科とか、……ヘンに焦って、わかっているのにやってしまった凡ミスがあちこちに……

 それらができていたら、もうちょっとはマシな点数取れていたのに。

 

 ――なのでわたしは、貴晶からのもっと痛烈な意見も覚悟していた。

 よかった。いきなり見捨てられるかと、ドキドキした。


 ……。

 ――ダメでしょ、わたし。

 わたしったら、幼馴染にバカっぷりを晒して。それでなにを、ホッとなんてしてるのよ?




 終始貴晶のペースにまんまと乗せられたわたしは、続いてそのやってしまった凡ミスのおさらいをさせられた。「これ簡単」と読み飛ばして間違えたサービス問題まで混じってたから、ほんとにわたしができないのか確認していたみたい。

 ……つくづく、情けない。


 それなのにわたしってば、テーブルの対面に座った貴晶が時折、広げた答案用紙の問題を指し示してくるペンを持つその指先に、見入ってしまって、困った。

 わたしの知っていた貴晶の手とは、ぜんぜん違っていて……。小さくなめらかだった貴晶の手は、長く大きくなり、造形が良いながらも少しばかり骨ばっていて、女子であるわたしの手とは比較にならないくらい変わっていた。軽くペンを握っているだけなんだろうに、なんだか力強くて……。

 でも爪だけは指が太く変わっても、綺麗な形のままで、あぁ、貴晶の手だって。

 こんなにゆっくり二人で向き合って過ごすなんて久々で、つい気になってしまった。


 

 こんな調子で落ち着かない気分のまま、土曜日の午後の長いようで短い二時間が過ぎていき、最後に今後の家庭教師としての訪問日時の確認をして貴晶は帰っていった。



 どっと押し寄せてきた疲労感に、わたしひとりになったリビングで、ぼーっとした頭で今日の出来事を振り返る。


 悠希はお母さんに言われているので、友達と遊びに出かけて恐らく夕方まで帰ってこない。

 初日ということもあり、今回はリビングでお母さんと貴俊さんとわたしの三人で、わたしの成績やこれまでの勉強法方やその課題等を話し合い、おおよその方向性を決める段取りになっていた。

 幼馴染という関係から、家庭教師とその生徒へ――わたし達がこれまでとは異なる立場で臨むのに、そこへ悠希がうろちょろ顔を出したら貴俊さんもわたしもやりにくいだろうと、お母さんが気を回してくれたのだ。




 ――リビングに突然現れた貴晶の姿を見た時は、びっくりした。

 こちらに近づいてくる足音に気がついてはいたものの、お母さんが出て行ってすぐだったし、てっきり忘れ物でもして戻ってきたのかと思っていたから。

 休憩をとった時に貴晶に訊いてみたら、お母さんがちょうど玄関を出たところで二人は鉢合わせた。お母さんも貴俊さんではなく彼が来たことに驚いていたけど、とにかく時間に余裕がなくて焦っていたらしい。『それについては、また後で聞くわ。亜希とよく話し合って決めて』と言い残してさっさと車に乗って出かけていったって。


 ……さすがだわ、お母さん。

 もうねー、α基準で物事を進めていく母親ひとに、こんなことで突っ込んでも無駄だってわかってるし。

 貴晶はもう自分がわたしの家庭教師をするつもりでいるみたいだし、今日みたいな恥さらしなこと、貴俊さん相手にもう一度なんてとても耐えきれる気がしない……

 お試しは一学期の間。その期間にどれくらい成果が上がるかで判断して、だったっけ?

 とりあえずはその間だけ、貴晶に教えてもらおう。


 




「……ごめん、アキにい

「……あー。まぁ、慣れた」



 遠くで声がしている。

 でもほんとはすごく近くで話している声。わたしの意識が朦朧としているからそう感じるだけで。

 ……わたし、また貴晶の胸で寝てるんだ。

 なんで? 自分でも、毎回不思議なんだけど。


 まがりなりにも同じ受験生という立場にあるはずの貴晶にみてもらうのだから、わたしとしてもできる限り彼の負担を減らしたい。

 本心と建前と……どちらもあるけど、これ以上あまり無様な姿をさらしたくないという今更な意地が、正直なところ大半かも?


 で、貴晶が来る前に少しでも予習しておこうと自室で遮二無二机に向かっていたはずが、つい力が入り過ぎて、あげく力尽きるらしく、体力無しのわたしはいつの間にか寝落ちしている。

 それで時間になり、わたしの部屋に入ってきた貴晶が声をかけて起こそうとしてくれるらしいんだけど、あろうことかわたしは貴晶にしがみついて寝続けようとする、のだそうだ。


 貴晶と一緒にその一部始終を目撃した悠希に、わたしは思いっきり呆れられた。いや、はっきり痛いものを見る非難の眼差しを向けられた。


 試しに何度か悠希が机に突っ伏して寝ているわたしに声をかけ、肩を揺さぶって起こそうとしたこともあったようなのだけど。

 それに対してわたしが返した反応は、生返事と、肩におかれた悠希の手を緩慢ながらも鬱陶しがる素振りだけ。起きようという気配は、まったく感じられず。

 見かねた貴晶が、そのあとを引き受けた。


 これは、わたしに悠希が語ってきかせた「一部始終」だ。


 まず眠りこけているわたしの背後から、貴晶がわたしの耳元に唇を寄せ低い声で、『亜希』と一言。

 わずかに顔をひいて貴晶から耳を離そうという仕種が見受けられるものの、まだわたしに起きようとういう気配はなし。

 悠希はこの時点で、「……なんかやけに近いな?」とイヤな予感がしていたらしい。


 それはさておき。

 第二段階。貴晶がわたしの肩に手をのせて、もう一度耳元で、『亜希』。

 『……ん』 声の反応はあるもののそこまで。やはりわたしに起きる気配はなし。


 第三段階。貴晶がわたしの肩においた手を動かし首元から頬の辺りをゆっくりと撫でる。

 すると、……その掌にわたしは自分の頬をあててすりすり。貴晶が手をわたしから離そうとすると、なんとわたしが貴晶の腕をつかまえその腕に顔を寄せ、しまいには貴晶の胸に自分から……


 第四段階。貴晶のいくぶん座った、『亜希。起きろ、勉強の時間だ』の声にようやく覚醒。




 ……。


 その様子が、『いかにも手馴れてて、アキ兄に申し訳なくって、……ひいた。俺が姉さんをぶん殴って起こしてやりたいくらいだった』


 「顔から火が出る」ってこういう場合のことを言うのだろう。悠希が目の前にいなかったら、あまりの羞恥にその場でもんどり打ってのたうち回っていたに違いない。


 その日から次に貴晶が家庭教師として来る日まで、悠希から聞かされた衝撃の事実が頭から離れず、「今度、貴晶に会ったらどうしよう?」とわたしは昼夜悶々として過ごした。


 ほんと、中三の時はクラスが別でよかった。

 ご近所とはいえ、朝弱くてぎりぎりまで寝ていたいわたしが、余裕を持って登校している貴晶と顔を合わせることもなかったし。


 そんなとんでもない真似をされていても変わらず家庭教師を務めてくれていた貴晶に、わたしの方から一方的に、「恥ずかしいからもう来なくていい」――などと言えるわけがない。身勝手過ぎる。

 かと言って……もちろん謝罪はする。しないといけない。

 ……したとして、「これからも、こんなことがあったけど気にせずよろしく」


 ――言えないーーー!

 軽すぎる……。他に言いようがないにしても都合よすぎる気がして、とてもじゃないけど言えそうにない。

 いったい、どうすれば?


 脳内シミュレーションで疲れ果てたわたしは、貴晶が家庭教師にきてくれる前日の夜はほとんど眠れず、心身ともに限界に達してしまっていた。

 そして、「貴晶を寝て待つ」――という最低で最悪な醜態を性懲りもなく演じたのだった。



 貴晶はその日も変わらずルーティン通りにわたしを起こしてくれた。


 ……こいつ、ほんとにわたしと同い年か?

 こんなことされて、どうして平気でいられる?

 こんなことをしている本人わたしが文句を言える筋合いではないけれど。でもなぁ……。

 頬にふれていた貴晶の胸の熱さに赤面して、恥ずかしがっているのは、わたしだけ?


 この日はいつにも増して寝不足だった。

 貴晶はわたしの不調にすぐに気づいたらしい。普段より多くの休憩をはさんで、丁寧に説明を繰り返し、いつもより長く時間をかけて、彼が予定していた分の学習を終えた。


 なんて……、大人な対応。なんて、α? な対応……

 いつから? こんなに――ここまで、差が開いてしまったのか?



 もうそんなこともあって、あれこれとわたしが気に病んで結果的にかえってよけいに貴晶に負担をかけてしまうくらいなら、とわたしは開き直った。

 今のところ、直接貴晶からそれについて言われたことはないのだし。

 責任感の強い貴晶は、一度引き受けたことを途中で投げ出すことはしない。


 ……ただし。問題だらけの姉から、貴晶を守ろうとでもいうのか?

 その後もしばらく、家庭教師なんてまったく必要がないはずの悠希までとってつけたような口実をつくっては、先生として訪れた貴晶の後ろにくっついて、わたしの部屋に入ってくることが続いた。






 うわーー。都合よく……忘れていた。

 中学時代にこんなことをしていたわたしが、貴晶にパーソナルスペースが、『近い』だなんて、どの口が言う――だよね。? いくら、「寝惚けてました」って言い訳しても免罪符にもならないよね?


 わたしのほうが、よっぽどすごいことしてる……


 こんなやらかしちゃってるわたしにいくら文句を言われても、まともに取り合おうって気にはならないのかな?

 でも、この頃はお互いまだまだ子供……だったし。


 貴晶はたしかに中学生になって縦には伸びていたものの、肉付きは今よりほっそりしていて、それでいてしなやかで……

 わたしは中学では少し身長が伸びたくらい? 私服のラフなパンツ姿であかりちゃんと街中を歩いていたら、わたし達を見かけたクラスメイトから、『休日デート?』なんて冷やかされたこともあったし。

 女の子らしさから程遠かったんだとは思うけど。

 だからわたしに何度となく抱き着かれても、貴晶にしてみたら、子供の頃の延長線上? 家族とたいして変わらない感覚……だった?




 ただそのおかげで、わたしの成績は飛躍的に向上した。

 進路指導の先生が驚きながらも、第一志望の高校のランクアップを後押ししてくれるくらい。

 先生にもあかりちゃんにも、学校では家庭教師について教わるようになってから成績が上がったことまでは説明しても、それが誰であるのかは秘密にしていた。貴晶も、誰にも口外していないと言っていた。

 あかりちゃんはあの一件でわたしと貴晶が幼馴染だってわかって、一時期さかんに彼のことを気にしていた。女の子のカンって侮れないっていうしちょっとビクビクしたけど、幸い最後までばれずにすんだ。 




 中学生で家庭教師なんて……。いくら貴晶が優秀なαでも、きっといっぱい足を引っ張って、たくさん苦労をかけてきたと思う。


 貴晶と二人三脚で頑張って、――高校の合格発表の日のことは、今でも忘れない。





 あった! 番号を見つけた。

 無事、第一志望の今の高校に合格した!

 合格者の受験番号が貼りだされた掲示板前の人だかり。

 二月半ばのピンと張りつめた空気を震わせて、あちこちで歓声が上がっている。

 わたしは貴晶と二人で連れ立って、発表開始時刻から二十分ほどずらして合格発表を見にきていた。


 『落ち着いてやれば大丈夫!』と先生は太鼓判を押してくれたものの、緊張するとあり得ないミスをしかねないわたしは、どうしても不安を払拭しきれない。

 一人では心細い。そうかと言って一緒に受験した同じ中学のろくに話したことすらないα達とも、できれば顔を合わせたくない。

 貴晶が、『亜希の合格する姿を見届けるのも、家庭教師の役目のうち』と冗談めかして同行してくれると言ってくれたときは、嬉しさと、「もし万が一不合格だったらどうしよう?」……緊張と不安も倍加してこみ上げてきた。


 あー。なんとか受かっていて、良かったーーー。

 わたしは事前に教えてもらっていた貴晶の番号も確認する。当然のことながら彼も合格。

 感極まってわたしは、隣に立つ幼馴染の腕に抱きついた。


「受かった! わたし受かった。ありがとう! 貴晶」


 興奮して貴晶を見上げて報告するわたしに、貴晶は眩しい笑顔で応えてくれた。


「おめでとう。亜希」


 じんっと目頭が熱くなる。貴晶に感謝してもしたりない。わたしはどれほど貴晶の世話になったことか。貴晶がわたしの家庭教師になってくれていなかったら、今の自分はなかったかもしれないのだ。


 あぁ、でも。

 それよりも先に、言わなければならない言葉がある。少し違和感を感じないわけではないけれど、それでも……

 わたしは貴晶の腕を離して距離をとり、貴晶に向き直った。


「ありがとう。……貴晶も、合格おめでとう」


 合格はしても、貴晶はきっと別の高校へ進むだろう。αの彼は、兄の貴俊さんと同じ高校に入学するに違いない。

 それでも今は、今この瞬間だけは。――貴晶が受ける高校を目指して懸命に勉強して、共に受験して、共に受かった。

 今だけは貴晶と、この喜びを分かち合いたい。


 ……今まで、ずっと近くにいた幼馴染。


 ぽろぽろと、零れおちる涙を拭うために俯く。

 二月の外気で冷え切った肌の上をつたう涙は温かくて、濡れたところがその温度差でひりついた。

 足元の地面に、ぽた、ぽたと雫が落ちて、小さく丸い沁みがいくつもできていくのが滲んだ視界に映る。



 わたしがごそごそと、コートの下の制服の上着のポケットからハンカチを取り出すよりも早く、目の前に大判のハンカチが差し出された。



「――また、三年間一緒だな」


 ……え?


 思いも寄らない貴晶の言葉に、信じられなくて、瞬きを繰り返す。

 わたし貴晶はてっきり、αの高校に行くものと思い込んでいた。

 ゆっくりと貴晶を見上げるわたしの顎が、微かに震える。


 もしかして、わたしのせい? わたしが貴晶の時間を奪ったせいで、大切な本命の受験に失敗した?

 青ざめるわたしに、貴晶は悪戯っぽい笑みを浮かべて、とんでもないことを言う。


「そっちも受かってたけど。俺にとっては亜希と同じ学校が、ベストの選択」



 ――!

 

 わたしはポカンと、あいた口がふさがらなかった。

 貴晶の言葉の意味が、すぐには理解できなくて……


 ……わたしと、一緒?


 受け取ったハンカチを使うのも忘れて、乾いた涙が気持ち悪く肌にはりつく感覚だけが奇妙に生々しくて……

 これからも貴晶は、わたしの近くにいてくれる? 



「……亜希?」


 貴晶の吐き出す白い息で霞んだ彼のその唇が、その低い声がわたしの名前を呼ぶ。


 これからも、こうして、わたしを呼んでくれる?


 順々にたどりついた答えに、大きな震えがきた。同時にみるみる自分の顔が火照り、赤く染まっていくのがわかる。

 寒空の下だというのにのぼせた身体は身動きがとれず、一歩こちらに踏み出した貴晶が右腕を伸ばしてきたのにもされるがままで。

 首筋をさわりと触れる冷たい指に、びくりと身体が震える。


 どうしよう。首まで熱い……






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