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……って、とんでもない  作者: 文音
2/21

番(つがい)


「いらっしゃい、亜希さん。疲れたでしょ? 夕飯の時間までリビングで寛いでいて。一応客間にお布団も用意してあるから、休みたくなったらいつでも遠慮なく言ってね」


 実のところわたしは、幼馴染の貴晶とは、学校のある日には途中まで一緒に登校しているしクラスも同じでしょっちゅう顔を合わせているものの、彼の他のご家族とはそれ程お付き合いがあるわけではない。

 子どもの頃はお互いの家を行き来して、なんの屈託もなく遊んでいたりしたけれど、わたしがこうして一人だけで貴晶の家に上がったのは、たぶん小六の時以来だ。


 貴晶とわたしの家は住宅街のなかでもそこそこ広い敷地を持つ邸宅の並ぶ通り沿いにある。

 うちと大きさはそんなに変わらないものの、貴晶の家はところどころに和のテイストがとりいれられたつくりになっている。趣きのある木の格子とか障子とか漆喰の壁とか、違い棚やそこに置かれた蒔絵の文箱とか、青臭い畳の匂いのする和室もあって、そうした独特の雰囲気が子供心に気に入っていた。隙があればわたしは貴晶についてきてもらって、そうした場所を見てまわっていた。

 今にして思えば、子供だから許されていたのか? それにしても図々しかったな……。貴俊さんがおやつの時間に探しにきてくれるまで、入り浸っていたこともあったような……


 無論その当時は、玄関で出迎えてくれた女性は、和泉この家にまだいなくて。

 玄関の様子も、昔と変わっていないはずなのに違和感があるのは、わたしの背が伸びて視点が変わったせい? 玄関から続く廊下も、その先にある階段も、二階の貴晶の部屋も……。部屋こそ移ってはいないけど、高校生の男子の部屋だ。小学生だった時分とはずいぶん変わっているだろう。

 

「……亜希。もしかして、俺の部屋へ行きたい?」


 玄関でりんさんと挨拶を交わしたあと、ぼーっと廊下に突っ立って階段の先を眺めていたわたしの耳に、斜め上からとんでもない台詞がとんできた。


「久しぶりだから、ちょっと思い出に浸っていただけ!」

「そ? 俺、着替えるから、ついでに案内してあげたのに」


 ……ついで? って、なんの……ついで?

 ――ちょっ……!

 一瞬とはいえ、真面目に考えてしまった。久々にやられた。


 そういえば、貴晶は昔からこういうところあった。可愛い顔して、優しいくせに、たまーにわたしにだけ意地悪で。お兄さんの貴俊さんは品行方正なタイプだから、その場に居合わせていたら、その都度ほんとにマメだなってくらい貴晶のこと注意していた。なのに、ぜんぜん懲りなかったんだよね。

 もうなんか、ずいぶん昔のことみたい。

 貴俊さんと貴晶と悠希と四人で……みんなで遊んでた。



「亜希さん、こちらへどうぞ」


 凛さんがすすめてくれた広くゆったりとしたソファーの前のローテーブルには、数種のお菓子を少量ずつきれいに入れた籠が載っている。几帳面な人なのだろう。ショートカットに薄化粧を施しただけなのにその辺の着飾ってる女性よりずっと綺麗だと感じるのは、肌理の細かい色白の肌と艶のある黒髪と、なによりこの人の纏う気持ちのよい清潔感に惹きつけられるせいだろうか? 全体に柔らかい雰囲気ながら、その面差しや立ち居振る舞いから芯が通っていそうな印象も受ける。ピンクベージュのゆるやかにおちるAラインのリネンのエプロンドレスが、細身の身体にとてもよく似合っている。


「お義父さんは仕事のお付き合いで今日は遅くなるから、自分に構わずやっててくれって。それで貴俊さんの帰宅が七時頃なの。二人とも、その時間に夕食ってことでいいかしら?」

「亜希んとこ、晩飯の時間もう少し早いんじゃない?」

「わ、わたしは平気です! 七時で大丈夫です」


 余計なことを、と牽制の意味をこめて貴晶のほうに目をやって、わたしは焦った。貴晶はネクタイを外して制服のシャツの上のボタンも外していた。白いシャツの襟元の間から、わずかに見えるすっきりとしたラインの鎖骨が……

 そこで我に返る。


 ここは貴晶の家なんだから、このくらい当たり前。まして貴晶は、これから私服に着替えるんだから。……しかし、だ。わたしは学校で、貴晶が襟元を開けている姿を、夏でも見たことがない。教室はエアコンが効いているからまだわかるとして、外でもついぞ見ていない。なので、とても珍しい姿ものを見た。

 ――びっくりしてしまって……だからどきどきした。



「亜希さん、なにか飲みたいものある? 貴晶君はいつものジュースでOK? ちなみに今用意できるのは、オレンジとブドウのジュースに緑茶と紅茶とミルクとコーヒー。亜希さんはなにがいいのかしら?」

「お茶、緑茶で。あの、お構いなく。わたし突然お邪魔してしまったので」


 言ってしまったあとで、貴晶と同じ飲み物にしたほうが凛さんの手間が省けたのではないかと気づいたが、もう遅い。凛さんはキッチンへと消えてしまった。


 それにしても貴晶ったら。『いつもの』って? なに当然のように凛さんに甘えてんのよ。 

 ……貴晶ってば、いつも凛さんに自分が飲むジュースを用意してもらってるの?

 凛さんは貴俊さんのお嫁さんで、貴晶にとっては義理のお姉さんにあたるけれど。「家族なんだから」っていったら、それはたしかにそうなんだけど。

 それでも貴俊さんならともかく、なんであんたまで十八にもなって、まるでそれが普通であるかのような顔をしてお世話してもらってるの?

 そりゃ凛さんは気さくで気働きのできる女性みたいだし、凛さんはそんなこと気にしていないかもしれないけど。それにしたって、……あんなのはちょっと。

 貴晶。凛さんは新婚さんでお義姉さんなんだから、あんたがもう少し気をつかってもいいんじゃないの?



 凛さんが淹れてくれたお茶はとても優しい味がした。人柄がしのばれるというか、雑味のないきちんと淹れてくれた味。


 さすがだなぁ……という感心と、やっぱりなぁ、という安心と。あの貴俊さんが選んだ女性だもんな。

 凛さんがまだ貴俊さんの婚約者だった時分から、彼女はうちのお母さんの心をがっちりと掴んでいた。それはもう二度ほど会って少し話をしただけとは、到底思えないほど。


 二人の結婚式に出席した日は、お母さん達大盛り上がりだったもんな~。

 そんな母でも一応出席前には、『あと一年なんだし、貴俊君が大学卒業してからでも遅くはないのではないかしら?』とお父さんにだけは話していた。

 それが――結婚式から帰宅するや、お母さんは留守番していたわたし達が出迎えるより早くリビングに駆け込んで来た。そして、「今度はなにごと?」と見構えるわたし達の顔を見るなり、『いいこと。心底番いたいと思ったら、わたし達に遠慮は不要よ! お相手さえ承知なら、さっさと項を咬んで番ってしまいなさい』……だもの。

 結婚式は今年の三月、悠希は中学卒業したばかり。だのに、また突然なにを言い出すんだ、ウチのお母さんは――と呆気にとられていたら、悠希も悠希でお母さんのトンデモ発言を真に受けたのか、真っ赤になっちゃってるし。

 ――αの頭のなかって、つくづく理解できない。……改めてそう痛感したんだよね、あの時。



 お母さんはああ言っていたけど。

 番――αとΩのカップルは他の組み合わせのカップルより早婚率が高いそうだ。大学生で学生結婚した貴俊さん達は特別早いケースというわけでもないのだそうで。

 番という関係なら、高校生でもいるらしいし。

 とは言え悠希はαだし、少なくとも今のαの高校にいる間はその可能性は低い? ……と思いたい。そうすると、やっぱり貴俊さんのように大学に入ってから?

 ……弟に番ができて、学生結婚して、結婚式挙げて……姉としてわたし、まず間違いなく独身で、出席して? 悠希が? 結婚……?

 ぜんっぜん、まったくピンとこないわ~。


 ……って、あれ? 貴晶は?




「――亜希?」

「ぅわ!」

「うわじゃねーよ。ぼーっとして、魂抜けたみたいな顔してる」


 気付いたら、真横に貴晶の顔があった。


「……近い」

「客間に布団敷いてあるって。そっち行く?」


 布団ということは一階の和室の客間? ……わたしのお気に入りだった場所。


「……ん……と? そんなに、わたし……具合悪そう?」

「……俺に聞くなよ」


 キュっ。

 ソファーの座面の革張りのクッション同士がこすれて、小さく鳴いたような音をたてた。わたしには広すぎる大きさのクッションの左の端がたわむ。わたしの座るクッションに左手をついた貴晶が、顔だけでなくその大きな身体をわたしの方へと乗り出してきた。

 不意に貴晶の側にバランスが傾いたクッションにつられて、わたしの上体もわずかながら彼の方に寄りかかりそうになる。慌てて踏ん張ったわたしの左頬に、貴晶の右手が伸びてきた。

 貴晶の指先が、わたしの頬に、次いで首筋にあてられる。

 ……あったかい。はじめは頬だけだったのが、優しい熱はゆるゆると沁みとおるように伝わり巡っていって。わたしの身体ぜんたいがほんわりとあったかくなった。


 ……貴晶の匂いがする。

 わたしの身体の些細な変化を感じとったのか、わたしの体調をうかがうように、貴晶がさらに身を寄せてきたのだ。

 ……自覚してなかったけど、わたしの身体が冷えてたのかな?

 触れているのは貴晶の指先だけだ。近くにいるだけで、こんなにも貴晶の体温を感じるって……。そしてそれが心地よくて――このまま、意識を手放してしまいたいくらい。


 だがここで、わたしのなけなしの理性が訴えてくる。いくら幼馴染の家で親同士仲がいいとはいえ、体調不良でそこで寝込むというのは些か抵抗がある。とはいえ、わたしには前科がある。急に意識を失って倒れる。――今日で一気に三回に増えてしまった。いくらなんでも一日にそう何度も倒れることはないと信じたいけど。

 ……いきなり倒れるよりは、この際大人しく休ませてもらったほうが、まだマシなのではないかという気もしていて。



「亜希……?」


 あ~ごちゃごちゃ考えるうちに、身体が貴晶にもたれかかっていた。何やってんだ、と思うのに、身体にちっとも力が入らない。ぜんぜん動かせそうにない。


「……ごめん」


 ふり絞った声は、ちゃんと意味をなす音として発することができたのかどうか? それもわからないまま。 

 ここでわたしの意識は途切れてしまった。

 

 

 目を開けたら、わたしは貴晶の家の客間に寝かされていた。照明が落とされた室内は真っ暗だったけど、間接照明のスイッチを求めて布団から伸ばした手がふれたざらりとした感触とかすかな畳の匂いでわかった。

 気分はいい。身体も軽くなっていた。髪をかき上げて、髪ゴムがほどけているのに気がついて……


 ――え?

 わたしが今着ているのは、ここに来た時と同じ制服だ。それは変わらない。けれど……ブラウスの上のほうのボタンとかスカートのホックとか、あと他にも外れてるのは……? わたし、そこまで寝相が悪かった?


 そこで、もう一つの可能性に思い至る。

 いやいやいや。凛さんだよね? 凛さんが気を利かせてくれたんだ、きっと?


 暗がりのなか、視界に飛び込んできた点灯した置き時計の針は、七時半を指していた。

 嘘……? 夕飯の時間とっくに過ぎてる。わたしったら、他人よそ様の家で、たっぷり二時間半以上も眠っていた。




「亜希さん、今呼びに行こうと話していたところだったの。ちょうどよかったわ」


 身繕いをして廊下に出たところで、ダイニングから顔を出した凛さんから声がかかった。


「気分はどう?」

「すみません、すっかりご厄介をかけてしまって……」

「いいのよ、そんなこと。誰だって初めてのときは不調になるものよ? 気にしないで」


 凛さんが廊下を足早に近づいて来て、わたしの手をとろうとした刹那、


「亜希」


 後から出てきた貴晶が、凛さんより早くわたしの腕をとる。

 貴晶のこういうところ、小さい頃と変わってないなぁ。最近はなかったので忘れていた。わたしはもう慣れっこだけど、凛さんが戸惑ってる。


「さっきより顔色よくなったな」


 貴晶がわたしの顔を覗き込んでくる。


 こんな廊下の、オレンジがかった灯りの下でわかるの? って、ちょっと!

 ――だから近いって。凛さんが見てるし。

 咄嗟に顔を俯けてしまった。

 あ。前に同じことをして、貴晶に強引に顔を上げさせられたんだ。

 すぐに首をすくめて逃れようとする。


「兄さんが帰ってきたんで、七時に義姉さんが亜希の様子を見にいったんだ。そうしたら、おまえまだぐっすり眠ってて。先に俺達だけで晩飯はじめてた」


 あれ? なんだかいつにも増して、貴晶の口調が優しい。条件反射で身構えていたわたしは、肩透かしを食ってしまった。貴晶はわたしの腕をそっとひいてダイニングへと足を進める。


「……いろいろ、ごめんなさい」

「亜希の具合が良くなったのならいいさ」


 ――貴晶の言葉が……ほっと、落ち着くような、くすぐったいような。外で話している時とは違う、低く呟くような貴晶の声。わたしと同じ歩調ペースで、すぐ前を行く貴晶の広い背中。わたしの腕をつかんでくれる大きな手があったかくて。

 ……しまりなく口許がゆるむのが、自分でもわかった。



 でもそれも、すぐに消えた。

 貴晶の背中に隠れて見えてなかった。貴俊さんがダイニングの扉口に立って、じっとこちらを見ている。一言いいたいのを飲み込んでる、って表情かおしてる。

 その硬質な視線が、わたしを否応なく現実に引き戻してくれた。




「兄さん、亜希の目が覚めた」

「うん。いらっしゃい、亜希ちゃん」


 わたしが起きてきたということくらい、貴晶がわざわざ口にしなくても見ればわかることだ。

 でも貴晶が貴俊さんの機先を制してくれたおかげで、貴俊さんの周囲で燻っていた不機嫌オーラがいくらか弱くなった。

 普段厳しいことを言ってはいても、結局は弟に甘いところ昔と変わっていないらしい。


「貴俊さん、こんばんは。お久しぶりです。お邪魔しています。今日は突然ですが、おばさんや皆さんのご厚意に甘えてお世話になっています」

「母からは俺にもメールがあったよ。気分はどうかな? うちの母の提案で今夜はちり鍋なんだが、食べられそうかい?」

「はい。ゆっくり休ませてもらったので、もう大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 貴俊さんを前にするとつい畏まってしまう。

 子供の頃はここまで他人行儀ではなかった。五年ぶり…くらい? 貴俊さんと面と向かってお話しするの? 


「ちょうど亜希さんのお父さんが出張先から送ってくださった新鮮なカワハギがあったの」

「わぁ、すごい! 美味しそう」


 天板の幅が二メートルはあるだろうウオールナットの食卓テーブルには、カセットコンロに土鍋、総菜と、鍋の食材をわたし用に取りおいてくれた皿があった。白地にすっきりとした藍の色の模様が映える染付の丸い大皿に、主役のカワハギをはじめ豆腐、人参、本しめじと、この時季に水菜までもが彩りよく盛られている。

 人参には菊の花を象った飾り切りがされていた。これは、地味にテンションが上がる。

 

 わたしはお母さんの料理、美味しくて好きだ。ただこのテの味にさほど影響しないどちらかと言えば見た目重視のひと手間は、うちの母は気分によって~……しない割合の方が高いので、こういうちょっとしたことでもグッとくるものがある。


 そういえば美雪ちゃんのお弁当も、盛り付けがきれいで美味しそうなんだよね。

 たまにわたしのとおかずを交換して食べさせてもらったことあるけど、どれもとっても美味しかったし。しかもちゃんと自分でつくってるって。


『――えらくなんかないよ。わたしが料理してるの、……自分が困らないようにっていうだけだもの』


 美雪ちゃんはああ言っていたけど、やっぱり好きでないとあんなに美味しくはできないと思う。それと、……センス。



「亜希、これもうOK」


 わたしが浸っている間に、貴晶が食べごろになったカワハギやら野菜やらをレードルですくってわたしの取り皿に入れてくれていた。


「ぁああ、ありがとう。わたしもう自分でやるから」

「俺、もうけっこう食べてるし」


 あ、そか。貴晶達、先に食べてたんだっけ。

 どうやら貴晶のお腹は、もうすでに満足しているようだ。それでもって手持無沙汰らしい貴晶がわたしにかまってくるのは今に始まったことではないが、食卓を挟んだ斜向かいには貴俊さんがいる。いくら体調がイマイチだからといって、こんなことまで男の貴晶にさせてるわたしって。

 ――まずい。元からわたし貴俊さんには距離おかれてるけど、これで更に心証が悪化している……?

 恐る恐るそちらに目をやって、


 ……新婚さんだぁーー。


 よもやここまでとは想像していなかった光景が、眼前で繰り広げられていた。……拍子抜けしたというか、なんというか。ぽかんと口を開けて、貴俊さんと凛さん、お二人に見入ってしまう。


 凛さんがいそいそとレードルでお鍋の具材を貴俊さんの取り皿によそう。貴俊さんがそれらを順にポン酢に浸して食べていく。貴俊さんがビールを飲む。そら豆の塩ゆでや茄子の煮浸しなどのつまみを貴俊さんが食べる。空いたグラスに凛さんがビールを注ぐ。貴俊さんが飲む。そしてその合間を縫って食べてる凛さん。


 これって、凛さんが貴俊さんに合わせてる? ……それとも?

 とにかく俄かに信じ難いことだけど、あの貴俊さんが自分のごく個人的な行動に横からいちいち干渉してくる行為を許してる?

 凛さんに、好きにさせている……よね? 

 貴俊さん、晩酌するんだ。勝手にしないイメージ抱いてた。でもって、凛さん、器用。


 もはや、そこだけ別世界? こちら側のわたし達とは違う時間軸で時が流れているような、そんな錯覚さえ覚えてしまう長閑さで、言葉少なに身振りよりもアイコンタクトで通じ合っているような秘めやかさで淡々と食事が進んでいく。

 その上でこちらを気にしてないようでいて、意識されてる……気がする。それがまた、かえって面映ゆいというか、居たたまれないというか。もしかしてわたしの存在がお二人の邪魔をしている?

 他人のわたしがいてこの雰囲気ってことは、身内の貴晶しかいない場面だと、貴俊さんと凛さんはもっとオープンにいちゃついているんだろうか?


 貴俊さんは、わたし達が学校に上がる頃には、ソツがなくなんでも自分でできる大人な子供という印象だった。手のかかる弟達……最も煩わせていたのはわたし――の分まで先回りしてやってしまえる頼りになるお兄さんだったのだ。

 その貴俊さんが、これはもはや以心伝心? という間合いでお鍋の取り分けを凛さんにお任せしている。

 しかもどう見ても、貴俊さんの態度が満更でもなさそう……。貴俊さんのことを知らない人が見たら、気がつかないレベルだけど。

 凛さんもさりげない風で貴俊さんに寄り添いながらも、貴晶と一緒にいた時より明らかに嬉しそうで。


 大学に入ってから知り合って、結婚してたったの三カ月弱、しかもお互いにたしか二十二歳だっけ? 考えてみたらもっとベタベタと浮ついていてもおかしくない気がするし、わたしがいるから隠しているのかもしれないけれど。それでも滲み出ている、この若さでもうずっと長い時間を共に過ごしてきたかのようなこの熟成した佇まいって。 

 ――これって、二人が……いわゆる番だから?


 ……まぁなんにしても。

 この空気にさらされて、貴晶の食事のペースが一人だけ早くなってしまったのも頷ける。知らなかったとはいえ、夕飯の時間に遅れて貴晶に気の毒なことをしてしまった。

 ご飯が出てきていないので、締めは雑炊だろうか? とにかく貴晶をこれ以上待たせるのは申し訳ない。わたしは彼が取り分けてくれたカワハギの身を口に運んだ。

 カワハギは毒こそないがふぐと同じ分類のお魚で、鍋でいただくのはわたし初めてだ。


「美味しい! お鍋いいですね。うちはこの間送ってきたのは煮つけにして食べたので」

「夏にお鍋って思ったけれど、やってみてよかったわ。カワハギはお味がいいぶんお値段もよくって、そうそう食べられるお魚ではないし。亜希さんのお父さんのおかげね」

「お父さん、こっちに帰ってこないお休みの日に、ちょくちょく釣りに出かけてるみたいで」

「カワハギ釣りって難しいのでしょ? 今度帰っていらしたら直にお礼を言いたいわ」


 釣りはお父さんが単身赴任になってから本格的に始めた趣味だ。始めた当初は自分が釣り上げた成果を離れて暮らすわたし達に自慢をしたいのか、やたらと送って寄越した。お母さんも新鮮なお魚に始めのうちこそ喜んでいたけれど、すぐに仲のいいご近所さんにお裾分けをするようになった。

 お父さん、最近は貴晶の家には直接送ってたんだ。




 食事が終わって、人心地がついて、にわかにエアコンの風がひんやりと感じられた。


 ――貴晶、お風呂入ったんだ。さっき廊下で顔が近づいた時は、気付かなかった。

 貴明のパーソナルスぺースが異常に近いせいで、長年の経験の積み重ねの結果なのか、こんなことがわかってしまう。今なんて食卓の隣の椅子に座ってるだけで、たいして近づいてもいないのに。ふとした風とか、そんなものに乗った貴晶のほんの微かな体臭まで感じ取れるようになってしまった。

 逆もしかり、なんだと思うとじっとこうしているのは、キツイ。貴晶から離れたい。

 寝汗かいてたみたいだし、わたしまた、汗臭くなってるよね?




「――凛さん、わたし後片付け手伝います」


 睡眠もとったし美味しいご馳走も堪能して、気分もいい。ならばせめてこのくらいはしなくては、と思い立ったわたしの申し出は、たちまち皆に却下されてしまった。


「亜希! まだ休んでろ」

「ありがとう、亜希さん。でもまた今度ね」

「亜希ちゃん、君は今日だけで二度も倒れたそうじゃないか? 君に自覚がなくても君の身体には結構な負担になっているはずだ。遠慮などしないで、おばさんが迎えに来るまで、ゆっくり休んでいなさい」


 皆に口々に、とどめに貴俊さんにごもっともな言葉で諭されてしまっては、大人しく従うほかない。


「……はい」

「そうよ~。ほら、あなたのお母さんからあなたのことを頼まれた貴晶君が困ってる」


 貴晶が困ってるって?

 貴晶のほうに視線を向けると、椅子から立ち上がろうとしている彼の背中が見えた。

 それでそのまますたすたと振り返りもせず貴晶は一人でダイニングから出て行ってしまった。――と思いきや、廊下から顔だけ出して一言。


「亜希。リビング行くぞ」


 貴晶の顔を見て、次いで振り返って貴俊さんと凛さんの顔を見る。


「行ってらっしゃい。あとでコーヒーを持っていくわ」

「では、コーヒーは俺が淹れよう」

「じつはお願いしようと思ってました」


 ……さっきからの、このご夫婦の連携プレーは。

 夫婦仲睦まじいとうのは普通なら見ていてとっても微笑ましいものだと思うんだけど、その片方が貴俊さんとなると、なんとなく見てはいけないものを見てしまったって気になるんだよねー。

 ほのぼのした家庭的な幸せオーラを醸し出しているその中心に貴俊さんがいるって……素晴らしいことなんだろうとわたしも頭では理解しようと試みてはいる。いるけど、……世の中なにが起こるかわからない。

 ――これが率直な感想だったりするのが、申し訳ない。


 二人の世界を絶えず築いている凛さん達を生温い目で見やって。

 ――と、ここで又しても、今頃気づく。

 エプロン姿と、エプロンを外していた食事中は食卓に隠れていて、わからなかったけど……




「……ねえ、凛さんもコーヒー、飲むの?」


 貴晶に促されたわたしが先にソファーに座ったため、先刻とは反対に廊下に近い右側の座面に腰をかけた貴晶に、わたしは正面を見つめたままで問いかけた。


「前は飲んでたらしいけど、今はほとんど飲んでない。でも豆を挽いたり淹れた時の香りが好きなんだって」

「……何か月? わたし知らなくて、すっかりお世話かけてしまった」


 ちょっと考えればすぐにわかりそうなものだ。αとΩが番になっていて、学生で、あの貴俊さんが結婚までしているのなら……


「あまり目立たないけど、七か月。亜希が心配なんかしなくても、義姉さんには兄さんがついてるから大丈夫だよ」


 確かに。あの様子なら、そうかもしれない。でも……


「貴晶、あんたジュース。自分が飲みたいなら、凛さん妊娠してるんだし、そのくらい自分でやりなさいよ」


 つい口をついて出た。こんなこと、貴晶に今言うつもりなんてなかったのに。


「俺にあんまり気を遣われすぎるのも、落ち着かなくてイヤなんだって。義姉さんがしんどい時は、最初から訊いてこないよ」

「そう。それならいいけど」


 ――番……。


 ……子供。


 あの忌まわしい情景が――脳裏に浮かびそうになった。慌てて頭を振って追い出そうとする。


 貴俊さんは紳士だ。理知的で、まだ学生だなんて信じられない程しっかりしていて、大人で……。なによりあのお二人は想い合っている。

 和やかで睦ましい、先程の貴俊さんと凛さんの様子が思い浮かぶ。

 とてもじゃないが、あの二人の煽情的な姿など。あまりにかけ離れていて想像もつかない。

 あの、貴俊さんと凛さんが? でも……


 目の奥に、昏い靄がおりてくる。……ずきりと……


 でも、番関係を結ぶには……

 発情と、無関係じゃない。

 むしろ、その状態でないと。


 ふつふつとこみ上げてくる、……この……


『――こんな、繋がり……』



 どくん。

 

 いやだ! そんなの、考えたくない。





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