(4/8)誕生日すら知らない
紗莉菜は自分の誕生日を知ってるかミツヒコに聞いてみた。
「知ってるよ? 3月10日でしょ?」
やっぱり!
「サトーの日」
佐藤?
「苗字の佐藤さんじゃないよ。お砂糖。シュガーの『サトウ』ね」
「へーっ」
もうこのころには紗莉菜はミツヒコの家ですっかりくつろぐようになっていた。『マイジャージ』を彼の家において到着したら着替えるくらい伸び伸びしている。冷蔵庫も勝手にあける。もともとそういう女なんである。
誕生日を覚えるのにはコツがあるのだ、とミツヒコは言った。
そもそもは彼が小学校3年の時。
母親が『毎日が楽しくなる! 365日記念日ハンドブック』という本を買ってきたのが始まりだった。
夏休みで暇だった。ゴロゴロしながらなんとなく見る。わりと面白い。
へー。
4月8日はダイヤの日。
7月9日はジェットコースターの日
365日全てが何かの記念日ということ自体が面白いし、そっかー。今日は『海の日かー』みたいにカレンダーを見るのも楽しい。
すっかり覚え込んでしまった。
「誕生日はね。日付で覚えようとしても無理。本人と記念日を記憶の中でエピソードとして結びつければ覚えられる」
例えば原千里。11月11日生まれ。ポッキーの日。
原千里→ガリガリで色黒→ポッキーそっくり→11月11日
おい原! わりととんでもねー覚え方されてんぞ!! 午後ティー奢ってもらってポーっとなってる場合じゃねぇぞ!!
ということだが、知らぬは当人ばかりなりだ。
「紗莉菜ちゃんはオレにとってお砂糖みたいな人だからね。サトーの日で3月10日」
と言われ紗莉菜はポーッとしてしまった。『お前をスナックに例えるなら暴君ハバネロ』と常々男友達に笑われる人生だったのだ。『お砂糖』なんて言われたの初めてだ。
『彼の前で甘く溶けるとかそういうことかな?』と紗莉菜は照れた。
実は
オレをアリを踏み潰すゾウみたいな目で見てくる同期の子→アリ→アリと言えば砂糖に群がる→サトー→3月10日という
『中原! お前の覚えられ方もたいがいだぞ!』
というものだったのだが、それは言わぬが花というものだ。嘘は言ってない。
「あーちなみにーみっちゃんはー」
と紗莉菜は今日1番聞きたかったことをさりげなく切り出した。
「オレ? 5月1日だよ」
にっこりする。
「オレのはすごく覚えやすいよ。『メーデー』」
◇
やっちまったー!
と紗莉菜は内心焦った。付き合いだしたのが4月。そして今8月。
終わっとるやんけ! 付き合ってんのに彼氏の誕生日完全スルーでもう3ヶ月たっとるやんけ! さらに次の誕生日はあと8ケ月も先やんけ! 先にアタシの誕生日来ちゃうやんけ!
もう取り返しが効かない。ここは知らん顔して1年過ごすしかない。8ヶ月後の誕生日には全力で祝うしかない。
内心の焦りにさらにミツヒコが追い討ちをかけた。
「紗莉菜ちゃんの誕生日は2人で祝えるね。そうだ! ホワイトデーも近いね。何しようか? 考えとくよ」
中原紗莉菜は心底ゾッとした。こいつチョコ1箱でどんだけ祝ってくる気だ。『地獄のように気が利く』男が彼女にする誕生日祝いってなんだ?
まずフランス語だかイタリア語だか読み方チンプンカンプンの一流レストランは予約するだろう。間違いない。こいつはそういう男だ。
でもそれ以外は?
全く想像できない。彼女にとって誕生日とは『男友達が死ぬほどラーメンの替え玉を奢ってくれる日』以外の何物でもなかったからだ。
◇
その夜、紗莉菜は夢を見た。
自分はよくわからないハイブランドのドレスを着せられている。ミツヒコが買ってくれたものだ。
ミツヒコはタキシードを着ていて満面の笑みで紗莉菜を重厚なドアへと導いてくれる。
そこを開けると中はルイヴィトン。店員が全員一斉に自分1人に向かってお辞儀をする。
店長がかしこまって進み出る。
「ようこそいらっしゃいました! 本日は中原様のために貸し切りです。ごゆっくりご覧ください」
ヤメテェェェェェーーー!!!!!
たかだか誕生日にここまでやらないでぇぇぇぇー!!!
ガバッと跳ね起きた。背中に汗をびっしょりかいていた。夢である。
単なる入社2年目の会社員にそんなことできるわけない。
だが、1万分の1くらいの確率で『アイツならあるかも』と思わせるのが花沢光彦という男の恐ろしいところーー。
【次回】
『限界がやってくる』です。