(1/8)地獄のように気が利く男
システム営業部第三課花沢光彦は影で
『地獄のように気が利く』
と言われている。
きっかけは彼が新入社員になって4ヶ月目のこと。
先輩の付き添いで市民プールへ商談に行った。めでたく契約書を取り交わすことができた。新入りの花沢の主な仕事はカバン持ちである。契約書は花沢のカバンにしまわれた。
そのままの流れで「うちの循環器システムを見学しませんか?」と客先よりお誘いがあった。先輩と2人で「是非拝見させていただきたい!」とプールまで降りてきたのだ。
夏だった。子供達が走り回り、ビキニのお姉さんたちがレジャーシートを敷いて日光浴をしている。
こちらは4人ともスーツである。白シャツ軍団は行楽風景から浮いていた。
「素晴らしいシステムですねー」先輩が褒める。「うちもこのような商品。扱いたいですねー」
「いえいえそんな〜」と相手方が謙遜したところで、先輩が「あっそういえば弊社の商品にもなかなか便利なものがありまして……」と花沢にパンフレットを出すようにうながしたのだ。
花沢はカバンのジッパーを開けてパンフレットを取り出そうとした。
そこにである。
よりにもよって子供が突進してきた。5歳くらいの子供である。花沢の太ももにジャストヒットする形で思いっきりぶつかった。
よろける花沢。空を舞うカバン。
「「「ああ〜っ!!!!!」」」
花沢以外の男3人が叫んだが、虚しくカバンは水面に落ちた。花沢は転んでお尻と右手をプールサイドについた。
「契約書が〜!!!」
先輩が叫ぶ。500万あまりの売り上げになる契約書だ。よりにもよってジッパーが開いてるので今ごろカバンの中には『ぶくぶく〜っ』と水が入り込んでいるはずだ。
4人がかりでカバンを拾った。先輩が焦ってカバンの中を漁る。
「ん………?」
契約書が出てきたのである。水は一滴もついていない。
なぜなら、契約書はチャック付きビニール袋に入っていたからだ。しかも2重。ご丁寧に契約書の下には薄い緩衝材が入っていた。全く折れてない。
全員が花沢を見つめた。
花沢は、一瞬気まずそうな顔をしたが
「お客様からお預かりした大事な契約書ですので……」と呟いた。
◇
考えても見てほしい。
そもそも「お客さんと契約書を持った状態でプールサイドにいる」という可能性がどれくらいあるだろうか? そこに「たまたま」「防水カバンのジッパーが開いている可能性」は? 「さらに子供がぶつかってカバンがプールに落ちてしまう」なんて可能性は?
さらにさらに「それに備えてビニールに契約書を、しかも2重に入れている」なんてことがあるというのか??
当然客先の印象は爆上がりである。
この日以来花沢光彦は
『地獄のように気が利く』
と社内でウワサされるようになった。
【次回】
『お前はたかがデートにどれだけ調べてくるんだ』です。




