第3話 青鬼と赤鬼の輪舞曲 其の一
「いつものください」
水曜の午前。とある玩具屋。
ぼさぼさとした茶髪の少年がまたやってきた。
まだこの玩具屋でバイトを始めて間もない新人でさえ彼のことは知っていた。
定期的にやってきてはいつものをくださいといってくるなぞの少年。
この玩具屋にとって彼はお得意様になっていた。
十六歳くらいの少年で玩具屋の中でも話題になりニックネームが付いていた。
この少年を玩具屋の人々はこう呼ぶ。“さいころ少年”と。
この名前は決して伊達ではない。店長も呆れるほどの“さいころ”の量を買っている。
これが彼の“いつもの”。
「今日も五〇〇個でいいですか?」
「はい」
研修生と書かれた札を付けている店員が少年にそう尋ねると少年はいつものように頷いた。
さいころは二、三個もあれば十分だろう。それを五〇〇個もこの少年ひとりで買っている。
さいころを五百個も何に使うのかこの少年に対応した店員はいつも考えている。
大すごろく大会か。それともただの趣味か。
なんにしてもなぞである。
少年は満足そうに玩具屋を出て行った。
この時店員が少年には聞こえないように呟いた。
「変な人」
学校に病欠届けを出した少年はある民家の前にいた。
民家といってもここは病院で少年の知り合いが院長をやっている。
病院の前に立った少年は体が悪くてここにいるわけではない。。
しかし顔はかなり嫌そうな顔をしている。
緑色を基調としたブレザーの制服を着たまま立っていた。ぼさっとした茶髪を掻きながら病院に入るかどうかを青鬼彰は悩んでいた。
足元から、
「入らないの? 私もそれがいいんだけど……」
黄金の髪を揺らしながら彰と同じように嫌な顔をしたまま顔を上げる死霊のアリス。
「まあ……入らないわけにもいかないしな……。入るか」
息を吐きながら彰は財布の中身を確認する。現在の全財産、二五〇〇円。ちょっと厳しいかな。
霊能者の仕事ははっきりいって少ない。多分バイトをした方がお金は貯まるであろうがバイトをするわけにもいかない。自分の人外に好かれる体質が妬ましく思う。
とあるバイト先では自分を探すためだけにその地域全体に浮遊霊が数百と集まってきたり、また違うところでは気配を出すだけの人外の赤足のパレードが開催されたりと散々だった。
自分のせいで迷惑をかけるわけにもいかずにもう二度とバイトはしないと心に誓った。
仕事があると堕鬼から連絡があったときは初めは喜んでいたものの、しばらく時間が経ってから気づいたのだが、堕鬼に会わないといけないことを思い出す。それは嫌だ。
あきらめたように息を吐くと、ふたりは病院の中に入った。
病院の中はいつものようにがらがらだった。
「相変わらずだな……おーい堕鬼! 来たぞ!」
彰が大声をだしても返事がなく部屋はしんと静まりきっていた。
長い沈黙。
「おーい来たぞ! おかま!」
彰がもう一度叫ぶと、
「はーい! 聞こえてるわよー」
嬉々とした男の声が聞こえてきた。
奥から出てきたのはいつもの白衣の下に世にも珍しいホットピンクのスーツ。それに何を勘違いしているのかこの日本には絶対似合わないであろうスーツと色を合わせたホットピンクのテンガロンハットを赤みがかった茶髪のベリーショートが隠れるほど深くかぶっていた。
男は猫の手のこぶしを握りながら体をくねくねさせながら彰に近づいてくる。
そしてそのまま彰の前に立つと、
「って……誰がおかまじゃーーー!!」
どすの利いた低い声でぐいぐいっとコブラツイストをかけてくる。
「お前だー!」
この美男子の名前は堕鬼。
色々完璧な鬼なのだが欠点がひとつだけある。
それは、
「もう! 彰ちゃんったら私がおかまだなんて失礼しちゃうわ。私は立派な乙女よ」
頬を膨らませながら体をくねらせる。とても女らしい仕草。
これが彼の最大の欠点であり個性。
アリスはさっきから彰の後ろに隠れたまま。
彰はおびえるアリスの頭をくしゃくしゃと撫でると、
「で? 仕事って何?」
堕鬼に向き合い仕事の話を始めた。
そんな彰のつれない態度に堕鬼は上目遣いの顔をしながら、
「そんなに仕事が大事? 私と仕事どっちが大切なの!」
「一〇〇パーセント仕事です! 断言できます! というか仕事以外であんたとは会いたくないです。一生」
「もうつれないわね! ここは『ばかっ……お前に決まってるだろ? 何だったら今……形で証明してやろうか?』とか言うべきでしょ!」
声色を変え、気持ちの悪いことをぬかす堕鬼に彰は、
「死んでも言わん!!」
一蹴すると目つきを鋭くして堕鬼を睨んだ。
「もう、怖い顔しないで。はいこれ」
堕鬼は懐から一枚の名刺を出してきた。
彰がそれを受け取るとそこに書いてあったものを口に出した。
「HOTEL『ホテル』? 何だこりゃ?」
「だからホテルよ。立派なね」
名刺をうちわのようにして扇ぎながら堕鬼に尋ねた。
「で? どんな仕事なの?」
堕鬼はいつものピンク色のファイルを開きながら話し始める。
「ええ。このホテルの社長さんからの依頼なんだけどね。お客さんからの苦情があってね。夜眠ってるとうめき声が聞こえるって」
「騒霊の一種かそれとも地縛霊か?」
「それはわかんないけど、とにかく困ってるんだって。で、どうする? 受ける?」
「うーん……」
顎に手を当てながら彰は考えこむ。
しばらく考えこんだ後に彰は小さく頷いた。
「分かった。とりあえず仕事はしないといけないしな。このホテルにいけばいいんだろ?」
ぴっと名刺を指で挟み、
「じゃ、行ってくれるのね」
彰は名刺を自分の制服ポケットの中に押し込んだ。
堕鬼は手をぽんと叩くと、
「じゃ、日にちは明日ね。彰ちゃんがんばってね」
堕鬼からの依頼を受けた彰は服やらなにやらを一日で用意するとホテルのある町に行くバスに乗り込んだ。
堕鬼がいうには依頼料は全て依頼人から受け取るようにということ。前金はなし。
しかしその分報酬はいいそうだ。この仕事を受けない理由も見当たらないので簡単に依頼を受けたのだ。
交通費も負担してくれるそうだ。
ここまで気前がいいと少しだけ不安にもなる。
仕事先でいきなり『さあ龍退治お願いします』なんて言われた日には即ぶっ倒れるのにそう時間はかからないだろうな。
少し憂鬱そうな息を吐きながらさいころを指でいじっていた。
「ねえ? この間何買ったの?」
「この間?」
ホテルに向かうためにバスに乗っていた彰の隣には不可視状態のアリスが座っていて、足を伸ばし気味に座り少し眠たそうにまぶたを擦る彰の顔を覗きながら聞いてきた。
「何って見たまんまだよ」
彰は自分のズボンのポケットからひとつのさいころを取り出した。
「さいころ?」
「そ、さいころ」
さいころを指でいじりながらそれを指で弾いてアリスに飛ばす。
アリスは飛んできたさいころを両手でキャッチするとそのさいころを手のひらの上で転がす。
「でも何でこんなに買ったの? 五〇〇個だっけ?」
「仕方ないだろ。俺のさいころは消耗品なんだし」
アリスはさいころを転がしながら小首を傾げる。
「消耗品?」
その言葉に彰は苦笑しながら、
「そー。嫌だよな。力を使うたびにさいころが消滅しちゃうからすぐになくなるし、そのたびに新しいさいころを買わなきゃいけないから困るんだよな“さいころ”つかいってのは」
「ふーん」
アリスは急に興味がなくなったように小さく頷いた。
彰はさいころを転がすアリスを見ながら一枚の名刺を取り出す。
「もうすぐか、騒霊か地縛霊ね……」
少しだけ不安そうな顔をする彰。
そんな彰を知ってか知らずかバスは揺れ、ホテル前に向かっていた。
バスに揺られることおよそ一時間ほどで彰たちは目的地についた。
着いた場所は温泉街で平日というのに栄えていた。来ている人たちは老人ばかりで隠居生活を楽しんでいるのであろうか。
「……くさい」
硫黄の癖のあるにおいにアリスが鼻をつまむ。
「硫黄だよ。ちょっと癖があるけどすぐになれるから我慢して」
「……くさい」
「とりあえずホテルに向かわないとな」
鼻をつまみながら歩いているアリスの隣の彰が辺りを見回しホテルを探す。
温泉宿がいくつも軒を連ねていて、結構探さないといけないようだ。
息を吐きながら、頭を掻いているといきなり声をかけられた。
「お客様! 我が温泉郷にようこそ!」
肩に手を置かれ驚いた彰が慌てて振り返る。
彰が振り返るとそこにはにこにこと営業スマイルを浮かべた老人が立っていた。
しわだらけの顔に弓のように曲がった腰。
まだらに残った白髪の頭の老人がいた。
「な、何だ……客引き?」
びっくりした彰は大きく息を吐くと老人に向かいあう。
「ご予約の旅館はあるのですかな?」
「あー一応。HOTEL“ホテル”ってとこらしいんだけど」
老人はぴくりと眉をしかめるとこそっと彰に耳打ちをする。
「そこだけは止めておいたほうがいいですぞ。ここだけの話……あのほてるにはでるらしいですぞ?」
「何が?」
幽霊か何かならそこで当たりだろうと思い彰は老人の話が終わったら道を聞こうと思っていた。しかし返ってきた言葉は幽霊ではなく、
「……変態がでるらしいですぞ」
「は? もっかい言ってくれる?」
彰は聞き間違いなのではないかともう一度聞いてみる。
「ですから変態ですぞ。変態」
しかし答えは同じ。
「幽霊じゃなくて……変態? 本当に?」
「はい」
営業スマイルのまま頷く老人。嘘を言っているとも思えない。
「夜眠っているとうめき声が聞こえるのですじゃ。それはもう嬉しそうなうめき声が」
「嬉しそう……?」
彰は顎に手を当てながら首を傾げる。
「それを気味悪がり誰もあのほてるに近付かなくなったのですぞ。ですからお客様もあの変態がでるほてるよりも我が旅館をお使いになった方が賢明ですぞ」
幽霊じゃなくて変態?
話が違うぞ堕鬼。
依頼を受けてしまったものは仕方がないので老人にホテルの道を聞くと顔を俯かせながらホテルに向かった。
「……くさい」
ホテルの前は先ほどまで栄えていた温泉街とは思えないほど寂れていた。
アリスはにおいに慣れてきたのかたまに鼻をつまんでいた指を時折はずそうとしていたがやはり、
「……くさい」
そういいまた鼻をつまむ。
その仕草が少し可愛らしい。小さな生き物みたいだ。
何てことを思いつつ彰は古びたホテルの中に入っていった。
ホテルの中は赤い絨毯がしかれていて、高級な雰囲気を感じさせた。とても問題があるようには感じなかった。
彰がきょろきょろとホテルの中を見回していると、
「失礼ですが……青鬼彰さまですか?」
ひとりの男がゆっくりと近付いてきた。
がっしりと筋肉がついた体にぴちぴちになっている黒いスーツを着て、オールバックの黒い髪にはたっぷりのジェルが光沢を放っていた。
「ああ。あんたボディーガードか何か?」
男は彰の問いに小さく首を横に振る。
「いえ、私はこのホテルを経営させてもらっております。宍戸と申します」
一礼をしながら宍戸は一枚の名刺を差し出してきた。
彰はポケットに入っていた名刺を出して、
「ああ、あるからいらないよ。宍戸さん」
「そうですか」
宍戸は名刺を懐に戻すと彰の右手を握ると、
「貴方さまがあの有名な“日本最強”の霊能者さまですか! このようなお若い方だとは存じ上げませんでした」
涙を流しながら感動していた。
彰は握られていない左手で頬を掻きながら、
「いや……そんな大それたものじゃないですよ。それよりもどういうものなのか詳しく教えてもらえませんか? その貴方が困ってるって言う霊について」
宍戸は声のトーンを落としながら彰に顔を近づける。
「はい。実は私も見たことはないんですが、ある部屋に宿泊した方たちがおっしゃるには眠っていると何か声が聞こえるそうなのです。妙なうめき声が……」
彰は近付く顔を左手で押しのけながら、
「声って……もしかして嬉しそうな声とか?」
彰の声に宍戸が歓喜の声を上げる。
「おお! さすがは“日本最強”の霊能者さまです! もうすでにどのような霊なのかを知っておられるのですか!」
「いやさっき聞いたんだけど……」
「さすが“日本最強”です!!」
「聞けよ」
彰の言葉が入らないほどに宍戸は興奮していた。
「でしたら話が早い。今夜その霊を何とかしてくれませんか?」
「……夜ってことは泊まりかな?」
「もちろんお部屋はご用意させてもらっております! ぜひ! ぜひに!!」
「無料?」
「もちろんですとも」
無料という言葉に人間はかなり弱い。この言葉が嫌いな人間などほとんどいないと言ってもいいぐらいに。特に金欠状態の人間ならなおさらだ。
しばらく霊能者としての仕事がなくバイトで何とか食い繋いでいた彰もその言葉に負けた。
宍戸の手を取ると、
「分かりました。この依頼はこの私たちに任せてください」
「ありがとうございます! んーっま! んーっま!」
宍戸は彰の手に顔を近づけてしつこいぐらいに接吻をしてきた。彰はそれを嫌がるそぶりを見せずに涙を流していた。
「久しぶりの温泉……」
その言葉を聞くと宍戸は顔を上げた。
「温泉ですか?」
「まあ温泉に来たし、夜までは何も出来ないしとりあえず温泉にでも入ろうかな」
「でしたら当ホテルの自慢の温泉がございます! 青鬼さまとそこのお嬢様のおふたりがご満足間違いなしの究極の温泉が!!」
澄明な空気の味わいが都会では感じることが出来ないほどに濃い。
立ち昇った湯気の向こうには満天に広がる星空。星々のひとつひとつが輝きを放つように闇を照らし出す。そっと頬をなでる優しい夜風が火照った体には心地よく感じた。
手ぬぐいを頭に乗せ、野趣満天の露天風呂に青鬼彰はひとりで浸かっていた。
ごつごつとした岩の間から白濁したお湯が豊富に沸いている。
ホテル自慢の美人の湯。
気持ちのいい湯だがアリスがここにはいない。
「こんなに広い風呂なんて銭湯か実家の風呂しか入ったことがない気がするな。さすがに混浴じゃアリスは入らないか」
ホテルにはこの温泉しかなく、男湯女湯などの仕切りもなく混浴しかなかった。
売店には水着なども売っていたのだがそれを着て入るのも嫌だそうだ。
「やっぱり女の子か……。まあ後で一杯堪能してもらうか。そうすりゃこの硫黄の香りもいいものだってことが分かるだろうし」
そんなことをひとり呟いていると。
「広いねー」
露天風呂の入り口の方から声が聞こえてきた。しかも若い女の声。
いきなりの声に彰は本能のままにごつごつとした岩場の中で一番大きい岩の影に身を潜めた。
少女の声。
あまりにも綺麗な声に彰は岩場の影からその声の主を覗き見る。
十代半ばの小柄な少女。やや険のある切れ長の翡翠色の瞳にピンク色の小さな唇。絹のよう長い赤い髪。
彰が短パンにも似た湯着を穿いているというのにそれに対し少女は白い肌の上には体を覆い隠すバスタオルが一枚だけ。
すらりと伸びた肢体の華奢な体に合う小さな未成熟な胸も控えめながらも主張するほどに、少女は無防備な姿だった。
少女は空に浮かぶ三日月の光を浴びながら一歩、一歩露天風呂に近付いてくる。
それを見とれるように眺めていた彰が我に返る。
(何見てるんだ。とりあえずここから出ないと)
岩場の影からどこか逃げ道がないかと辺りを見回すが、どこにも逃げ道などなく、ここから出るには少女の後ろを通るしかない。
そんな絶望的な状況。
そんな彰のことなど知らずに少女は岩のひとつに腰を下ろしながら三日月を仰ぎ見た。
細身の足だけをちゃぽんとお湯に浸せる。
「綺麗だねー」
少女は誰かに話しかけるように言葉を発する。
それは彰に向けられたものではないのは分かるのだがそれが誰に対するものなのかは分からない。
しかし少女は会話をしているように楽しそうに頷く。
何がどうなっているか彰には分からないが今が唯一のチャンスだとこくりと頷くと意識を足に集中させた。
それがまずかった。
ここは野趣満天の木々も顔を覗かせている露天風呂。
腐り落ちた木の枝なども落ちていてそれを彰は足で踏んでしまった。
パキ――
彰は痛みよりも先に音を出してしまったことに焦る。
その音を少女はばっちり聞いていた。
少女はタオルを押さえながらゆっくりと立ち上がると、
「誰?」
音の出た方に顔を向ける。
つまり彰のいる岩の辺り。
心臓が情けないほどに激しい音を立てる。岩に身を潜めて誤魔化そうとしたのだが、
「痴漢は死ね! 咲鬼!」
少女が右手を突き出すとそこに赤いグローブのようなものが具現化する。霊力が高まるのを彰は感じた。
「同業者! やばい!」
慌てて彰は身を精一杯伏せる。
少女はそのまま高く跳躍すると一気に彰のいる岩の真上にまで詰め寄った。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」
気合の入った声を上げるとそのまま霊力の高まった右手を振り下ろした。
彰が身を潜めていた岩は少女の拳に耐えることが出来ずに木っ端微塵に吹き飛んだ。
吹き飛んだ岩の破片から垣間見えた白い肌と赤い霊力の正体に彰は心当たりがあった。
心当たりがあったのは彰だけではなく、少女も身を潜めていた彰に心当たりがあった。
「青鬼……彰……?」
「よ、……陽菜?」
少女は彰のよく知る人物だった。青鬼家の従兄弟の赤鬼家の娘赤鬼陽菜。
いきなりの激しい動きに耐えれなくなったバスタオルが陽菜の体からぱさりと滑り落ちる。小さな胸も白磁のような肌もすべてがあらわになって――