Short Break もんぶらんけーきと死霊の女の子
呼び寄せるのは自分を殺す者。自分に殺される者。
与えるモノは安らかな死。受け取るモノは殺意。
ただ命を喰らい、命を弄び、命を悪戯に殺していく。
それが自分の……。
夢から覚めた時にそんな感情を思い出してしまった。昔の自分、今の自分、ずっと変わらない自分。
心が何だか割れそうに苦しい。このまま引き裂かれるのではないのかと思った。ふと顔を上げると見慣れない天井に月の妖しい光が射していた。暗くもなく明るくもない、そんな自分の心のような。
思い出した。眠たい目を擦りながら夢と現実の中の入り組んだ迷路を進んでいく。夢の記憶と現実の記憶を捌いていく。
今日、私は夢を叶えた。大好きな人の力になる権利を手に入れた。自分の指を見てみると、確かにそこに権利があった。小さく輝くシルバーリングが。
指輪を見ながら笑ってみる。泣きまねをしてみる。怒ってみる。拗ねてみる。でも、どうしてだろう。嬉しそうな顔を作ることができない。
あんな夢を見たからだろうか、……きっとそうだろう。
喜ぶこともなく、悲しむこともなく、ただ、朝起きて歯を磨いてご飯を食べるように当たり前の日常のように無表情に人の命を殺していたころの夢、過去――
小さな少年と出会う前の。
少年は私を助けた。ただ、可愛そうと言う理由だけで。殺人鬼よりも恐ろしいはずの“死霊”の私を――
私が出会った人間は私が全部殺した、みんなみんな殺した。あの少年以外は殺した。
それが少年と出会う前の過去。
少年はただ可愛そうと言って助けた。理由なんてそれだけ。くだらない理由。
命の重さも分かっていないほどの少年の小さな優しさ。それが私には眩しく見えた。太陽に直接触れたみたいだった。熱く触れることなど出来る訳も考えたこともなかった。でも少年は触れてきた。“死霊”である私に。
思い出すだけで体が嬉しく感じる。
思い出すだけで心が悲しく感じる。
どうしてだろうか? ただ、矛盾が感情を複雑にさせていく。
眠っていた部屋のドアがふいに開かれた。私がそちらに視線を移すと少年――彰がいた。彰は何か小さな紙で出来た取っ手が付いている箱を手に持って帰宅していた。
「ん? 寝てたの、アリス」
帰って来た彰を見て思い出した。ここは彰が暮らしている外観がかなり古びている1Kのアパート。そして彰は堕鬼のところに行くと話して「一緒に行く?」と聞かれたがアリスはまたあの変な生き物に会うのは嫌だと理由を付けて一緒には行かなかった。本当はあのオカマに会うのが嫌だったと言う訳じゃない。ただ何となく一人になりたかったから、たったそれだけ。
一人部屋に残されたアリスは倒れるように敷かれていた布団の上で眠りこけた。
「寝癖付いてる、はい」
そう言い彰はアリスに櫛を渡した。
アリスの黄金の髪は重力に反するように乱れていた。アリスは慌てて櫛を受け取ると、
「こっち見ないで!」
急いで髪を梳き始めた。
「はいはい」
彰はそう言いながら茶の間の中央に指定席のように鎮座してある丸いちゃぶ台の上に持っていた小さな箱を置いた。アリスは彰に背中を向けながら髪を梳いていたが、何かが置かれる音は聞こえていたので、
「何? それ?」
と、聞いた。彰はちゃぶ台の前に座りながらその箱を開ける。
「ん〜あの幼稚園の園長からの副収入っぽい」
堕鬼の所に行った彰はそこで天邪鬼の討伐を依頼した幼稚園の園長に会った。彰が言うには園長は見た目だけならヤの付く自由業の方にも見えて少し怖かったのだが、お金の払いが物凄くよかったのでいくら顔が強面だろうと、笑顔が絶えることはなかったそうだ。
いつも会う人、すれ違う人に怖がられている園長がそれに気分を好くして、園長が持っていた箱を彰に譲ってくれた。
何とか髪を梳き終わったアリスが彰の方に振り向いて見ると見慣れないものが箱の中に三つ入っていた。カップの形をした柔らかそうな、多分食べ物だと思う。カップの上には螺旋状の山のように盛られた黄色い何かが綺麗に飾られている。そしてその山頂には甘露煮の栗が山頂に直撃した隕石のように乗せられている。本当に見たことがないから何と表現していいのかも分からない。
でも一つだけはなんとなく分かる。
とても美味しそう。
思わず出たよだれを慌てて拭うが、そのよだれは洪水のように止まらない。
「これ何! これ何!?」
向かいに座っていたアリスが身をぐいっと乗り出して聞いてくる。彰は不思議なことを聞いてくる子供に答えを教えるように優しく、
「何って……ケーキだけど? モンブランケーキ、知らない?」
今回の仕事の報酬は五万円とこのモンブランケーキ。彰は本当に機嫌がよさそうに、にこにこしている。
「もんぶらん……けーき? って何?」
不思議そうに小首を傾げるアリスに彰が何も言わずに食えと言わんばかりに箱の中に付属していた透明なプラスチックで出来た薬指ほどの大きさの小さめのスプーンをアリスに押し付ける。
「食べてみれば分かる。と言うか食べてしまいなさい、食べなさい。俺は甘い物が苦手だから食べれないの。このままじゃキッチンの三角コーナーの片道切符をこのモンブランくんが手にしてしまうの。生ものだから、腐りやすいから」
アリスは彰の言っていることの半分も理解出来なかったし、しようとも思わなかった。今は目の前にあるもんぶらんけーきとやらに興味がある。
鼻から香る栗の匂いも見た目の鮮やかさも見たことも、感じたことのない物ではあるが、とてもとても、心を擽る。彰から渡されたスプーンをもんぶらんけーきに伸ばす。ふんわりとしたもんぶらんけーきの一口分を慎重に掬う。それからちらっと彰を上目遣いで見やる。
「俺は苦手だけど美味しいから食べてごらん?」
「…………」
アリスはこくりと頷くと、スプーンに乗せたもんぶらんけーきを口に運び、もふもふと口を動かす。と、突然。
「――――!」
体がふるふると震えだす。確かめるようにもう一度口に運ぶ。
「――――!」
ビデオの再生を見るようにまったく同じようにまた震えだす。彰は、
「ア、アリス? ……で、どう? 美味しい?」
少しびっくりするものの自分では食べきれないモンブランケーキを物凄く美味しそうに陶酔しているアリスに嬉しそうだ。
「……しい、……美味しい。これ、美味しいよショウ!」
今まで食べたことのない味だ。暗い森の中の木の実とも違うとっても幸せな甘さ。こんなに甘くて、こんなに幸せになる食べ物を彰の何一〇〇倍も生きてきて味わったことがない。思わずここで踊ってしまいそうだ!
なんて美味しいんだろう。なんて甘いんだろう。なんて幸せなんだろう。
口にケーキを運ぶ回数がどんどん増えていく。
モンブランケーキを一つ食べ終えるとすぐに二つ目に手を出す。二つ目を食べ終えるのに時間はほとんどかからなかった。三つ目も同様に。
あっという間にモンブランケーキを一人で平らげてしまった。ケーキを食べ終わったアリスが感慨に浸る。
大きく息を吐きながら、
「美味しい……すごく美味しい。こんなもの食べたことない」
ゆっくりと目をつむり、
「本当に美味しい……こんな食べ物があったなんて私知らなかったな」
少し自分の人生に後悔を持ち始める。何でこんなに美味しい食べ物を私は知らなかったのだろう。自分は馬鹿だ、大馬鹿だ。
そんなことを考えながらもスプーンに付いた僅かな栗のクリームを赤い舌できっちり舐め取る。これで本当に全部平らげた。モンブランケーキと言う甘美なお菓子は綺麗さっぱりなくなった。
そう思うと悲しくなった。少し涙目になるアリス。
彰は泣きそうなアリスを見て慌てて、
「モンブランケーキぐらいならまた買ってあげるから泣かないで!」
「ほんとう?」
「ホント、ホント! こんなにアリスがはまるなんて思わなかったよ。本当にケーキ食べたことないの?」
彰がそう尋ねると少し影が落ちたように、僅かだけどアリスの顔が沈んだ。
「……うん、食べたことのある物は森の中にあった木の実とか野草とかキノコとかそんなのばっかり。こんなに甘くて幸せになる食べ物なんて口にしたことも、見たことも、聞いたこともなかった」
「そっか……」
彰は沈んだアリスの頬を指でつつく。拗ねた子供をからかうように。案の定アリスの顔が真っ赤に染まり、頬を河豚のようにぷっくりと膨らませ、ふん、と、顔を横に向ける。
「何よ! もう、止めてよ!」
彰は優しく笑って、
「また美味しい食べ物持ってきてあげるからまた感想聞かせて。本当に美味しそうに食べるからこっちもお腹一杯になってきたよ」
アリスは顔を赤くしながら俯いた。
この笑顔だ。まただ。
心臓がとくんと悲鳴をあげる。苦痛な悲鳴ではなく、幸せな悲鳴。
彰と話すだけでさっきまで見ていた夢も過去も、全部が吹き飛ぶ。
ただ彰が笑うだけで“死霊”としての私が私を殺してしまう。人をこれまで一体何人、何一〇人、何一〇〇人、何一〇〇〇人、何万人と殺してきた私が私を喰い殺そうとする。
こんな私の前で彰はただ笑う。何も考えていないのかは分からない。でも、笑っている彰を見ると、もんぶらんけーきを食べた時よりも心が満足する。満たされる。
だから私は彰の所に来たのかもしれない。この少年を助けたい。一緒にいたい。ただ、それだけの理由で。
この気持ちがきっと『大好き』という気持ちなのかもしれない。この気持ちが伝わることはないのかもしれない。でも『大好き』なこの気持ちが私を“死霊”から“ヒト”に変えた。
ずっと隣で笑っていたい。『大好き』な人の隣で――