第2話 好きは嫌いで嫌いは好き!? 其の一
都会にひっそりと佇む青鬼家の屋敷。
時間は午後七時。一室には老婆と青年。そして正座をしたまま座っている少年とそれを見下ろす少女がいた。
「十年ぶりか。本当に懐かしいな」
アリスを見上げながら彰は言う。
「忘れてたのによく言うわね」
アリスは彰の言葉に肩をすくめる。
「ごほん」
ふたりを見ながら瞬鬼がわざと咳き込む。
それに気づいたふたりは瞬鬼に目をやった。
「ふたりともよろしいですか?」
「あ、ああ」
「どうやら死霊……いえ、アリスは坊ちゃんとの契約を望んでいるようですね」
その言葉にアリスは真顔で頷く。
「当然でしょ?」
「そのようですね……よろしい」
十年前はぶかぶかだったアリスの左手の薬指のシルバーリングがぴったりとアリスのサイズにあっていた。
「では坊ちゃん。アリスとの契約を交わしますか?」
「ああ。忘れてたとはいえ、したものはしたんだしな。契約するよ」
瞬鬼が小さく頷く。
「では、本契約に移らせていただきます。坊ちゃん」
「ああ」
彰はズボンに右手を突っ込むとジャラジャラとした金属音の中から一つのシルバーリングを取り出した。
それをアリスに手渡す。
「じゃ、アリス。その指輪を俺の左手の薬指に通して。それで本契約は完了するから」
シルバーリングを受け取ったアリスが小首を傾げる。
「何でそんなことするの? 面倒なだけじゃないの?」
彰がその問いにめんどくさそうに頷くと、
「この指輪にはな。俺の霊力が込められてるんだ」
ポケットに入っていた違う指輪を取り出しながら説明する。
「人間が鬼と契約を交わすには人間と鬼……っていうか人外の者の霊力が必要なんだ。この指輪に込められた霊力に人外の者の霊力に干渉させる必要があるんだ。あー何て言えばいいんだろう。うーん、そうだな。あ、結婚指輪ってあるだろ? 結婚指輪を婚約のときに交換するだろ? あのときに人間は知らず知らずの内に霊力を干渉させて魂と魂を繋ぐ契約をしてるんだ。説明すると長くなるんだけど……そんな感じかな?」
「ふーん……」
アリスは渡されたシルバーリングを眺めながら曖昧な返事をし、
「この指輪にね……」
改めて感心するように深く頷く。
彰は話を切るように咳き込むとゆっくりとアリスに左手を差し出す。
「じゃ、早くしてくれ。その」
恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻く彰。
「結構恥ずかしいんだから」
その言葉で急に恥ずかしくなるアリス。
ぎこちなく頷くと、
「じゃ、じゃあ……」
彰の左手を左手で取る。
肌と肌が触れ合いふたりの温度が上昇する。
彰は女の子に触れられたことによる温度上昇。
アリスは男の子に触れることによる温度上昇。
右手に持っているシルバーリングについ力が入る。
そしてゆっくりと左手の薬指にシルバーリングを通す。
初めシルバーリングは彰の指よりも少し大きい穴だった。しかしシルバーリングが彰の指に吸い付くように自ら形を変えていく。
そのシルバーリングの自らの妙な行動にアリスは見入る。新しいおもちゃを見る子供のように瞳をきらきらさせながら。
「綺麗……」
思わずアリスが零した言葉が素直な感想だった。
このシルバーリングの動きは手品のように目を奪われる。この契約が神聖なものと感じた。
ただシルバーリングが形を変えていく様子が綺麗なだけではなく。シルバーリングに渦巻く霊力が混じりあっていくのがアリスには見えた。
白い霊力の彰。
蒼い霊力のアリス。
そのふたりの霊力が混じりあう様は開花の様子より美しく、ただ瞳を奪われる。
白い光と蒼い光が混じりあい薄い瑠璃色になっていき、そしてシルバーリングの中に光が閉じ込められていく。
一瞬光が強まる。
光は強まったのは一瞬でその光は見る見るうちにしぼんでいく。
「これで……終わり……か?」
彰が瞬鬼に尋ねる。
瞬鬼はそれに応えるようにゆっくりと頷く。
「おめでとうございます坊ちゃん。これで坊ちゃんは名実と共に“青鬼家最強”ということですね」
それを言われた瞬間、彰は慌てて手を突っ張ってそれを否定する。
「そんな名前俺はいらねーって! “青鬼家最強”は瞬鬼。お前だろ?」
首を横に振ると今度は瞬鬼がそれを否定する。
「いいえ。この“青鬼家最強”という名は坊ちゃんにこそ相応しい。それはこの前“青鬼家最強”の鬼。瞬鬼が認めています」
誇らしげに話す瞬鬼に彰は肩をすくめる。
七百年以上青鬼家に従う瞬鬼は七百年も前から“青鬼家最強”という肩書きを背負っていた。
しかし五年ほど前に瞬鬼は彰に“青鬼家最強”の肩書きを託した。
“青鬼家最強”という肩書きはただの飾りではない。
日本の少ない霊能者の中でも青鬼家はトップに位置するほどの高い能力を持った家系である。
その青鬼家で最強を名乗ることは実質“日本で一番強い”ということになる。
彰はそう呼ばれるのを嫌う。
それは彰が瞬鬼のことを“青鬼家最強”と思っているからだ。
彰がいくらそれを否定しようと頑なに瞬鬼は彰を“青鬼家最強”と呼ぶ。そして慕う。
「ではさっそくなのですが坊ちゃんには仕事をしていただきます。時間は明日。堕鬼に話をつけておきますので」
「だ、堕鬼! ま、まじで?」
汗をだらだらとかきながらたじろぐ彰。
その様子にアリスは小首を傾げる。
「どうかしたのショウ? 何か尋常じゃない汗の量なんだけど……?」
少し引き気味のアリス。
彰の顔の真下には汗で出来た水溜りが。
彰は顔を引きつらせながら笑う。
「行けば分かる」
日曜の午前。
未だに冷や汗をかいている彰。
そんな彰をアリスはなだめながら歩く。
「ほら、ショウ。初のお仕事なんでしょ? そんなんじゃ失敗しちゃうよ」
「あぁ……」
アリスの言葉に彰は少しだけ落ち着く。
汗を引かせ気合を入れる。
そしてふたりがしばらく歩いていると彰が立ち止まる。
「ここだ」
「ここ? ここって……?」
小さな家屋。ほとんど他の民家と区別がつかない。
「病院だよ。堕鬼がやってる」
「病院?」
病院の看板には何も書かれておらずここが病院ということを知らなければ病院だとは気づかないだろう。
彰が一度大きく息を吸うと、
「たのもー!」
門戸を荒々しく開ける。
病院の中はしんと静まり返り、中に人ひとりいない様子だ。
しばらくすると奥から、
「はーい」
と男の返事が返ってきた。
その声に彰はびくっと体が強張る。
奥の部屋から白衣を身に纏っている男がいた。
男が彰を見つけるとやにわに、
「あらー彰ちゃんじゃない! お久しぶりー!」
くねくねと体を小刻みに動かしながら近づいてくる。
その様子はやたらに不気味だ。
そして男が彰の前に来るとそのまま、
「いたたたたた!」
ぐいぐいっとコブラツイストを彰にかけ始める。
じょりじょりと無精ひげの生えた顔を彰の顔に摺り寄せる。
「ひげが! ひげが!」
「お黙り! ひげならちゃんと毎日剃ってるわよ。失礼ね」
彰がいくら痛がろうとも男は技を解こうとしない。
「もうっ。ほんとに久しぶりねっ! この感触……あーたまんないわ」
「感傷に浸ってないで早く解け……頼むから……」
男はぷくっと頬を膨らませ、
「もう……しょうがないわね」
男は均整のとれた肢体の美男子であった。
顔には無精ひげが生えているがそれがだらしなく生やしているという訳ではなく単純にその男のワイルドさが前面に出ている。
白衣の下には黒いブランド物のスーツを着用している。
髪はベリーショートの赤みがかった茶髪。左の耳にはシルバーリングのピアスがゆらゆらと揺れていた。
頭には透過した瞬鬼の角を少し小さくしたような角がある。
胸板も厚く、恋と顔にうるさい女子高生が逆ナンをしてもなんの不思議もないほどの超絶美男子なのだが、
「やーねー」
その男はおかま口調であった。
見た目だけならば超絶美男子なのだが、この男の欠点をあげるならばそのとても女らしい仕草である。
がたいのいい男のとても女らしい仕草はかなり気色悪い。
痛がる彰を見ながらぷんぷんと指を振りながら男は笑っている。
アリスはその様子をしばらく黙って見ていたのだが、
「な、何なの? この珍妙な生き物」
男に指差しながら彰に尋ねる。顔を引きつらせながら。この世の真理をすべて疑うような顔だ。
指を指された男がアリスに詰め寄ると、
「あらー可愛い女の子ね……って誰が珍妙だぁ!」
アリスの顔が更に引きつる。
「私のどこが珍妙だって言うのよ。ねー彰ちゃん」
男が彰に尋ねる。
しばらく彰が考え込むと、
「全部……」
もう一度。
「全部だよ。堕鬼」
彰の後ろに怯えるように隠れるアリス。
初めて珍妙な生き物を目撃したアリスは子犬のように怯える。
怯えるアリスの頭の撫でながら、
「大丈夫だよアリス。悪い鬼じゃないから。怯えないで。かなり変なだけだから」
「だ、だってこいつ……男なのに気持ち悪い」
「それは分かってるから」
「もう失礼しちゃうわ!」
堕鬼はぷくっと頬を膨らませる。
自分は可愛いと思ってやっているのであろうが傍から見れば気色悪い生き物の何者でもない。
アリスは警戒したまま彰のそばを離れようとしない。
そんなアリスを見ながら堕鬼が彰に尋ねる。
「彰ちゃん」
「何だ?」
「この子……鬼……じゃないわよね? でも人間じゃないし……」
顎にこぶしを当てながら首を傾げる。
「ん、ああ。アリスは鬼じゃないよ。アリスは死霊なんだ」
堕鬼は目を見開いてアリスを見つめる。
「へーこの子がね。私死霊なんて初めて見るわー。アリスちゃんだっけ? 怖がってないでこっちへいらっしゃいよ」
手招きするように手を振る。
が、それに対しアリスは、
「がうがう!」
彰の後ろに隠れながら犬のように吠える。
「あらー完全に嫌われてるわ。どうしてかしら?」
心底何故? といったような表情を浮かべる堕鬼。
大きく息を吐く彰。
「分かんないのか?」
「まったく」
「あ、そう」
思い出したようにぽんと手を叩く堕鬼。
「あ、そうそう。瞬鬼様から話は聞いてるわよ。彰ちゃん初仕事ですって?」
「ああ」
堕鬼は持っていたピンクのファイルに目を通す。
「瞬鬼様は彰ちゃんのことが大好きだからね。初仕事は“絶対私が選びます”なんて、もうすっごく張り切ってたんだから」
「まったく……瞬鬼め」
「怒らない怒らない。さあ瞬鬼様が選んだお仕事はね……あら?」
ファイルの頁をめくっていた堕鬼の動きが止まる。
その様子を彰は訝しく思いファイルを覗き込んだ。
そして彰は目を見開いた。
「げ……」
堕鬼がこほんと一度咳き込むとファイルを閉じて、
「では発表します。彰ちゃんの初仕事は天邪鬼の説得又は討伐に決定しましたー!」
嬉しそうに話す堕鬼。
嫌そうな顔を浮かべる彰。
頭の上に?を浮かべるアリス。
三者が別々の顔をしている。
「もうそんな顔しないの彰ちゃん! せっかく瞬鬼様が彰ちゃんのために選んでくれたお仕事なのよ。そこはもっと嬉しそうな顔をしないと……ね」
「ねって……言われてもなー。嫌なものは嫌だし」
「まあ、確かに彰ちゃんは昔から天邪鬼のことが苦手だったしね」
「ねーねー」
アリスが彰の服の袖を指でつまみながら彰に尋ねた。
「天邪鬼ってどんなの?」
彰は顔を上げながらアリスの問いについて考える。
「どんなのって言われてもなー。うーん、言葉で説明するよりも実際に天邪鬼を見た方が絶対分かりやすいしな」
「アリスちゃん天邪鬼を知らないの?」
震えながら頷くアリス。
「う、うん」
「だったらいいものがあるわ。ちょっと待ってて」
堕鬼はそう言うとぱたぱたと走りながら奥の部屋に消えていった。
「な、何?」
「たぶん……“あれ”だろ?」
「“あれ”?」
「そう“あれ”」
「どれ?」
「“これ”よん」
差し出された堕鬼の右手には小さなふたつの耳栓があった。
「耳栓?」
アリスは耳栓を受け取るとそれをあてがう。
「あれ? これ?」
耳栓をしたアリスが違和感を感じた。耳栓をしたはずなのだが音は遮断されるわけでもない。
「音聞こえるよ」
「そりゃそうだろ。ただの耳栓じゃないんだから」
「普通じゃない? じゃあ」
アリスの言葉を遮るように堕鬼が手を叩く。
「さあさあ、彰ちゃん。そろそろ仕事に行ってもらおうかしら」
背中を押しながら話す堕鬼に彰が、
「おっとその前に……お代の方を。まあ初仕事ということだし、これだけでいいですよ」
ぴっと三本の指を立てる彰。
「あら、結構彰ちゃんってがめついのね。もう分かったわよ二千円ね」
「違うでしょ! 見えないのこの三本の指が!」
「えーじゃ二百円? 二十二円ね!」
「違うよ! 何その二に対する執着心。二しか数字を知らないの! それに何でどんどん金額が減ってるの! 三万円でしょ。この場合三万円と言うべきでしょ!」
「ちょっと多くない? 普通の霊能者だって五万円よ? 初仕事でそれはぼったくりすぎよ!」
「こっちも生活があるんでね」
腰に手を当てながら堕鬼は息を吐く。
「もうしょうがないわね、はい」
堕鬼は茶封筒を渡してきた。
「これは?」
茶封筒の中には五万円が入っていた。
「いいの?」
自分としてはただ言ってみただけに少し申し訳なく思ってしまった。そんな彰に堕鬼は小さく頷くと、
「私もね瞬鬼様と同じ気持ちなのよ。彰ちゃんにはすごく期待してるのよ」
堕鬼は指を一本立てた。
「ただし、一応言っておくけどこの茶封筒のお金は依頼が完了するまで使っちゃだめよ。私が彰ちゃんのこと信用して渡すんだからね。私の期待を裏切っちゃだめよ」
彰は頬を掻きながら笑う。
「ありがとう」
「いいのよ。じゃ、早速行ってきて頂戴」
「ああ、行って来るよ。ほら行くぞアリス」
彰はアリスを引っ張りながら出て行った。
次回は二四日ころを予定しています。
お楽しみに