第8話 空 其の一
二月二三日。午後六時三分。真冬の夕暮れ。
夕暮れは夏より早く、すぐに空が闇に染まる。授業を受けた青鬼彰が一人ぐったりしながら帰り道を歩いていた。家と学園の距離がある疲れもあるのだが、何よりも最近は担任の佐倉唯に絞られているために疲れがいつも以上に増していた。絞られる原因は彰が理由がどうであれ佐倉の授業を合計して二日間ほど無断欠席をしてしまった為にこってりと絞られていた。
悪いのは確かに自分なのだが、教室内で一対一で補習をさせられるというのは精神的にはよろしくないのと肉体的にもよろしくないのが重なり、疲れが倍増する。
「あー……」
隣にはいつの間にかそこが自分の定位置と言わんばかりに歩いていた少女がいた。いつもの青いワンピースのスカートがひらひらと風で舞うのも構わずにそこにいた。客観的に見ると兄妹にも見えるがこの二人の関係は兄妹という訳でもない上に少女は突然現れた。擬態していた虫が急に見えた時のようにいないと思っていたところに現れた少女を不思議そうに眺めている人たちもいるのに少女はどうでもよさそうに彰の隣でにこにこと笑っていた。
「人の多いところで急に出てくんなよ。びっくりしてる人がいるだろ……」
ぐったりとしていた彰はかなりのローテンションで少女に突っ込んだ。
「えー……、気のせいか、――みたいなことにならないの?」
「そんな注意力がナマケモノ以下の人間はいません。現に見てみなさい、周りの人々の奇異と好奇の視線を」
普通ならこの突然現れた不思議な少女に注目するのが人のヤジウマ根性と言うものだろうが人々は一度だけ少女に目をやると急に興味がなくなったようにすぐに作業に戻った。少女は不思議そうに首を傾げると、
「ねえ? この人たち何してるの?」
彰は少女に答えるように空を指差した。
「今日は準備してるんだよアリス」
「準備?」
「そう、明日に見れる綺麗な星空のためにね」
霧ヶ崎町のほとんどの店や学校は今日と明日は休むことになっている。その原因が明日がピークになるとされているしし座デルタ流星群だ。店先や家の前に家庭用の小さな望遠鏡を設置しているところや今も空を見上げている子供の姿などが目立つ。空はここ最近快晴で明日も晴れると言われているので、すでに準備をしているところがほとんどだ。
「ふーん、空なんて見て楽しい?」
「ただの空ならつまらないかもね。でもただの空じゃないから楽しいと思うよ、アリス」
「そうかな?」
アリスと呼ばれた少女はまだ納得出来ないように首を傾げる。彰がぽんぽんとアリスの頭に手を置き、
「まあ百聞は一見にしかずってね。明日になれば分かるよ」
「……そうかな?」
帰り道を歩いていた二人が分かれ道の前に来るとアリスはいつものように右の道を行こうとしたが、彰がそれを止めた。
「今日はそっちじゃないよ、今日はこっち」
そう言いアリスの手を取って左の道に進んだ。
「何か呼ばれてるんだよねー、瞬鬼が来いってさ」
「折檻? それとも愛の告白?」
「そんな素敵かつおぞましいイベントはないと思うけどね」
もし瞬鬼が愛の告白なんぞしてきたら全力で舌を噛み千切る。まだ折檻の方が何倍かましだ。むしろその可能性の方が十分すぎるほど高い。いつもなら――
「まあ…… 行ってみれば分かるだろ」
学園の昼ごろに屋上にやってきた瞬鬼が妙に、にこにことしているのが気にはなったが、「何の用だ?」と聞いても、「お楽しみです」と、話す気は微塵もないらしい。あの人をおちょくる目の時の瞬鬼は近づきたくないほどに嫌いだ。あの目の時の瞬鬼は人をいたぶることや嬲ることに対して積極的になる超絶ドSモードに入っている。にやにやと笑いながら人の嫌がることをするくらいの精神状態になっていて、いくら人が道を尋ねようとしても本当のことを教えるどころか逆の道を教えるぐらいのことはしそうだったので、「――、わかった」とだけ伝えておいた。最大の安全策だと思う。
「じゃあショウは本当に何で呼ばれたのか知らないの?」
アリスにそう聞かれたときに少しだけ考えたが、
「――――――――――、ない」
そうきっぱりと即答が出来るほど青鬼家に戻る理由はなかった。たまに家に呼ばれることなんか今までなかったし、いきなりの例外が飛び出すほど、青鬼家も暇ではないと思う。
「寂しいんだ…………」
そこ勝手に同情の念を生み出さないように。
舗道された道と獣道のような人の手が一切入っていない道とでは距離が同じでも疲れや気だるさの感じ方が違う。いつもは人が何人もすれ違う町の道を歩いて建てられて数一〇〇年でも経ったのではないのかと思うほどおんぼろなアパートの帰り道を歩くはずだったのだが、人が出来るだけ迷い込んだり興味本位で入って来ないようにと口実を作って出来るだけお金を使いたくないとケチな青鬼家の現当主である青鬼春が青鬼家までの道に一切の手を加えていないためにちょっとした登山感覚で上る青鬼家までの道を歩いていた。青鬼家の最寄のバス停でさえ三〇分以上歩かないと青鬼家には届かないと言うのはかなり面倒だ。バスに乗ってから来たというのに汗が額から滲み出ている。
「――、これってまさか」
青鬼彰の頭に少しだけ嫌な予感が過ぎった。今日の昼ごろに出会った瞬鬼は超絶ドSモードだったことを思い出すと、彰の足がぴたりと止まった。
「あいつの嫌がらせじゃねーだろな。だったら最悪だぞ最悪! どうして何でこの日を選ぶかなー喫煙教師大先生にこってり絞られて私の生命力の残量はほとんどゼロですよゼロがマイナスに行くと人は死んでしまうというのを知っててやってるならどんだけ性悪なんですかくたばってくださいよお願いしますからあのドSさんくたばってよ」
「喋ってる暇があるなら歩いた方がいいと思うなー」
疲れを誤魔化すために文句を言っていた彰の隣でアリスは重力に反逆をしてふわふわと浮遊しているアリスに視線だけを移すと、
「いいだろ少しぐらい現実逃避しても。ワタクシ人間であるからして空を気持ちよさそうにふわふわーっと飛ぶことは出来ません。空を飛ぶために人間は飛行機などを開発はしてきましたが未だに生身の身体で空を飛ぶことに成功していませんつまりは空なんかを飛ばないようにと八つ当たりモードな訳でちゃんと地に足をつけてこの苦労を分かってください」
足は錘が付いたように重く動かすこともつらいのだが、口だけはどうも達者に動くので足の二倍ほどの速さで口を動かして疲れを誤魔化す。
「八つ当たりさいてー」
冷ややかな瞳でぐさりと心を抉られるようなアリスの言葉に彰は、
「――――、確かにさいてーだ」
闇に染まる空を見上げながらそうぼやいた。
生まれて初めて“魔法”というものを知ったのは子供向けの日曜朝にやっているアニメだった。もちろん子供のころはそれなりに楽しむことが出来た。杖を振ればそこから炎が文字を描くように綺麗な花のように出てくる。杖を振れば無限に水が湧き出る。杖を使って空を飛ぶことが出来る。そんな何でも出来る超人に憧れるのも子供の間だけだと思う。なのに――
『見ろ、我が息子よ。これが“魔法”と言うものだ。誰もが憧れ誰もが欲しがる“魔法”だぞ』
『あらら〜彰ちゃんはお気に召さないのかしら〜? まじかる〜♪』
そう言い二〇代後半に差し掛かった母は自分用に買った玩具の魔法の杖を無邪気に振ったりしていた。それは人の趣味だと言うことであまり強くは言わなかった。しかしそれが何年も続いたころ『おかしい』と言うことに気づいた。アニメなどを見なくなってもまだ父と母は“魔法”と言うものに興味を抱き続けていた。ある意味『異常』だと思う。
白魔術、黒魔術、天草式、ローマ式――数ある“魔法”に手を染めていた。何かを求めるように、必死になって、
“魔法”を求めていった。
六年前のこと、父と母は何かの資料を見つけたらしく、急にアイスランドに旅立っていった。まだ一〇歳だった彰を置いていってだ。今もたまに電話があり、死んではいないのだが、『魔法使いにならないか?』そういつも聞いてくる。今でも“魔法”にとり憑かれている。息子を巻き込もうとしている馬鹿親なのか、それとも本当にとり憑かれているのかは分からないが『くたばってください』といつも言っている。
それで目が覚めるようなら“魔法”というものにこれほどまでに興味を抱かないと思う。そしてそんな六年間も家を空けた親たちがどうして――
「おう、久しいな息子よ」
「あら〜おかえりなさい〜」
「……、」
日本に帰ってきているのだろうか。
そろそろストックが無くなって来ました……。
本気でまずいな……、最近になって一ヶ月更新してきて時間を稼いできたのに、それすら厳しい。