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第6話 喫煙教師

 霧ヶ崎きりがさき町。人外と人間が共存するこの町には歩いている姿でさえ、霊力のある人間にとっては喜劇のようなものだった。頭には山羊の角のようなものが生えている人間が新聞配達をしていたり、足の無い人間がジョギングをしていたりと、中々な光景が広がっている。霊力が微塵もない人間には普通の人間が町を行き来しているだけにしか見えないし、もし見えたとしても、それは九〇パーセント以上が同業者であるし、残りの一〇パーセントに至っては電波扱いされるだけで、ほとんど平和である。

 ただこの平和の中を。

 ぐったりと歩いている青鬼彰の姿があった。

「つ、……疲れた……、何でこんな坂道を毎日全力疾走しなきゃいけないんだ……」

 この町に学園と呼べるものは一つしか存在しない。町を見下ろすことの出来る大樹を取り囲むように建てられた霧ヶ崎きりがさき学園だけ。小学、中学、高校、受けるべきであろう学業が学園の中に閉じ込められていた。それも人外を監視する目的が配慮された結果だ。

 そのことは今どうでもいい。今気にしなければならないことは、

「とりあえずこの坂道を誰か買い取って平地にすべきだ、うん」

 この目の前に広がる急斜面三五度のありえない坂道だ。いくら立ち止まろうとも坂が緩やかになることのない非情さを知っている彰は、恨めしい言葉を吐くだけで、止まることはしなかった。もちろんこの坂道を回避するために学園が馬鹿高い料金のスクールバスなんてものを用意しているのだが、万年金欠の青鬼彰にとってはその金を払うくらいなら生活費に回す。最近は死霊の居候も出来たことでエンゲル係数が跳ね上がっていた。

(疲れてこのまま行き倒れりゃ、この坂道登らなくていいのかね……でもそうなると、今度はあの喫煙教師に追い掛け回される気がするし……はあ、)

 そんなことをぼんやりと考えていると、何かが物凄い速さで追い抜いた。

 赤く後ろに縛ったポニーテールが本当の馬の尻尾のように揺れながら、長袖のブラウスの上から緑色のブレザー、灰色のプリーツスカートという姿は霧ヶ崎学園の高等クラスの制服だったが、スカートが舞い上がり、その下から黒いスパッツを履いて色気の欠片もない全力疾走をしている姿は一瞬だけ女の子という性別がこの世に存在しないのではないかと思わせる。

「あー、今日も元気だね……」

 寝ぼけと疲れで腐りきった頭をその声が目覚めさせた。

「あんた今日はいたんだ」

 彰は走り、目の前で足踏みをしている赤鬼陽菜あかぎようなに近づく。

「……おはよ、……若い子はいいねえ。疲れ知らずで、」

 彰に声をかけられた陽菜は呆れるように手をぱたぱたと顔の前で振りながら、

「あんたと同い年なんだけど……? 私」

「あれ? そうだっけ?」

「そうよ」

 陽菜は足踏みを緩めると彰の傍まで近づく。その表情に疲れなど一切ない。

「よく朝っぱらから走るなあ」

「彰は朝っぱらから元気なさすぎ」

「この坂道を走って元気のある奴なんて陽菜くらいだよ」

 この急な坂道を歩いているのはこの二人だけでは勿論ない。足を止めながらゆっくりと確実に歩いているものもいれば、もう歩くことを止めて人間を止めてしまいそうに天を仰ぎ見るものなどいるにはいるのだが、この坂道を全力疾走して走り足りないという顔をしている人間は陽菜以外存在しない。陽菜はスクールバスに乗るお金も持っているのにバスに乗るのが『卑怯』と訳の分からないことを言い、未だにバス通学をしていない。

「でもさ」

 彰は何となく気になったことを口にした。

「陽菜とはよく通学のときは会うね。時間が重なってるの?」

 彰の些細な疑問に陽菜は、うっ、としたように顔を強張らせると、

「た……、たまたま、よ」

 そう言い、彰を後ろに置いて走っていった。

「……、たまたまか」

 彰は一人で小さく頷いた。そしてそのまま学校への道を一人で歩いていく。


 現代においては珍しいと思われる木造校舎は生徒の学び舎と言う感じではなく、校門の目の前に立ったときに一番に目が行く、少なくとも一〇〇〇年以上はそこに鎮座し続けた大樹を守るように建てられていた。本校舎と旧校舎が奥と手前にあって、小等部と中等部は奥の四階建ての旧校舎にあり、手前の本校舎には高等部が設置されている。本校舎を上空から見ると『回』のような形をしていて、『回』の中心の大樹をぐるりと囲むように建てられた二階建ての校舎はほとんど新築のような綺麗さである。だが、この校舎が建って数一〇年は経っているのは瞬鬼と春婆ちゃんが教えてくれた。

(取り合えず……職員室か?)

 学園に行く足が重かったのは坂道だけの理由だけではなく、この前のことを喫煙教師さくらゆいに報告しなくてはならないからだ。まさか『負けました』なんて言える訳もない。きっと言ったら、『取り合えずお前、今から俺のサンドバックな』とか言われる気がしてならない。

(やっぱ……だめだったかな……、こうなったら嘘でもついておくか? いや、そんなことをしてもまたあの子は来るかもしれないし……そうなったら嘘がばれてサンドバックじゃ済まないかもだし……)

「どうした? 朝っぱらから頭捻って、体捻って? あ、欲求でもたまってんのか? 主に性的な意味で」

 後ろから下品な声が聞こえたので彰がゆっくりと振り向くと、いつもの白いジャージ姿で右手には当たり前のように煙草に火がついていて、校門の前だというのに遠慮と常識という言葉を知らないように豪快に煙を吐きながら煙草を吸っている喫煙教師こと佐倉唯さくらゆいの姿があった。

「お、おはようございます……」

「おっす。しかしな、欲求が溜まってんのかは知らねーけどな朝っぱらからぐねるな。きもいから」

 知らない内に体をぐねらせていた彰は慌てて体をぴんと張った。このまま体をぐねらせていたら学園内の不振人物のリストに載ってしまうところだった。

「朝っぱらから煙草ですか……、先生副流煙って知ってます?」

 副流煙という言葉を聞いた途端、佐倉は嫌そうに彰を見る。

「お前さ、教頭みたいなこと言うなよ……ちょっとくらいいじゃねーか。まだ朝起きてから一〇本くらいしか吸ってねーんだから」

 問題はそこではないのと、朝起きてから一〇本はくらいとは言わないと思うと口にするのは止めた。佐倉は仕方なく指で煙草を握りつぶして灯った火を消すと、ポケットから巾着袋のような携帯用灰皿を取り出すとその中に煙草を入れる。

「で、」

 ぎくりと固まる彰の肩をぽんぽんと叩きながら佐倉が尋ねた。

「例の犯人どうなった?」

「そ、それは……」

 素直に『負けました、てへ』なんて言えない。佐倉の目がぎろりと睨む瞳は彰ではなく、霧ヶ崎町の人外を消していった犯人――つまりは羽神蓮水うかみはすいを捉えている。しかし彰はその羽神蓮水に対し、何もしなかった。その結果、彰は喧嘩に負けた・・・。抵抗して負けたのなら、まだ佐倉唯も彰を許したのかもしれない。

「…………、すみません」

 それでも彰は間違ったことはしていないと思う。だから、誤魔化すことを止めた。

「――何?」

 一瞬でも誤魔化そうと、嘘をつこうと思った自分が情けなくなった。あの時思ったことを思い出せ。あの人外と自分を憎む少女に人外だけでも嫌いになってほしくなくて、あんな必死になったことを。

「……負けました」

 顔を三回ぐらいぶん殴られる覚悟でとんでもないことを言った彰は反射的に瞳を閉じた。暗闇の中で初めに感じた感覚は顔を拳骨で思い切り殴られた痛覚などではなく、

「――、そうか」

 初めて聞いた佐倉の優しい女の声だった。いつもは男よりも男らしいと言われている佐倉のとても深い女の声。視界が途絶えたまま聞く佐倉の声にドキッとしないと言えば嘘になる。

「ま、お前が死んでなくてよかったよ」

 恐る恐る目を開けたとき佐倉はにかっと笑っていた。本当に安堵しているように笑っていた。

「あ、……、」

「ほんとよかった」

 最近自分が情けないことによく気づくようになった。こんな器の小さい人間だったとは思いもしなかった。この人は本気で心配していたのかもしれない。彰の身を――

「……」

 彰は言葉を出すことが出来なかった。そんな彰の肩を佐倉は両手でばんばんと叩き、

「何しょげてんだよ! 初恋の相手に告って振られた中学生一年の春みたいな顔しやがって! お前が死んでないのが何よりの幸運だっての、誇れよお前の幸運!」

 かははっと全てを笑い飛ばすように佐倉は校門を笑いながらくぐって行った。そんな佐倉を見送りながら、一言だけ、


「……ありがとう」


 そう、小さな声で呟いた。



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