第4話 少女の敵 其の八
目の前に立つ少女は一体何を見ているのだろうか。
“青鬼彰”なのか、
“日本最強”なのか、どうにも分からない。
「どうして俺を恨む!」
言葉を交わそうとしても、少女の耳には届かない。ヘッドフォンがあるからじゃない。きっと届かないのだ。いくら言葉を交わそうとも意味などない。ならば剣を交わすしかないのか。
殺気を放つ相手には言葉は届かないのだろうか。
矛が彰の心臓を貫こうと、幾多も伸びてくる。腕で保護しようともそんなのは腕ごと心臓を貫かれて終わりだ。ならさいころを使い、何度も防ぐしかない。何度も何度も、矛を防ぐ。ビデオの再生を見るような、まったく同じ光景。
それでも守るものと攻めるものの差はあった。命を脅かされる緊張感には限界というものを作り出した。
動きが一瞬止まった。その一瞬が命のやりとりにおいて、どれだけの隙なのか、考えるまでもなかった。
矛がさいころを捕らえると、矛対さいころの力比べとなる。そんなの答えははっきりと出ていて、さいころが負けるに決まっている。しかし、蓮水は力を抜いた。そして、にやりと笑った。
「解除」
そう言いながら、蓮水は矛を軸に彰の後ろに回りこむ。矛はだんだんその形を崩していき、蓮水は新しい将棋の駒を取り出す。
「飛車」
頭では反応できた。しかし、体が追いつかない。蓮水は彰の後方に回り込むと、左足で砂利を踏みつけ、右足を彰の脇腹をえぐるように、蹴り上げる。めきめきと骨と筋肉が悲鳴を上げる。
「が、――!」
今までの矛が優しく感じるほどのダメージ。今までが木製のバットなら、この一撃は金属のハンマーだ。殺傷能力以前に、質が違う。
痛み。
頭を支配する感情がそれだけになったとき、無意識にさいころを取り出す。
「今更それで何が出来る。種は分かった。なら仕掛けを見抜いた後に、行動すればいい。それがお前が“最弱”である証、!」
彰は構わず、さいころをがむしゃらに投げる。霊力も篭らない、ただの小石を投げるようなものだ。この場において、何の意味も持たない。そんなことも彰は分かっていた。だから、無意識だった。幾つかのさいころは蓮水の顔を通りすぎる。でも、
「っ、――、」
幾つかのさいころが蓮水のヘッドフォンに当たると、ヘッドフォンは蓮水の耳からずり落ちる。それでも、蓮水は止まらない。蹴りを加えた蓮水は更に、もう一度、彰の体をサッカーボールを蹴り上げるように、容赦なく、蹴り上げる! 彰の足が地から二〇センチほど離れる。
血反吐を吐きながら、彰は腕で地を殴りながら立ち上がる。そして彰は言葉を交わす。
「どうして俺を恨む、それはいい! 本当に『嫌い』だなんて理由で人外を消して――いや、殺しているのか!」
彰にはどうしても信じられないのだ。年がほとんど変わらないであろうこの少女が酷くも、人外の全てを奪おうとする理屈が。ただ『嫌い』という理由だけで人外を殺すその、意味が。
だから話を聞く。言葉を遮るものがあるのなら、その全てを退けてでも聞かなきゃいけない。
そんな彰を見ながら、蓮水は哀れむように笑う。
哀笑。
悲しむように、それでも、おかしいように。
「敗者はどうしてこうも喋りたがるのか、……理解に苦しむよ。喧嘩の途中で言葉を交わすお前が哀れだ。必死に命乞いをするのなら、それはまだ獣である証拠となるというのに、お前はどうして『人外を殺すのか?』なんて聞く?」
ぼろぼろになった体で立ち上がる彰。
自分も『鬼』が嫌いだ。自分勝手で、我侭で、横暴で、無茶苦茶で――それでも、仲良くできるのは自分がただ、気づかなかっただけだ。『鬼』というのはただの、種族なだけで。彼、彼女自身ではない。そんなことに気づいたのも最近だ。“人外”だって一緒だ。人外は“ヒト”なんだ。
「確かに、人外の中には人間を食い物にするものがいる。でも、それは“人外”だからじゃない。そいつだからだ、“人外”が全て悪だなんて……俺は思えないんだ」
「人外が悪……ね。その考えがムカつくんだよ! 悪だ正義だなんて言葉を簡単に使うような奴の言葉に動かされるほど、私は大人じゃないし、子供でもない。それでもたった一つだけ言えることがある。……人外は全てが悪だ! お前の言う通りだよ、ああ……その通りだ。悪の中に美学を求めるものもいるだろう、けどね、人外のほとんどが美学の欠片も持ち合わさないクズなんだ! だから、私は消すんだよ、この世界から! 人外を! それを庇うお前も悪だ!」
彼女に一体何があったのだろう。彼女は信じきっている。人外が“悪”だと。全てが憎いと、思っている。殺意も決意もきっと変えられない。それは彼女の過去が原因だと思う。
だったら自分の信じるものを守るために剣を取るべきなのだろう。
そう、頭では分かっている、のに、なのに、どうしてこうも、
心が痛むのだろう。
彼女は泣いているようにも見えた。肉体的にではなく、精神的にだ。
悲しみや同情の心ではなく、恐怖による涙が見えた。恐怖を誤魔化すように、彼女は人外を殺しているのではないかと、何故、思ったのだろうか。
彼女の殺気も決意も本物だ。それはこの状況が物語っている。少年を殺すために、人外を殺し、人外を庇う少年は悪だと、信じている。
「俺は……アリスと仲良くなれた」
「……」
そうだ。人外が“悪”だなんて思わせなければ、彼女の恐怖も無くなるかもしれない。自分が人外に対する恐怖感がなくなったように、彼女も恐怖が無くなればこんなこともしなくなるかもしれない。
弱ったアリスは彰たちに牙を剥いたことがある。何もかもが恐ろしいと、自分さえも分からなくなってしまうからだ。今、蓮水は人外の全てを憎んでいる。アリスを恐ろしいと思ったこともあるこの情けない自分の言葉が彼女に届けばいいと思った。
「知ってるか? アリスってさ、モンブランケーキが好きなんだ」
「……」
「ケーキ食ってるときのあいつ、馬鹿みたいに幸せそうな顔なんだ」
「……ぃ、」
「なんてことのない、女の子の顔なんだ」
「……さぃ、」
「それってさ、人外とか死霊とか理由にはならないと思うんだよ、な、そうだろ?」
「五月蝿い! 知るか! そんなこと! 金!!」
彼女にとって、どれくらいくだらない話なのか、考える必要もない。それでも少年は話すことをやめない。耳に届かなくていい。心に届かなくてもいい。そう少年は考えていた。ただ、少しだけでも、記憶の中に、あってほしい。微かに、記憶の片隅にでも、留めていてほしい。だから、
「あいつはあいつだ。人外って分類されない……そうだろ?」
剣を交わすことはせずに、言葉を交わす。優しい、――甘い、一人の少年の戯言。