第4話 少女の敵 其の五
少女は“偽りの日本最強”を視認すると、子供のような笑みを浮かべた。
死霊を捕らえたことよりも、この町の人外を消していたころよりも数倍の喜びを表していた。今目の前には少女が殺したくて仕方なかった男が息を切らしながら立ち尽くしていた。
彰はアリスを見つけるとすぐさまに叫んでいた。
「アリス、大丈夫っ!」
明らかに弱っている姿のアリスにひどく後悔した。どうしてこうも自分は情けないのかと、心がきりきり痛んだ。どうして気づかなかった。アリスの優しさに、アリスの無謀に。あんなに自分とよく似ているというのに。
少女はアリスの首に付けてある首輪に指を引っ掛けると、無理やりにアリスを立たせた。
「見えてるのか、この私が。ええ? “偽りの日本最強”さん」
「アリス大丈夫?」
もう一度彰はアリスに問いかける。アリスは乾いた笑いを浮かべながら、
「はは、大丈……夫……ってわけにはいかないかな? ごめんね、ショウ」
目を伏せながら呟く。まだ喋れるなら命の心配はない、そう考えた彰は大きく息をはく。そして少し顔を上げる。
「……、」
少女の姿に今気づいたように、驚いた表情を見せる。
「女……の子?」
自分とほとんど変わらないような少女がアリスを捕らえていた。それにも驚いていたが、
(……何、これ?)
何回か味わった殺気よりも遥かに大きい殺気。そして彰を捉える瞳の死線。足がとりもちにひっついたように動かない。ぴくりとでも動かせば強大な牙で噛み砕かれそうな殺気。吐き気すら通り越した圧倒的な寒気。それが彰の体に襲い掛かる。
「ふふ、」
少女はアリスをごみのようにその場に放り投げると、
「見つけた、」
じりじりと彰に体を向ける。
「見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた、見つけた――っ!」
少女は壊れたように何度も同じ言葉を繰り返す。少女の笑みがどんどん深く沈んでいく。
「だ、誰だ? 君は」
殺気に押しつぶされそうになっていた彰は喉が潰されそうになりながら喉に詰まった言葉を吐き出した。
少女は、
「羽神蓮水……お前を探していたんだ、ずっと、ずっとね」
蓮水と名乗った少女は嬉しそうに笑う。そして憤怒したように拳を握る。
「お前が、あるはずがない。そうであるはずがない。ない、ない、ないっ!」
拳を解き、ゆっくりとスカートのポケットに手を入れる蓮水。そして一転静かに言葉を発する。
「どうしてだろうな、お前が“偽りの日本最強”とはいえ、その名前を持っている訳は」
「な、に、――っ」
殺気に飲まれそうにある彰が蓮水の静かな言葉に一瞬だけ、ほんの少しだけ、彼女の言葉に耳を傾けることが出来た。
「俺を知ってるのか?」
自分が“日本最強”と呼ばれることに“嫌悪感”すら覚えるその感情を通り越して彼女は“殺意”さえ覚えている。この名前がただの飾りではないことを知っている。だからこそ自分からその名前を名乗ることはない。なのに、名前というのは伝わる。そして誰もが認めてしまう。霊能者のほとんどが“日本最強”は『青鬼彰』だと、認めてしまった。
でも目の前の少女は“殺意”が湧き出すほどに認めたくないのだ。だからこそ、
「ああ、知ってるさ」
言葉を交わす必要もない、義務もない。世の中が話し合いだけで通じるほどに優しいものではないことを蓮水は知っていた。だから、
すうっと、蓮水はポケットから手を出すと、その指にはあの時手に入れたものがあった。
「将棋の……駒?」
それが彼女の霊力を使うための媒体。彰がさいころを使うように彼女は将棋の駒を選んだ。それは野球選手がバットとグローブを選ぶように、サッカー選手がシューズを選ぶように、その個人の力を最大限に引き出すための道具、それが霊能力者の媒体。
将棋の駒を親指で駒を上空に弾くと、駒に霊力が込められる。殺意と共に、溢れるほどの霊力が具現化する。
「何度あんたを求めたか、分かる? 分からないでしょ? あの時からよ、あんたが“偽りの日本最強”になってしまった五年も前からあんたを求め続けた。……あんたを殺すために、ねっ――! 歩兵!」
空中に指で弾かれた反動で回転する駒の文字が見えた。その文字は“歩兵”。其の名の通りに駒が見る見る内に人の形に変わっていく。戦国の戦場にいるような槍を持った、歩兵が。
「式神っ、」
歩兵が形を成すのに時間はかからなかった。完全な、形になる前に彰が動いた。
「させない!」
ポケットからさいころを取り出すと、それを歩兵目掛けて投げる。形になる前に崩す。形になる前に、
「それがあんたの武器ね、イカサマ師」
「鬼弾、! 奴を崩せ!」
泥人形に水を加えて、泥自体を固くするように、蓮水の霊力と、将棋の駒の神力を融合するように、歩兵が見る見る内に形づいていく。木で出来た人形、木人、これが完成すると、かなり面倒なことになると彰は直感的に感じた。その前に歩兵を崩そうと、霊力を込めたさいころを放った。
さいころの目は六。その全ての白い光が歩兵を捉える。光は迷うことなく、歩兵に直撃した。確かに直撃したはずだ。白煙と音がなによりの証拠。
蓮水は余裕そうに笑うと、
「少し遅かったみたいね、さすがイカサマ師。何も出来やしない」
目の前にいる歩兵には傷ひとつつかなかった。六つもの、鬼弾が確実に直撃したというのにだ。
カタカタと、歩兵が倒れそうな体勢だった歩兵が背筋を伸ばしていく。木目の目がこちらをぎろりと睨むように、彰を捉える。
「う、そ、だろ? 杯水車薪ってか、ったく、」
彰は再び、さいころを手に取り、それを投げようとするがそれよりも早く、蓮水が指で将棋の駒を弾く。
「やっぱり大したことないわね、傷ひとつ、ついてない。でも……残念がるのはまだ早い。日本じゃ、この駒のこと歩兵って言うんでしょ? 歩“兵”ってさ」
蓮水の口にする“兵”という言葉に一瞬で焦る。
しかし焦ったところで、意味がないこともすぐに分かるはめになった。その場には戦国の時代の火器のない兵たちが形づいていく。
鬼弾の効かない兵たちが九人、彰を取り囲むようにじりじりと迫ってくる。
彰はちらりとアリスに目を配らせると、アリスは何かを了承するように小さく頷く。それを確認すると彰は、兵たちに取り囲まれる前に、ザッ! と、地を蹴って走り出した。
この状況がかなりまずいことなのも分かった。そして九対一なんていう無謀な状況の喧嘩を買うほど自分を過大評価もしていない。まず喧嘩でこの人数差では“勝てない”。二対一、三対一などと、地形や時間をかければ勝てる生易しい人数差ではない。“勝つ”、“負ける”ではなく、勝負にならない。
だったらやることは一つしかなかった。
この不利な状況を打破する前に、“逃げ出す”こと――、この場から即座に離れること――
「情けないな、……ったく、」
彰は町の中に消えていった。
「逃がさないっ、」そう言い蓮水は九体の歩兵で彰の後を追わせる。
唇の端の肉を噛み切った蓮水の口元の血も乾ききっていた。
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これからも頑張って執筆していきたいと思います