第4話 少女の敵 其の三
ひたすら町を歩き回った。
もはやこうするしかないと思ったからだ。これ以上被害者は出したくない。そう考えた。アリスの目が怖くも寂しくも見えたからかもしれないし、――でもそれもただの言い訳なのかもしれない。
ただ、不安だったのかもしれない。
町を歩き回って、走り回って、少しでも気を逸らそうとしているだけなのかもしれない。
ただの言い訳から意外にも手がかりは見つかった。
目の前に広がる光景はただの異常だった。いつもは人がごった返す大通りだというのに人の気配を感じられない。あるのは彰自身とその隣で冷たい表情をしているアリスだけだった。
ここで戦争でもあったのか、町の壁という壁が焼け焦げていた。火炎ビンか何かで壁や地面をダーツの的にでもしたように、所々が円状に広がる焦げ跡が目立っていた。
「……、」
アリスの眉がぴくりと動いた気がした。
勘違いだったのだろうか。すぐにアリスはいつものような笑顔を浮かべた。そして、
「私、つまんないから帰るね」
そういいアリスは雲がかかる薄暗い空に消えていった。
一人残された彰はアリスが消えていった空をしばらく眺めていると、
「あら? 来てたの」
後ろから全身が身震いするような気持ちの悪い声が聞こえてきた。これほどの気持ちが悪い声の持ち主は彰の記憶の中でたったひとりしかいない。
くったりとした白衣をブランド物の黒いスーツの上から羽織って、気持ちの悪い内股で歩いている見た目イケメンの堕鬼だ。
どうしてここいるのか、理由は聞くまでもなかった。
「これは何だ」
聞いたのは彰だ。
堕鬼は顎に手を当てながら大通りを見回す。
「戦闘でもあったんじゃないかしら。それもレベルの高い追走者が逃走者を、追い詰めた感じの、ね」
ということはつまりは、誰か誰かを追いかけ、誰かがやられた。それもあっという間に。焦げ跡はいくつもあるが、それ以外の物が存在しないということは、
「抵抗しなかった、……違うか、抵抗したんだ。意味はなかったけど」
自分の命が関わっているというのに、何の抵抗もしない“ヒト”なんて存在しない。それでも追走者は非情にも逃走者を消した。
ぎりっと、喉を鳴らす。冷たく感じるはずの唾が熱く感じた。どうしてこうも簡単に命を消せるのか、理解出来なかった。
「彰ちゃん、怒るのは勝手だけど……手がかりがなくなる前に何とかしないと」
その堕鬼の言葉に耳を傾けると、救急車かパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
「人払いの効果が消えてきたのね。早くしないと全部洗い流されちゃうわよ」
「わ、分かった」
サイレンの音はかなり近い。もう間もなく仕事熱心な人たちがやってくる。何とかここで手がかりを見つけておかないと、かなり面倒なことになる上に、また被害者が出るかもしれない。そんなことはさせない。――絶対に。
町は荒れているわけではなく、ただ壁が焼け焦げているだけで、それ以外に変わったことと言うとやはりこれか。
彰はずっと気になっていた物の目の前にやってきた。
焦げ跡の中心に何か小さな駒のような物が突き刺さっていた。それを取ってみると、それは確かに駒だった。壁は完全に焼け焦げていたのだが、それだけは焼き焦げた様子もなく、新品同然の将棋の駒。
「“金”?」
将棋の駒は金と書かれたものだった。
どうしてこんなものがあるのか、答えは簡単だ。
「見つけた、手がかり……」
小さな手がかりだ。それでもやっと前に進める。
「そういえば……」
堕鬼が不思議そうに首を傾げる。
「あの子はどこなの? ほら、いつも一緒にいる」
「あ、ああ。アリス? いつも一緒ってわけじゃないけど、『つまんない』とか言ってどっか行った」
「はあ……」
堕鬼はこれ以上無理なのではないかと思うほどの大きなため息をついた。それにむっとした彰が、
「何だよ」
「バカね、バカ。それ以上の言葉をぶつける必要性さえないわ」
「ふう、……彰ちゃん。あの子って死霊なんでしょ? 死霊の特徴って知ってる?」
「知ってる、……ていうかさっき知ったけど」
堕鬼は更に大きなため息をつく。そして、作った拳で彰の頭を思い切りどつく。
女口調とはいえ体は成人男性の中でも筋肉がいい感じについている大人の男の拳は鈍器でぶっ叩かれたような衝撃に似たようなものがあり、彰は思わず頭に手を置こうとした。しかし堕鬼がそれを許さなかった。
「頭に手を置いたら今度は顔を蹴る」
どすの効いた声に彰の手は凍ったように止まった。
「あの子が何でいなくなったか本当に分からないの?」
はっ、と気づく。
とても簡単な理由だった。どうして叩かれるまで気づかなかった。――気づこうとしなかtった。
アリスの特技は魂の気配に敏感なこと。ならどうしてアリスはこの場からいなくなった? 不器用な言い訳を並べて、彰に気づかれないように、自分ひとりで、どうして?
情けなく笑う。そしてアリスのことを多少なりとも怖がっていた自分に腹が立つ前に呆れた。
そして、似てる――とも思った。自分に、すごく。
だったらなおさらだ。
「堕鬼、これ預けとく」
そう言い彰は将棋の駒を堕鬼に投げた。堕鬼は呆れるように将棋の駒を受け取ると、
「早く行きなさい」
彰を急かすように、顎を触る。
「ああ」
彰は小さく頷くと、精一杯の力で走った。自分によく似た答えを導き出す優しい“死霊”の少女の下へと。