東の覇者
ガドの大森林東側、都市国家群と隣接しているこの地域は、とある種族によって支配されているといっても過言ではない状態であった。
その種族とはダークエルフ、外見的には肌が黒いこと以外エルフと同じ種族であり、東側では彼らがもっとも強い勢力であることは周知の事実であった。
「最近森が騒がしいのう。何があったかは知らんが、この短期間で西と南が大きく変化したのは確実じゃろうなぁ。さて、この騒ぎは東にまで影響を与えるのかのう。カチアはこれについてどう思う?」
彼の名はオルガ、現在ガドの大森林にいるダークエルフたちの里でトップを務める里長の父親であり、先代の里長を務めあげた人物でもあった。
現在は相談役という地位についており、里長である息子の相談に乗りながらも悠々自適な隠居生活を送っていた。
ガドの大森林は広い。普通なら東側に住んでいる彼らが西側や南側のことを知ることはない。しかしダークエルフたちは東側で一番強い勢力であり、その活動範囲も広い。彼らは森の外からの侵入者だけでなく、森内部からの勢力も常に気にしている。
森の情報を得るために組織された部隊が、最近西と南で大きな騒ぎがあることを知って報告してきたのだ。
引退しているとはいえ先代の里長でなおかつ現在相談役という地位にいて、いまだ強い影響力を持つ彼のもとには当然情報も多く集められる。
オルガは遊びに来た孫娘のカチアと話している最中にちょうどそのことを思い出したので、興味半分に尋ねてみたのだった。
「あたしもそれ知ってるぜ。父ちゃんたちは深刻そうじゃなかったけど、一応警戒しておくとかなんとか言っていたことだろ?」
「そうじゃ。あやつが里の外に出る可能性のある者に注意だけはしておくように言っていたやつのことじゃ」
このことは特に機密と言うわけではない。意図的に隠してはいないし、かと言ってわざわざ広めてもいない、知ろうと思えば誰でも簡単に知れるような情報であった。
西と南で何かあったのは確実だろうが、だからと言って東側にいる彼らがそれに対して何か対処できるわけではない。距離が遠いため積極的に調べることもできないので、とりあえず自分たちに影響が出るまでは様子見と言う形に落ち着いていた案件だ。
「あたしたちは東最強の勢力だ!いざというときはじいちゃんもいるし、もしこっちに来ても大丈夫なんじゃないか?」
中学生位の容姿をしたショートヘアーの少女であるカチア、彼女は自分の里の戦士たちの強さと、里の英雄と言われる自分の祖父の力に強い信頼と尊敬を抱いていた。
ダークエルフはエルフと同じくこの世界でも比較的長命な種族であり、どちらも病気や怪我がなければ約千年近くは生きると言われている。
彼女の祖父であるオルガは、今から約五百年前に大活躍した英雄だ。全盛期よりは多少衰えたとはいえ、その力は今もなお里で一番を誇る。彼は間違いなく今でも東で最強の戦士であり、里のダークエルフたちも絶大な信頼を寄せている。
ダークエルフは元々、西側にいたエルフと同様に複数の部族に別れて暮らしていた。しかし当時まだ一つの部族の長の息子であったオルガが、すべてのダークエルフたちをまとめ上げて一つの里を作ろうと言い出した。
普通のダークエルフにはそんなこと不可能である。だが彼は生まれつき、普通のダークエルフとは一線を画す才能を持っていた。
彼はその生まれ持った才能を使い、東の森で一大勢力を築くことに成功した。そしてその力に惚れ込んだ他部族の者たちを束ね、彼は東の森にダークエルフの里を作ることにしたのだ。
もう何百年もたった今では以前は違う部族であったことも皆忘れてきており、カチアのように以前は違う部族だったことをなんとなくしか知らないような世代も増えてきた。しかしいまだに生きる伝説である彼の武勇伝は語り継がれており、古い世代も若い世代も彼を軽んじることはけっしてなかった。
カチアの言ったように、ダークエルフには今回のことを楽観視している者は数多くいる。特にカチアのようにダークエルフの里ができてから生まれた世代は、自分たちが東で最強であるという状況しか味わってない。
何かあっても自分たちがなんとかしてやると息巻いているし、それが無理でももっと上の世代の人たちが何とかする。
若い世代の大半は自分たちに勝てる相手が森の北以外にはいないと思っているし、自分たちが北を除けば最強であることを疑っていない。
ダークエルフの若い世代によく見られる過信、里の英雄を含め苦労してきた古い世代はこれを何とかしたかったが、引退した身でごちゃごちゃいうのもよくないだろうという気持ちから、軽くしか注意することができないでいた。
「カチアよ。お主は知らぬじゃろうが、この世界には儂ですら勝てないような相手がわんさかおる。そして西と南を荒らしておるのがそんな奴かもしれんのじゃ。
神経質になれとは言わんが、自分たちの実力を過信しすぎるのもよくないことじゃぞ」
「それって北にいるモンスターのことだろ?でも北の奴らがこっちに来ることなんてほとんどないじゃん。それにこっちに来るのなんてどうせ縄張り争いに負けたやつらだろ?それくらいなら、仮にじいちゃんがいなくても勝てるんじゃないか?」
「……そこまで増長しておるのか」
カチアの発言に、それは聞いていたオルガは心底驚いた。
彼にとって北にいるモンスターは今でも恐怖の対象である。その強さと北の森に住むことの難しさは、一度北の森に入ったことがあるオルガだからこそ強く感じるのだ。
オルガは里を作り、そしてそれがある程度発展して跡継ぎである息子も大きくなっていたころ、彼は試しに一人で北の森に入ってみたのだ。
オルガは親しい者に自分の行き先を教え、自分が帰ってこなかったときは里長を息子に譲る旨を伝えてから一人で北の森に向かったのだ。
それなりの年を経て体が十分に成長し、鍛錬や実践で様々な技術や経験を積んだこのころが、まさにオルガの全盛期であったと言えるだろう。里を安定させ跡継ぎも育った彼は、自分の腕試しのため北の森に挑戦しに行ったのだ。
オルガは自分の力に自信があった。紛れもなくダークエルフ最強である力と、東に棲むモンスターをほとんど苦にしない力、もちろん北のモンスターを簡単に倒せるとは思っていなかったが、それでも自分が負けるとはイメージできなかったのである。
彼の力はある意味で通用した。一対一で北のモンスターにギリギリだが勝つことができたし、二体三体が相手でも負けないようなモンスターだっていた。
この点でだけ見れば十分だろう、もしその相手がすべて子供でなかったらの話だが。
オルガは自分の倒したモンスターの倍は大きい同種のモンスターを見て、自分が倒したのがあくまでその子供であったと知った。
しかもそれはまだ北の入り口での話である。もっと奥に行けばより強いモンスターが生息しているし、場合によっては子供でもオルガを簡単に殺せるかもしれない。
オルガは自分が倒したモンスターの親と思われる存在の一撃を受けた時に悟った『ああ、自分なんて北の森で言えばただの弱者なんだ』と。東の森でどれだけ強いとか、ダークエルフの里長であるとこは関係ない。北の森とはそれらがすべて無に帰すほどの領域であり、自分が行くなんておこがましいにも程があったとオルガは強く思い知らされたのだった。
オルガはその後、命からがら逃げだして今ここにいる。
そんなオルガからすれば、縄張り争いに負けたとしてもそれが北の森出身のモンスターであるという限り、いつ自分たちが全滅させられてもおかしくないと考えているのだ。
「カチアよ……北のモンスターには絶対に手を出すんじゃないぞ。あれは儂でも手に負えて一体が限界じゃ。何があろうとも、死にたくなければ北のモンスターと戦おうとは思わないことじゃ。これは約束じゃぞ」
オルガはカチアに真剣な目を向ける。彼だって孫が自分よりも早く死ぬところなど見たくはない。これまで以上に真剣な目をした祖父に、カチアは緊張しながらも黙って頷いた。
「大事にならねば良いのじゃがな」
里に住むダークエルフ、その中でもとりわけ孫娘のカチアを心配したオルガの一言は、急に騒がしくなったダークエルフたちの声によってかき消された。