指揮官
「しかし妖精たちの幻術は思いのほかうまくできていますね。幻術をかけられていることはわかるのですが、これからどういう幻を見せようとしているのか、はたまたすでに何らかの変化は生じているのかはまるでわかりません」
幻術を破るには、主に二段階のプロセスをたどる必要がある。『インフィニティ』の時はあくまでゲームだったので、プレイヤーに対して幻術の本来の効果はあまり発揮されなかった。しかしこの世界では幻術がちゃんと機能するため、幻術対策はしっかりとしておく必要があったのだ。
幻術を破るためのプロセスは、まず自分が幻術にかかっている、もしくはかけられようとしていることをしっかりと自覚することから始まる。
幻術は五感をだますことで偽物を本物に、そして本物を偽物に錯覚させる術である。幻術に完全にかかってしまえば、どんなに荒唐無稽なことでもそれが現実だと脳が判断してしまう。
自分が幻術にかかっていると認識できなければ、そもそも幻術を解くことなど不可能である。しかし幻術使いは、敵が幻術にかかっていると自覚しないようにしっかり準備してから幻術を使う。
これまで体験してきた幻術はあくまでゲームの話であり、現実でそれを使われたわけではない。なので実際にかけられるとなると最初は苦戦するのが当然であり、ステータスが一番高いとはいえ幻術にかかるという体験自体を初めてした優斗が慣れるには時間がかかったものである。
そして次の段階で、目の前で起こることが本物か偽物か見破らなければならないのだ。例えば戦闘中ならば、敵は幻術だけでなく実態のある攻撃を交えてくることがある。
それらの真偽を冷静に見極め、適切に対処できなければ幻術を破ったとはいえないのである。
今のベリアルには、敵が幻術をかけてきたこと以外はまるでわからない。妖精たちがどういった幻術を使おうとしているのか?はたまたすでに幻術を展開しているのか?それらを見破れないため、今のベリアルからすると妖精たちの幻術は厄介なものだと認めざるを得ないのである。
「そこか!?」
今まで黙っていた千代が、急に目の前の空間を切り裂いた。すると、何もなかったはずの空間から一体のモンスターが出てきた。
『ギ……ギィ』
千代によって切り裂かれたモンスターは、短い断末魔を上げてすぐに絶命する。
「なかなかの幻術でござるな。拙者の近くにいた者たちは誰一人気づけておらなんだ。妖精だけの実力ではないだろうが、この二つが重なると相当に厄介でござるなぁ」
「あいつ、確実にこの隊のリーダー格の一人である千代だけを狙っていたわね」
殺されたモンスターは他の者には目をくれず、千代を殺すためだけに動いていたように見えた。実際千代以外とぶつかりそうになればそれをかわし、千代とフレイヤ以外には気づかれずに接近できていたのだ。
妖精の幻術がこのモンスターの姿を隠していたのもそうだが、それと同時にモンスター個人の隠密の力も加えられていた。
妖精の幻術にモンスター自身の隠密能力が加わっていた魔物は、フレイヤと千代以外に見つけることはできなかったのであった。
「しかしなかなか厄介な幻術ねぇ」
「そうでござるな。もしかしたら、妖精たちはこの森にいることでその力が強化されているのかもしれないでござるな」
「その可能性は大いにあるわね。この森で長いこと暮らしてきたことで、この森の中でのみ特別強力な力を扱えるのかもしれないわ」
モンスターや妖精の中には、自分の暮らしている地域に完全に適応することでその地域ではより一層強い力を出せるようになる者もいる。例えば寒いところに生まれたモンスターが、その寒さに適応するために冷気耐性の強い個体に進化するなどがあげられる。
生物というのは、自身の置かれた環境によって 進化も退化もする。一世代で変化する者もいれば数世代掛けて変化する者もいるが、適応力の高い種ほど早く進化するのは間違いない。
ここに棲む妖精たちも、この森の環境やそこに生息している生物たちとの交流、そして外からこの森に来る侵入者たちとの戦いが長いこと続いていることにより、環境への適応やレベルアップによる強化がなされているのだ。
それに単純な幻術だけでなく、森の環境などもよく熟知して魔法を使っているのだろう。ただの力だけでなく、それを様々なものと組み合わせて使っているのだ。
これは妖精の高い知能と永くその場所に棲んできた地の利が為せる業であり、少なくともこの場所においては妖精たちの支配力が強い証拠でもあった。
「外にいる妖精ごときに出し抜かれるとは……これは気分がよくありませんねぇ」
ベリアルがその端正な顔に、誰からもわかるような確かな怒りを含ませている。
主であり創造主でもある優斗を崇めると同時に、その優斗が支配するダンジョンの一員であることにも強い誇りを持っているベリアルは、ダンジョンの外にいる生物を下に見る傾向があった。
ベリアルにとっては同じ強さで同じ種族だとしても、そのものがダンジョン所属であれば優しく接し、それ以外であれば憐れむべき存在として見ることになる。
優斗への忠誠心が強く外の生物を基本見下しているベリアルにとっては、ダンジョンの精鋭である自分たちが外の妖精などに後れを取ったことが許せないのであった。
「おっと、まずは落ち着かなければ。怒りで視野が狭くなればなおさら妖精どもの思うつぼです。まずは冷静にならなければ」
ベリアルは冷静になるよう自分を落ち着かせる。ベリアル以外にも妖精に対して怒りをあらわにしていた者もいたが、彼らもそれを自分で抑えたり冷静な仲間に抑えてもらったりして何とか鎮めようとしていた。
「ようやく落ち着いたかしら?」
フレイヤが全員に声をかける。
「はっ!フレイヤ様、我々は大丈夫であります。未熟さゆえに何名かが取り乱してしまいましたが、今は全員冷静さを取り戻しております」
フレイヤの前には、立派な武装に身を包んだ壮年の男がいる。
「それならいいのよ。この隊のリーダーは私だけど、部隊を直接指揮するのはあなたなのよ。あなたは優斗が私たちとは別のベクトルで作ったモンスターだからね、その働きには注目しているわ」
フレイヤの言葉に対して男は一礼した。
「ありがたき幸せ。残念ながら我が主はこの場にはおられませんが、その側近であるフレイヤ様と千代様に吾輩の力をお見せできるというのは恐悦至極でございます。
まだまだ未熟者ですが、できるだけお二人の手を煩わせないよう戦っていければよいと思います」
「期待しているでござるよ」
男は千代に対しても一礼する。
「かしこまりました。まずは感知力の高い者をもっと前面に出すと同時に、妖精たちをできるだけ捕まえたいと思います。
我が主が望んでいるのはあくまで支配であり、ここを壊滅させるのはそのご意志に背きます。できれば妖精たちがたくさん集まる、本拠地のようなものがあればもっといいのですが……」
「まあ彼らの士気は任せるから自由にしていいよ。何度も言うようだけど、あなたはそのために創造されたんだからね」
フレイヤから許可を得た男は、モンスターたちに次々と指示を出していく。
「さすが指揮官ね。スキルと関係ない部分でも優秀なようだわ」
「そうでござるなぁ。拙者にあのような芸当は難しそうでござるよ」
現在モンスターたちに指示を出している男は、彼を創造した優斗によってケンシンと名付けられた戦闘における部隊の指揮にのみ非常に特化した能力を持つモンスターである。
優斗たちには十分過ぎるほどの個人戦闘力が備わっていた。それだけならこの世界でもトップクラスだろう。しかし、彼らの中には部隊を指揮することができるような経験やスキルを持つ者がいなかったのだ。
『インフィニティ』ではあくまでパーティーとして行動していたため、何百何千の兵を指揮する必要などなかった。
指揮に関するスキルは、その対象が多ければ多いほど効果を発揮する。数の少ない優斗たちにとっては、効果が最大限発揮できないスキルを手に入れるよりは個人の戦闘力を上げたほうがよっぽど効率が良かったのである。
このように『インフィニティ』では不要だった系統のスキルだが、たくさんのダンジョンモンスターを支配することになった今となっては欲しいスキルの一つなのであった。
そこで優斗は個人戦闘力は低いが、頭がよく部隊を指揮することでその部隊の能力を物理的及び魔法的に上げるようなスキルを持つモンスターを作った。
そういう意図で作られたのがケンシンである。一対一では弱い彼だが、部隊を率いるとその指揮下にある者たちが強化されるのであった。
さらにケンシンはスキルだけでは満足せず、自分から部隊の指揮についていろいろ学んでいる最中なのである。
ケンシンは優斗の与えたスキルと頭脳、そして本人の勉強により、指揮経験の少ないダンジョンメンバーの中ではほとんどナンバーワンと言っていいほどの指揮能力を獲得していたのである。
「彼がいてよかったでござるな。拙者には部隊を指揮するというのは難しいでござるよ」
千代が感心している間にも、ケンシンは見事な手腕で部隊を組み替えていく。
「それでは参りましょう」
部隊を組み終えたケンシンがそう言うと、モンスターたちはまた動き出した。
南の森を支配しに動くモンスターたち、彼らは一般的には知能があまり高くなく、統率された行動など難しいとされている。
しかしダンジョンモンスターとして創造され、強くなるよう鍛えられ優秀な指揮官によって率いられている彼らは、立派な軍隊と言えるほど統率された舞台になっていた。