ルクセンブルクの独立15
「突撃ー!!」
隊長が大声でそう命令する。彼のその声は武人としての威厳を表すような声であり、普通なら皆その声に従い突撃を敢行していただろう。
しかし残念なことに、今回は普段とはいささか事情が異なっていた。
「いや無理だろ」
そう声を上げたのは一人の民兵だ。自分たちと王国軍との実力差、それは戦争に関してはほぼど素人の民兵だろうが、自分たちを優に上回る目の前の大軍を見ただけで簡単に理解することができる。
そもそもこの戦はルクセンブルク伯爵の一方的な独立宣言が原因である。ここにいる民兵たちには自分たちがルクセンブルクの民であると同時に、ブルムンド王国の国民であるという気持ちもまだ残っている。
これが他国が攻めてきたのならともかく、攻めてきたのはもともと自分たちの所属していた国の軍隊だ。
しかも今回の独立は民意ではなく、完全に領主であるルナの独断で行われている。民としてはこの独立に納得がいってないどころか、むしろ積極的に反対であったのだ。
つまり元々あまりやる気の戦いであるうえに、王国軍との戦力差は歴然、これでは戦おうという気持ちが起こるはずもなく、隊長の声を聴いても素直に突撃しようとは思えなかった。
「そうりゃそうだ。オラたちがあんなとこに突撃したところで、どうやってもあんな大軍に勝てるわけねえべ」
「だよなぁ~。どう考えても死ぬよなー」
「ほんとむちゃくちゃ言うよな」
すでに戦が始まり、最高指揮官である隊長の指示が出ているにもかかわらず、彼らには動きがないどころか真剣さが足りない。
もちろん彼我の戦力差から勝つことをすでに諦めているということもあるだろうが、それを差し引いても彼らの態度は少しおかしかった。
普通なら負けるとわかっていても命を奪い合う戦場である以上、戦が始まれば生き残るためにもっと真剣であるはずだ。
それは無理やり徴兵されている民兵にも共通していることであり、ここまで緊張感がないのはさすがにおかしかった。
「おいお前たち!何をしているんだ!?いいから早く突撃するんだ!!」
隊長をはじめとしたルクセンブルク家に仕える者たちが、全然動こうとしない民兵たちの尻をたたく。
しかしそれでも民兵たちは一向に動く気配がなく、ルクセンブルク軍はだんだんと王国軍に囲まれていった。
「なぜ動かん!?このままでは敵に囲まれてしまうぞ!!」
王国軍の包囲網は着実に縮められてきている。
このままでは完全に包囲されてしまい、それによってなすすすべもなく押しつぶされてしまうことは明白である。
彼らが勝てるかもしれない、もしくは勝てずとも敵に一番大きな損害を与えられるであろう方法は間違いなく正面への突撃であり、その確率を上げるためにもできるだけ早く行う必要があるのだ。
「愚図どもが!早く動かんか!!」
隊長たちが強い言葉で罵声を飛ばすが、それでも民兵は一向に動こうとしない。いっそのこと見せしめとして誰か殺そうかと隊長が思ったのとほぼ同時に、一人の民兵が隊長に向かって口を開いた。
「俺たちにだって家族がいんだ!それなのに、どうしてこんな絶対死ぬような戦に参加しなくちゃならねえんだ!?」
普通は一介の民兵が隊長たち貴族の家臣にこんなこと言わない。もちろん陰では散々悪口を言っているのだが、それを表で言うことがまずいことくらい彼らも弁えている。しかし今の異様な状況からか隊長のほうもそれ自体を咎めるのではなく、その質問に対しての答えを言った。
「それはお前たちがルクセンブルクの民だからだ!お前たちがルナ様の言うことを聞くのは当然だろう!!」
「俺たちはルクセンブルクの民である前に王国の民だ!それなのになんで王国軍と戦をしなちゃならねえんだ!?普通に考えておかしいだろ!!」
その民兵が発した言葉は、それを聞いていた他の民兵たちの心に深く突き刺さる。
彼の言うことは確かに一理あって、他国ならともかく王国軍と戦うというのは王国民としてはおかしいことである。
そして何より民兵たちの心に突き刺さったのは、自分たちにも家族がいるから生きて帰りたいという点だ。
そもそも民兵たちは普段から兵士としての訓練も心構えもしていない、単なる一般庶民だ。彼らにとっては戦争など早く終わらせて、一刻も早く家族の待つ家に帰りたいのだ。
これが徴兵制のデメリットだろう。いくら数を多く揃えられても、兵一人一人はその錬度も士気低いのだ。
今回のように相手のほうが有利だと思えば、たちまちその士気が急速に下がってしまうのであった。
「お前たちはもうすでに王国民ではないんだ!だからルクセンブルクを攻めてきた王国軍と戦うのは、客観的に見ても何らおかしなことではない!!」
「俺たちがいつ王国民をやめたんだよ!?そんなこと了承した覚えはねえぞ!」
民兵たちの口からは「そうだ、そうだ」という声が聞こえる。彼らはまだ自分たちは王国民だと思っているので、いつの間にか王国民でなくなったと言われて納得がいかなかった。
「ルナ様がルクセンブルクの独立を表明した瞬間だ!あの瞬間、我々は王国の民をやめたんだよ!!」
「そんなの知ったことか!」
「お前がなんと言おうが、すでに我々は王国の民ではない。目の前の軍隊がその証拠だ」
王国軍がルクセンブルク軍を倒すため着実に距離を詰めてくる。
「これでわかっただろう?つまりここから生き残るためには、目の前の軍隊を打ち滅ぼさなければならないのだ!生きて家族に会いたいのなら、全力で突っ込むしか道は開かれないんだよ!!」
隊長が一喝するが、それでも民兵たちの動揺は収まらない。声を上げた者も含めて一部の者は、今の話を納得はせずとも理解はした。
しかし学校などもないため教育水準の低いこの国では、民兵に選ばれるような庶民に賢い者はほとんどいない。
そのため今の話を聞いても全然理解することができず、とにかくこの戦への不満だけが残っていた。
「これはまずいですね」
「ああまずいな。見せしめに誰か殺しでもしたら、引き締まるどころか爆発して、まったく統制が取れなくなりそうだ」
「はい。ですがかと言ってこのまま何もせず動かなかったら、それはそれで王国軍に蹂躙されて終わりですよ」
王国軍はもうすぐそこまで迫ってきている。後五分もすれば、完全に三方を囲まれてしまうであろう距離であった。
「動いても地獄、動かなくても地獄……ということか?」
隊長はもうすでに敗北を悟っていた。もともと一パーセントもあるかどうかの勝ち目ではあったが、それがこの騒動で完全にゼロになった。
彼は自分たちの敗北を悟り、次は何をすれば相手が最も損害を受けるか、つまり勝ちを完全に諦めて、どうやって自爆すれば敵が最も嫌かを考えていた。
「敵が一番されたくないのは敵味方入り混じった乱戦だ。乱戦になれば同士討ちなどもあり、その分軍の被害が余計に拡大する。敵もそれがわかっているだろうから一定の距離を保ち、そこから弓と槍を使って着実にこちらの数を削いでくるはずだ。
だとすれば我々がすべきなのはどうにかして乱戦に持ち込んでから、兵士たちを敵軍の中で存分に躍らせるしかない!……ということになるな」
方針は決まった。後はやる気を完全に失った民兵たちを、どうやってその方針通りに動かすかということが問題であった。