ルクセンブルクの独立8
ここはブルムンド王国の東に領地を構える、ルクセンブルク元伯爵の派閥の一員であったウルージ子爵の屋敷だ。彼は東の貴族たちのナンバーツー、つまりルクセンブルク伯爵派閥のナンバーツーと言われていた人物であり、その影響力は同じ派閥の貴族たちと比べても大きかった。
「……というわけであるからして、ブルムンド王国貴族であるあなた方には兵を率いてロンバルキア辺境伯の率いる王国軍に合流してもらいたい」
今ウルージ子爵の前にいるのは、ロンバルキア辺境伯から送られてきた正式な使者だ。辺境伯から要請を受けた子爵は、少し考えた後その要請を受けた。
「あいわかった。ただしこちらにも兵を集めたりといった準備があるので、合流するまでにいくばくかの時間を設けてもらいたいのだが?」
「閣下から十日までには合流させよと言われております。ですからあなた方に与えられる期間は十日、ということになります」
ウルージは頭の中ですぐに計算し、十日あれば問題ないと判断した。
「了解した。それで閣下の使者殿はどうなされる?我が領に泊まっていかれるというのならば、我が屋敷でも領内の宿でもお好きなところを紹介するが?」
「それは結構。まだまだ外は日が高いです。閣下からは一刻も早く戻ってくるよう申し付けられておりますので、これ以上疑問点などがなければすぐにでもここは発ちたいと思います」
「それは残念だ。私もこれ以上聞きたいことは思い浮かばないので、口惜しいがおかえりいただくことにしよう」
「ではまた、今度はあなた方が王国軍と合流したときにでもお会いしましょう」
そうして使者が屋敷から出ていく。使者が屋敷から完全に離れたことを確認した子爵は、ストレスのあまり思いっきり髪をかきむしった。
「どうする……どうすればいい。これから私はどうすればいいのだ!!」
彼は派閥のナンバーツーという地位にいるが、子爵という爵位から見てもわかるように王国の中ではそれほど力を持っているわけではない。
王国には辺境伯や侯爵、そして伯爵などといったように彼よりも上の爵位の者はある程度おり、また子爵の中にも彼よりも力を持った貴族はいる。
彼が派閥内のナンバーツでいられたのは、結局そういった貴族がすべて三大貴族か王の派閥に入っているからである。しかも彼自身貴族たちの先頭に立って何かするというよりもどちらかと言えば誰かの下で働いて指示を仰ぎながら、その意を汲んで部下たちも管理することを得意とする、所謂中間管理職的な性質を持つ男であった。
そのためルクセンブルク伯爵というトップが抜けた派閥を上手くまとめることができておらず、まだ影響力こそ残してはいるが、それも以前よりはかなり小さくなっていた。
「辺境伯は当然私が派閥のナンバーツーであったと知っている。向こうも私に対しては何か思うところもあるはずだ……。
そうなると辺境伯はどういうアプローチをしてくる?私に自分の派閥に入るよう要求し他の貴族たちとの仲介役にするのか、それともナンバーツーであったことを引き合いに出し、それを理由として何らかの要求を飲ませたり冷遇したりするのか……」
彼はどちらかと言えば小心者の部類に入る人間だ。そのため自分がこれから辺境伯や他の王侯貴族たちにどういう扱いを受けるかいろいろと心配し、それによるストレスでひどく胃を痛めていた。
「はっきりしているのは……、ここで兵を出さねば私の王国での立場がなくなるということだ。ルクセンブルク元伯爵の下につくなら辺境伯軍を後ろから攻めたり、もしくは戦争が始まってから何らかの裏切りを働いて辺境伯軍にダメージを与えるのだが……、幸か不幸かそれは今のところあり得ないな。
そもそもあの小娘はどういうつもりだ!?派閥に参加しなくなったのは百歩譲って許す!それに先代を蹴落としたのも多めに見よう。だがなぜそのあと王国から独立するという話になる!彼我の戦力差を考えたら、どう考えてもあり得ない選択肢のはずだろうが!!」
彼はストレスのあまり大声を出す。元々大声を出すのが得意なタイプではなかったのだが、今回はストレスのあまり彼自身発したことのないようなボリュームの声を出していた。
「どうしました旦那様!何かお気に召さないことでもございましたか!?」
おそらく彼の出した大声に驚いたのだろう。扉の前で執事が彼のことを心配していた。
「ああ大丈夫だ。すまない、つい大声を出したしまったのだ」
「ですが旦那様がこれほど大声を出すところなど、何十年も仕えてきて初めてのことなのですが……」
「たまたまだ。一人で考えたいことがあるから、お前は自分の仕事に戻ってくれ」
「かしこまりました。ですが何かあったら、遠慮なくお声をかけてください」
「わかっている」
執事が去っていくことを足音で確認したウルージは、今度は大声を出さぬよう気をつけて考えを巡らせる。彼は一人の時は黙って考えるよりも、すべてに声を出しながら考えるほうが考えがまとまるタイプのため、大声には気をつけながらも声に出して確認することはやめなかった。
「やはり悪いのはあの小娘だ。しかし奴はなぜ我々派閥の貴族たちに何の連絡もよこさない。王国からの独立など断る者のほうが多いだろうが、それでも運が良ければ何人かは賛同して味方になってくれるやも知れぬのに。
独立など表明すれば、間違いなく今回のように王国が攻めてくることくらいはわかるはずだ。だったら、今は少しでも仲間を増やしておくべきではないのか?」
彼が知る限り、やはり彼女がほかの貴族に助力を頼んだりしている形跡はなかった。彼のルナへの評価は元々あまり高くなく、今回の独立騒動でそれがもっと低下した。
だがそれでもさすがに独立を表明すればどうなるか全く想像ができないほど愚かであるという評価は下しておらず、彼女が自分たちにまったく働きかけてこないことに強い違和感を感じていた。
「まさか一人だけで王国軍、この場合はほとんど辺境伯軍だが、を倒せる気でいるのか!?だとしたらどれほどの力を持っているというのか……。
いやもしかして、何か大きな組織が背後でうごめいているのか?そう考えると、彼女のクーデターがうまくいったのもその組織のおかげか?いくらなんでもあの伯爵が、青級冒険者とは言え小娘一人に足をすくわれるなどおかしかったからな」
ルナの背後にいるかもしれない組織について、ウルージは脳がヒートするんじゃないかと言うくらい脳をフル回転して考える。
しかし何度考えてもあまりに情報が足りなすぎるため、結局満足のいく答えを導き出すことはできなかった。
「まああの小娘にどんな組織がついていようが、ここで辺境伯の要請を断ることのほうが愚かだろう。ここで要請を断れば、後で何をされるかわからん。下手したら処刑されることもあり得るぞ」
彼もこれまで自分たちのトップにいたルクセンブルク伯爵の領地を攻めるというのはあまり気乗りしなかったが、それでも自分の身の安全を考えるとこの要請を断るという選択肢はなかった。
「そして問題はこの戦争が終わった後の身の振り方だ。道は大きく分けて二つあるが……、さてどうしようか?」
彼の言う二つの道とは、まずは三大貴族及び王の派閥に入ることだ。もちろんどこに入っても彼の扱いはそんなに良くはないだろうが、それでも自分よりもはるかに強い家に守ってもらえるというのは大きなメリットである。
そもそも彼は前々から、ずっとそれらの派閥に入りたかったのだ。彼は野心が大きくなく、正直自分の領地さえ守れればそれでいいと思ってる口だ。もちろん領土拡大などの野心を全く思っていなかったわけではないが、それでもわずかでも危険があるのならこれ以上大きな領地を得たいと思うことはなかった。
彼がルクセンブルク伯爵の派閥にいたのは彼の祖父の代からずっとそうだったからであり、また派閥を裏切って他の派閥に入るといった行動をとることが怖かったからである。
実際彼はもう少ししてルクセンブルク伯爵の派閥が自然消滅したら、その時に堂々と他の派閥に移ろうと考えていたくらいであった。
そしてもう一つは自分の、もしくは今回の戦の影響を受けて新しく生まれるかもしれない派閥に入ることだ。
とは言え彼自身その選択を選ぼうとは思っていない。なぜなら彼は自分が派閥の頂点に立てるほどの器だとは思っておらず、また新たにできる小さい派閥に入るくらいなら、多少扱いが悪くとも大きな派閥に入り身を守りたいと考えていた。
「やはり選ぶなら三大貴族か王派閥のどちらかに入る道だな。だとするとどこがいいか……。やはり王派閥に入ったほうがいいか?最近三大貴族はいろいろと大変だと聞くし……」
三大貴族が最近いろいろと不幸な目にあっているというのは、噂話がよく回る貴族たちの間ではもはや常識であった。
そしてその黒幕が第五王子ではないかと言うこともまたよく出回っている噂で、それは彼の耳にもよく届いていた。
「それとも第五王子の派閥がいいか……?いやしかし、あの派閥はいろいろと安定性に欠ける。それに彼が王になれば、おそらく現在の王派閥の大半が彼の派閥に吸収される。ならば私も王派閥に入っておき、彼が王になればそのまま派閥の一員として過ごせばいいのか?
いや待て!この考えはかなり危険だ。もし第五王子が王にならなければ、王派閥は解体されてしまう可能性がある。ならばここは最初から三大貴族のどこかに入っておいたほう安全か?」
ウルージはそれからいろいろと頭の中でシュミレーションをしてみるが、結局どの派閥を選ぶか決めることはできなかった。
「今の段階では決めきれないな。田舎にいるだけあって中央の情報は少ないし、答えは今回の戦争が終わってからにしよう。ルクセンブルクを王国が取り戻せば、その段階でいろいろ動きがあるだろう。私はその時の状況を見て、一番安全そうな派閥に入るべきだ。
それよりも今は兵を集め、十日以内に辺境伯と合流せねば。私の爵位や領内の規模、それに領内の警備や万が一どこかから攻められた時のことも考えて、戦争に動員できるのは千が限度か。
幸い今は収穫の時期でないから、民兵を動員するにも障害は少ない。今回は冒険者を動員しなくてもいいだろう。冒険者の動員などは辺境伯に任せ、私は民兵千を連れて合流すべきだな」
使者が帰ってから食事もとらず何時間も考え込んでいたウルージは、気がついたらかなり腹が減っていた。
なので彼はすぐにシェフに料理を頼み、料理ができるまでの間で部下たちに千人の民兵を招集させるよう命令を下した。