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メイドのマユ 秋葉原を行く  作者: 西一(にしはじめ)
二章 約束
6/9

最良の日

「タッくん、起きて、起きてよ」

 リノちゃんの声で、僕は目を覚ました。

「なーんだ、夢だったのか。でも、リアルな夢だったな~」

 そうだった、今日は、リノちゃんとメイド喫茶に行く約束をしていたのだ。

 朝早く、リノちゃんを連れてメイド喫茶へと向かった。以前、マユが働いていたというメイド喫茶へ。

 メイド喫茶は何故か凄い込みようで、行列が出来ていた。何かのイベントかあるのだろうか? 客の話に聞き耳を立てると、お目当ての子に会いに来ていると言う。

 諦めて帰ろうとした時、「大井様!」とスタッフのメイドさんに突然呼び止められ、行列の間を縫うように僕達を店の方に連れて行ってくれた。

 店内が満席にもかかわらず、何故かメイドさんが奥へと僕達を案内する。予約なんかしていなかったんだけど、と不思議に思いながら奥の席に座った僕は驚いた。

「お帰りなさいませ、御主人様!」

 声の主はマユ、二人が来るのを待っていたのだ。

「やっぱり、来ていたんだね」

 それは夢ではなく現実だった。客のお目当ては、もちろんマユだった。

「帰っていたんなら、言ってくれればいいのに」

 と不満そうに僕が言うと、

「幸せそうなお二人を見ていると、邪魔しては申し訳なく思えてきて、離れた所からこっそり見ていました」

 マユが言った。

 始めて見るマユに、リノちゃんは見とれながら、

「マユさんって、本当に可愛い、まるで天使のよう。タックンが夢中になるのも分かるわ。あっ、ご免なさいマユさん、あなたのことは二人の公認だから。積る話もあるでしょうから、私は出て行くわ」

 と言いつつも、マユの可愛さに少し嫉妬するリノちゃん。

 僕達を気遣って店を出ていこうとするリノちゃんにマユが言った。

「あの~、梨乃さん、ヤスシさんも来ています。裏で待っていますよ、会われます?」

「えーっ! ヤスシも来ているの?」

 今度はリノちゃんが目を輝かせた。

「実は、お二人が来るのを教えてくれたのがヤスシさんなんです。あの方、勘が鋭いから、お二人が来るのを知っていたんですよ」

「それで、僕達を待っていたんだね。マユに劣らず、ヤスシさんも凄いや。リノちゃん、行って来たら、僕はマユと話があるから。お互い、ゆっくり思い出話をしようよ」

「分かった。じや、マユさん、タッくんのこと、宜しくね」

 そう嬉しそうに言って、リノちゃんが店を出て行った。

 僕とマユが意外な再会を果たし話すことは山程あったが、二人切りになり落ち着かない様子のマユ。明らかに、リノちゃんに気を遣っているのが分かる。

「気にすることないよ。あっちは、ヤスシさんと宜しくやっているだろうから。そもそも、僕以上に、ヤスシさんを好きなのは分かっているんだ。誰だって、人間より完璧な妖精の方が好きだからね」

「もしかして……それって、梨乃さんより、私の方が、好きって、ことです?」

 ゆっくりと、確かめるようにマユが聞くから、

「そうだよ」

 僕はハッキリと言った。

「ごっ、御主人様、そんなこと言っては梨乃さんに叱られますよ」

 マユの顔が見る見る赤くなる。

「彼女は全てを知っている優しい人、気にすることないよ。君は僕好みに生れたんだから、誰よりも好きなのは当然じゃないか。でも、リノちゃんとは、それを知っていても強い絆で結ばれているんだ。結婚するということは,そういうことなんだよ」

 マユの顔が更に赤くなった。

「……御主人様、何か、立派になられましたね」

「マユがそうさせたんだよ。君との別れが、僕に勇気と自信を与えてくれた。あの辛かった別れが、僕を変えさせたんだ。でも、泣き虫は相変わらずだけどね」

 マユとの突然の別れが僕を大きく成長させた。そんな僕をマユがうっとりとした瞳で見詰める。

「良かったです、御主人様が幸せそうで。梨乃さんて、とても綺麗な方ですね。もう私なんかが、お手伝いする必要も無くなりましたね……」

 寂しそうな顔のマユ、日本に来るんじゃなかったと言っているように見えた。

「ああ見えて、リノちゃんは家事が苦手、だから家事は僕がしているんだよ。その代わり仕事は出来るんだな、これが。だから、正反対な夫婦ってよく言われるよ」

「本当に、幸せそうで良かったです。御主人様にこうして会えることが出来、もう思い残すことはありません」

「何言ってるんだよ、これからじゃないか。で、いつまでいられるんだい?」

「二回目の開花は短く、精々五日ぐらいかと」

「そうか、五日もあるのか」

「今日が五日目、最後の日です」

 寂しそうにマユが言った。

「えーっ、今日まで! なんで早く言わなかったんだよ」

「幸せそうなお二人の邪魔をしてはいけない、会わないでおこうと思っていたんですが……会いたかった、一目、御主人様に会いたかったです」

「……そうか、今日までか、たったの一日限りなんだね。でも、この奇跡を大事にしたい、君に会えて良かったよ。じゃあ、あの時の約束を叶えさせてくれないか。今日を僕に……仕事中みたいだけど、少し外に出れる?」

「お仕事は昨日で終わりました。今日は、ここで御主人様を待っていたんです。四日分のお給料を貰っているのですが、良かったら使って下さい……あっ、勝手なことを言って、また叱られますね」

「いや、ありがたく貰っておくよ」

 あの時、意地を張って辛い思いをさせたことを思い出し、今回はありがたく頂いた。

 手渡された給料袋の中には二十万円あった。思い掛けない大金を手にした僕は、マユを喜ばせるためにプロデュースし、作戦を練った。マユに喜んでもらうために、今日一日は自分が奉仕する番だと。

「時間は十分ある。あの時のやり直し、デートしよう。一日じゃ、さすがに泊り込みの旅行には行けないけどね」

「私と、デートしてくれるんですか?」

「あの時、約束しただろう、デートするって。もしかして、僕とじゃ、嫌?」

「そんなことは、絶対にありません!」

 マユが目を輝かせながら、僕に向かってキッパリと断言する。

 とにかく悲しい分かれ方はしたくない。マユには喜んで帰ってもらいたいと、自然と気合が入った。

 ふと、店内の異変に気付いたマユ。

「私、何か悪いことを言ってしまったのでしょうか?」

 マユに言われ辺りを見回すと、男達が殺気だった鋭い視線を送っている。僕は思わず笑みを浮かべた。

「いいや、君目当てで来ているのに、僕が独占しているからだよ。気にすることはない、僕が釣り合わないのが気に入らないだけなんだから」

 マユがおもむろに立ち上がると、手首にはめたリストバンドとカチューシャを外した。

「あのう、こんな物で良かったら、貰ってくれませんか」

 睨み付けている客に向かってマユが言うと、途端、ハイエナのように群がって来た。

 突然、店長が割り込んで来て場を仕切り、

「はいはい、当店自慢のアイドル、『メイドのマユちゃん』の身に付けていたものだよ。今日で卒業する彼女の貴重な一品、リストバンドとホワイトブリム(頭飾り)だ。一個限りで、しかも、彼女の汗の染み付いた匂い付きだよ。さあ、千円から!」

 と、勝手にオークションを始めた。

「一万円!」「五万円!」「十万円!」「十五万円!」

 どんどん値が上がっていく。とんでもないことになってきた。僕はマユの手を引っ張り、こっそり店を抜け出した。アイドルの凄さ、大変さが身に染み、さながら彼女のマネージャーにでもなった気がした。

「あの店長、商売上手だな。アイドルの身に付けていた物で一個限りの限定品、しかも匂い付きだなんて言われれば、オタク連中の財布のヒモが緩むよな。マユは、自分の持ち物が晒されて嫌じゃないの?」

「皆さんにはお世話になっているのに、私には恩返し出来ないし、何もありません。あんな物で喜んでくれるなら嬉しいです」

 マユは、本当に優しいんだなー。可愛いだけじゃなく、その優しさが僕は好きだったんだ。昔とちっとも変わんないよ。

「手、手握ってもいいかな。僕達、デートしているんだから」

「デートとは、手を握るものなんですね。ぜひ、お願いします」

 僕達は手を繋いで街を歩いた。

 あの時の夢が叶ったんだ。現実にマユとデートしている。まさに奇跡、この一日を最良の日としたい。そう心に決め、僕は引き立て役に徹しようとした。

 メイド服の格好じゃ目立つからと、洋服店に寄った。どれを着てもマユは似合うが、あえて目立たないようにと、白地に黄緑の花がプリントされたワンピースを買った。しかもブランドもの。もちろんマユのお金で、だが。

 試着室を出たマユを見て、僕の目が点になった。

「どうです? 似合いますか。御主人様が選んでくれた服なんですけど、私、胸が小さいから自信無いです……」

「マユ、だよね? 似合うどころか、とっても綺麗だよ」

 まるで別人のようで、天使のように輝いて見えた。メイド服姿以外のマユを見たことがなかった僕にとって、私服姿の彼女を見るのは初めて、別人に見えるのも無理はない。

 僕に初めて『綺麗だ』と言われて嬉しくなったのか、その場で一回り、おどけて見せると、店員もマユに見とれていた。

「似合いの服を選んでくれて、ありがとうございます、御主人様」

「今日一日は、君は僕の彼女だろう。もうメイドじゃないんだから、御主人様なんよそよそしい言い方しないで、名前で呼んでよ」

「そうでしたね、た・く・や」

 マユが照れながら僕の名前を言った。

「良かったら、私の服、使ってくれますか? 梨乃さんには合うと思うんですが」

「いいの? 以前、服は体の一部だって言ってなかったっけ」

「服は、葉っぱのような物で、今は、この服と一体化しました」

「そう、それなら記念として貰っておくよ。実はリナちゃん、メイドに憧れていたみたいで、一度メイド服を着たいって言っていたから、きっと喜ぶよ」

 さてと、どこへ行こうか、マユの喜びそうな所……。

 何か良い所はないかと、僕は考えを巡らす。『マユ予報』は晴れ、午後三時から四時に掛けて雨になる。その後また晴れ、夕日が綺麗な、そんな一日になると言う。

「まずは……デートの定番と言えば、食事だな」

 そう言って、僕は何も考えずにファミリーレストランに入った。マユの複雑な気持ちも知らずに。

「ご注文は?」

 とウエートレスに促され、

「そうだな、僕は朝ご飯食べてないからお腹が空いて、何にしょうかな……」

 言いながら、マユから貰ったお金がある。ここはお金の心配がないからジャンジャン食うぞ、と思って、

「豪華なステーキセットがいいや。マユは……そうか! 君は水だったんだね。ご免よ、マユ、嫌な思いさせて」

 デートののっけから大失敗。マユは笑いながら、お冷を美味しそうに飲んでいた。

 仕方なく僕は軽めの、ストロベリーパフェとチョコレートパフェを注文し、一人で食べた。

 見ているだけのマユを気の毒に思い、スプーンですくったパフェをマユの口元に差し出し、

「以前、味見ぐらいは出来るって言ってたから、一口、一口だけでいいから食べてよ」

 と言って彼女に進めた。

 すると、一口食べたマユが、

「美味しい! これ、すっごく甘くて美味しいです」

 と喜んでくれた。

 もう一口、と言おうとしたが、僕に気付かれないようにお腹をさすっていたマユに、お腹を壊しちゃこれからのデートが台無しになると思って、一人でデザートを全部食べた。

 慌てて食べたせいか、僕の鼻にクリームが付いていて、

「卓也、付いていますよ、鼻に」

 マユが笑いながらテーブルナプキンで僕の鼻を拭いてくれた。

 まるで恋人同士、カップルらしいことが自然と出来ている。そうだよなぁ、僕達はデートしているんだから。

「これからどこへ行く? どこか行きたい所はあるの」

 僕がマユに聞くと、

「えーと、確か、コンヨクブロ? だったか、行きたいです!」

 マユが嬉しそうに言い、僕は思わず噴き出した。

 マユが消える間際、僕の言っていたことを覚えていたのだ。もちろん、混浴風呂がどんなものかは分からないはず。

「それは、ちょっと……無理かも……」 

 一瞬、リノちゃんの顔が頭に浮んだ。

 だが、困惑する僕をよそに、好奇心を抑え切れないマユが興味の眼差しで聞いてきた。

「コンヨクブロって、なんです? コンヨクって、楽しい所なんですか、コンヨクって」

 コンヨク、コンヨクと連呼し、客の視線が集まる。慌ててマユに耳打ちすると、

「ひゃー、ご免なさい、また私、はしたないことを言って……」

 マユが真っ赤な顔をしてうつむいた。

「ハハハ、今の話、聞かなかったことにするから」

 ドジなところも相変わらずだな。でもそれがまた、可愛いんだよな。

「そうだ、まずは動物園、上野動物園に行こう」

「はい!」

 顔を上げたマユが笑顔で返事した。


 ファミレスを出ると、僕達は上野を目指すべく、最寄りの駅に向かった。 

 さっきから通りすがる男達がすれ違いざま、チラっと盗み見るような視線をマユに送っていく。人通りの多い大通りでは、アイドル級のマユは目立ち過ぎるようだ。

 僕達は大通りを避け、裏道を通って歩いて行くと、前方から人目を避けるように、帽子を深くかぶり大きなサングサスで顔を隠した女性が近付いて来た。何故か芸能人のオーラーが出ているのに僕は気付く。それは元オタクとしての勘。そばにはマネージャーだろうか、周りを警戒しているようだった。

 その女性がマユの目の前で立ち止まると、サングラスを外してマユの顔を見た。  

 その女性とマユが目を合わせ、しばらく見入ったが、付添いの男に手を引かれ二人は別れた。

「私とそっくりな人がいて、ビックリしました」

 マユが驚くのも無理はない。

「あれ、沢井真由ちゃん。変装していたけど一目で分かったよ。アイドルの傍ら、女優業もこなしているんだ。僕も初めて間近で見たんだけど、すっごく可愛いな~」

 間近で見た芸能人に僕は興奮気味に言いながら、彼女の後姿をいつまでも見詰めた。

 突然、マユが僕の服をチョンと引っ張った。それはヤキモチに近い感情で、マユがスネたのだろう。

「二人切りのデートなのに、ご免、つい見とれちゃって。でも、マユが一番だよ」

「またぁ~そんなこと言って~、私のことが一番だって言ったら、梨乃さんに叱られますよ」

 そうは言っても嬉しさが表情ににじみ出ている。正直者のマユは嘘を付くのが苦手なようで、だからすぐに顔に出る。そこは素直に喜べばいいのに、と僕は苦笑い。

「さっきも言っただろ、マユが一番だって、リノちゃんは二番。君は僕の理想の姿で生まれて来たんだぞ、世界の中で一番に決まっているじゃないか」

 白い服に、赤く染まったマユの顔が目立つ。

 偶然、二人のマユ・真由が出会った。一人の真由はアイドルとして多くの若者に好かれ、もう一人のマユは僕だけに好かれる存在。でも自分には妻がいる。境遇の違う二人に、僕は強く思った。今日だけは、今日一日だけは彼女に喜んでもらうんだ、と。

 JR秋葉原駅・電気街口から入り、改札口を通った。

 勝手知ったる構内、僕はすんなり通れたのだが、後に付いて来たマユが自動改札機の警告音と共にフラップドアに遮られた。

「わぁ!」

 マユが思わず悲鳴を上げた。

 あ、そうか、マユは初めてだったんだ。僕は慌てて振り返ると、

「お譲ちゃん、初めて? ここに切符を入れるのよ」

 マユの後ろにいた優しそうなおばさんが丁寧に説明してくれた。

 まるで親子、あのおばさんさん、マユのお母さんのようだ。でも、いても不思議じゃないんだよな。にしても、驚いたマユの顔も可愛いんだな~。

 言われた通りマユが乗車券を入れると、勢いよく吸い込まれた。

「わぁー! 大事な切符が無くなりました」

 乗車券が吸い込まれて慌てるマユを見て、「こっち、こっち」と、今度は僕が説明しながら指差した。

 見ると、ヒョコっと切符が飛び出している。マユは恥ずかしさのあまり、急いで切符を取ると僕の方へと駆け寄った。 

 最先端の技術は便利ではあるが、使い方を知らなければ何も出来ない不便なものになる。経験の無いマユにとって、目に映る全ての物に驚かされるに違いない。当然、僕は不安そうなマユをエスコートするが、僕の心配をよそに、何か楽しんでいるように見えた。

 僕達は薄暗いホームで電車を待つ。人混みで空気が悪く、通り過ぎた電車の粉塵が舞っているような気がする。

『ゴホ、ゴホ』とマユが咳をした。

 ビルの林立する都会は、さながらコンクリートジャングル、草木も花も無い。さすがに花の妖精の住める場所ではなさそうだ。

「大丈夫?」と僕が聞くと、「全然、平気です」と返事したが、彼女の顔を見ると、無理を言っているのが分かる。人間の僕ですら空気が悪いと感じるのだから、環境に敏感なマユならなおさらだ。

「上野に行けば緑がある、ここより遥かに安らげるよ」

 程なくして電車が到着、僕達は混雑した車内に乗り込んだ。もちろん、マユが電車に乗るのは初めて、乗物に乗ること自体、彼女は初めてだった。

 僕達は出入り口に立つと、ドア横の手すりを持ってドアに寄り掛かった。満員電車の車内は、揺れるたびに乗客と触れる。世の中、良い人ばかりじゃない。痴漢を警戒し、僕が身を挺してガードする。

 そんなマユは、好奇心に輝く目で、車窓から見える通り過ぎる街並みを興味深く眺めていた。密集する建物が流れて行く。視線を窓に向けると、マユがこちらを見ているのが映った。僕と目があったマユは思わず照れ、ワザと僕に寄り掛かり嬉しさを噛み締めているようだった。


 上野駅に着くと、草花が僕達を出迎えてくれた。

 東京の都心に残された豊かな自然、ゆっくりとした時間が流れているようで、オタクの街・秋葉原とは違って、カップルや親子連れが多かった。

「あ、あのぅ……」

 マユが言い難そうにモジモジしている。

「?」どうしたんだろうと僕は首を傾げると、

「て、て、手を……手を握ってもいいですか」

 とマユが頬を赤らませて言った。

 なんだ、そうか、僕としたことが、デートだということをすっかり忘れていた。

「ああ、もちろん」

 僕はそう答えてマユの手をしっかりと握り締めた。 

 僕がリードしないといけないのに、マユに気を遣わせちゃったな。どうやら、周りのカップルに刺激されたようだ。

 上野動物園に入ると、マユは珍しい動物に興味津津で、目を丸くして驚いていた。

「わぁ~、ライオンさんだ! 向こうにはトラさんもいる」

 ライオンやトラ、ゴリラなどの猛獣にはなんともないマユだったが、キリンやシマウマには何故か怯え、僕の後ろからのぞき見るようにしている。

 花の妖精であるマユにとって草食動物は天敵なのだろう、かなり怯えていた。

「大丈夫だって、囲ってあるから襲って来ないよ。でも、マユにも弱点はあったんだね」

 意外な一面を見られ、マユが思わず舌を出して肩をすくめた。その仕草、可愛い。

 この動物園で一番人気のパンダには多くの人が集まっていた。でも、肝心のパンダがだらけていて、背中を向けたまま寝そべっている。パンダを見るために来ていた子供達をがっかりさせていた。

「本来は凶暴な熊なんだろうけど、あの模様がユニークで、白と黒のアイドルと言ったところかな。でも、いつも寝てばっかりいるよ。せっかく見に来たのに残念だな。あれじゃー、子供達も可哀想だよ」

「おーーい!」

 マユが突然、パンダに向かって叫んだ。

 すると、寝ていたパンダが起き上がり、ノシノシと巨体を揺らしながら近付いて来る。そして、マユと対面、しばらくにらめっこが続いた。

 本当に、マユは凄いや! 改めて彼女の能力に驚かされる。

 がっかりしていた子供達が集まって来て、両親と一緒に思い思いの写真を撮り始めた。

「パンダの主食は竹や笹だから、食べられちゃうぞ~」

 と僕がからかうと、

「キャー!」

 マユが慌てて僕の後ろに隠れた。

「ハッ、ハッハー、冗談、冗談だよ。大人しい動物だから、襲われる心配はないよ」

 集まっていた子供達も、パンダに怯えるマユを見て一斉に笑い出した。

「もう! 卓也の意地悪!」

 口を尖らせ僕を睨む。怒ったマユの顔も、とっても可愛かった。

 よしよし、良い感じ。デートらしくなってきたな、と次の場所に自然と期待が高まるのだった。

 

 動物園を出た僕達は、不忍池にあるボート場を目指して遊歩道を歩いた。 

 彼女の予報した通り晴天、マユにカッコ良い所を見せたくて、見た目が可愛いスワンボートではなく手漕ぎボートに乗ると、力を込めてオールを引っ張る。滑るようにボートは水面を進み、池の真ん中で止まると、そこから見える景色を楽しんだ。

 風の流れが頬をかすめ、ボートの僅かな揺れに自然と心が落ち着く。大都会の真ん中で、誰にも邪魔されることなく二人だけの世界に浸ることが出来る。誰が見ても恋人同士にしか見えないだろう。

「こんな良い天気なのに、本当に雨が降るの?」

 不意に僕が尋ねた。

「今、調べてみますね」

 そう言うと、マユは空を仰ぎながら目を閉じた。大気を感じ取っているのだろう。

「雨雲が近付いているので、必ず雨が降りますよ」

 マユが言うんなら間違いない。疑ったりして、ご免。 

 人差し指を立てたマユの指に、アゲハチョウが止まった。

「今、卓也とデートしているんだよ。貴女は、コイビトはいないのかな?」

 話し方からして雌の蝶なのか、マユが嬉しそうに蝶に話し掛ける。でも、蝶にデートと言っても意味が分からないのに、よっぽど嬉しいんだろう。

 どこから見ても人間にしか見えないのに、蝶と話をしたり、天気を当てたり、彼女を間近で見ていると、やはり妖精なんだと気付かされる……それも、今日までしか生きられないなんて……。そう思うと、今この瞬間はとても楽しいのに、気持ちが沈んだ。駄目だ、駄目だ、余計なことを考えちゃ、マユに気付かれてしまう。彼女には喜んでもらわなくちゃならないんだから。

「次は取って置きの場所、東京スカイツリーだ。東の方向の……ほら、スカイツリーの先っぽが見えるだろ」

 僕が立ち上がろうとした時、ボートが大きく揺れ、バランスを崩した。

「拓也、危ない!」

 マユがとっさに抱き付いた。池に落ちそうになった僕を、マユが身を挺して救ったのだが、

「ご免なさい!」

 そう言ってマユが慌てて離れた。

「思わず抱き付いてしまって、梨乃さんに叱られますね」

「もう、二人だけのデートなんだから、『リノちゃん』の名前は厳禁。それと、『ご免なさい』も禁止だよ」

 やれやれ、今日だけは恋人同士だと言っているのに、まだ遠慮しているな。未だに二人の間には垣根があるようだ。

 再び電車に乗り、今度は東に、浅草方面に向かう。

 先程まで晴れていた青空がにわかに曇り始め、ポツポツと雨が降り出した。雨粒が車窓を濡らす。午後三時、予報通り雨が降ってきた。これは一時的な通り雨だと言う。

「拓也、大きく見えてきましたね。あれがスカイツリーですか?」

 スカイツリー見物を自らプロデュースしながら、高層のタワーを見た瞬間、僕は動揺した。高所恐怖症のこの僕が、果たして無事に上れるのかと。 

 とうきょうスカイツリー駅に着くと、すでに人込みで混雑していた。

 突然、駅を飛び出したマユが、雨の降る中を嬉しそうに走り回る。

「ちょ? ちょっと、マユ!」

 と僕が慌てて引き止めるが、

「平気ですよ。こうすると、ほらぁ」

 そう言いながら体をブルッと振ると、レインコートを着ているみたいに水をはじいた。

 ハスの葉っぱと同じ、ロータス効果と呼ばれる現象なのか、まるで子犬の水浴びみたいだ。なんせ、植物だもんなぁ。晴れの日はもちろん、雨の日も植物にとっては嬉しいことなんだ。

 雨に濡れたマユは色っぽく見え、つい見とれてしまう。でも、ここは人込みの中だ、と僕は急いで駆け寄った。

「つぅかまえた~」

 僕はマユを抱き締める。

「たぁ、卓也! 濡れますよ……」 

 僕に抱き締められドキッとしたのか、顔を赤らませマユが言う。

「雨の中、傘も差さないでこうしていると、変な人に見られるから」

「あっ! ご免なさい、一人ではしゃいじゃって」

「ほら、またぁ、それ、言わない約束だろう」

 自然体の生き生きとした彼女の踊りを見ていたかったが、人の目が気になる。仕方ない。

 ふと見上げると、スカイツリーの展望台が雨雲に覆われていた。せっかくの眺望が台無しになると考え、雨が止むだろう四時までの一時間、施設内で雨宿り。その時、僕の目に映ったのがプラネタリウムの案内だった。

 東京スカイツリータウン内には様々な商業施設があるが、僕は機転を利かしてプラネタリウムに入った。

 星を見るのが好きだったマユはとても喜んでくれた。真っ暗な部屋の中、手を繋ぎ、静かに星空を見詰める。時間の経つのを忘れ、マユは食い入るように見入っていた。

 いよいよメーンのスカイツリーへ。午後四時、雨が止み、嘘のように晴れてきた。タワーを覆っていた雲が引いて行く。天高くそびえるタワーは近くで見ると、その高さに圧倒され驚ろくばかりだった。

 ここにきて僕は告白する。

「僕は超が付くぐらい高所恐怖症だから、外が見れないんだ」

「卓也が怖いのなら、止めましょう」

 マユが僕を気遣って言ってくれたが、ここは引き下がれない。

「いいや、ぜひ行きたい、行こう。その代わり、ずっと手を握っていて欲しいんだけど。いつまでも逃げていちゃ駄目なんだ、克服しなきゃ。僕は高い所が苦手だから飛行機にも乗れない。仕事で外国に行く時はいつも船だから時間が掛かって、リノちゃんにいつも叱られるよ。……あ、ご免、彼女の名を言って。言わない約束だったのに、せっかくのデートが台無しだ」

「良いんです。私は卓也が幸せになることだけを願っているんですから」 

 本当に僕の幸せだけを考えているのか? マユにだって望みはあるだろう。今日一日しか生きられないんだぞ……。僕は、酒に酔ったマユが発した言葉を思い出す。『抱いて、抱いて下さい、わたくし,御主人様のことが、す……』と。

 僕に抱き締めて欲しいと言うマユの本音が、頭から離れない。今もきっと我慢しているんだろう。だけど、僕は既婚者、心の中にリノちゃんが入り込んでいる。昔のようにはいかないんだ。そんな葛藤の中で 自分が彼女にしてやれることは何かを必死で考えた。

 高速エレベーターに乗り込み、五十秒で展望デッキへ。展望台に出ると別世界が待っていた。

 東京を一望出来る凄い眺め。展望台はガラスが斜めになっていて真下が良く見える。腰の引けた僕は勇気を振り絞って窓際へと向かう。

「マユは、怖くはないの?」

 マユの手を強く握り締めながら言うと、

「私には落ちるという感覚が無いので、高い所は平気です。大丈夫ですか? 拓也、顔が青いですよ」

「まあ、なんとか大丈夫、真下は見ないで遠くだけを見ていればね」 

 地上三百五十メートルの第一望台では、マユが子供のようにはしゃいでいた。どうやらマユは高い所が好きみたいだ。ここに来て良かったと思った。さすがに四百五十メートルの展望回廊へ行く勇気は無かったが……。

「卓也、アキハバラはどこです?」

「西南の方だから、ほらあそこ、あの辺りだよ」

僕の指さす方をマユは見詰めながら、

「あの小さな場所が、短い間だったけど、卓也と一緒に過ごしていた場所なんですね」

「そう、あんなちっぽけな場所で、泣いたり笑ったり悩んだり、人間って、なんて弱い生き物なんだろうって思うよ。ちなみに、あのちょこっと見えている山が富士山、日本一の山だよ。でも、マユの故郷にあるエベレストは世界一だから、富士山も小山にしか見えないだろう」

「そんなことないですよ。素敵な山、綺麗な山ですね」

 日本を象徴する富士山は、僕が唯一、マユに自慢出来る自然、世界文化遺産だった。

 分かれの時が、無情にも刻一刻と近付いていた。この期に及んでマユと別れたくない気持ちが強くなる。リノちゃんとも、マユとも、その両方だなんて虫が良いのは分かっている。でも、一番辛いのは、消えゆくマユの方。最後なんだ、今日が最後なんだぞ。何を彼女にプレゼントすればいいのか……。

 

 いよいよ別れの時がきた。今日一日掛けて後悔することのないよう、精一杯尽くしてきたが、何かが足りない。心から喜べることが出来なかった。

「もう、時間が無いから、行きます。お別れですね。でも何故か、近いうちに会えそうな気がするんです」

「マユに喜んでもらうことだけを考えていたけど、何にも出来なかった。ご免ね」

「そんな、卓也と念願の楽しいデートが出来て嬉しかったです。もう、思い残すことはありません。それじゃー」

 離れて行くマユを見詰めながら、突然、「マユー!」と僕は叫んで呼び止めた。

「はい!」彼女が振り返る。

 僕は無意識のうちに駆け出し、自分の気持ちを伝えた。

「最後まで何もしてあげるこが出来なかったけど、僕に尽くしてくれた君に、人間としての最高の愛情表現をしたいんだ。僕の気持ち、受け止めて欲しい!」

 そう言いながらマユを抱き締め、激しいキスをした。

 この瞬間、僕の愛情の全てをマユに注いだ。驚き、一瞬、見開いたマユの瞳が静かに閉じ、僕の愛情を受け止めてくれた。そして、その愛情に応えるように背中に回されたマユの手が、力強く僕を抱き締める。

 僕はマユの愛を全身に感じながら、彼女と過ごした日々を思い出した。初めて会った日のこと、寝静まった夜に星を見たこと、二人して泣いた日のこと、マユが僕のことを好きだと言ってくれたこと、そして今日の出来事を。

 笑顔でサヨナラしたかったけど、出来なかった。大粒の涙が頬を伝った。

「ハァーーッ、息が続かない。こんなに長いキスは、リノちゃんにだってしたことないよ。ご免ね、苦しかった? 泣いてるけど」

「最高のプレゼント、ありがどうございます。でも、何故でしょう、こんなに幸せなのに涙が止まりません。卓也のアイに包まれ、嬉しくて涙が止がとまらないんです」

「僕もだよ、最後ぐらい笑ってサヨナラしたかったんだけど……でも、幸せ、か……君の口からその言葉を聞けて良かった。何もしてあげられなかったと思っていたから。マユが喜んでくれて、本当に、本当に良かったよ」

「卓也に、泣き顔を見られたくないから、行きますね。だから、もう泣かないで下さい、笑って欲しい。悲しくなるから……」

「分かった。マユが、笑ってって言うんならそうするよ」

 僕は涙をぬぐいあえて笑顔をつくって、「じゃあ」とサヨナラを告げた。

 僕達は離れて行く。

 マユの気配が消えた。振り返ると、マユはもういなかった。

 夕暮れの街、東京スカイツリーをライティングするLED照明が点灯し、微かに輝き出した。都会を覆い尽くす夕日がとても綺麗だった。

 次は、人間として生れて来るんだよ、と祈る気持ちでマユを見送った。

「もう、こんな時間。リノちゃん、怒っているだろうな~」

 僕は振り返り、悲しさを振り払うように急いでアパートに帰った。


「随分、遅かったわね」 

 案の定、リノちゃんは無愛想な返事で僕を迎え入れた。

「ひょっとして、僕にヤキモチ?」

「馬鹿ね、マユさんは、私達にとって特別な存在でしょう。別に、気になんかしていないわよ」

 と言いつつも、不満がにじみ出ている。

「あ、そうだ、プレゼントがあるんだった。リノちゃん、変身願望があるって言ってたよね」

 そう言って、リノちゃんの機嫌を直してもらおうと、マユから貰ったメイド服を手渡した。

「まあ! 嬉しい、ありがとう。でもいいの? マユさんにとって大事な物なんでしょう」

「妖精にとって、服は葉っぱみたいな物だって。代わりに、ブランドもののワンピースをプレゼントしたから。と言っても、彼女のお金だったけど」

「もう、最後までマユさんに世話掛けて。それじゃ、どっちが尽くしていたのか分からないじゃない」

 呆れながら言ったリノちゃんが、メイド服を受け取って目を輝かせた。

「素敵な服ね、一度着て見たかったの。これって、妖精の服って世界で一つしかないんでしょう。今、着ていい?」

「もちろん、きっとマユも喜ぶよ。でも、サイズが、合うかな?」

 その心配はなかった。服はピッタリ、マユとリノちゃんの背丈は同じで、今更ながら、二人のことをよく知らなかったんだと気付く。

「さすがに、これを着て街中は歩けないけど、家の中なら十分に着れるわ。でも、タッくんに『御主人様』なんて呼ぶ気にはなれないけどね」

「僕だって、リノちゃんに『御主人様』って言われれば、何か裏があるのかと思って腰が引けちゃうよ」

 そう言った後、僕は続けて言う。

「マユと、キスした。それも、激しいやつ……」

 リノちゃんには隠しごとはしたくない。僕が正直に答えると、

「普通、そこは隠すでしょう。でも、正直に言ってくれて、ありがとう。マユさんのこと、あんなに、もの凄く好きだったんだから、何をして来たって構わない。消えゆくマユさんが喜んでくれるのが一番ですものね」

 怒るどころか同情してくれた。

「でも良いわね。ヤスシの場合、それを求めても、私の事を思って拒むでしょうけれど、マユさんの場合、タッくんの言いなりでしょう。よくキスだけで済んだわね、そこだけは褒めたいなぁ。で、どうだったの? また泣いていたんでしょう」

「うん。でも、気持ち良く分かれてきたよ。彼女の口から『幸せでした』と言ってくれた。救われる思いがしたんだ。心の整理が出来てスッキリしたよ。僕に会いたい一心で、再び生れて来たんだから……それに応えることが出来て良かったよ。本当に今日は、最良の日だった」

「最良の日か~、そう、良かったわね」

 夜中になるのが待ち遠しいとばかりに、リノちゃんのメイド姿を見てニヤ付いている僕を見て、

「あ~、今、エッチな想像してたでしょう。しばらく、お預けよ」

「エッ……」

 思わず情けない声が出た。 

 リノちゃんに見透かされ気まずくなる。と、同時に気付く。

「そうだよなー、今日は、今日一日だけはマユの彼氏であり続けたいから……。リノちゃんもそうだろう、ヤスシさんのことが、今でも大好きなんだろう。で、そっちはどうだったの?」

「彼はタッくんと違って、お・と・な・だから、とっくに帰ったわよ」

「あー、傷付くこと言って……リノちゃんはいつも言うことがキツイんだよなぁ」

 つい不満を口にするが、

「はいはい、すいませんでした」

「?」いつもなら怒って、僕が謝るパターンなんだけど、この時は違っていた。素直に謝ったリノちゃんが、お腹をさすりながらニコニコしている。

「もう、鈍い人ね。父親になろうというのに」

「……まさか、子供? 僕達の子供が出来たんだ!」

「彼は全てお見通しだった。『良いことがあるから』って、私を気遣い病院に行くようにうながしてくれたの。ヤスシは、勘が鋭いから分かっていたみたい。それってシックスセンスって言うんでしょう。その予知能力で、私の体の異変にいち早く気付いてくれたんだよ。ヤスシって凄いでしょう」

 さりげなくヤスシさんを自慢した。 

 僕も負けじと言った。

「マユだって、天気予報は時間単位で当てるんだ。計算だって得意だしね」

「植物と会話していたなんて、子供に言っても信じてくれないでしょうね」

「僕は、生まれて来る子が妖精の生まれ変わりのような気がするし、そうあって欲しい。世界は皆と繋がっているんだから……」

 そうか、あの時マユが、『近いうちに会えそうな気がするんです』って言ったのは、もしかして、マユやヤスシさんが人間として生れて来るってことなんじゃないだろうか……。

「あと、もう一つ。実はヤスシに引っ越しを勧められて。彼と一緒に、ここより広いアパートを探し回っていたの。どうかな? こんなこと、勝手に決められないでしょう」

「引っ越しかぁ。そうだよな。二人だけなら不自由はないけど、子供が生まれるとそうはいかない。こんな狭い部屋じゃ子育てなんか出来ないよな。どこか良い所があると良いんだけど」

「そう言うと思って、決めてきたの。ここより少し離れた所に2LDKのアパートがあって。あっ、お金の事なら心配しないで。彼、この四日間、ホストクラブで働いていて、そのお金の全てを私にくれたの。もう敷金礼金も払ってきたわ。大金だったから、しばらくは家賃の心配もないしね」

「新しい部屋で、新しい家族との生活かぁ~」

 しみじみ思い感無量の涙を見せた。

「もう、泣き虫なんだから。父親としての自覚を持ってくれなきゃ」

「そうだ! 子供の名前は、男なら『やすし』、女の子なら『まゆ』だよね」

「元気な子が生れて来るのなら、男の子でも女の子でも、どちらでも良いわ」

「いっそ、男女の双子が生まれてくれないかな~。人間として生れたかった妖精の生まれ変わりだと、本当に最高なんだけど」

「そうね、男女の双子だったら、良いのにね」

 気の早い僕は、赤ちゃんの存在が感じられるのかと思い、リノちゃんをソファに座らせると、その隣に座ってゆっくりと彼女のお腹に手を当てた。

「まだ早いわよ」 

 と、くすぐったそうに笑うリノちゃん。でも、僕がお腹をさすることでお母さんになる喜びを実感しているようだった。

「もしかして、鼓動なら聞こえるんじゃないかな」 

 僕は、赤ちゃんの心音が聞こえないかとリノちゃんのお腹に耳を当てる。

 新たな命が生まれようとしていた。僕達は生れて来る子が、妖精の生まれ変わりであることを心から願うのだった。


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