新婚
月日は流れた。
僕はリノちゃん(立花梨乃)と結婚し、二人の新婚生活が始まった。
僕とリノちゃんは、彼女のお父さんから紹介してもらったNGOの職員として、日本と海外を往復する仕事が多く、よって、生活の拠点を海外に移し、日本に戻れば、僕の安いアパートでの二人暮らしが待っていた。
僕が秋葉原のアパートにこだわっているのは、マユとの再会を期待してのことだった。一回結実性、花は一回しか咲かないことは知っている。でも、それでも僕は諦めきれなかった。いつか花は咲き、マユがひょっこり帰って来るんじゃないかと淡い期待をしていた。マユが帰って来た時に困らないよう、僕は狭いアパートにこだわっていたのだ。
僕達の結婚式、当然、引きこもりだったリノちゃんには友人の出席者はいない。両親が涙ながらに、娘を宜しくと言って強く手を握り締めたことを、僕は胸の奥に刻み、必ず幸せにすると誓った。
「今日、集まってくれた皆様は、時には喧嘩もし、時には励まし合いながら一緒に成長して来た友達。そして、社会人として厳しさと仕事の楽しさを教えてくれた会社の上司、仲間、子供の頃から私達を温かく見守ってくれた親族の方々、私達二人が今ここにあるのは皆様方のお陰です。持つべきものは友達や家族。まだまだ未熟で至らない私達ですが、今まで同様のご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いします」
これこれ、これを言いたかったんだよなぁ、とスピーチで感無量の僕。リノちゃんが書いてくれたあいさつの文章を読み、自分で言っておきながら胸に響き感動するのだった。
泣き虫は相変わらず直らないようで、僕は終始泣いていて、寄り添うリノちゃんが恥かしそうにしていた。そんな僕達を、集まってくれた誰もが心の底から祝福してくれているのが分かり、ただ、ただ、感謝の気持ちで胸が一杯になった。
リノちゃんの両親が生活を援助すると申し出たが、僕達は断った。甘えは許されない。どんな苦労があろうとも、二人の力で困難を乗り越えて行こうと決意したのだった。
二次会では、友人達との馬鹿騒ぎ。リノちゃんにとって、新鮮で忘れられない思い出となったに違いない。
意外なことにリノちゃんは、僕と違って酒が強かった。独身時代、僕の前で一滴も酒を飲まなかったのは、酒に弱い自分に気を遣っていたからで、そう思うと、いつも気丈に振舞っている彼女が可愛らしく見える。きっと、雄花の妖精に、楽しい酒の飲み方を教えてもらったんだろう。楽しい酒の、うまさを知っているんだな。
ふと、そんな妖精の代わりに僕がなれるのだろうかと不安がよぎる。
「梨乃さんは、どうしてこんな奴と結婚したの? ほとんどボランティアだよ。まさか、弱みを握られて、渋々結婚したとか」
僕の知りたかったことを見透かしたように、友人Aが代わりに聞いてくれた。
「そんなことないよ。一緒にいて楽しいし、大好きだから、プロポーズも私の方からしたのよ」
とリノちゃんが僕をかばうように言うと、
「えー!」「うそー!」「信じられない!」
友人達の悲鳴。
「まあ、良い奴だし、大井のこと、頼んだよ、梨乃さん」
「良いなぁ、その言葉、友情ってやつでしょう。私、友達が一人もいないから……」
「僕達、友達だろう、梨乃さんはもう一人じゃないよ。困った時は、いつでも言ってよね……と言っても金は無い、休みも無い、ましてや人望も……まあ、温もりだけは与えられると思うんだけれど」
「それ、人の温もりって一番大事よ」
そう言ってリノちゃんは目を輝かせた。
「それはそうと、梨乃さんって、超が付くぐらいのお金持だったんだね。ご両親は凄いオーラーが出ていて、親戚の人達の乗る車、どれも高級車ばかりで驚いたよ。それなのに、なんであんな狭いアパートで暮らしているの? あ、そこは聞いちゃいけない話だったかな……」
「ううん。私達は友達って、さっき言ってくれたじゃない。聞きたいことがあるなら、遠慮しなくて、なんでも聞いて。そうね、二人で、タッくんと二人だけで生きていこうと決めたから。でも、結婚費用は甘えちゃった。だって彼、貯金がほとんど無かったんだもの」
僕の方をチラッと見て、リノちゃんがからかうように笑った。
「そうそう、こいつ、よっぽど困窮していたのか、金の無心に来たことがあったよな。中国に行くって言って、泣きそうな顔して家に来たんだ。相当お金には困っていたんだろう。もちろん、貸した金は、直ぐに返してもらったんだけどね」
「タッくんがみんなに迷惑掛けたみたいで、ほんと、ご免なさいね。あと、さっきの話の続き、狭い部屋も案外良いものよ。だって、いつも人の温もりを感じていられるでしょう。私、広い部屋にポツンと独りでいたから、楽しめる空間が落ち着くのよね」
そうリノちゃんが嬉しそうに言う。
そうだったのか、僕はてっきり、リノちゃんがお嬢様育ちだったから、狭い部屋が物珍しいのかと思ってた……。
「梨乃さんのごきょうだいも、立派な人達なんだね。病院の先生とか、弁護士だとか、みんな凄いよ」
「きょうだいで、末っ子の私だけがお金にならない仕事をしているのよね。呆れちゃうでしょう」
とリノちゃんが言って茶目っぽく舌を出した。
「そんなことないよ、立派だよ。みんな、そんな生き方に憧れていると思うよ。人のために何かをするって、誰にも出来ることじゃないんだから」
友人に励まされ、ますます仕事に自信がもてた。
僕に似たオタク友達。だけど、気心知れた親友でもあるのだ。そんな会話を間近で聞いていると、つい眼がしらが熱くなり、スーッと涙があふれ出る。
「コイツ、また泣いてるぞ」「うん、泣いてる」「式場でも泣いてて、こっちが恥ずかしかったよな」
「うるさいなー、僕は酒を飲むと涙もろくなるんだよ」
「嘘付け! スピーチの時、酒飲んでなかっただろう。お前は子供の時からよく泣いてた、特に感動ものには弱かったよなぁ」
友人に突っ込まれ、僕に恥かかすなよ、主役は僕なんだから、と声には出さず心の中で言い返した。
「ほんと、お前は酒が弱いな~、梨乃さんと大違いだ」
リノちゃんがそっとハンカチを取り出し、僕の涙をぬぐってくれた。
「オー、うらやましい! 僕達も早く結婚したいよな」
「お前達、結婚の前に、彼女を見付けるのが先だろ」
僕が仕返しとばかりに言うと、
「ご免なさいね、私に友達がいたら、みんなに紹介してあげるんだけれど」
と、優しいリノちゃんが申し訳なさそうに言う。
「いいよ、都会はレベルが高いから、僕らとは釣り合わないだろうからさ。でも、こいつが結婚出来たんだと思うと、何か自信が付いたよ」
「さあ、酒飲もう。ここは僕達のおごりなんだから、遠慮するなよ。お前、もっと飲めよな」
酒の強さだけが自慢の彼らが、酒に弱い僕に、やたら酒を進める。
「こいつ、アイドルと結婚するんだって東京に行ったはいいけど、成人式の時にかなり落ち込んでいて、いい気味だなと思っていたんだ」
ヌヌヌ、こいつら、そんなこと思っていたのか! 友達だろ、少しは心配してくれよ……。
「でもその後、彼女が出来たって言うから、てっきり嘘だろうと思ってた。こいつの名、大井卓也で、名前からしてオ・タ・クだろう、彼女なんて出来っこないと思っていたんだけど、本当だったんで驚いたよ。それに、紹介された梨乃さんを見て、更に驚かされたよ、芸能人と見間違うほどのルックスで。みんなで、やっぱり都会はレベルが高いなーって口々に言い合ってたんだ」
「私が、芸能人?」
「そう、梨乃さんは、とっても美人だよ。出会いの切っ掛けはなんだったの? ぜひ聞かせてよ。こいつ、なんにも言わないんだ」
そう言われ、リノちゃんと僕は顔を見合わせた。
花の妖精が引き合せてくれたなんて言えないし、言ったところで信じてはくれないだろう……。
すっかりリノちゃんも打ち解けている。彼らの言う通り、リノちゃんも友達の一員、夫として彼女に温もりを与えられたんだと思うと、少し気が楽になった。
「めでたく結婚したんだし、次は子供だな」
友人Aが言うと、
「あれするんじゃ……」と友人Bが言い、「子づくり……」と友人Cが言った。
「当然だろ、僕達は愛し合っている夫婦、夜が待ち遠しいよ」
結婚すると、こんな良いことがあるんだとばかりに僕が言うと、今までのしゃべくりがピタリと止まり黙り込んだまま。
なおもリノちゃんが話を続け、
「お風呂の水がもったいないから、いつも一緒にお風呂に入っているんだけど、それって普通よね」
と、更に追い打ちを掛ける。
「そ、そうだよな、結婚してるんだから……」
ボソッと呟くように友人Aが言うと、みんな真っ赤になりうつむいた。
リノちゃんがクスッと笑い、僕も釣られて笑った。
シャイなオタク友達。ついこの間まで僕も彼らと同類の仲間だったが、彼らより一歩も二歩も先に行った気がし、もの凄い優越感に浸ることが出来た。これも、リノちゃんのお陰、そんな彼女を気遣い、
「でも、酒が飲めるなら言ってくれればいいのに」
と言うと、
「だって、タッくんに嫌われると思ったから」
とリノちゃんが甘えた口調で言った。
「僕だって、少しぐらいは、お酒が飲めないとリノちゃんが楽しめないんじゃないかと」
「お酒が飲めなくてもいいじゃない」「遠慮しなくて飲めばいいのに」
そうお互いが同時に言って見詰め合う。
おっと、友達がいるのを忘れていた。彼らのうらやましそうな視線を感じ、気まずくなる。ついおのろけを言ってしまい気の毒なことをした。彼女無し、経験無しの彼らには刺激が強すぎたようだ。
ふと、そんな彼らと明暗を分けたのはなんだったのだろうか? と僕は考えた。アイドルを追っ掛けて上京した、たったそれだけの違い。その僅かな行動力の差が明暗を分けたのだと。さすがにアイドルと結婚は出来なかったけど、彼らの言う通り、リノちゃんは芸能人同然、夢は叶ったんだ。僕は鼻高々、誇らしかった。
この幸せを、友として彼らにも味わってもらいたいと強く思った僕は、なんて言えばいいのかと言葉を探す。
「まあ、そのうち、運命の人に出会えるよ」
と、僕は大人の対応で応えるのであった。
僕達は、誰もがうらやむほどの仲の良さで、充実した新婚生活を送っていた。
そんな僕の仕事は、植林・間伐、草刈りなどの森林保全活動が主な仕事で、さしずめリノちゃんの助手として手伝っているが、人手不足の会社にとって男手は貴重な戦力、僕は重宝されていた。
僕達の務める途上国の仕事場は、秘境と呼ばれた場所だったが、経済発展に伴い、ダムや道路、発電所などのインフラ整備が進み、川や森の環境破壊が急速に進んでいた。
こんな山奥にも車が走っている。環境破壊がこんな所でも進んでいるんだな。
森林を切り開き、工業団地や農地、リゾートが作られ、急激に森林が減少していた。花の妖精であるマユと生活していたからなのか、僕には植物達の悲痛な叫びが、痛みが分かる。道路によって森が分断され、枯れようとしているのだ。
でも、植物達の助けを求める声に、僕は応えることが出来ない。豊かになろうとする現地の人達に、『止めてくれ』なんて言えないよ。自分達が便利な生活を送っていながら、彼らに不便な生活を強いることなんてわがままだから。
僕は、僕の出来ることをすればいいんだ。と、そう自分に言い聞かせ、僕は自然を、山を蘇らせることを使命とした。残された森林も、自然な状態では再生が望めないほど著しく荒廃している。だからこそ僕は、森林再生のために我武者羅に働いた。
植樹や樹木の生育を促すための間伐に井戸掘り、とにかくリノちゃんの手助けがしたかった。現地の言葉を覚え、現地の人と溶け込む。僕は何故か子供達に人気があった。元オタクの本領を発揮し、日本のアニメや玩具などの強い見方のお陰で、子供達に好かれる存在になっていた。
笑うのは人間だけ。子供達には、心から笑える幸せを味わってもらいたかった。
仕事の合間、僕は久しぶりに、遭難し掛けた自分を助けてくれた村人に会いに行った。
村は僅かに霧におおわれ、その霧の先には、雲海が見える絶景が広がっていた。
『マユの花』は咲いていないものの、枯れずにいた。マユの花は村人が愛情を込めて育てていてくれたのだ。
そんなマユの花は、何故か幹が太くなり、一回り大きく成長していた。でも、これが本来の姿、メコノプシス・ホリドゥラの本当の姿なんだろう。枯れずにいたのは、ずっと成長し続けていたからかも知れないな。こうしてまた会えて、ほんとうに良かった。
現地の言葉が分かり、彼らから花の詳しい説明を聞いた。
「あの花は、稀に二度咲くことがあるんだよ。本来なら枯れるはずなんだが、あの花は枯れずにいる。生きようとしている、花を咲かせようとしているんだ」
きっと僕を気遣って、安心させるために言っているんだと思っていたが……。
「約束を破ってご免ね、マユ。でも、君のことは忘れられないんだ。こうして会いに来たことは、リノちゃんの公認だから、安心してよね」
月日が経つごとに記憶は薄れるどころか、むしろ強まっていた。マユのことは忘れられない。こうして会いに来たのもリノちゃんの許可を得ている。今もマユが好きであることは、お互い理解しているのだ。
あんな悲しい分かれ方をしたことをずっと気に留めていた。消える直前にマユが言った『好きでした』の言葉が脳裏から離れない。彼女の気持ちに、何故早く気付いてやれなかったのかと後悔するばかり。一日だけでも会って約束を果たしたい。僕はマユと約束したデートがしたかった。悔やんでも悔やみきれない、毎日そう思っていた。彼女を喜ばせてあげたかったと。
仕事が一段落し、僕達は日本に帰って来た。
部屋でくつろいでいると、
『ピンポーン』訪問者が訪れた。
肉体労働で疲れている僕に代わって、リノちゃんが玄関に向かった。
用事を済まして、すぐに戻ってくると思っていたリノちゃんが、玄関先で男と楽しそうに会話し始めた。
『梨乃』と呼び捨てにして、なれなれしい奴。一体、誰と話しているんだ。まさか、浮気相手? 僕がいるのに、堂々と浮気なんかしないよな……。
早くも二人の関係に危機? 血の気が引いた。
程なくして、リノちゃんに誘われて姿を現したホスト風の男が、「どうも」と礼儀正しく挨拶した。
見ると俳優・松本靖似のイケメン。
「彼が、私の妖精よ。ヤスシって言うの」
「梨乃がお世話になっています。今後とも彼女を宜しく頼みます。実は、俺一人じゃないんですよ」
玄関先でモジモジと影が動いた。そして、その影の主が入って来た。
「お元気でしたか! 御主人様」
マユだった。
「どうして?」
僕の疑問は当然。
「私達、何故か花が咲いたんです。御主人様の植えた場所が良かったのでしょう。今日は、御礼を兼ねて日本に遣って来ました」
「もしかして、二人は付き合っているとか?」
見るからにお似合いのマユとヤスシさん。でも、
「そんなことはありませんよ、私は御主人様だけが全てですから。ヤスシさんとは、兄弟のような関係です」
とマユに言われ、自然と笑みがこぼれる。
鼻を伸ばしている僕に呆れ、嫉妬したリノちゃんがツンツンと肘を当ててきた。