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メイドのマユ 秋葉原を行く  作者: 西一(にしはじめ)
一章 花の妖精
1/9

御主人様

 初めて投稿します。ジャンル的には何にあたるのでしょうか? 現実世界が舞台で、その中に妖精だけが現れるというもの。日常だけに、あまり変化が無く面白みが無いけれど、その分、読者と重なり置き換え易いと思うので、ニンマリと、読んでいる間だけでも一日の嫌なことを忘れる、そんな癒し的な小説になれれば良いなと思っています。

 

 目覚ましのアラーム音が、静まり返った部屋に響き渡り、夢の世界から現実の世界へと引き戻された。

 嫌々ながらも僕は手を伸ばし、アラーム音を消した。と同時に憂鬱のスイッチが入る。ああ、また無難な一日が過ぎて行くのだろうか。なんの記憶にも残らない一日が始まるんだ。カーテンの隙間から、温もりのある日差しが入って来てはいるが、吐く息は白く、布団から出るのにも勇気がいる。天井を仰ぎ見ながら僕は大きな溜め息を付いた。

 僕の名前は大井卓也おおいたくや、二十歳。みんなは僕のことをオタクと言うが、それは自覚している。でも、まあ、オタクと言っても、自分の中ではかなりイケている方だと思っているんだが……。

 憧れのアイドル・沢井真由さわいまゆちゃんに会いたくて、僕は上京し、長年夢見たオタクの聖地である秋葉原に住むことになった。多くの人が行き来する若者の街・秋葉原、人の往来が途切れることはない。

 独り暮らしを始めたことで誰にも邪魔されず、口うるさい両親からも解放され僕は自由を得たように思えた。だが、現実はそう甘くなかった。田舎暮らしの僕にとって、都会の生活はせわしなく、時間に追われる日々。当然、隣の人が誰だか分からない。

 人生の門出を祝う成人式の馬鹿騒ぎから一変、急に静かになった。ホームシックと言うやつで、部屋にいると無性に寂しくなる。早く、話し相手が欲しい。もちろん、彼女はいない。つくる勇気も無い。狭いアパートでの独り暮らし、やはり寂しい。恋人とまでは言わないが、話し相手の女性が欲しい。何より現実問題、お金が必要だ。生活していくうえで、お金は必要だから。

 将来の漠然とした不安に押しつぶされそうな毎日。僕はそんな現実にあらがうこともせず目を背けてばかりいて、実に情けない青春を味わってきた。これからも、この先も、このままだと、あり得る。

 

 春を迎えた四月、不規則な生活がたたってか風邪気味で体がだるい。

 手先の器用な僕は、料理は得意な方で、上京したての頃はマメに自炊していたのだが、そのうち、バイトが終わってからの自炊や掃除、洗濯などが面倒になり、だらしない生活を送るようになった。何せ自由気ままな独り暮らし、注意する者がいないから、ついだらけてしまう。食事もコンビニ弁当やインスタントが中心で、いつ体を壊してもおかしくはない。将来の展望が見えず、滅入るばかりだ。

 そんな僕のハマっているのが、メイド喫茶。癒しを求めて週二回は通っている。本当は毎日でも行きたいのだが、バイト生活でお金に余裕がない。別にお目当ての子がいる訳ではないが、あの空間、あの奉仕、まるで別の世界にいるような感覚。ひと時の間、嫌なことを忘れ癒されるのである。

 

 バイトの帰り道、メイド喫茶の子に何か気の利いた手土産を、と思っていた時、目の前に見慣れない骨董屋が映った。あれっ、あんな所に骨董屋なんて、あったっけ? いつの間に出来たんだろう。

 よく通る道だが、意識していなかったのか、その店はこつ然と出現した感じだった。 

 ふと僕は思った。ありふれた物ではなく、個性的な物をメイドさんにプレゼントすれば、きっと喜んでくれるだろうと。話す切っ掛けになれば良いと思い、財布の中を覗き込んだ。所持金三万円、派遣先の軽作業スタッフとして働く僕にとっては大金だ。

 アンティーク品だから値は張るが、小物のアクセサリーなら一万円ってとこか。この際、少々の出費は仕方ない。

 秋葉原には似つかわしくない骨董屋。不思議に思いつつも、僕は吸い込まれるように骨董屋へと歩み寄った。 

 その時、店の中から、女の人が凄い勢いで出て来た。

 あわやぶつかりそうになり僕の目の前で止まると、その彼女と目が合った。綺麗な人だったが、見るからに気弱そう。そんな彼女が、

「あのぅ、止めた方がいいですよ」

 そう僕に告げると、慌てた様子で走り去った。

 当然、僕には彼女の言っている意味が分からず、気に留めることなく店の中に入った。

 ギャラリーを見渡して僕は目が剥けた。何故なら、陳列してある品々がどれも高価な物ばかりで、安そうな物が見当たらなかったからだ。

 場違いな所に来てしまったと思い、慌てて出口を探そうとしたが、日焼けした初老のおじさんがレジの前で待ち構えている。やけに彫りの深い顔立ち、どうやら日本人ではなさそうだが、無言のままジッとこちらの様子をうかがっていた。

 冷やかしに来たのかと勘違いしているんじゃないのか? 店主の鋭い視線、実に居心地が悪い。

 怪しげな店。奥の部屋に怖い顔をしたお兄さん方がいて、何か因縁でも付けられそうな、そんな雰囲気を醸し出している。何も買わないで出るのは気まずい。いや、非常にまずい。

 何か一つでも、と思い辺りを見回した。その時目に映ったのが、手の平サイズの小さな草花の苗で、それがこの店の中で一番安そうに見えた。

 花なら安価だろうと、安易な考えでその苗を選び急いでレジに向かった。僕は一刻も早く、この怪しげな店から出たかったのである。

 千円もしないだろう安っぽい花の苗を店主に手渡すと、

「お客さん、お目が高い。見た目は悪いが、綺麗な花を咲かすんだよ」

 と流暢な日本語で話し掛けてきた。

 別にぃ、花なんかに興味はないんですがぁ、と思うも、さすがに口に出しては言えない。

「これは中国奥地に咲く幻の花で、言い伝えでは、花が咲く時、育てた人を幸せにするという、そんな貴重な花なんだ。本来の花は、もっと大きくて環境にも敏感だから、自宅で栽培するのは難しいけれど、これは観賞用なので、小ぶりで育て易いよ。今は休眠状態だけど、日当たりの良い窓際に置き、絶えず水を与えてやると、いつか綺麗な花を付ける。君は男だから、その雌花が良いな。花などの植物は、動き回る動物と違って自ら動くことが出来ない。そのため、育ての親、つまり君に尽くすんだ。きっと、君に合った君色の花が咲くよ」

 あのぅ、何を言っているのか分からないんですけど、と心の中で店主に突っ込んだ。

「で、いくらですか?」

「お安くしときますよ、ええと、五万円で」

「ごっ、五万円!」

 甲高い声が自然に出た。

「今は、その……三万円しかなくて……」

 青ざめた僕は、後ろの部屋から今にでも怖いお兄さんが出て来るのではないかと警戒し、身構えた。

「希少な花なんだが、仕方ないね~、よし、サービスだ。三万円でいいよ」

 今更断れない。僕は財布の中の三万円と苗を交互に見ながら、まさかこれって、まんまと騙されたのか? こんな安っぽい苗が三万円って、有り得ないよなぁ。

「つい先ほど、同じ苗が売れたんだよ」

 ああ、さっきの、僕に忠告してくれた人のことだな。じゃあ、あの人も同じ物を買ったんだ。彼女は僕に、ヤバそうな店だって親切に言ってくれたのに、無視したから罰が当ったのかも知れないな。 

 やっとのことで店から開放され、僕はホッとしたが、その代償は大きかった。二か月分の小遣いが一瞬で無くなり、唯一の楽しみであるメイド喫茶に行けなくなってしまったのだ。

 しばらく店には行けないよ……。

 メイド喫茶の中を羨ましそうに覗き込み、そして通り過ぎた。僕は怒りにまかせて苗を投げ付けようとしたが、思いとどまった。悪いのは騙された自分で、花には罪はない、と。

 アパートに帰った僕は、日当たりの良い窓際に苗を置き水をまくいた。水分を吸い取った苗は休眠状態から目覚め、発育を始めたように見えた。まるで生命が宿ったように。

 怪しげな店の店主に言われた通り、せっせと水をまき世話をした。独り暮らしの僕にとって、植物だけが唯一の話し相手。もちろん、話し掛けても返事はない植物だが、人間と同じように生きているんだ。たった一つの苗があるだけで、暗かった部屋がガラリと様変わりした。一体どんな花を咲かせるのか、僕は花の咲くのが待ち遠しくなり、愛着が湧いてきたのだった。


 やがて、花芽らしきものを発見、その芽は徐々に大きく膨らみ、開花が間近に思えた。

 翌朝、目を覚ました僕の耳元で、突然声がした。しかも女性の声。

「お目覚めですか? 御主人様」

 知らない女性が、覗き込むように自分を見詰めている。

 寝ぼけていた僕の目が見開いた。

「……ご主人、様? 僕のこと?」 

 僕は目をこすり、寝起きでボケている目を細めピントを合わせた。

 ジワリと目の前のおぼろげな顔が浮かび上がる。しかも見覚えがある顔。目尻の下がった、可愛らしさを象徴するタレ目。その大きくキラキラした黒い瞳は綺麗で、アヒル口が似合いそうな小さい唇。そして、怒ることを知らなそうな優しい表情。目の前には憧れのアイドル・沢井真由似のメイドがいた。

「き、君は誰? どうしてここに……」

 当然の疑問が浮かぶ。

 ワンピースにフリルの付いたエプロンを組み合わせたエプロンドレスに、白いレースの小さな頭飾り。エプロンドレス姿は、まるでメイドそのものである。でも、茶色を基調とした黄色ラインが映えるタータンチェックの服装は、日本とは違う、何か外国の民族衣装のようにも見えた。

 地味なメイド服だが、彼女が着ると、まるでアニメに出てくるミツバチのように可愛い。何より、白く透き通ったスベスベの肌に目を奪われた。

「わたくしを育ててくれてありがとうございます。今度はわたくしが、御主人様に尽くす番です。なんなりとお申し付け下さい」

「僕に、尽くす? 君は一体?」

 彼女がおもむろに指差した。彼女の差す方を見ると、窓際に置いてあった苗が、ピンク色に近い花弁を咲かせていた。

「まさか、そんなはずは……」

 細い目のまま彼女と花を交互に見比べた。

「わたくしは、あの花の妖精。花の一生は短いものです。わたくしはその短い間に、御主人様に幸せになってもらうために生まれて来たのです」

 花の妖精だって? どう見ても人間にしか見えないんだけど……。

 僕は、彼女の言っていることが本当なのか確かめたくなった。でも、露骨に触ったりは出来ない。ここは無難に握手を求めた。

 差し出された小さな手は、すぐに壊れてしまいそうなくらい弱弱しく、細くて綺麗な指はまるで作り物のようだ。それでも彼女と握手をすると、とっても柔らかく手の温もりが伝わってくる。左手首にはめた黄色のフワフワした布製のリストバンドがお洒落で、発光バンドなのかわずかに輝いていて、何かの信号のように見えた。

 アニメとかでよく出てくる妖精ものって、尻尾が生えているんだよな。そう思ってチラッと彼女のお尻を覗き込むように見ると、やっぱり生えてない。

「あのぅ、お尻、好きなんですか?」

 と聞いてきた彼女が、僕の方にお尻を向けた。

「ち、違うよ!」

 慌てて誤解を解こうと声を荒げて言う。でも、キュンと引き締まった小ぶりのお尻、興味ない訳がない。

 思わずキツく言ったから、怒るんじゃないかと案じていが、

「ご免なさい、失礼なことを言って」

 と、怒るどころか笑顔を見せた。まさに天使の微笑だ。

 時折見せる彼女の、ちょこんと首を傾げる仕草が可愛らしい。その自然に身に付いた癖がアクセントになって僕の心を刺激する。その仕草、たまらないなーと。

 こうして彼女を見ていると、紛れもなく人間そのもの、僕と同じなんだな。でも、夢じゃないだろうか? いつもの朝のように、良い所で目覚ましのアラーム音が鳴り、夢の世界から現実の世界へと引き戻されるんじゃないのか。そう思って、

「僕の頬を、ツネってくれる」

 彼女に頬をつねってもらうと、

「痛っ!」

 夢じゃない! 夢なんかじゃない、現実なんだ。リアルな触れ合いに僕は感激。

「ご免なさい! 御主人様」

「いや、いいんだ、謝らなくても。あ、そうそう、君の名前、名前はなんて言うの?」

「わたくし、生まれたばかりで……名前は……」

「そう、名前、無いんだね」

 彼女が恥ずかしそうにコクリと頷いた。

「恥ずかしいことじゃないよ、名前が無くても。じゃあ、僕に名前を付けさせてよ、君に似合う名前を考えるからさぁ」

 そう僕が言うと、彼女が嬉しそうに、「お願いします!」と大きな声で言ってくれた。

 花の妖精だから、ハナかな、いやいや、大事な名前、そんな安易に決められないよ……。

 思案する僕の顔を見て「ご免なさい、無理なことをお願いして」と言った彼女が、

「それにしても、何故、わたくしの写真が貼ってあるのですか?」

 と僕の部屋を見渡しながら言った。

 壁一面に沢井真由ちゃんのポスターが貼ってあるから、僕は彼女が誤解しないように説明した。

「あれはアイドルの沢井真由ちゃん、君とは別人だよ。もの凄く好きなんだけど、僕なんか相手にしてくれないよ」

「わたくしに似た人が好きだなんて、すっごく嬉しいです!」

 ありえねー、こうして写真と見比べると、憧れの沢井真由ちゃんに似ているどころじゃない、それ以上に可愛いかも。

 化粧で美しく変身した芸能人とは違い、彼女はスッピン。メイクなんてしていない自然体じゃないか。まさかこれって、不幸な男の願望を叶えるテレビのドッキリじゃー。

 僕は部屋の隅にカメラが仕掛けてあるのではないかと辺りを見回した。もちろん何も無い。

 ふと、怪しげな店の店主の言葉を思い出し、そして気付いた。『自分色の花が咲く』とは、僕好みの女の子が生まれて来るってことだったのかと。

「そうだ! マユ、君の名前、マユちゃんでどう?」

 沢井真由ちゃんに似ている彼女を見て、そう名付けた。

「マユ、ですか、素敵な名前ですね。ありがとうございます、御主人様」

「そう、君の名前はマユちゃんだ」

「マユちゃんではなく、『マユ』でいいですよ。そう呼んで下さいね、御主人様」

 目の前に理想のメイドがいる、目の前に。

 超至近距離で見詰め合う。花の妖精とあって、凄く良い香りが体中から放たれている。それは香水のような鼻を直接刺激する人工の物ではなく、自然になじむ柔らかな甘い匂い。更に、彼女の吐息が顔に当たる。僕はメロメロ、心奪われそうになった。

 僕よりも小さな体なのに、そこから放たれるオーラが半端なく輝いている。超絶可愛い! ズキューンと僕のハートが射抜かれる。君を見ているだけで、心が癒されるよ。

「わたくしの顔に、何か付いていますか?」

 マジマジと見詰める僕にマユが言った。 

 ハッと我に返り、

「いや、別に何も……」

 彼女に夢中で、息をするのも忘れるぐらい見とれていたなんて知られたら気まずい。あえて平静をよそおった。

 こうしてマユをマジマジとは見れないけど、手の届かないアイドルとは違い、目の前にいてくれる。擬似恋愛とは違い、恋愛対象として僕はもの凄く萌え、いや、好きだ! 声高々に言いたいよ。

「そうだ、記念に」

 僕は携帯を取り出し、マユと顔を合わせてツーショット写真を撮った。

「わー、御主人様とわたくしが一緒に映っています」

「こうして映っていると、いつも一緒にいるみたいだろう」

 その時、手に持つ携帯の着信音が鳴った。

「これ、母さんからの電話だ……でも、いいや」

 僕は電話を切った。その電話が現実へと引き戻される内容だと知っていたからで、興醒めすることを恐れた。

「御主人様、どうして電話に出ないのですか?」 

「どうせ、ろくな話じゃないんだ。正社員になれとか、早く戻って来いだとか、ほとんど僕に対しての愚痴だよ」

 マユとの親密な時間を過ごしていると、いつのまにか七時を過ぎていた。

「せっかく良いところだったのに……仕方ない。僕はこれから仕事に行って来るから、絶対に、絶対にここにいてよ。外に出ちゃいけないからね。約束だよ。今月は職場か近くだから、五時に終わったとして、五時半、いや、五時二〇分には戻って来るから、ね」

 僕は必死でマユに説得した。

「わたくしは、御主人様の約束は絶対に守ります。どこへも行かず、いつまでも待っています」

 そう言われ僕は頭を掻きながら、大人気なかったと反省した。 

「それじゃー、行って来るよ」

「御主人様、ちょっと待って下さい、行ってらっしゃいの挨拶をしないと」

 とマユが言いながら駆け寄って来て僕の頬にキスをした。生まれて初めての、しかも理想の彼女にキスをされ僕は再びメロメロになる。

 後ろ髪を引かれる思いで僕は会社に向かう。当然、足取りは重かった。


 仕事中にも関わらず、僕は終始ニコニコしていて夢見心地だった。仕事が手に付かない。

 心ここに無いといった感じの僕を見兼ね、バイトの先輩が、

「何か良いことがあったのか? 随分とご機嫌だな。はは~、さては女でも出来たんだろ」

 と僕をからかった。

「ち、違いますよ~」

「そうだろうな、お前みたいなオタクに女が出来る訳ないか」

 先輩にからかわれるものの、それが出来たんだよな~、それも、飛びっ切りの可愛子ちゃんだぞーと、心の中で先輩に言い返した。

 それまでの人生で自慢出来るものが何も無かった僕が、マユのお陰でしばし優越感に浸ることが出来た。先輩も、彼女を見ればきっと羨ましがるだろうな~と。

 そんな自慢のマユを思い出すと、猛烈に会いたくなった。一刻も早く帰りたい。何故か仕事の時間が異常に長く思えた。仕事は嫌なもの、でもこんなに長いと思ったことは今までに無かったことである。

 待ち侘びていた終了を告げるチャイムの音がして、僕は誰よりも先に職場を出た。

 もう独りじゃないんだ。そう思うと、それまでの漠然としていた不安が吹き飛び、心が躍る。彼女が出来るということはこんなにも嬉しいものなのかと、生活空間を共有する男の幸せな気持ちが分かった。一人の男として贅沢を味わえる。モテ男の領域に足を踏み入れ、僕は無意識の内にガッツポーズしていた。

 やはり、待っている人がいると思うと足取りが軽い。

 そうだ、マユの喜ぶ物を買って帰ろう。そう思い立ち、僕はコンビニに寄った。

 基本的には花なんだから、ミネラルウォーターのペットボトルを数本、買っておこう。マユ、喜んでくれるかな。

 帰りすがり、あの骨董屋にも立ち寄った。店主にお礼と、花の詳しい話を聞きたくて。でも、そこに店は無かった。あるはずの店が無い。いや、店自体が無くなっていたのだ。

 ……元々、店は無かったのかも知れない。あれは夢だったのか? マユ自体、存在しなかったのか? いや、握手した時の感触と手の温もりは今でもハッキリと覚えている。出掛ける間際、駆け寄って来て、僕の頬にキス、いや、あれは、あいさつ代わりのキスだけど、してくれたんだぞ。

 僕は慌てて携帯を取り出した。携帯の待ち受け画面には、今朝、マユと撮ったツーショット写真がハッキリと映っていた。夢じゃない、夢なんかじゃなかった、現実だったんだ。じゃあ、店はどこに行ったんだ? 辺りを見渡したが、やはりどこにも無い。とにかく最後まで不思議な店だった。


 アパートに近付くにつれ、良い匂いがした。それは晩御飯の匂いだった。

 玄関のドアを開けると、「お帰りなさいませ、御主人様」と即座に声がした。

 これこれ、このセリフが聞きたかったんだよな~。しかも、憧れの沢井真由ちゃんが、僕だけに言ってくれているんだ、夢のようだな~。

 僕の言い付け通りに、マユは約束を守って外出せずに待っていてくれた。

 玄関には何故か、お米と沢山の野菜が置いてあった。

「母さん、来ていたのか。そういや、電話に出なかったからなぁ」

「お母様から、電機やガスの使い方を教えてもらって、一通りのことは出来るようになったので、頂いた食材で料理したのですが、御主人様のお口に合いますかどうか?」

 見ると、野菜炒めに焼きナス、オムライスやきんぴらごぼう、玉子スープにポテトサラダなどの料理が、小さいローテーブルに並べられている。

「美味しそうな料理だな。君、料理が出来るんだね」

「もちろんです。わたくしの役目は、御主人様に喜んでもらうことですから。お母様が、御主人様の健康を気遣って、沢山の野菜と新鮮な卵を持って来て下さったので、その食材を使った有り合わせの料理になってしまいましが、お肉があれば、肉じゃがとかロールキャベツなどの肉ものの料理も作って差し上げたかったのですが……」

 料理されたおかずを一口含むと、絶妙な味が口の中に広がった。

「うまい! この野菜炒め、シャキシャキ感があって野菜のうまみが出ている。味付けが最高! ご飯が進むよ。それにこのオムライス、玉子がフワフワしていてとっても美味しい。何より、バリエーションが豊富。あんなありきたりな食材だけで、色んな料理が出来るんだね。君は、本物のメイドだな」

「わたくしが、メイド? ですか」

「そう、君みたいな子をメイドって言うんだよ。メイドとは昔、清掃・洗濯・炊飯などの家事労働を行う使用人で、住み込みで働く女性のことをメイドさんと呼んだらしい。現代では萌えの対象なんだけどね」

「もえ、って、なんです?」

「可愛いってことだよ」

「じゃ、わたくし、メイドのマユですね」

「そう、君はメイドのマユだよ。とかく男の独り暮らしは食事に苦労する。マユの手料理は助かるよ」

「御主人様に喜んでもらえて嬉しいです。明日からは、お弁当もお作りしますね」

 嬉しそうにマユが言う。今まで見せたことのないマユの笑顔だった。

 本当に僕の喜ぶのが、マユにとって嬉しいことなんだな~。

「さっきから見ているばかり、マユも一緒に食べなよ」

 一向に箸を付けようとしないマユに言うと、

「わたくし、お水だけしか飲めないんです。あとは、味見するぐらいですかね」

「そうなんだ。まあ、植物だから当然だな。無理して食べなくてもいいけど、こういう時は一緒に食べるのが楽しんだけどなぁ」

 付き合いが出来ず申し訳なさそうに、僕が買って来たミネラルウォーターの水だけを飲むマユ。そうは言っても独りで食べる寂しい食事より、マユと一緒に、彼女に見詰められながらの食事の方が断然楽しい。

「母さん、何か言っていた?」

「いいえ、わたくしの顔を見て、ただ黙って笑っていらっしゃいました。引き留めたのですが、お母様は用事があって、タクシー? でしたか、待たせてあると言って、直ぐに帰られました」

「こんな若者の街に、用事なんてある訳ないじゃないか。母さん、気を遣ったんだろう。ん? 待てよ、この状況、ヤバイ。君が花の妖精だなんて知らないし、変な期待をしたんじゃないのかな。まったく、母さん、来る間が悪いよ」

 僕は頭を掻きながら、嬉しいやら困るやら、複雑な表情でマユを見詰めた。僕自慢のメイドのマユを。

 僕のマユ、僕だけのものだ。誰にも見せたくないし、誰にも渡したくはない。彼女を独り占めしたい強い独占欲が、ふつふつと僕の中で湧き起こっていた。


 開花から二日目。

「お帰りなさいませ、御主人様」

 何度聞いても癒される言葉、耳に余韻が残る。

 普段は意識することのない部屋の空気が、花の妖精であるマユのお蔭なのか、ほのかな甘い香りがただよっていて、美味しいとさえ感じる。もちろん、目に見えず味もしない、触れても感触の無い空気だが、部屋の空気を浄化しているのだろう、むさ苦しい部屋にいながら、まるで森の中にいるみたいだ。

 仕事から帰ると、真っ先に花に水をやるのが僕の日課となっていた。

 マユ自身、自分のことは出来ないらしい。光合成によって成長する植物にとって、水・空気・光はなくてはならない大事なもの。なかでも水は、植物の生育には欠かせない。こうして水をやることだけが唯一、僕がマユにしてやれる行為だった。

「ありがとうございます」

 マユと一緒になって花に水をまいた。

「御主人様、わたくしに何かすることはありませんか?」

 マユが部屋の周りを見回しながら、僕にして欲しいことがないかを聞いた。

 部屋の隅々まで綺麗に掃除してある。窓もベランダも汚れがない。引っ越して来た時以上に綺麗に片付いていた。

「これ、君一人でやったの?」

「はい、一日中掃除をしていました。あと、洗濯機の使い方を教えて頂ければ、お洗濯もやっておきますよ」

「だから部屋中がピカピカなんだ。まさか君、寝ていないんじゃない?」

「御主人様が出掛けている時に、眠ったりはしません。わたくしは絶対に、御主人様が寝ないと寝ません」

 そうマユが言い切った。

「馬鹿だなー、寝ればいいじゃん」

「大丈夫です、眠たくはありませんから」

 僕に心配掛けまいと、マユは気丈に振舞った。

 夜がふけ、恒例のお喋り会が始まった。

 お喋り会とは、僕が一方的に喋りまくる会で、趣味の話や、世の中のことを得意になって自慢する。

 マユは凄く聞き上手。たわいもない話でも嫌な顔はせず、食い入るように話を聞く。だから一日中話ししていても飽きず、ひたすら喋りまくった。

 僕が小学生だった頃の話をした。一人の生徒にいたずらをした話。それはイジメとかではなく、よくある遊びの延長のようなもの。でもマユは可哀そうだと言う。

「え~、酷いじゃないですかぁ」

 優しいマユ。そんなところも大好きな理由だ。でも、

「じゃ、マユはどっちの味方なんだよ~」

 あえて不満そうに言うと、マユが慌てて言った。

「もちろん、御主人様です。きっとその方、御主人様に悪いことをしたんですよね、いたずらされて当然です」

 いつだってマユは僕の味方、見守られている感じがして心強い。

 時間を忘れ話は続く。至福のひと時、メイド喫茶では味わえない贅沢な時間。それも、時間やお金を気にすることはない。なんて自分は幸せ者なんだろう。当然、テレビなんて観ていられない。もちろん、大好きなゲームも。寝る時間がもったいないぐらいに、マユと一緒にいる時間が貴重に思えてくるのだった。

 可愛いだけでなく、マユにだって特技がある。計算が得意で、暦にはやたら詳しい。天気予報は百発百中で当てるから、気象予報士顔負けの正確さに驚かされる。何せ、時間単位で当てるんだ。例えは悪いが、犬の嗅覚は人間の一億倍って言うし、植物に驚くべき能力があっても、なんら不思議なことじゃないんだよな。

 また、マユは星にも詳しい。真っ暗な夜、花は唯一、輝いている星しか見れない。自然と星に詳しくなるんだろう。だからなのか、彼女はベランダに出て星空を見るのが好きだった。二人してベランダに出ると、星に関して色々と教えてくれる。気の毒なことに、大気の汚れた都会では数えるほどしか見えないが。

 これらのマユの特技は、植物が生き抜くため、季節の変化に敏感に対応する本能(DNA)が生まれながらに備わっているのだろう。

 深夜、周りに気を遣い小声で話す。その時、星が流れた。

「星が流れている間に願いごとをすると、その願いが叶うというよ」

 また流れた。僕とマユはとっさに両手を合わせて一心に願った。

「マユ、何をお願いしたんだい?」

 僕にとって一番気になる質問。

「え~、秘密です~。でも、言わないと駄目ですか?」

「言いたくなければ、言わなくていいよ」

 僕が知りたいと言えばマユはきっと答えるだろう。でも、そんな困った顔で言われると聞けないよ。何より、素敵な主人に巡り会えますように、なんて言われたらショックだもんな。僕はもちろん、『ずーーっとマユと一緒にいれますように』なんだけど。いつか花は枯れ、マユと分かれることは分かっている。でも、僕には星に願うことぐらいしか出来ないじゃないか。僕の願い、叶うかな……。

 夜が明け、次第に明るくなってきた。新聞配達のオートバイが前を通り過ぎる。

 人々の活動が始まった。また嫌な仕事が始まる。マユと離れ離れになると思うだけで、気持ちが沈んだ。

 

 その日の夜、仕事から帰った僕は、狭い部屋でマユと生活を共にするうちに本能が刺激され、男として抑え切れない情欲が暴走する。 

「マユ、君は僕の願いをなんでも叶えてくれるんだよね」

「はい、御主人様のためならなんでも致します。なんなりとお申し付け下さい」

 そうマユはつぶらな瞳で答えた。

「……君の、マユの、はっ、裸が見たいんだ。女の人の裸が……」

 押し留めていた欲望の声が、思わず出てしまった。

「えっ?」

 僕の言葉に、マユは驚いた様子で瞳をパチクリと見開いた。

 君の裸が見たい、だなんて、ど・ストレートな言い方をして、もっと気の利いた言い方はなかったのか……あーあ、今、完全に引いたよ。

 まともにマユを見れず、僕のことが嫌になったかなぁと、気まずくなりうつむいた。

 やっぱり言うんじゃなかった。と思いつつ後悔するが、期待を込めてチラリとマユの方を見た。すると、

「いいですよ、御主人様。わたくしなんかでよければ、喜んで」

 マユが笑顔で答えた。

 今、喜んで、って言ったよな。本当にいいのかな?

 彼女は疑うことなく、僕の目の前で服を脱ぎ出した。

 マジで! ……憧れの沢井真由ちゃんの生の裸が見れるんだ。言ってみるもんだな、これこそ究極のご奉仕だ! 無意識にこぶしを握り締め、目を大きく見開いた。誰にも見せたくない間抜けな顔であることすら忘れて。

 頭飾りのカチューシャを外すと、束ねてあったサラサラとしたツヤのある長い髪がなびき、可愛らしかったマユが一変、色っぽさが溢れ出た。当然、僕の興奮度は否応にも増す。

 マユがなまめかしい下着姿になり、いよいよという時に、彼女の様子が違っていることに気付く。それまでとは違う、今まで彼女が見せなかった恥じらいという仕草だろうか、一瞬、悲しそうな表情を見せたのだ。

『喜んで』と言っていたが、マユの悲しそうな表情を見て、僕はふと我に返った。これは、この行為は……そもそも二人に愛が無いじゃないか。こんな子とエッチ出来るなら、死んでもいいとさえ思う。でも……僕に尽くしてくれているマユが余りにも可愛そうだ。愛が無いのに、そんな行為出来ないよ。それじゃ、援助交際と同じじゃないか。こんなに献身的に尽くしてくれているのに体目当てだなんて、ああ、僕はなんて最低な人間なんだ!

「まっ、待って! そのまま。ご免ね、嫌な思いさせて」

 いたたまれず引き留めると、

「えっ、エッチしないんですか?」

 マユが不思議そうな顔をして僕を見詰めた。 

 一瞬、僕は聞き間違いかと耳を疑う。だって、こんな可愛い女の子の口から『エッチ』なんて言葉が出て来るとは思いもしなかったから。でも、生まれたばかりで、なんでそんなこと知ってるんだ? 育ての親が僕だから、その下心が、煩悩が彼女にも移ったのかな……。それだけを考えて生きている訳じゃないんだけど。ああ、情けない。

「そんな格好じゃ、目のやり場に困るから、服を着てよ」

 と本音とは裏腹なことを言いつつ、やはり下着は花柄なんだな~と、しっかりと見ていた僕。ああ、実に情けない。

「御主人様、大丈夫ですか? 顔がもの凄く赤いですよ。でも、人間も花のように色が付くんですね。素敵です」

「人間、恥ずかしい時、顔色は赤くなるし、びっくりして驚いた時には青や白色にも変化するんだよ」

 好きになった時も赤くなるんだ、とはあて言わなかった。マユのことを好きだと知られたら気まずい。

「ちなみに聞くけど、エッチってどういう意味だか知ってるの?」

「えーと、男の人と女の人が裸になって、その~、抱き合って、あの~、じゅ、じゅ、じゅ、受粉」

 そう言った途端、恥ずかしさのあまり「いゃー!」と声を上げたマユが、慌てて真っ赤に染まった顔を両手で隠した。

「もう、そんなに恥ずかしいなら言わなくていいよ」

 あの恥ずかしがりよう、なんてウブなんだろう。受粉かぁ、言ってることは合っているんだよな、実にマユらしい。にしても……。

「嫌なことは、きっぱりと断って欲しいな~」

 と僕が言うと、マユが慌てて、

「嫌だなんて……わたくし、したいです。御主人様となら…」

 言い掛けるマユを遮るように、

「いいから、いいから、そんな見え透いた言い訳は」

『僕としたい』って、女の子から言われたい夢のような言葉なんだけど、こういうの、無理して言われるとかえって辛い。

「じゃあ聞くけど、マユは人前で裸になるのは恥ずかしくないの?」

「御主人様の前で裸になるのは、すっごく恥ずかしいです。ドキドキしちゃいました。でも、御主人様が喜んでくれるのならと思い」

 ほら、僕に気を遣って言ったんだ。やっぱり、無理していたのか……引き留めて良かったよ。

 そう思った僕は心を鬼にして、

「恥ずかしいなら、恥ずかしいって言ってよね。僕が悪者になってしまう。傷付くんだよ」

 と、あえて語気を強くして言った。

「……ご免なさい」

「あと、それ、直ぐに謝る。別に悪いことした訳じゃないんだし、僕に謝ることなんかないんだよ」

「ごめん、あっ、ご免なさい」

 そんな困った顔で見詰められると、たまらないな~。

「別にいいよ、気にしなくても。どうやら『ご免なさい』は君の癖なんだね」

「優しいんですね、御主人様は……」

 てっきり怒られると思っていたのか、僕の言葉で安堵の表情を浮かべた。

 ほらまた、そのつぶらな瞳で見詰められると、参るんだよな~。

 僕のことが優しい、か。ただ気が弱いだけだよ。普通なら呆れられ、愛想付かされるんだけど、君は僕の天使だ……なんて従順な子なんだろう。嫌なことでも僕の喜ぶことはなんでもしそう、人殺しもやりかねないよ。よくよく考えて言わなくちゃ、彼女を不幸にしてしまう……。でも、従うばかり、愚痴を言わず働くばかり……何か物足りない。僕に甘えて欲しい、わがままを言って欲しいのになぁ~。

 強い従順さの中にあって、マユの個性、わがままな姿を僕は見たかった。 


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