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どこかの深い海の底

作者: 四ツ角

よろしくお願い致します。

 夜になると、あたしの部屋は真っ暗になる。

 あたしは豆電球を点けないの。どうせ、ママが消してしまうから。目を瞑れば少し位明るくても一緒だと言って。

 あたしは、掛布団をそっと首元にまで持っていって、一つ息を吐いてから、目を瞑る。

 少しだけウトウトしてきた。けれど、ウトウトすると決まって、ママとパパのケンカの声が聞こえてくる。最近は、毎晩。

 そういう時、あたしは、掛布団の中に頭ごと入って、膝を抱える。幾分、ママとパパのケンカの声が小さくなるから。

 まるで、ママのお腹の中に戻った赤ちゃんみたいとあたしは思う。

 けれど、パパの低くて、しゃがれた声は聞こえてきて、ママの甲高い叫び声が聞こえてくるとき、あたしはケンくんを思い出すことにしている。

 あたしの好きなケンくん。彼だけがあたしを分かってくれる。

 

 小学校でのケンくんは、分厚い丸眼鏡を掛けていて、そいでもって、いつも本を読んでいる。

 あたしが、そんなに本ばかり読んでるから目が悪くなるんだよって少しバカにするとケンくんは決まって、眼鏡を指で押し上げてから、そうかもって笑う。

 その時のケンくんの悲し気な笑みがあたしは大好きで、何度も何度も言ってしまう。


「そんなに本ばかり読んでるから、目が悪くなるの!」


「そうかも」


「ほんとに、分かってる?」


「分かってる。けど、やめられないんだ」

 あ、好き。


 ドン! 

 物音が聞こえる。

 多分、パパが堪えかねて、壁か机を殴ったんだろう。こうなるとママはおかしくなる。私を殴っただの、DVだの叫ぶ。そして聞こえるの。


「もう、離婚よ!」

 

 こうなるとケンカは明け方まで続く。明日、朝起きると、ママはなぜだかスッキリしていて、いつもより手の込んだ朝食を作る。けれどパパは目をどす黒くして、コーヒーを飲みながら新聞を読んでる。そして起きてきたあたしに向かって、おはようって言う。その時のパパの笑みは、どこかケンくんに似ていて少しだけ好きだ。

 

ママの甲高い叫び声と、物が地面に落ちたり、壁にぶつかったりする音。それは全部ママのせい。パパはあまり怒らない。それなのに、パパはママと離婚しない。パパって変な人。

 もし、パパが離婚するって言ったら、あたしはパパに付いていくし、ちゃんとパパのこと好きになれると思うのに。

 掛布団を頭から足の先まで入ったまま、あたしは、ウトウトしてくる。そうすると、耳がボワーンとしてきて、海の中にいるときみたいになる。あたしは海を見たことも、行ったこともないけれど、この前お風呂の中で潜った時、ボワーンって音が聞こえたから、きっと海で潜っても同じなんだろうなと思う。

 きっとここは海の中。この部屋の壁を、地面を魚たちが泳いでいく。カニは地面を這って、小魚たちは群れをなして、泳いでいく。

 あたしは、掛布団から頭を少し出して、この海の中を覗く。

あ、エイだ。

エイはひらひらと両翼を揺らしながら泳いでいく。

ケンくんも見てるのかな。あたしは思う。

ケンくんはいつも一人ぼっちだけど、多分それは、みんなとは見てる景色が違うからなんだろうなって思う。あたしは、一人が怖いから、ついつい色んなとき笑ってしまうけれど、ケンくんは笑わない。きっと、ケンくんは怖くないんだ。きっと、彼の周りには、いつだって、朝だって、夜だって、夕方だって、魚たちが泳いでいるのだから。

ねえ、ケンくん。あたしも見てるんだよ。ケンくんはあたしを分かって、あたしもケンくんのことが分かる。全部わかる。



「うざいんだよ!」

 

 それは、ケンくんの声だった。

 今まで、ケンくんの叫び声なんて、あたし、聞いたことなかったから、びっくりして、固まっちゃった。

 いつの日だったか、何度目のケンくんへのちょっかいだったか忘れてしまったけど、ケンくんに怒られた。けど、全然怖くなかった。

 

 だって、その時、怒ってたのはケンくんなのに、それなのに、ケンくんが一番怯えていたから。

「どうしたの?」あたしは聞く。


「もう話しかけんな!」


 ケンくんが人にキレるなんて、きっとケンくんが大人になっても無理だろうなって思った。そのくらい、声は震えていて、顔は強張っていた。

 どうして、そんなに怖がってるの?

 あたしは初めてケンくんのことが分からなくなった。

 けど、聞けなかった。どうして、何が怖いのかなんて、聞けなかった。

 だって、ケンくんは泣いていたから。


「頼むから。もう話しかけないで。僕はただ本を読んでいたいだけなんだ」


 大粒の涙をボロボロと零しながらしゃべるケンくんに、あたしまで泣きだしそうになってしまって、でも泣いたらいけないと思って、わかったわ、って少しだけ大人ぶって、あたしはケンくんのそばを離れた。

 その後、あたしは告白された。同じクラスで、柔道をやってる大崎君に。大柄な大崎君はどこか、獣のように見えた。あたしは、大崎君のことなんて、これっぽっちも好きじゃなかったけど、けど、あたしは大崎君と付き合った。そうしないと、ケンくんがもっと泣いてしまうと思ったから。


掛布団を頭からかぶって寝ていると、熱くなってしまって、息が詰まってしまって起きた。

ママとパパのケンカは続く。ママのパパを罵る甲高い声が聞こえる。けれど、その後大きな音がしてから、ママの叫び声は消えた。大きな音は、何かを壁にぶつける音だった。

それから、こちらに向かって足音が聞こえてくる。

フローリングの床がきしむ音。

あたしは怖くなって、布団を頭からかぶった。

熱くて背中にじんわりと汗を掻いていたけれど、それとは別の冷たい汗の雫が背中を流れる。

あたしはギュッと目をつむる。

ここはどこかの海の底。

ケンくんが怯えていたものが分かった気がした。

群れをなして泳いでいた魚たちはいつの間にか消えていて、地面を這っていたカニたちは、砂に潜って身を潜める。

海の中にはなにもいなくなってあたしは思った。

きっと、サメがあたしを食べにくるんだわ。別に食べられてもいいから、痛くしないでね。できるだけ、早く食べてね。


ありがとうございました。

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