あの日の私
伏見さんが握った手に力をこめると、私がこれまでに経験したことがどんどん呼び起こされる。
それこそ自分でも忘れてしまっていた事まで全部!
「いや、待って」
「大丈夫。終わったら体が軽くなるから」
「怖いって」
「ここに居るから、心配するな」
私の肩を抱いた腕にもギュッと力が入った。それは頑張れと励まされているように思えた。
勝手に瞼の裏にあの日の自分と、巻き込まれた人たちが映し出された。
~~~*~~~*~~~
―小学校3年の春。
『おじちゃん!行ったらダメ』
キキキー!・・・ドンッ!
『救急車を呼べー。事故だ』
あのおじさんの生死は分からないままだった。ただ、ハンドルに突っ伏した背中が見えただけだで、それはピクリとも動かなかった。
(人形みたい・・・)
―そして中学2年の夏。
(もう、嫌だ。死にたいな)
『えっ!?』
『またね、奏。バイバーイ』
次の日、全校集会でその子の死を知らされた。死因はいじめによる自殺。
聞こえていたのに、気付いていたのに声をかけられなかった14歳の夏。
素直にダメだと言ったのに事故に遭ったおじさん。
自分もいじめられるのが怖くて、気付いていたのに気付かない振りをして失った友人の命。
目を瞑っても見えてしまう。耳を塞いでも聞えてくる。
―高校2年の秋。
『奏、お祖母ちゃんと留守番してて。明日の夕方には帰って来るから』
『うん。お父さんに宜しく』
仕事の都合で単身で市内に暮らす父のもとへ母は時々行っていた。
『ちょっと待ちなさい。紗江さん、今晩中に二人で帰って来なさい』
『あらお祖母ちゃん、ダメなのよ。明日は職場の方の息子さんの結婚式だから』
『あんたたち死ぬよ』
『もうやめてください。お祖母ちゃんも奏も時々変な事言うんだから。じゃあね』
キーンッ、(痛いっ・・・あっ!)
『お母さん行かないで、結婚式は行かないでーっ!」
・・・・嫌だ、見たくない。あの映像だけは見たくない!
見ないで!お願いっ。見ないでぇぇーーー!
~~~*~~~*~~~
「おい!大丈夫かっ!」
大きな声で呼び起こされて、目を開けたら伏見さんがいた。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・っ。あ、あ」息が上がり過ぎて言葉が出なかった。
伏見さんは額から汗をボタボタと流していて、彼もまた体力を消耗している事が分かった。
「ご、ごめん。急ぎ過ぎた」
私はありったけの気力であの時の映像を切った。
どんなに後悔しても、どれほど嘆いても、あの日は帰ってこない。だから二度と見たくない。
そんな事を考えていたら勝手に涙が出てきた。それを隠す力も拭う力もなくて、流れるままにしておいた。
そんな私を見た伏見さんは、一瞬目を見開いてその後は眉間に深い皺を刻んだ。
「・・・俺が、・・・やる、よ」
霞がかかったような視界とぼーっとした意識では、彼が言った言葉は聞き取れなかった。
でもとても悲しそうに私を見つめ、胸元に引き寄せられた事だけは分かった。
「伏見さん」
「なに」
「・・・眠い」
「ああ。少し休んだ方がいいな」
そのまま抱え上げられ、真新しいベッドに寝かされ私は目を閉じた。
またあの続きを見るのが怖かったけれど、それ以上に体がだるくて恐怖より眠気には勝てなかった。
(俺、ずっと見てたんだ。あんたは知らないだろうけど、人の目を気にせずに駅構内をホームを走る姿を。なんでそんなに一生懸命なんだろうって…。あの日、俺の怪我を予知した。その時縮まった距離で感じたんだ。ああ、彼女も俺と同じだって。そして彼女の体が限界を訴えている事も分かった。俺、捻くれてるからこんなやり方しか出来ないんだ。警察官なのをいい事に、その社会地位を利用してあんたを囲った。俺、あんたの事・・・。奏、)
誰かに優しく頭を撫でられている。
お母さん?それともお父さん?・・・そんなわけないか、二人はもう。
目が覚めたらまた泣いている自分に気づいた。
(やばっ、瞼が重い。腫れてるな・・・)
窓のカーテンをめくったら外はもう暗くなり始めていた。
(伏見さん・・・どうしよう。私は本当にここに住むの?)
グゥゥッ・・・なんとも情けない音がする。
「お腹空いた」
む?この匂いって、【カレー】だ!!
私はそっとドアを開けてその匂いのする方へ視線を向けた。うそっ!?
伏見さんがキッチンに立ってる。一番上の棚、手伸ばしただけで届くんだぁ。
目が腫れているのを手で隠しながら、洗面所を目指した。伏見さんは気づいている筈だけど何も言わずに私を見送った。鏡を見て唖然とする。
「ひどっ!」
目は充血し、瞼はボテッと腫れ、頬は赤く擦れたようになっていた。
私は取り敢えず顔を洗って化粧を落とした。もともと眉はしっかりあるので描く必要はない。
でも、流石にこの顔は見せられないよぅ。
「あのぅ」
私は手で額にヒサシを作るようにし、視線を伏せながら問いかけた。
「ん?どうした」
「私、今すっごく目が腫れてるんだよね。だから」
「んッ。これ使え」
私の目を見ないようにして差し出してきたのは、キンキンに冷えたタオルだった。中にはアイスパックが入っていた。あんなにぶっきらぼうなのに、やる事は優しい。
「ありがとう」
その冷えたタオルで両目を覆うように手で押さえ、ソファーに座った。
キッチンでお皿を置く音や、何かを包丁で刻む音がする。そして、香辛料のきいたカレーの匂いが空腹な私の胃を激しく刺激した。
そして、暫くすると彼がこちらに近づいて来るのが分かった。
(目を使わないと、耳って凄く敏感なんだね。なんかドキドキする)
つい、体に力を入れてしまう。
「はっ、構えんなよ。もうしないから」
さっきの事を言っているんだと思った。そのまま伏見さんは隣にポスっと座った。
「ふわっ!」とつい声が漏れる。だって、彼の重みでソファーが凹んで私の体が傾いたから。
両手は塞がっているわけで、離せば不細工なあの顔を晒してしまう。その躊躇いが招いた結果が、彼の肩に寄り添う格好となってしまった。
「顔、そんなにひでーの?」
伏見さんは倒れ掛かった私の肩を抱き、耳元でそう囁いた。
「っ!ちょ、耳元で話さないで!」
「なんだよ。だったら顔を見せろよ」
「嫌だ!」
「ふっ、ならこれでどうだ」
止めてと言ったのに彼の口元は離れることはなかった。そして!
「やっ、んんー」
とっても生温かい感覚に驚いてガバッと顔を上げた。ニヤッと笑う奴の顔!
何した?さっき何をしたんですかぁぁー!
「土偶見たいな目になってるぞ。ぶははははー」
目尻に涙をためて、腹を抱えて笑っている。腹立つなぁっ!
睨んでみたけど、多分効き目なし。
「ひー、面白れぇ。よし、飯だ。飯っ、食う・・・ダハハハっ」
もうイイ!