第三章。お姉ちゃんを愛でて、めでて2
アイリが戦っている尾の部分は一番瘴気が濃い。さきほど放ったリヒトボールという光の玉が、ルストの緑の青空を輝かせて瘴気を消し晴らしているが、依然として尾の部分は瘴気で満ちている。そこが発生源だということは見ての通りだった。
しかし、クレメルの青い瞳には瘴気の中がぼんやりと透過して見えて、赤い色の人を目視した。それだけで俺は察する。
「空間を跳躍しろ! 『レーレヴァンデール!!』」
目の前の空間がひび割れて穴が出来る。その奥には瘴気の黒。
もう一秒も待てないと、場所という次元を繋げて瞬間移動のようなことができる魔法を使って、赤い色の人の目の前へと俺は登場した。瘴気は俺の体に接触すると蒸発するように消し去っていく。驚きの闇耐性九九パーセントカットのおかげで瘴気の影響をびた一文も受けやしない。
「アイリお姉ちゃん!!」
「あなたは……!」
そうして降り立った地面。いや、フォイルニースドラッヘの鱗が付いた体の上で、禍々しいデザインの魔人なんかが好んで使いそうな両刃剣を、鱗に突き刺して立っている『アイリ』と再会を果たした。
久しぶり、というか顔を合わせたのが初めてのアイリは、鮮やかな赤毛の長髪を持ち、凛々しさを表す緋色の瞳が特徴の顔、身長は俺と同じくらいかそれ以上。大人びているが例の雲柄の制服を着ていてるのでまだまだ学生に見える。風紀員とかやってそうだ。
「……えーと……失礼だけどあなたは、どなたかしら?」
それに、モデルのようにすごくスタイルがいいんだ。俺の想像通りえらい美人さんだった。
「やっと……やっと会えた……ぐすん」
男泣き、ではなく中学のガキの頃にした甘えるような泣き方をしてしまっていた。
そのおかげか。アイリは俺の事を悟る。
「まさか……クレメル? あなたクレメルなの!?」
「……ああ俺だよ。クレメルだ。アイリお姉ちゃん、いまさら来て本当にごめん……」
あれからもう二年が経つ。俺にはそれがどうしようもないほど悔しく思える。あのままパソコンを放置せず、インターネットでメールなり掲示板を確認さえしていれば、俺とアイリは再び出会っていたんだ。みんなの力になれたのかもしれないんだ。
「いいのよ、あなたが来てくれたなら。絶望に負けないで、ここに居てくれるなら」
『パパ! 後ろ!』
クレメルの声。後ろがなんだろう? 俺が振り向く前に、アイリが禍々しい両刃の剣を鱗から抜いて、手に掲げてこちらに突進してくる。
「今はそんな時じゃないみたいッね!」
俺の後ろに迫ってきたのはスコップの形状をしたドラゴンの尾だった。それが、突き刺さんとばかりに俺の体を真っ直ぐ狙ってきていたがアイリの突進によって弾かれる。一瞬、ケーニヒの掌底を喰らったあの時を思い出す。ダーメの言うとおり、生身でここに来たら俺の体はあのスコップに掘られていただろう。
「ちょっと! しっかり防ぎなさいよ!」
「ごめん、ごめん! でもでも今のは私じゃなくて懺血くんなんですなんです」
それは俺に向けて言われたのかと思ったが違う。
瘴気の奥から女性の声。聞き覚えはないが喋り方には聞き覚え、いや見覚えがある。
「イデアールよ、懐かしいでしょ」
そう言われて気付く。ヴォルケン・ヴァールのメンバーたちだ。それも、俺やアイリのような上級者の精鋭。
「それじゃあ、交代の時間ね! いくわよクレメル! カウント! 三――!」
急にそんな事を言われる。カウントを数えられる。交代ってなんだよ!
「クレメルたん!? クレメルたんがそこにいるいるの!?」
「二――!」アイリが腰を低くして足に力を溜める。ジャンプしそうだ。
「一――!」だから俺もアイリと同じ体制。アイリの動きを真似る。
「ゼロ!!」
瞬間、アイリの姿が消えた。そこにはもう誰もいない。と思ったら、隕石のように粉塵を上げて目の前に何かが落ちてきた。それはオレンジ色をした物体で鱗に埋まってしまった。オレンジ色の中に顔面が見えて物体が人だと気づく。鱗から頭だけ出したその顔は人懐っこい笑顔、だったのだが、
「うわーうわークレメルた……ん?」
俺の顔を見て、その笑顔が曇り始める。クレメル、クレメルと首を振って周りを見回し何かを探している。
「何かをお探し中のところ悪いが、アイリがどこに行ったか知らないか?」
「んーんー? アイリさんは向こう向こうだよー?」
「なるほど、ありがとうイデアール――」
イデアールが指差すドラゴンの体が続く向こうへ足をばたつかせる。俺の脚力が凄くて空を飛ぶより足で蹴って走るほうが早く移動できることを知る。ただ、眼に映る光景が俺の認識に追いつけていけず、黒い何かが俺の横を通り過ぎって行ったことにクレメルが教えてくれるまで気付かなかった。
『パパ! アイリ!』
「ストップストップストップ!!」
アイリの赤い色が見えたところで急ブレーキをかける。そうしなければ俺はアイリのいる場所を通り過ぎて、目の前に群がる数百本の触手の渦に突っ込むところだった。
『うわー飛び込んだらすごい面白そう!』
「やめなさい! バイキンがたくさんだからっ!」
俺はクレメルが体を勝手に動かす衝動を必死に抑え込もうと右手を左手で掴む。そんな傍から見れば中二病ごっこをしている俺たちの真上で、触手が成長した姿――あのスコップやツルハシの形状をした尾が次々に切断され地に落ちる。
アイリの仕業だ。アイリは禍々しい両刃剣を体全体を使って回したり、投げてブーメランのように使いながら尾と対峙していた。
「つまり俺もこの尾を切ればいいのか!」
「そう! でもクレメルなら根から断てるでしょ!」
根から断つ? それってこの触手を生み出している部分のことか?
「今立っている場所ッね! 聖属性の高等技なら切り落とせるからッ! ハァッ!」
高等技……つまりは必殺技か。ゲームの頃を引き継いだ俺のクラスは演奏者。魔法専門の後衛と思われがちだがそれは違う。右手に持つバイオリンの弓を空に掲げて呼ぶ。
「来たれ! 極光の星――『ポラリス・リヒト!!』」
空に輝く光の玉、リヒトボールが俺めがけて急降下。俺の掲げた弓の前で静止。リヒトボールは直径一〇メートル程で第二の太陽といってもいいほど眩しくて熱い。闇の瘴気を食べるように取り込み大きくなるので、瘴気が一番濃いこの場所は格好のエサ場となる。さらにどんどん膨らんでいく。
「聖なる光に抱かれて消えろぉぉ! 『シュラトラーゲン!!』」
その弓の切っ先にある光の玉を触手を生み出す部分に向ける。クレメルと一緒に浄化せよと願いを込める。
触手部分と光は互いを打ち消さんとばかりに蒸発の湯気を醸しながら消滅していき、瘴気の発生源が無くなった。
リヒトボールも役目を終えたと言わんばかりに、線香花火が玉だけになるように萎んでいき、弓の弦がその光を受け継ぐように光の熱を帯びる。
シフトチェンジ、等技形態。
今のは前座に過ぎない。演奏者は魔法形態と等技形態という二つの形態がある。主にバイオリンが魔法を発動し、弓が剣の役割で必殺技を放つ。等技形態は強い光を弦に宿らせ近接の武器とすることができるのだ。
とはいえ、光とは異なる真逆の力である闇がないとこの等技形態にはシフトできない。それは光と影のように。柔と剛、炎と氷……。もしかしたらこれは暮井流なのかもしれない。
「制限時間は三〇秒――」
いつの間にか、目の前に操作端末が自動展開され制限時間が表示されていた。周りの瘴気がなくなっていたことから、やはり通信不安定地帯を作り出していた原因は瘴気のせいだと確信する。
操作端末に表示されている三〇秒は俺の等技形態の維持時間だ。この時間が経過すると弦の光が消えて弓を剣にできなくなる。
「クレメル! マギラオよ!」
アイリがそう叫ぶ前に、俺は自分の立っている場所、真下の鱗に弓を突き刺した。
魔力抜き。武器を翳すことでモンスターの魔力を吸い取る行為。
今相手にしているこのドラゴンは大きさ的にもかなりの強敵なので、武器を翳すだけじゃ魔力は吸い取れないのだろう。角がなく丸いバイオリンじゃ突き刺せない。だから光の熱を持ったこの弓なら鱗に突き刺せるのだ。さっきアイリが剣を突き刺していたのも休憩を兼ねて魔力抜きの途中だったのだ。
魔力抜きは敵の体力を削るのではなく、魔力を吸い取る。魔力は魔法や必殺技を行使する為の力。ゲームで言い換えればSPを回復できるのだ。これは巨大な敵――ゲジュペン級のような体力の多い敵に有効なようだ。敵から奪い取った魔力で攻撃をする、長期戦の戦法。アイリたちはそうやって戦っていた。
三〇秒という短い時間だが、これが有効手段ならやるしかない。
「俺が浄化してやるぞ! マギラオ!!」
しかし、闇属性の魔力を吸い取るので聖属性の塊みたいな俺の魔力――SPはお互いを打ち消し合うように消えていく。バイオリンの弓を通してドラゴンの闇の魔力と俺の聖の魔力が力比べ、または黒と白の色の塗り合いのように潰しあっていく。
だからなのか、その行為は魔力を抜くのではなく魔力を浄化する意味合いになる。
『らじゃ――――! 負けてたまるか――――!!』
「俺とクレメルの、純白を舐めるなぁ――――!!」
その三〇秒でドラゴンの魔力は底が尽きたのか、大きな頭から順に蛇の体を地面に下ろして行動を停止させる。ぐるぐると回る景色。一瞬、意識が飛んだのかと思ったが違う。俺とクレメルが立っていた場所はドラゴンの背中ではなく腹の部分らしい。宙で身を翻したドラゴンの腹が地面と接触する前に、アイリが俺の体に密着し腕を回した。
俺も集中力を切らさないようにどうにか意識を保ち、突き刺した弓を抜いてアイリの動きに身を委ねる。間一髪、ドラゴンの下敷きになることは免れた。
すぐ近くの地面に降り立ち、アイリの腕から抜け出した俺とクレメルは、壮大に草木を薙ぎ倒し土埃を巻き上げるドラゴンの姿を見上げる。
「はぁ……は……やった……のか?」
「ええ……でも何か変だわ……」
『んー? なにがおかしいの?』
「普通、全部の魔力を抜かれたらサイズが小さくなるのよ、ミニムム化するはず。それが変化しないということはまだ温存している? それにあのドラッヘにはまだ切り札があったはず……」
切り札。それは俺にも思い当たる節があった。黒い色がドバーと出るやつ。
「あの……なんたら……ビームか」
「闇黒滅撃龍種砲……フォイルニースドラッヘが瀕死状態になってくるとなりふり構わず吐き出してくるやつよ、初撃は戦ってから一時間も経たない頃だった……あんなに早く撃たれたのは初めてよ」
それで闇の瘴気が周りを覆ったのか。ゲジュペン級のフォイルニースドラッヘとの戦闘は予想外の展開で苦戦していたのだ。
「でも、クレメルがいたから……来てくれたから、どうにか勝てそう。すごい心配だったのよ? いままでクレメル抜きで戦ってきて、何度もピンチがあったけど……それを乗り越えて、でも今回は本当にキツくて……そんな時にやっと来てくれた……」
「……俺、すごい待たせちゃったんだな……これからはずっと隣に居れるから……だから、もう心配なんてかけさせない、だから男の俺なんかがアイリのことをお姉ちゃんなんて呼ぶのを、許してほしんだ……」
やっと伝えられた。俺の気持ち。愛しているなんて直球には言えないけど、純粋に考えていることは伝えられた。俺はネカマで妹のフリをしていたけど、それを知ってしまったアイリが許してくれるか分からないけど、今の俺はアイリのことを相も変わらず『姉』と呼び続けたいんだ。
「当たり前よ、出来のいい弟だと思ってあげる。それより名前教えなさいよ」
「暮井、京太……キリンが、大好きだっ!」
「うふふっ、私もよ……さっ! このままトドメを刺しに行くわよ!」
「ああ、早く終わらせてみんなに挨拶したいしな!」
これで憂いは果たした。俺とアイリが気合を入れ直し武器を構えドラッヘに向き直すと、ギルドのみんなは倒れたドラッヘに乗り込んで各々の武器を翳したり突き刺して魔力抜きを行っている。俺たちはおしゃべりをしていたせいで出遅れてしまったが、そんなのは些細なことのように思える。
『んんっ……んんんんんん? んんんんんん! んんんんんんっ!?』
そこでフォイルニースドラッヘの長い雄叫び、いや何かを踏ん張っているような声にも聞こえる。俺たち人間で例えれば、トイレで発せられる声。頑張って、踏ん張って、手を付いて、そうして生み出されたそれは――――
次の瞬間、まるで水爆かガス爆かのように周囲が瘴気の煙に飲まれる。とんでもなく濃い闇の瘴気がみんなを即死させ蝕んでいった。
暗黒滅撃龍種砲。
それは、口からではなく瘴気を出す排泄部分から流れ出す。そのせいで不意打ちのようにその攻撃を食らってしまった俺たちは全滅の道を辿ろうとしている。
その威力と効果はゲームで俺たちが使う闇属性上級魔法フェアガーゼンアテムに酷似していた。
大量の瘴気を周りに散布し、相手を闇毒という毒の次の猛毒の次に強い毒性を持つ状態異常に感染させる。主な症状は八割の確率で即死、一秒ごとに五〇〇のダメージ、さらに一切の操作ができなくなる行動不能状態に陥るといったもの。
麻痺なんて可愛いものだ。一定時間後には解けるのだから。
だけど闇毒は違う。陥ったら死ぬしかない。
「げほっ……げほっ……暮井くん……大丈夫……?」
そんな状況で立っていたのは俺とアイリだけだった。
黒い布のような何か――人だろうか? そいつは体を痙攣させながら仰向けの状態で跳ねている。イデアールが頑張って剣を支えにして膝をついている。俺と同じレベル帯のイデアールでもこの瘴気はきついみたいだ。頭方面のギルドメンバーは即死か行動不能により倒れているのがほとんど。
俺は呼吸が苦しいだけで後は痛くも痒くもない。辛さで言うとタバコの煙を受動喫煙されている程度。
この儀礼服が俺を守ってくれているみたいだ。ロザリオが振動して聖気と瘴気を中和している。なにせ、闇耐性は驚きの九九パーセントカットなんだからな。
「俺は全然大丈夫だ、それよりアイリは――」
呼びかけると俺の隣にいたアイリが崩れるように倒れる。横たわったその顔には苦悶の色。
「アイリお姉ちゃん! しっかりしてくれ! アイリお姉ちゃん!」
俺はその肩を掴んでアイリの名前を呼びかける。意識を確かめる。
「今すぐ治してやる! タオフェ・エア――」
「待って……」
アイリが俺の口に人差し指を当てる。
「SP……残してあるの?」
その緋色の瞳はまだ死んでいない。むしろ、次の手を打つための秘策を考えているためなのか強い意思が燃えている。
俺はアイリに言われたとおり、操作端末を開いて自分のSPを確認しようと指を振ったが反応がない。
それもその筈、この瘴気の中じゃここは通信不安定地帯なのだろう。操作端末を使うには受付から流れる特殊な電波を必要とする。
『パパ! 三割ぐらいだよ!』
しかし、クレメルには俺のSPが確認できるようだ。
「ほら……使えないじゃない……」
使えない? そんなはずない。残り三割もあればなんとかアイリや周りの仲間を回復できるだけの分はある。
「どういうことだ?」
「超級……よ、忘れたの?」
超級魔法、その発動条件はSPの三割以上を消費すること。それが、今の俺はギリギリ発動できる。
「しかし、それは共感状態が解けるんじゃ……」
SPが底を尽けば行動不能状態という何もできない状態になる。それは数瞬ごとにSPを削っていく共感状態を保てなくなるということ。
「そうね……それに加え暮井くんの場合は、魂を減らす危険性がある……」
「魂を……減らす?」
俺が超級魔法を発動したのは昨日のフランメファルタとの戦い。発動後に意識が薄れ倒れてしまったのを覚えている。おそらく、それがゲームで見たことがあるSPがゼロの状態、行動不能状態なのだろう。
もしかしたら、それが俺の魂を減らすという現象。その後の俺に何の変化があったのか、何を失ったのか、何も分からない。全然、何も変わっていないように思える。
「正しくは……昇華する……ということみたいだけど」
その言葉は危ない事のように聞こえる。寿命を消費するとか、五感が感じなくなるとか。感情を失うとか。記憶が無くなるとか。キリンが絶滅するとか。
とにかく、人として生きていくために大事なものを失うような口ぶりだ。
「どうして俺だけ?」
「私もよく分からない……でも暮井くんと同じ環境の人はいるから例はある……それに、確証はないからもしかしたら違うのかもしれないし……なにも起きないのかもしれない……でも、この状況を打破できるのは……暮井くんの超級魔法だけ……お願い……みんなを助けて……」
俺と同じ環境? それがネカマのことなのか、俺のように少し欝気味の人のことを指しているのか分からない。
アイリは闇毒に感染しているのか、途切れ途切れの言葉を言う。舌を動かすのも辛いのだろう。それでも剣を拾い地面に立てて一人で立ち上がる、まだ闘おうと構える。
――死ぬかも知れないのに、立って、戦おうとしている――
だから俺は、左手に持つバイオリンの先を顎に当てた。見よう見真似で演奏者を気取り、右手の弓を弦に添えて大きく息を吸う。
「聖属性超級魔法、くるみ人形の円舞曲、第七曲、『デア・ヌスクナッカー・ズィーベント!』」
俺の手や腕や体は勝手に動く。クレメルが動かしているのであろう。
どうすれば曲を弾けるのか全然、これっぽっちも分からないがバイオリンの弦に指を適当に押さえ、弓を押し当てる。大事なのはやる気だ。演奏が出来る出来ないなんて思う前に弾いてみるんだ。箱の蓋を開ける、中に入っているのは何だろう、俺はそんな気持ちでバイオリンを動かした。
バイオリンは静かにキュキュッと綺麗で高い音が鳴る、弓が奥まで動いたので弾き直すために戻すように引くと――
――――――バンッ――――――!!
――なぜに!?
『えぇぇ!?』
いきなりバイオリンの弦からピストルのような乱暴な音が鳴り出す。とてもバイオリンから奏でられる音ではない。クレメルも俺もびっくり仰天だ。
しかし、そのピストルの音は周りの瘴気を吹き飛ばし、視界を鮮明にする。
その場に倒れていたエイトもイデアール、ギルドのみんなを立ち上がらせる。そのおかげか不思議と演奏をやめる事は出来なかった。バイオリンからは綺麗な音色が流れて世界を満たす。緑色の空から温かい陽光が差し込んだ。
「クレメルちゃん、すげぇ!」
「わーわー、すごい力が沸いてきます! 今ならなんでもなんでも出来そう!」
そして、隣のアイリが先ほどとはうって変わった笑顔で俺を横目で見てくる。無言で「ありがと」と言っているようだった。
もしかしたら、あの時もそう返したのかもしれない。気持ちだけ受け取る、みたいな。
エイトの打つ矢がドラッヘの頭やお腹、爪の付け根に生えている甘皮などの急所を的確に命中させ、頭を動かすことも、足で歩くことも、体で這うことも出来なくさせてしまう。
アイリとイデアールの大きな剣が踊るように乱舞して硬い鱗をバリバリ削いでいく。それから鱗の下にある肉に刃が差し込まれ、まるで鰻の蒲焼きのごとく長いドラッヘの胴体……身を切り開いてった。
シンクの和服を着て成長した新里陸が風に乗って現れて、ドラッヘを渦の目にした巨大な竜巻を起こす。瘴気が晴れて、通信が回復したことにより状況を察して駆けつけたのであろう。
みんなが個々の持つ全力の攻撃をドラッヘにぶつける。
ゲームだと演奏は一〇秒ほどだったのに終わる気配を見せない。
バイオリンを弾き込むとボォ~と管楽器の低い音やら、ピュルルッル~と笛の高い音、果てはバァカーンと鐘の叩く盛大な音まで鳴り響く。
まるで、電子ピアノやコンピューターのソフトみたいに、ボタンを押せばあらかじめ録音した音が出る感覚。それを弓を引いて体でリズムを刻んで音を出しているのでDJになった気分だ。
弓を動かすだけで曲が流れる様はレコードを思い出す。おばあちゃんとクソジジィが好きだったので思い浮かんだのだろう、今も我が家の仏間に保管されてある。
バイオリンの弦が音盤で、弓が針の役割をして、指が弦に触れると音楽が生まれていた。
『きゃははは! あははは! わははは!』
それにクレメルが爆笑する。俺は不思議でたまらないのだが、クレメルが笑うのなら俺も笑おう。
笑いながら曲を演奏し、それを聞くみんなが曲に合わせて武器を振るう。それは踊っているようにも見える。その様はパーティーで踊るような円舞曲のようだ。
「ふふっ」
「楽しいね! パパ!」
「そうだな……でも……」
俺の視界がどんどんぼんやりと暗くなる。どうやらSPのゲージ残量がないらしい。じわじわと体の何かが減っていく気がする。あえて言うならば元気、という言葉が当てはめられるだろう。
SPはゼレスポイントの略。ゼーレスは俺たちの世界。言葉が似ている。
それならSPがゼロになりアイリが言う魂が減るというのは、俺たちの世界のなにかが減る? つまりは消える? いや、減るのならば逆の増えるもあるだろう。
昇華とも言っていたが、俺はその意味を知らない。帰ったら調べてみようか。
『ありがとう……これで死ねる……楽になれる……私はな、体の消化器官が壊れているせいで便が固まりガスしか出なかったんだ……ずっと胃が痛くても死ぬこともできなかったんだ……でもそれも君のおかげでやっと……終わるよ』
ドラッヘが唸り声ではなく、言葉を使って何かを言っている。不思議とその声は俺に向けられている気がした。感謝してくれているみたいだ。
「クレメル……俺はすこし、眠いみたいだ……」
『パパ、疲れたの?』
「ああ……すこし寝るよ、後は任せた……」
すこし、と言ってクレメルを安心させたがこの感じだと丸々一日は寝てしまいそうだ。それくらい頭の中がどんより疲れている。
『うん、おやすみ、パパ――』
「おや……み……」
向こうではフォイルニースドラッヘが豆腐を泡立て器でかき回したようにぼろぼろとかき崩れていく。俺はクレメルの言葉を聞いて頷き、遠くで戦っているみんなの勇姿を目に焼き付けてから目を閉じた。
摩訶不思議な音色を出すバイオリンの音に耳を預けて、ついに意識を手放した。