第二章。クソジジィを愛でてやった。
第二章。クソジジィを愛でてやった。
起きたのは次の日だった。ピニャ、ニャッニャーンという化け猫の鳴き声で起きた。奴は鶏かも知れない。
俺は我が家の自室で寝ていて、布団の中にはクレメルも潜り込んでいた。俺の着ていた服はパジャマではなくエプロンの下に着ていた昨日のシャツ。
「ずずっ……」
鼻水が出た。少し寒い、冬だからかな。
それにしてもあれは夢だったのだろうか? 燃えるチョウチョに新里陸という女と少女、怖いおっさん、魔法を使えた俺。
しかし、夢にしてははっきり覚えすぎている。
それを確認するためにも俺は、一階に降りると玄関を見に行く。
玄関の床にはブルーシートが敷かれていて、大きな膨らみがある。しかし、壊れたはずのドアは元通りなので夢だと確信した。
ブルーシートはクレメルのイタズラだろう。あの膨らみにはたぶん化け猫を隠している。うちはペットOKなんだが、クレメルも素直じゃない。反抗期というやつだろうか。
安心した俺は玄関から台所に移り、冷蔵庫のカレンダーを見ると昨日は俺とクレメルの誕生日だったことが分かる。ケータイの日付も合っている。
居間に行くとお化けサイズの大きな栗があった。こたつテーブルからひょっこりと美味しそうな栗が尻を出していたのだ。頭隠して尻隠さずだ。どこが尻か分からないが。
「まぁ、今は冬だしまだ美味しくいただけるか」
俺はその栗の両端を掴み、こたつテーブルから引っ張り出そうとした。栗はあったかくて柔らかくて重かった。まるで地面に根を張っているかのように動かない。
仕方ない。クレメルが起きてきてから一緒に引っ張り出そう。それまでこたつの電源と暖房を入れるわけにはいかなかった。栗が焼けてしまうからな。
栗をこたつから引っ張りだすのに諦めた俺は朝食を作りを始めた。
トントントン、と今日も朝からおばあちゃんの幽霊が冷蔵庫のレタスを千切りして、コトコトコト、とガスコンロで煮豆を煮ている。俺はその隣で朝食の調理を開始した。
たしかクレメルの要望は卵焼きだ。黄身が好きな俺と同じ好み。卵を一パック一〇個全部使い、白身を取り分けてベーコンを焼いて出た油を使って、贅沢に黄身だけを焼いて固くする。白身なんてものは味噌スープに溶かしてやった。目玉焼きの目玉を堅焼きにし、茹でたアスパラガスの白い亜種をベーコンで包み皿に移す。
「完成だな」
料理が完成すると、匂いに引かれてクレメルがやってきた。
『おはよう……パパァ……ふわぁ……』
「クレメル、食べる前にひと仕事だ、この栗を引き抜いてほしい」
『うん! 栗拾いだね』
栗を掴む俺の腰を掴むクレメル。その体勢はさながら、童話の『おおきなかぶ』にでてくるおじいさんと孫娘。
「行くぞ! うんとこしょ! どっこいしょ!」
『うんとこしょ! どっこいしょ!』
「『うんとこしょ! どっこいしょ!』」
俺たちは呼吸を合わせて思いっきり体重を後ろへ、そして大きな栗がこたつから顔を出した。
「い、いたいっすー! なんなんすか! 寝ている人の頭を掴んで引っ張るなんてー」
栗をさすりながらこたつから出てきたのは夢の中に出てきたモンブランだった。
「モンブラン?」
「あぁー! もう朝飯の時間すか!? 昨日は何も食べてなかったんでもう死にそうっすー! おかわりしてもいいすか?」
『僕も食べる!』
言いながら、目玉だけ焼きを口に頬張る新里モンブラン。それに対抗するかのようにクレメルもホワイトアスパラーコンを口に運ぶ。すっかり緑色野菜が好きな子に育ってくれて俺は嬉しくもあった。いや、白いから白色野菜か。
「俺は顔を洗ってくるか……」
顔を洗っても夢は覚めなかった。モンブランはそこにいた。ということは昨日の夢は正夢だったのだ。俺は、自分の分の冷凍ご飯をチンした。
「おい、モンブラン」
陸モンブランは味噌スープをすすって、まぁまぁだねという顔をして、次に臭い煮豆に顔を近づかせると鼻と口を抑え嫌悪な顔を表情に出した。
「こへなんふか?」
「煮豆だ、俺もクレメルも食べれないから無理して食べないでいいぞ」
「じゃあなんで作ったんふか?」
鼻を指で押さえて鼻声を出すモンブラン。相当匂いがキツいようだ。
「さぁな」
「そ、そうすか」
アスパラガスは嫌いなようで端に寄せる好き嫌い多そうな性格のモンブラン。
「モンブラン?」
『食べないの?』
「うん? あー私苦手なんっすよね、欲しいならあげるっす」
『いいのー!? りっちゃん大好きー!』
「モンブラン!」
「ごちそう様っす、いやーでも食べすぎると動けなくなるんすよね~」
着ている服は昨日のままで、雲柄の制服のままこたつの中で横になってしまっただらしないモンブラン。
「聞いてるのか? 新里陸?」
「え? 私っすか?」
新里陸に反応するモンブラン。モンブランは新里陸だったのだ。
「おはようモンブラン」
「え? あーおはようございますっす……」
何々っす、というのが口癖のモンブラン。
まるで、コンビニのバイトに就いて先輩と話すとき、語尾に何々っすとつけて存在感をアピールするような口癖だった。
「まず最初に俺に用があると言っていたな? あのチョウチョはなんだ? シンクさんはどうなった? 一体全体何がどうなってるんだ?」
俺は昨日の正夢を信じられないが思い出しながら質問を繰り返した。新里陸は味噌スープをすすって、こたつの中のあぐらか女の子座りを正座に組み替えた。
「昨日は大変でしたっすよ、ジュンパが解けたクレメルちゃんと一緒に重い師匠の体を部屋まで持って行ったんすからね」
「それはかたじけない、どうもありがとう」
「いやーいんすよ~」
笑いながら手を小振りしている。御礼を言われて嬉しいようだ。
俺は平静を保ちながらモンブランの栗頭を見つめる。いい形だな。
「……それじゃあ全部お話するっすよ。まず最初に私が師匠を探していたのは私たちと一緒にマイスターとして活動してもらいたいからっす」
マイスター、どこかで聞いたことがある単語だ。モンブランは言葉を続ける。
「次に、あのチョウチョはウンリーオーのモンスターっす、覚えてるっすか? ウンエントリヒ・リーブリヒ・ルスト……私や師匠が昔やっていたゲームの名前っす、そのゲームの世界のモンスターが私たちの世界を攻めてきたんすよ」
なんだと? 『ウンリーオー』とは『ウンエントリヒ・リーブリヒ・ルスト』の略。俺が昔やっていたオンラインゲームのタイトルだ。しかし、二年前の事件でそのゲームはサービスを終了し、二度とプレイできなくなった。
そのゲームのモンスターがこの世界に攻めてきた、だと? そんな馬鹿な。
「その様子だと、たぶん師匠はパソコンに来たメールを見てないんすよね? あの後……私たちが師匠を別のゲームに誘ったきり、師匠とは連絡はできなかったのでうすうすそう感じてました。居間のパソコンも布が被ってホコリだらけっすしね」
そこで気づいた。シンク、師匠、ウンリーオー。この単語が俺の右脳で繋がる。
「私がシンクっす、ウンリーオーでシンクを操作していたプレイヤーす、我って言ったほうがいいすかね?」
シンクはウンリーオーでの俺の弟子。口癖は『なんとかす』とよく使っていた、それと我ともござるとも言っていた気がする。とにかく、シンクの台詞は俺の脳内再生では男の声だった。
「お前がシンク? そんな、だって、シンクは……男だろ?」
「私が男使ったっていいじゃないすか! ていうか師匠も人のこと言えるんすかー?」
ブスッとした目で見てくるモンブラン。まぁそれはそうか、女性が男性使うより、男性が女性使う方がキモいよな。
俺がそうだ。
「それで、ウンリーオーがあの後どうなったかクレメルから聞いてるっすか?」
「いや……俺はクレメルにネットは禁止といったからな、一度使われたがネットの言葉は嘘だと叩き込ませた」
「なんかすごい親ばかっす、それじゃあ、メールも見てないんすね」
俺は頷き肯定した。クレメルが『ごちそうさま』と言って、すぐさまテレビの電源を入れた。我が家では食事をしながらのテレビの閲覧を禁止している。
「まず、私たちの前にウンリーオーで使っていたアバターが現れたのはそのメールが届いてからなんっすよ。それについては師匠も同じすか?」
「そうだな、八月のクソ暑い日だった」
忘れもしない、アイスが溶けるほど暑いあの日に俺とクレメルは出会った。
「私や他のみんなは六月でしたっすね、メールはウンリーオーのプレイヤーたちに送られたそうで、内容は『ルストを救え』」
「ルスト?」
「タイトルのウンエントリヒ・リーブリヒ・ルストの最後にある略称に含まれていない単語っす。まだ覚えてるっすか? ウンリーオーがどんなゲームだったか?」
「2DMMORPG、およそ一〇〇〇〇〇IDのユーザー、2Dオンラインゲームでは当時ユーザー数、評価数ランキング一位を誇っていたな、かわいいキャラとモンスターが魅力で、ストーリーは地味だった気がする」
「地味って……」
新里陸が頭のお団子、じゃなくて栗が崩れていないか手で確かめながら愛想笑い、という顔をする。モンブランとは頭全体のことで栗は団子のように丸まった髪型のことだ。
「本当に地味だったのだ。なんと言えばいいか……そうだ、かわいい絵にくらべて重い……物語が絵に負けている感じだ」
「まぁ、私もかわいい絵が物語に合ってない気がしましたすけどね、その物語なんすけど、ルストっていう世界があるんだ、と国王が言うところまで師匠たちは進んだんすよね? 私は二ヶ月程しかプレイできなかったんでわかんないんすけど」
『ルスト』そういえばあの国王もそう呟いていた。そして……あの人も。
ウンリーオーの物語はざっくり言えば、人間の私的欲求と、それに抗うモンスターとの争いを描いたものだ。
まず、かわいいモンスターがたくさんいる奇麗世界という世界がゲームの舞台になっている。その世界にいたモンスターのほとんどはどれも直径一〇センチほどしか体積がなく、静かでおとなしい性格だった。主食は魔力らしく、弱肉強食の食物連鎖もない世界。
しかし、平和なリーブリヒにある日突然、芸術とか娯楽などに楽しさを追求する楽園世界という世界から人類がやってきた。人類はリーブリヒでモンスターを見つけては捕獲し愛玩動物として飼ったり、生態を研究する。モンスターをルストに持ち帰る人までいた。そのせいで、リーブリヒのモンスターたちは全滅危惧に陥る。
そこで、リーブリヒを取り仕切る王国が建国された。その国の国王は無類のモンスター好きで、「リーブリヒの住民はリーブリヒにいるのが自然じゃ」というのが名言。モンスターたちは国王の保護下に置かれて全滅の難を逃れる。しかし、ルストへのモンスター輸入が著しく減少したために、闇商人と呼ばれる人たちが現れモンスターを密輸する。それをやめさせるために『マイスター』という職業が設けられる。
マイスターは『心から可愛いものが好き』という人たちで、俺たちプレイヤーのことだ。ゲームはここから始まって物語が進むにつれて過去の歴史や国王の陰謀が紐解かれていく。
マイスターは闇商人の逮捕、密輸を阻止するのが目的だった。おかげで密輸はめっぽう減ったが、闇商人も黙っておらず捕まえたモンスターを研究、繁殖、改造しリーブリヒのモンスターは凶暴で邪悪なマクスムモンスターに容姿を変えてしまう。マイスターは闇商人を捕まえるため、モンスターを正気に戻すための冒険に身を投じる。
という感じだ。国王は物語が進むにつれて何かに疲れているのかだんだん痩せていく、のが少し気になっていた記憶がある。
「黒幕は国王なんだがな」
「どうなったら黒幕になるのか気になるんすけど今はいいっす、それよりメールにある『ルストを救え』、これはウンリーオーの楽園世界を指してる見たいなんすよ」
「ああ、そう捉えるしかないな」
「そんで、話のオチを話せば、私たちはルスト人と接触して話を聞きました、もう一年前のことなんすけど。メールの謎も、アバターの謎も全て解けたんすよ」
なんてあっさり。てっきり俺はこれからルストを救う旅に出かけるもんだと思っていた。
「というか、ルスト人も俺たちの世界に現れたのか?」
「はいっす、私たちのアバター同様、ルスト人つまり運営の人もサーバーを伝ってこっちの世界にいたんすよ」
「運営だと?」
俺はあまり感情を表に出さないタイプだが、さぞ驚いた顔をしただろう。なにせ、ルスト人が運営ということは、俺が電話して出たあの女性もルスト人ということだ。
「教会とも言われてるっすね、そこでやっと私たちはウンリーオーのゲームに出てくるルストは私たちの世界とは別世界、ゲームの中の話は現実の話だったってことに気づいたんすよね」
「なにを言ってるかさっぱりだぞ、モンブラン」
「ところでそのモンブランてなんすか?」
「お前のことだ、気にするな」
俺は新里陸の名前があまりにも男っぽいので髪型にちなんでとうとうモンブランと名付けた。胸のモンブランは見たところ残念みたいだが。
『あひゃはやははっあははっひゃははっ』
テレビは情報バラエティーが流れていて、キリンの姿をしたゆるキャラ――ラッフェくんが長い首を窓から出しながら「らじゃじゃー」とトラックを運転して東京湾に落ちて沈むシーン。「このようなことが起こるため、車にペットを置き去りにするのはとても危険なことなのです」と司会のお姉さんが言っている。それを見たクレメルがそれはもう腹筋を崩壊させてゲラゲラと笑っていた。
俺とモンブランはそんなクレメルから少し距離を置いて、クレメルと作った糸電話を使って大事な話をしていた――
「私は普通に話すっすよ?」
では、モンブランの話に理解が出来ない俺が理解した話をまとめよう。
ウンリーオーとはルスト人が作ったゲームで俺たちを楽しませ――
「だから、ゲームじゃなくて現実の出来事なんっす、国王がルスト人にマイスターをやらせるのは結局闇商人を増やすだけ、ということで何も知らない私たちの世界に手を伸ばしたんすよ」
国王は俺たちにゲーム感覚でマイスターという職業に俺たちを就させ、挙句の果てには給料も出さずタダ働き、俺たちは課金というお金までつぎ込んでいた――
「課金されたお金は日本にあるサーバー会社で働いていたルスト人の生活に使われていたみたいすよ、というかゲームとして楽めたんすからそこはいんじゃないすか? あと私たちと働いてくれれば給料はちゃんと払われるっすよ」
家々が燃えたり、壊れても人間が騒がないのはやはり幻覚――
「ルストから流れてくる魔力が一般人の記憶消去とゼーレスの再構築を促しているんす、はやくルストに行って魔力を供給している装置をモンスターから守る必要があるっす、まぁルスト人にも強い人がいるんでまだ大丈夫だと思うんすけど」
つまり、メールの内容『ルストを救え』というのは――
「リーブリヒのモンスターが逆にルストを侵略し攻略、さらにオンラインゲームとしてルストと私たちの世界のサーバーでつながっていたウンリーオーを伝って私たちの世界に来たみたいっす。そんで生き残ったルスト人が私たちにプッペンを使わせてモンスターを追い返して欲しい、ということらしいっす。あ、言い慣れないんすけど、ルスト人は私たちの世界のことを魂の世界と呼んでいるみたいっす」
つまり、マイスターと呼ばれる人物、それに俺が創ったクレメルや、玄関で倒れているシンクは――
「……ルスト人とモンスターの融合体、国王が闇商人に造らせたモンスター、もしくはルスト人だそうです……マイスターは私たちっすけど、私たちはゲームでその融合体――プッペンを操作してリーブリヒの世界で、モンスターと現実に戦ってたんっす」
モンブランが糸電話を使ってクレメルのことを考慮してか声を潜めて言う。そこで全てに合点がついた俺は糸電話を放り投げた。モンブランが自分の耳に当てている紙コップを軸にして、糸がモンブラン頭に絡まっていく。
「そうだ、国王が黒幕なのはそんな感じだったな、最新ストーリーでは『お前たちを造って本当にすまなんだ』が名言だった」
国王は上級プレイヤー、つまりは物語に付き合ってくれた者たちに徐々に真実を明かしていたのだ。俺はそのことをあまり気にせず物語を進めていたな。モンブランが絡まる糸を解き、俺をジト目で睨んでくる。
「……まぁいいっす、ここからが本題で私たちの仕事の内容っす、私たちはルスト人からのお願いを叶えようと決めたんす。そのためにはまず、私たちの世界に来たモンスターをミニムム化することから始める必要があるっす」
ミニムム化というのは、ウンリーオーで凶暴化、巨大化したマクスムモンスターを倒して元の小さくてかわいい姿に戻すことだ。ミニムム化されたモンスターはミニムムモンスターとも呼ばれる。
昨日のチョウチョのように大きい姿から、小さい姿に戻ることをそう呼ぶ。
「そういえば、あの後チョウチョはどうなったんだ?」
そう言うと、モンブランは空中に指を走らせる。すると、いきなり眼前に現れる透明な箱、そこに昨日のチョウチョが入っていた。少し疲れているのかモアモア燃えている羽を休ませている。虫かごのようだ。
「一旦これに入れて匿まったっす、これをギルドに持ち帰って受付に渡せば報酬をもらえるっすよ。本当は魔力抜きで捕獲すれば傷つけないで済むっすから、そうしたかったんすけどね」
「魔力抜き……ああ、マギラオのことか」
かなり昔を思い出したかのように俺は言う。俺は魔力抜きなんて全然使わずに魔法などでモンスターを倒していた。なぜ魔力抜きというコマンドがあるのかいつも不思議に思っていた。
ウンリーオーのゲーム中の出来事しか知らないが、モンスターをミニムム化させる方法は二つある。一つは普通に倒すことと、もう一つは魔力抜きだ。
魔力抜き(マギラオ)はモンスターに武器を翳すことで魔力を吸収する方法。それを行えばモンスターは魔力を失って元の状態になるし、SPは回復するし、武器は強くなるという一石三鳥の方法だが、ゲームでは効率が悪い。
SPの回復はアイテムで補えるし、武器の強化自体は鍛冶屋で行った方がいい武器が仕上がる。なので基本、マクスムモンスターは魔法や剣で倒していた。そのほうが手っ取り早いこともある。
「そのマギラオが難しんすよね……この世界に現れたマクスムモンスターはゲームより強くなっていて挙句、HPやSPゲージが表示されなくて底が分からないんす、なんかリアル基準の体力になったんすよね」
「つまり、普通に倒すのもいいが魔力抜きで倒すのが理想ということか」
普通に倒すとモンスターの体を傷つけてしまい目の前の虫かごのチョウチョのようにぐったりした状態、魔力抜きなら魔力しか減らしていないのでおとなしい状態。受付に渡す時は魔力抜きしている方が報酬の量が上がったりするのだろう。
「そっすね。それに昨日は突然あのチョウチョが私の前に現れたんすからびっくりして、戦う準備が全然出来てなかったんすよね、いい機会だから師匠に現場を見せて一緒に、と思ったんすけどね……」
どうやら、モンブランが俺の前に現れたのはチョウチョを倒しに来たのではなく、俺を勧誘しに来たみたいだった。
「そんなにモンスターはたくさん来ているのか? 俺は今まで一回も見たことないぞ?」
「そすか? う~ん、モンスターが現れてもう一年くらい経つんすけどね、それにモンスターは日本を中心に今や世界中で確認されてるっすからどこにいるのか少し把握出来てないんすよね、それでも個体数は私たちの世界の総魔力を調べれば分かるんで、数は減っていることは明らかっすよ、見えるのは私たちだけっすけどね……」
世界中って……日本だけならまだしもそれでは困難を極めているな。
「すべてのモンスターのミニムム化に成功したらどうするんだ?」
「そっすね……今度はルストに溢れるモンスターになると思うっす、現在ルストではいくつかのメインサーバーだけ生き残っていて、そこを守護する人がいるだけっすからね、まだまだ仕事は多そうっす」
「……なるほどな」
俺はあのゲームでかなりの上級者だった。いや、上級者のさらにその一番上の層に君臨していた。そのステータスを引き継いでいるおかげか昨日の戦闘もあまり苦ではなかった。だから俺を勧誘しに来たんだろう。
「その前に師匠が同期できていたのが驚きっす、すごい仲いんすねクレメルちゃんと」
「その同期とは何だ?」
「正しくは記録中状態もしくは共感状態っすね」
昨日の俺は魔法を使って敵を撃退した。それと目の前のモンブランも俺の目の前に現れた時は、シンクさんと融合でもしたかのようにお互いのパーツを組み合わせて一人の人間になっていた。
「もしかして無意識になっていたんすか? それはちょっと異例すぎるっす、いやさすが師匠てことっすかね」
「異例? 俺はクレメルと融合していたのか?」
「融合……ではないっすけどある意味は合ってるかもしれないすね。同期っす、やり方覚えてるっすか?」
「いや、これっぽっちも」
やはり昨日の俺はクレメルと一つになってシンクさんとチョウチョに魔法を使って攻撃していたらしい。つまり精神安定剤は効果が無かった?
「やり方は簡単っす、好きになればいいんすよクレメルちゃんを」
「好き? ラブのほうか?」
「それはお任せしますけど、私の場合はライクっす。私たちのアバター、プッペンは私たちしか知らないことが多いっす。それがIDパスワードになって、二人の思いが重なれば同期率が一定値を超えて記録中状態になり、操作端末や命令でプッペンを動かせるっす。さらに高まれば共感状態、私とシンクが同期した姿っすね。あの姿の方が戦闘をしやすくて基本能力も上がるっす。理想は常時記録中状態っすね」
「でもジュパッパーインの方が強くなれるんだろう? それなら常時ジュンジュパッパーンの方がいいんじゃないのか?」
「は? あー、そうっすけど、共感状態はSPを消費しながら維持するんで理想じゃないんす」
SPは魔法を使う為に使用する魔力のようなもの。RPGのゲームで例えればMPといったところか。SPがなくなると共感状態を維持するSPもなくなるのか。そうなると魔法も使えなくなってしまうから怖いな。
これで、昨日の戦闘で俺が気を失った理由が分かった。無駄に超級魔法を使い、SPを使い果たしたのだ。
「さらにいえば操作端末が使えれば仲間との連絡が取れるっす」
つまり、同期率を一定まで高めて常時記録中状態で操作端末とやらをいつでも使えるようにするということか。
「俺は操作端末というのを見たこともないんだが……」
「ドクオンしていれば自然に目につくところに現れるっすよ、それがないということは……同期率が合ってないのか……でも師匠の場合はいきなりジュンパまで出来たっすからね、その時のことを思いだせばきっと……」
どうやら略語もあるらしい。記録中状態がドクオン、共感状態がジュンパ、同期率やこの現象を含めてシンクロ、シンクロパーセントと呼んでいるのだろう。
「じゃあコツとかはあるのか?」
「コツっすか? んー例えば私のシンクの顔の傷は七つとか……」
「なぜだ?」
俺は速攻で突っ込んだ。何か深い訳があるに違いない。そこにヒントがあるかもしれない。
「え? 今はどうでもいいじゃないっすか、そんなこと」
「師匠である俺に隠し事とは、情けないぞ、それでもモンブランか」
「いや、隠し事じゃないっすけど、ていうかモンブランてなんすか……んー……じゃあ師匠だけには教えるっすよ? ……あ、でも他言無用でお願いっすよ?」
「いいから言って見せろ」
他言無用とか、よほど人には聞かせたくないらしい。モンブランは一泊置いて語りだした。
「えーと……シンクは七つの大罪をその顔に浴びたんすよ、シンクは元々偉い騎士団長の長で百万の兵を見下ろす英雄だったんす、でも言葉が冷たすぎたのか人を見下ろす態度が許されなかったのか部下の反乱に遭ってなんとか退けたものの顔に傲慢の傷を刻まれたんす……」
ふむふむ、シンクさんの顔の傷にはそんなに深い意味があったのか……
モンブランの話は続いて、シンクが戦いから身を引いた話になった。
「……それで愛するメアリーと一緒に寝ているところに元カノのディアンナが来て嫉妬の一撃をその顔につけられたんす、メアリーは親友であるディアンナを止めるために立ち向かったんすけど、そこでメアリーの彼氏であるサムスが家を訪ねてきて三つ巴の……」
「もういい、なんかどうでもよかった」
「はぁ!? なんなんすかそれ! 師匠から聞いておいてそりゃないっすよ! ここからが悲しい色欲の物語の始まりなんすよ!? これを聞かずにシンクがどうして魔法使いの道を選んだか……!」
「いや、それはいつかどこかで必ず聞こう、それまでとっといてくれ」
どうやら、モンブランはシンクさんに有りもしない黒歴史という設定を負わせて常時記録中状態を保っているようだ。
俺は子供みたいに怒り聞き分けが効かなくなったモンブランの頭に手を置いて、なだめようとした。
「き、気軽に触らないでくれっす」
そう言って俺の手を叩く。ついクレメルのノリでそんな行動に出てしまったのだ。
髪質はモンブランのそれではなくサラサラした女の子の髪質だった。
「俺の汚い手でモンブランを汚してすまんな、ん? もうこんな時間か? はやく仕事に行かなくては」
時間を見ると昨日と同じ午後二時を回っている。仕込みを見逃したがまぁいい。元より俺はおでん屋を継ぐ人生など歩んでいないのだ。
「行ってくるぞ、クレメルはモンブランと仲良くな」
『うん! パパも頑張ってガンモ焼いてね!』
「そのモンブランってなんなんすか! もしかして私のことっすか!」
なにやら怒り出したモンブラン。仕方ない。モンブランは女の子っぽい名前が嫌いなようだ。
「陸……陸くんと呼ぶのはどうだろう?」
「普通に新里って苗字で呼んでくださいっす、あと私女の子っすから」
やっぱりモンブランだな。モンブラン系モンブラン型モンブラン女子新モンブラン里モンブラン……。モンブランがゲシュタルト崩壊を招き始める前に俺は、水色、水玉模様のエプロンを着て玄関に広がるブルーシートを跨いで外に出た。
「とにかく! 私は師匠を迎えに来たんっす! 師匠次第っすけどー!」
はいはい、わかったよ。
外の気温は今日も寒い。今年の秋は平年より落ち込んでさらに寒いらしい。昨日はチョウチョのせいでやたら暑かったが、きっと幻覚だ。
俺は、まだ悪夢を見ているのに違いない。
おでん屋は大繁盛だ。
子連れのお母さんが「二つです」と言うので、俺はガンモと呼ばれている熱々のまん丸な形をした紫色のサツマイモを二つ、急いで袋に詰めて子連れのお母さんに投げ渡す。
「あっつ! 何すんのよ!」
しまった。サツマイモがまん丸いので野球ボールだと勘違いして投げてしまった。
「すいません。初回のお客様は料金が無料なのでつい張り切りすぎてしまいました」
「え? あら、そうなの? それはありがとうね、ほらタカくんもお礼」
「おいもあんがと」
お母さんは屋台に小さく飾られているガンモの値段を見るとすぐに態度を変えた。
「ああ、それを食べてキリンのように首長に育てよ」
キリンは陸上動物の中で最も身長が高い。肩の高さですら三メートルに達する。キリンはたった四才でフルサイズになる。そんなキリンは俺の憧れだ。
タカくんと言ったか、君は見たところ五才なのでこれからももりもり食べてキリンのように伸びて欲しいと切に願う。人間という種はいつまでも背が伸び続ける無限の可能性を持っているのだから。たぶん……
「いいネー、暮井クンがんモ焼く才能アるよ」
「いえいえ」
俺は飲食販売店三大源則に則って店番をしていた。暖簾におでん屋と書いているが焼き芋屋な気がするのは俺だけだろうか? いや、これが『がんもどき』というやつなのだろう。俺は冷めたサツマイモを頬張りながら次の客を待つ。
思えば、俺が今ここで働いているのは奇跡の連続だった。
一年前のあの日、ジジィの入院する病院の目の前で精神安定剤をくれた浅黒い肌をした頭にメガネをかぶった先生、頬肉がそげ落ちた骸骨とでも呼べる状態のガーナー先生が倒れていた。
俺はそんなガーナー先生を助けて、近くを通りすがったおでん屋に預けた。
それから数ヵ月、バイトの面接に失敗続きだった俺がクレメルと我が家の庭でサッカーをしていると焼き芋屋が通りすがり、買いに行ったんだ。そこにはふっくらとしたガーナー先生が居て、俺に二つもまん丸なサツマイモをくれたんだ。
あの日のお礼らしい。その日から俺は焼き芋屋の仕事をしたくて仕方なくて、またもや通りすがるガーナー先生に相談した。すると、ガーナー先生は売上に対して一〇パーセントならバイト料で出すよ、という契約で俺は見事就職を果たした。
「あれ? 師匠ここで働いてたんすか? ていうか随分と目の前なんすね」
『パパ~』
すると、我が家からむすっとしたモンブランと少し困り顔のクレメルが現れた。暖簾の隙間からその顔が見える。
「どうした? その雰囲気」
まるで、クレメルが俺の仕事のことを自慢して、それを聞いたモンブランがこの人やっぱりアホなのかな……とか言って、パパをバカにするなとクレメルが反抗してモンブランと戦うが、そこはクレメルより背丈の高いお姉ちゃんなモンブラン――
「喧嘩したんすよ、クレメルが師匠の仕事は立派だっていうんすから……おいも焼きってそんなに立派すか?」
「当たり前だ、よしモンブラン、サツマイモを買え」
「は? どうして私がそんなことしなきゃなんないすか! だいたいおでん屋ならそこから買わせてくれっす!」
そんなことを言いつつもお腹を押さえるモンブラン、
「ぐぅうぅうう」
『あはっはっはあはあは!』
「うぅ……笑んなすよ! あの朝食じゃ足りなかったんすよ!」
笑いあげるクレメルを睨むモンブラン。
なるほど、こうやって喧嘩に発展したわけか。モンブランは、
「じゃあオススメっす」そう言って暖簾を潜った。
「任せろ」
俺は言われる前に石が敷かれている場所にある特に熱いまん丸で美味しそうなサツマイモを掴み、包みもせずモンブランのまだモンブランとは呼べない二つのモンブランの谷に向かって投げた。
「えーー! あっす! あすす!」
『あはっはあひゃははひゃはははあっはは!』
地面を叩いて笑いを表現するクレメル。モンブランといえばそれはもうカンカンに怒っていた。
「ちょっと! 何すんすか! 投げて渡すなんて論外っす!」
「いいから食べてみろ、それとも栗を焼いた方が良かったか?」
「もういいっす……にしてもすごい丸いんすね、おでん? ではないっすよね?……はぐっ……んっ!?」
モンブランは皮ごと食べる派みたいでまん丸なサツマイモに大口でかぶりついた。サツマイモの中は輝く黄金色、まるで宝箱を開けたら中は金銀財宝が詰まっているように輝いて眩しい。
そして、うまい。ただうまいだけじゃなくて最初に甘さが来て次に辛さがくる。辛いとはいえ次の二口目を頬張ると甘さを感じる。噛んでるとまた辛味。それを消そうと三口目で甘味。サツマイモ自体熱いので熱さと辛さで体全体から汗が滝のように流れる。秋の寒さで冷えた体をぽかぽかにしてくる。そんなさつまいもでした。
「これっ……おいもっ?……ほくほくっ、……の味っ……じゃないすっ……」
「次が食べたくなっただろう? ほらよ」
四口くらいで食べ終わるモンブランに、俺は二個目のまん丸なサツマイモもキャッチボールのように投げて渡す。それを受け取りかぶりつくモンブラン、すっかりサツマイモ中毒なようだな。
「これっ……いくらっ……なんすかっ……ほくほくっ……」
「一つ五〇〇〇円だ」
「たっか――――!」
「初回サービスはゼロ円だ」
「やっす――――! でも、私二つ食べちゃって五〇〇〇円すか!」
「いや、いまならクーリングオフできるけど、使うか?」
「どうやってーすかー!?」
「ご感想をお聞かせください」
「ってこれ試食会っすか! それクーリングオフって言わないっすよ! えーと……甘くて辛いそんなおいもっす……ていうかおいもなんすか?」
そこで、笑顔満面のガーナー先生が指で丸を作ってほっぺに押し付けた。「おっケー」と言っている。これでクーリングオフ完了だ。
「あーでもっなんかっ悪いっす、お金っははっちゃんっと払うっすよっ、それでっ三個目をっはやくくれっす、カラッ」
そう言うので俺はまん丸なサツマイモを取ろうとしたが……
「すまん、売り切れだ」
「えーーー! 私っからっカラッす、舌が辛いんすけど!」
モンブランは辛いことに耐性がなかったみたいで顔を赤くする。栗は甘いもんな。
『あははっはははひゃはっはっやっやっ焼き栗っははっはひゃっはあは』
「ふふっ」
俺はクレメルの発言に含み笑いをした。モンブランはカラッカラッと言っている。ヒーヒーは言わないんだな。
「あー嬢チゃん、嬢チゃん」
そこで、メガネを装着したガーナー先生が辛さで顔を赤くするモンブランを手招きした。
「なっなんすか、からっー、てかあなたって……」
「そんナニがんモ芋が食ベタいんナラ、少しオツかい頼ンでもイーかい?」
「おっおっ使いすからーッス! てかあなた、確か行方不明カラッース!」
モンブランの語尾が「何々っす」から「辛っす」になっていた。
「何を話してたんだ?」
「ちょっとしたお使いっすよ」
あの後、モンブランとガーナー先生は二人でなにかを話していた。
どうやらそれはお使いを頼んでいたらしく、焼くガンモが無くなったので大型スーパーでその代わりを買ってきて欲しいとのこと。
「てかなんでガンモなんすか? おいもじゃないんすか?」
どうやらガンモをサツマイモの代わりにするそうで五〇〇〇円も値段が張る理由が分からないといった顔をするモンブランと、笑い続けるクレメルと共に俺たちは我が家でお使いの準備を始めた。
「まずはメモからだ、欲しいモノがある人はいるか?」
「もう辛くないすけど、おいもっす、それと甘い菓子パンが食べたいっすね」
「焼き栗、甘栗、栗きんとん、炊き栗ご飯の素……」
「なんで栗ばっかなんすか! 私のことっすか! 私の髪型っすか!」
『あはっははは死んはっはじゃっははっうはっは』
メモを書き終えた俺は煮豆が入った大きな容器を両手に持って外に出た。あとは何もいらない。メモにはガンモとしか書いていないが、みんなは特に欲しいものは無いようだ。
「そのくさい豆どうするんすか?」
「入院しているクソジジィに持っていくんだ」
「そ、そうなんすか?」
「どうした?」
「いやあの、またそれ作るんすか?」
「……さぁな」
屋台は午後五時で閉店してしまうために焼いて売る時間を考えると少し急がなくてはいけない。それでも心優しいガーナー先生なら待ってくれると思うが。
大型スーパーは病院の近くにあるために、ついでに病院に寄ってジジィがくたばっていないか看に行く。俺以外にもクレメルが見えるモンブランもいると外でクレメルと会話できるのは嬉しい。クレメルの言葉に答えを返せるのが俺は楽しみだった。
それはクレメルも同じようで、俺より先に騒いだ。
『パパの好き好きランキングゲーム!』
「いえーい」
「なんすか急に」
すっかり生意気になったモンブランに俺は説明してやる。
「俺の好きなもの総合ランキング一〇位まで当てていくクイズだ、レクリーエーションにちょうどいいだろ?」
『僕からだよ! 僕!』
「ふふっ、一位だ! 百億万点!」
俺は笑顔を作った顔に親指を立てて、かっこよくそう言い放った。
「なんすかそれ! 反則っす!」憤慨するモンブラン。
『次はりっちゃんの番だよ』
「私っすか? んーそっすね……」
そういえばクレメルはモンブランのことをりっちゃんというらしい。俺も今度そう呼ぼうかな。
「も、もんぶらん?」
「………………」
『うんー?』
「あ、いや、やっぱ変えるっす! 無しっす! クーリングオフっす!」
なにやら顔が赤くなって慌てるりっちゃん。モンブランか……
実はといえば、俺はモンブランというケーキをあまり食したことはない。モンブランはデザイン的に男が買うものじゃないからな。頑張っても誕生日に予約した丸いデコレーションケーキが俺には限界だった。モンブランという言葉の意味は栗ではなくヨーロッパのどこかの山らしい。おそらく、マロンをアナグラムでロマンと言い換え、モンブランを登るのは男のロマンがあって、モンブランを食べるのは女のマロンがあるよな、といったそんな感じで広まり、モンブランマウンテンイコールボーイズ、モンブランケーキイコールガールズという構図が世界にできていったのだろう。そういえばモンブランは外観だけなら想像つくが中はどうなっているんだろう? でかい栗があるのか? いやマロンクリームが充満してるのか? まさかスポンジケーキを使っていたり……
そう考えると、俺は無性にモンブランを食べたくなってきた。
「そう! おいもっす! おいもは何位すか?」
「三位だ、一〇〇点」
「三位すか! やっぱおいも焼いてると好きになるんすかね?」
「モンブランは三位だな、今すぐ手に入れて、あれとかこれがどうなっているのか確かめたい、そのあとから、じっくりとな、ふふっ」
俺は含み笑いをした。大型スーパーでモンブランを見かけたら買おうかな。ふふっ。
「え! いや! そんな、わ……た、し……っすよ? だって……え? ど、どうしてっすか?」
「ん? モンブランが俺を呼んでいる気がするからな、モンブラン、嗚呼、その名を呼ぶだけで興奮してしまうぞ、モンブラン……ふふっ」
「え! いやいや! 私! そんな、上手くないっすよぉ~~~」
と言いながら、病院の中に先に全速力で走ってしまうりっちゃん。俺とクレメルは顔を見合わせて「変な子」と言い合った。パパの好き好きランキングゲームはクレメルの不戦勝になった。
病院に入ると新里陸がロビーで固まってこちらを見ていた。俺が視線を配るとそっぽを向かれた。近くに行ってもこちらに顔を合わせようとしない。
「私は部外者っすからここで待ってるっす」
「そうか、なら師匠からのアドバイスだ、人と話すときは目を合わせろ。そうしないとこの先、一人で生きてなんかいけないぞ」
「どこのおじいちゃんすか……分かりました、師匠、でもせ、責任は、とってくださいっす、すよ?」
俺はなんのことかわからないがとりあえず頷いた。新里陸は走って暑いのか、少し制服をバタつかせた。ブラまでモンブランの色なのか、徹底してるな。
結局、ジジィの入院しているところまでモンブランはついてきた。部外者と言っていたはずだが、はてな?
『おじいちゃん元気かな?』
「まだまだくたばっちゃいないさ」
「師匠のおじいさんはなんで入院してるんすか?」
「糖尿病と聞いたな」
その答えにモンブランは「あー」という声を漏らした。俺のカバンに入っている煮豆を指差す。
「じゃあ、その煮豆まずくないっすか?」
「なぜだ?」
「それめちゃくちゃ甘いっすよ?」
クレメルが煮豆の匂いのせいでいまだ手を付けたこともないのに、このモンブランはそれを食べたのか。栗と豆は同族じゃないから食べても強くはなれないぞ。
『おいしい?』
「あーそれは……」
「ダメだぞ、クレメル。あんなゲテモノ食う奴の気が知れん、感想も聞くんじゃありませんっ」
『パパの手あったかーい』
聞く耳なし、と俺はクレメルの両耳を両手で塞ぎながら廊下を歩いて行った。
ジジィのいる病室は静かだった。そこに入院されている患者は重病者と言われ、もう天命が尽きようという者たちばかりだからだ。その部屋の窓際にジジィは陣どっている。
「ジジィ、看取りに来たぞ」
俺はまた汚いツバを吐きかけられるわけには行かないので、一言声を掛けてからジジィに近づくことにした。
「………………(パクパク))」
ジジィは細い目で俺を見上げる、陸で口を開けてエラ呼吸をする魚みたいなアホヅラをする。ここ最近はもう寝たっきりなのだ。喋るところも起きているところも見ていない。
『こんちは』
「あ、新里陸っす……はじめましてっす」
「ジジィ、おばあちゃんの煮豆ここに置いとくからな」
俺は我が家から持ってきた煮豆をジジィの横たわる顔のすぐそばに置いていくと、すぐさま病室を去った。
あんな弱ったジジィを長々見たくないからだ。ジジィは俺が病室に来るといつもクソ呼ばわりしていた、どんなに元気がない日でもファックと中指を立てていた。俺が来たら、どんな状態でも俺に「クソガキが」と対抗していた。それなのに、今の無口なジジィを見ていると、むかついてくる。
「クソジジィが……!」
病室を出る際、そう言い放つ。ジジィの耳に届いたかは知らんが、俺はそう言ってやることに意義があると思っている。
病院を出て、大型スーパーに続く道を歩く。モンブランが地面を見て、似合わないため息なんかをつく。
「なんか……重いっす」
『パパ~抱っこ~』
「たかーいたかーい! じょりじょり~」
「全然気にしてなさそうっすね……はぁ~」
なにやらモンブランが落ち込んでいる。一体お前はどうして落ち込んでいるんだ? と言おうとしたが先にモンブランが答えた。
「つまり、師匠はおじいさんのために死んだおばあさんの真似をして、煮豆まで作ってたんすね、それってなんか……」
「なにを言っているんだ? 俺は煮豆など作り方も知らんぞ?」
「え? だっておじいさんに師匠はおばあさんの作った煮豆を置いていくって……あれ、師匠が作ったんすよね? おばあさんの写真を仏壇で見ましたよ?」
『パパ、スカイ、スカイしてー』
「いいぞぉーひゅうーん、こちらスカイ羽田線、現在上空二メートルを低空飛行しておりまーす!」
俺は辛気くさいモンブランの質問など無視して、クレメルのお願いを聞いた。
スカイスカイはその名のとおりクレメルの腹をつかんで持ち上げ走るという、とっても疲れる遊びだ。あと、周りに人がいないところでやっているので、今の俺は正常に見えているだろう。
「スーパー空港着陸です、お降りの際は足元にお気をつけください」
『ラジャジャー!』
そのまま、大型スーパーの手前でクレメルの純白の法衣で包まれた体を地面に着陸させた。この遊びはクレメルの中でも一番のお気に入り。
クレメルは小学五年生くらいの体なのだが、案外軽くてこんにゃくと勘違いするほどだ。女の子は体重が軽いからな。
スーパーに入ると中は結構な人々で溢れている。
ここにいる人たちは、何かを得るために何かを失う行為をしにここにやって来ている。そのおかげで安定した毎日を過ごせるというのなら安いというものだ。
だからある意味、何も失っていないと言えるだろう。
「働くことに意味があるのならばそこだろう、この場所はその問題を解決してくれる場所、そして……」
俺という人間もその一員だと思うと、俺は何を失って何を得ようかと考えてしまう。
「それが買い物だ」
「急にどうしたんすか? 買い忘れでもあるんすか?」
「財布を忘れてきてしまった」
「アホっすか!」
しかし、失う物が無いのなら何も得られない。それが今の俺の状況だ。
ガンモ、キャベツ、レタス、大豆、モンブランケーキ、メロンパン、アンパン、板チョコレート、携帯食料、カルピス、麦茶、GAマガジン、女性下着、化粧道具、いい匂いのシャンプー、光るパジャマなどなどがカゴの中に積み上げられている。
「カゴに入れすぎてから気づいた」
「なんでこんな買うんすか! いつもこんなの買ってんすか!」
『パパーあれかわいーの!』
「ああ、いいぞ、どんと来い!」
クレメルがどこから持ってきたのか、可愛らしい純白のかぼちゃぱんつを持ってきた。それをカゴにイン。
「金ないのになんで増やすんすか!」
モンブランがぜぇぜぇと息をついている、ツッコミすぎて過労死しそうだ。俺は疲れているモンブランに頭を下げ、手を合わせ、目を閉じた。
「お金を貸してください」
「……まぁいいすけど」
いいのか、普段より八〇パーセント多めに買い込んでいるけど、いいのかよ。
『パパーこれ?』
「ああ、それそれ、じゃんじゃん入れなさい」
俺はクレメルに食品、物資を指でさしてカゴに入れさせる。今はクレメルが欲しいものをカゴに入れていた。どうせ、クレメルがカゴに入れても、周りの人が驚くのはその時だけで、魔法で徐々に記憶がなくなっていく。モンブランもそれについては突っ込まなかった。
「でも余計な物多すぎないっすか? メモ用紙にはガンモしか書いてないすよ、なんで女性下着なんて買ってんすか? 今必要なんすか? これいつも買ってんすか?」
その声は少し苛立ちが混じっている。今気づいたんだがモンブランは相当つっこみを入れる。ボケを憎んでいるかのようだ。それに俺は対抗するように説明していく。
「ああそれは、モンブランが菓子パン欲しいというから選んだ訳で、モンブランが腹減りだと思って携帯食料ならよく持つだろうと思って選んだわけで、モンブランが今月の付録目当てだと思い選んだ訳で、モンブランがいるからこそ……」
「いや……なんかもういいっす、その、師匠の気持ちはわかったっす、なんか師匠って尽くすタイプ? なんすね?」
「何を言っている? 女の子のモンブランがいるからこそ、思い切ってクレメルに着せる下着や将来のための化粧品、クレメルの髪を洗う香りのいいシャンプーをカゴに入れられるんじゃないか」
モンブランが冷たい顔をして立ち止まる。俺はたくさんの商品が詰まったカゴカートを押してレジに進んだ。
「あ、そ、すか」
レジの総額は軽く二万は超えていた。俺は任せたぞ、という目を配ってレジに通されたカゴカートをクレメルと押して大型スーパーを後にした。モンブランは細かく小銭まで出してたので少し手間取り、レジから帰って来た時には既に俺たちはスーパーを遠く見渡させる駐車場をすぎて横断歩道を渡り――
「ってはや! なんでそんな早く行っちゃうんすか! カゴとカートごと持ってきてるっすし! 返さないんすか!」
「いや、これ裏ワザだからな」
『僕が押すんだよ!』
「裏ワザァ?」
うさんくさそう、と言っているモンブランの声と顔。
このスーパーにクレメルと初めて来た時、クレメルがキウイを持ってきたことがある。その時、それはおばさんの手によってあるべき場所に戻され、無かった事にされた。
その謎は、ルストで発動している事象消去の魔法が働いていることが原因だった。この事象消去というのはものすごく融通が利いてるのか、昨日の我が家の玄関もチョウチョが燃やして灰にした家々も、全て無かった事にしてしまった。
どうやら事象消去は魔力関係の事なら、都合よく人の記憶や出来事を改変するみたいだ。
ならば、クレメルが商品を選び、クレメルがカゴの中に商品を運び、クレメルと一緒にカゴカートごとスーパーを出て、我が家の前にたどり着くと……
「すいません、このカート片付けてくれますか?」
「え? なんで俺が……いや、そうだな、ああわかったよ」
俺は我が家の前で、要なしとカゴカートを他人に押し付けた。カゴカートはあの人によってあるべき場所へ帰っていく。そのことを覚えているのは俺とクレメル、モンブランだけだろう。
「なんか……便利っすけど、すっごい悪徳すよね?」
「さらに言えば、レジで会計せずとも走って店内を出れば商品を……買えた」
「それ盗めたっすよね! 犯罪っす! 今更っすけど師匠て常識と非常識の区別ついてるんすか? 普通そんなこと思いつかないすよ!」
俺が日本政府から教育を教えてもらっていたのは中学までだ。高校に通うのは強制されていないので反日本政府側の俺は反抗した。
しかし、今更になって思うが学校という過程は本当に大事なものだ。学校に通っていれば色んな人から物事を教えてもらい、学べて、人間性というものが出来上がっていく。俺の場合は高校に通えなかったのでその教育過程をスキップして、未熟なまま世の中を歩いてきた。だから、なにが善で悪なのか。俺にとっては天地創造にも等しい疑問だった。
「そんなこと言われてもな~」
『な~』
「なんすかその軽いノリは? やっぱり、師匠は私たちとついてくるべきっす、私たちのギルドは住み込みできる家、常識を身に付けるための学校とかたくさんあるっすからそこで最低限の常識を身につけて欲しいっす」
今思えば、なぜモンブランが俺と一緒に行動しているか俺は少し忘れていた。
モンブランは俺にウンリーオーのモンスターが現実に現れたから、それを捕獲するのを手伝って欲しい、もしくは仕事にして一緒に働いて欲しいということだった。
「すまんがそれはできない」
「あのおじいちゃんのことっすか? それは確かに……」
「それもあるが、違う」
確かにジジィがあの状態では俺は旅立てないだろう。それもあるがそもそもこれは……
「これ夢なんだろ?」
俺は今でもこの状況を『夢を見ている』と思っている。
俺がどんなに頑張って仕事に就いても五〇〇円しか貰えない夢、それでもクレメルが俺のそばで笑っている夢、変なチョウチョと戦っている夢、ジジィが死にそうな夢、モンブランがかわいい夢、長い長い夢を俺はずっと見ている。ずっと、二年くらい見ている。
夢だからこそ、俺は無茶苦茶なことを考える、荒唐無稽な行動を取る、自由奔放でいられる。
ある意味、悪夢と言えるだろう。それに、全然現実感がないんだ。クレメルがここに存在している訳ないだろ? ジジィが寝たきりな訳ないだろ? リーブリヒやルストというゲームの世界がウンリーオーのサーバーを通して俺たちの世界に繋がっている訳ないだろ? 全て無かった事にしてしまう事象消去の魔法? 有り得ない、ああ、有り得る訳ないさ。
でもこの夢はすごく居心地がいいんだ。もうずっとこの夢を見て人生を全うしていければ、文句はない。
「そっすか……ならもういいっす、早くおいも焼いてクレメルとイチャイチャすればいいっす……」
そう言って、我が家の玄関を開けて我先に帰ってしまう新里陸。
「それで満足なら……もういいっす……ただのバカっす……」
新里陸が我が家に入っていく際、まだ何か呟いていた気がするが俺には聞きとれなかった。
俺はすごく真面目な話、この夢から目覚めたくない。
おそらく、本当の俺は二年前のあの事件から全然時間が経ってなくて、高校に入学するために勉強を積み重ねる前なのだ。高校は楽しいだろう。絶対今の俺の生活より友達がいて、先輩がいて、先生がいて、人生にとって大事な大切な人ができるだろう。
だから、もしこの夢が覚めたら俺は頑張って高校に入学するんだ。頑張って。
「ガンモ買ってきました、ガーナー先生」
「そう、ソレじゃアサっさと焼イテくれル?」
時刻は午後四時を回って冬の時期なので辺りが暗くなり始めている。
俺は熱した石の上にガンモを一切れ置いた。初めて仕込みを任されたのだ。ガーナー先生はじっと俺の手つきを見ているので緊張してしまう。
すると、石の中からなにやら黒い羽が生えてきてそいつは漆黒の頭を出した。
アーーホーーホーー。
そう言って、そいつは真っ黒なくちばしに俺の買ってきたガンモを含み、バサバサと黒焦げになっている翼をはためかせた。その黒い何かはフクロウのような形をしていた。真っ黒な姿なので俺にはカラスに見えた。
ア~~ホ~~ホ~~。
カラスは悲痛な鳴き声を荒げると黒々としたお尻から卵を産んだ。紫色のまん丸な卵だった。いや、それが鳥から生まれてこなかったら卵とは思わなかっただろう。
そう、サツマイモだ。
ぎぃ……。我が家の両開きのドアが開いた音。クレメルだろうか? そちらを振り向くと新里陸がいた。背には大きなカバンを背負って帰り支度の装備をしている。
「りっちゃん、もう帰るのか?」
「……その呼び方気持ち悪いっす、はいもう帰るっすよお邪魔して悪かったっすお金は一宿一飯の恩義で返さなくてもいいっす」
早口で喋りまくるモンブラン。なんだか機嫌が悪そうだ。
俺はそんなモンブランに向かって、生まれたてのまん丸いサツマイモ、いや卵を掴んで、モンブランのモンブラン色をしたブラがあるまだモンブランとは呼べない二つのモンブランに挟まれた谷に投げ入れた。
「これで機嫌を直せ、りっくん」
「あす、あつっす! 私女の子っす! 師匠のバカ!」
アーーホ。カラスがなんか言っている。バカはお前だと言っているのか。
「たべナ、ダとさ」ガーナ先生はカラスの言葉が分かるようだ。
『僕も!』いつの間にかクレメルがそこにいた。
「…………ていうか、茹で上がった卵生むってどうなんすか……?」
「気にしたら負けだぞ、モンブラン」
サツマイモが卵ということを知っているということは俺の仕込みをどこかで見ていたのだろうか? それともこの卵を生み出すカラスを見て察したのか。モンブランは両手で持った卵を食べようか悩んで俺やクレメル、ガーナー先生がかぶりつくのを見てじゅるりと唾液が垂れた後、結局食べた。
すると、唐突に鳴り出す俺の時計タイ、もとい携帯電話。その着信音はメールではなく電話だった。誰からだろう? と心を弾ませながら相手を確認するとジジィが入院している病院からだった。
「はい……京太です」
「あ、京太くん? あのね、さっきあなたのおじいちゃんが息をひきとったの……」
「それは……真実ですか……?」
「ええ、真実よ……ついさっきのことで……え? 息を吹き返した? うそん?」
「すぐに行きます……!」
俺はジジィが三途の川を渡った、というところまで聞いて電話を切った。
その様子を見ていたモンブランやクレメルは心配するようにこちらを見ている。大体のことは察しているようだ。
ピッピ、ニャニャーン!!
と我が家の軒下から一匹の猫が唐突に飛び出した。黒と白色の毛並みであの化け猫だと思い当たる。化け猫は病院へと続く道を駆けていった。
『病院、病院に急げだってー!』
「俺たちも続くぞ!」
『らじゃじゃー!』
「……なんで私が……」
モンブランがため息をつく。食いかけの卵を見つめている。
「いいから行くぞ、モンブラン」
「……わかってるっすよ」
すっかり見失ってしまった化け猫を追って病院の道を走っていくと、病院の駐車場に化け猫はつま先立ちをさらにつま先立ちにして立っていた。その姿はねずみを狙う猫、狩人のようだった。
公園の鳩を捕まえるようにクレメルが駆け出す。俺は注意しようとしたが化け猫の動きに目を奪われた。化け猫は病院の自動ドアが開いた瞬間、真上にジャンプ。すると、黒い毛並みと思われていたそれは鳥のような翼。二度三度、大きく羽ばたいてまっすぐ飛んで行き病院の自動ドアが閉まる前に体を縦にして潜り抜けていく。
「あいつ、いいファルコンになるぞ……」
「あれって、ミニムムモンスターすよ!」
ミニムムモンスター。リーブリヒに生息する小さくてかわいいモンスターのこと。それがマクスム化もされずここにいるということは、
「天然のモンスターっす! あれを受付に渡せばすごい報酬っす!」
目を輝かせてさっきの暗いテンションなんて吹き飛んでしまったモンブラン。そんなにすごいのか、そんなに報酬は弾むのか、一攫千金なのか。
『パパー、りっちゃーん! ドア開けてー!』
「は、はやく追うっすー!」
その化け猫を追いかけるクレメルと一緒にモンブランも病院の中に入っていく。クレメルの姿は自動ドアに引っかからないようだ。
俺は二人のような気分にはなれなくて静かに病院に入っていった。
本日二度目の病院に着くと真っ白なベットに寝ているジジィは白い布を頭に被らされ、横には色鮮やかなお花が添えられていた。
「クソ! クソジジィ!」
俺は開口一番クソと呼んでやった。なんで、どうして死んだんだよ。まだ、俺はアンタの代わりなんかできない。アンタの代わりを俺ができるわけがない!
『おじいちゃん……』
「あ…………」
ピニャ……ピニャ……
ジジィの腹にあの、翼が生えた化け猫が座っていた。悲しんでいるようにも見える。モンブランはそれに気づくと、少し物欲しそうな顔をしていたがすぐ顔色を変えた。
俺はそんな二人に「一人にさせてくれ」と言って、暖かいロビーで待っているようお願いした。
ひとりっきりになった病室で、俺はジジィのアホヅラに被っている白い布を取り外した。
ジジィの死に顔はしかめっ面で汚い煮豆が混ざったツバでも飛んできそうだった。
ピ、ピニャン……
「そうか、おばあちゃんだったんだな、今まで気付かなかったよ」
この猫は俺の家に住み着いたお化けだとずっと思っていた。でも、お化けの正体はウンリーオーから来たモンスターで、さらにおばちゃんの幽霊がとり憑いた、俺のおばあちゃんだったのだ。
猫は翼を広げて病室の窓際に移動した。俺も気になってついていくとカーテンで覆われた場所には俺が今日ジジィに置いていった煮豆の容器が置いてあった。いや隠してあったのだ。看護師や先生から隠すため。
そして、その中身は空だった。
『全くだぜ、わしが糖尿病なのにあのクソ甘い煮豆を作らされちゃ……食うしかねーじゃんかよ』
『でも、あんた言ってたじゃない……最後はあたしの煮豆を食って死にたいんだって』
『けっ……そんなこと言ったかもな……おいクソガキ』
「なんだよ、クソジジィ」
俺は横たわるジジィの顔を見て答えた。しわしわの細い目が、汚い口がその時だけ開いたような気がした。
『てめぇはてめぇのしたいことをしろ、いつまでもわしやばあさん! クソ親の残したもんしょってんじゃねぇ! 引きづられてんじゃねぇ! 早くどっかにいっちまえっつってんだよ!』
『あんた! それは言い過ぎよ! 京太郎はまだ子供なんだよ?』
『だまってろい! てめぇは今一番なにがしてんだ? あの家に引き篭って、この町の中だけで! てめぇの人生を終わらせんのか!? あん!?』
ピニャー、と死んだジジィの腹にドロップキックを決め込む猫。喧嘩をしている。
俺もジジィの動かない襟首を乱暴につかんだ。
「なら出てってやるさ! こんな町! あんなスーパー! そんな病院! 俺の家! 全部捨てて出て行ってやる! 俺を引きづっている物が何もない、全部新しい……クソジジィも化けられない所に引っ越してやるよ!」
俺はそう叫んで病室の出口へと足を進める。ふと、このクソジジィが燃やしたという田舎の家を思い出す。どうやら血は争えないらしい。
『じゃあな、クソガキ』
「ああ、さようなら、クソジジィ」
病室を出るともう日は落ちてるのか、廊下は暗い蛍光灯が灯っていた。ただ無心にそこを歩いてた。何も考えていない、つもりだった。
「あ、師匠……」
『パパ……』
二人の声が聞こえる。俺は腕で目を抑えながら、どうしても溢れてくるものを止めながら、無心に歩いているといつの間にかロビーまで来てしまったのだ。
「モンブラン……」
「なんすか?」
「俺の名前は暮井京太だ、好きな動物はキリン。……俺を、雇ってくれ……」
「やっと下の名前を言ってくれたっすね、大歓迎っす、ていうかその為にここにきたんすから」
――その為?
「それじゃあこれからよろしくっす、師匠」
そう言ってくれるモンブラン、いや『新里陸』の差し出す手を、俺は握った。
新里陸は病院を出てすぐ我が家を目指した。俺とクレメルもそれを追って走り出す。
「もう呼んでるんで早く乗らないと受付に怒られるっす!」
「何を呼んだんだ?」
『パパ! あれ! お口でっかいよ!』
クレメルはすっかり真っ暗になった我が家上空の夜空を指さしていた。
そこには、巨大な雲が渦巻いていた。いや雲じゃない。雲の向こうに青い何かが潜んでいる。クレメルにはそれが見えるらしい。俺は普通に見えない。
「もう来てるっすね、私はモンスター申請通しているので乗り込めるんすけど、師匠今ごろ決めるんで私しか乗れないっすよ?」
「どうすれば乗れる?」
「あの雲の上にいるギルドモンスターに乗っかるんすよ、ていうか後日でもいいんじゃないすか? あーでも私たちも忙しいっすからここにくるの一ヶ月とか先になっちゃうっすけど」
「じゃあ、今すぐ行くしかないじゃないか」
つまり、あの雲の奥にあるギルドモンスターという青い何かまでたどり着けばいいらしい。新里陸はモンスター申請と言った、たぶん仲間が手配したモンスターに乗って飛んでいくのだろう。
『パパ! お家はどうするの?』
クレメルがそう聞いてくる。確かに我が家を捨てるのは少しもったいない。
あのクソジジィの前で『家も捨ててやる』とかなんとか言ってやったがすまんな、冗談さ、うそだ。あの家には俺の両親の写真もあるしな。
「我が家も一緒に乗り込めないのか?」
「は? 無理っすよ……あ、でもエイトはそうしてたっすね、一応家ごと持っていけばできるっすよ、ギルド広いっすし、でもさすがに今からは無理なんじゃないすかね」
エイトはそうしてた。ということは不可能ではないのだ。
「それなら、あの風属性中級と土属性上級の連携で可能だな、後は力加減か……」
「え? できるんすか?」
「頭の中ではイメージができているんだ」
我が家の前に着くと小鳥が一羽飛んでいた。いや、小鳥をさらに三分の一サイズにしたような小鳥より小さい小鳥で本当に小さい小鳥だ。ピヨン? とかわいく鳴いている。
しかし、小鳥の小さな羽が振り下ろされるたびに強い風が巻き起こり、我が家の周りは小鳥が起こした強い風が渦巻いている。
『また鳥ー?』
「本当に鳥ばっかり出会うな、今日は」
「私はこの小鳥に乗っていくっす! 師匠は?」
俺は魔法を使いたかった。しかし、どうすれば魔法が出せるのか分からない。どうすれば俺がクレメルと同期とやらが出来るのか未だによく分かっていない。
「どうすれば同期できるんだ?」
「言ったじゃないすか! 同期率を高めるために心を一つにするんす! 一定値を超えれば自動でドクオン状態になるっす! コツは好きっていうこと伝えることっす! お互いの気持ちを合わせることっす!」
なるほど。俺はクレメルを見つめた。クレメルは強い風の中で乱れる空色の髪も抑えずに、着ている純白の法衣がめくれるのを両手で抑えていた。
「クレメル! フュージョンだ!」
『ふーじょん?』
「クレメル! 爆進究極合体! ヴヴヴヴヴ!」
『ヴヴヴヴヴ?』
「クレメル、愛してる」
『うん! 僕も!』
ひしっ! 俺はクレメルを抱いて、二人の親子の絆、愛を確かめ合った。しかし、
「出来んではないか! 本当はもっと簡単な方法があるんだろう! このモンブーラン!」
「知らないっす! むしろなんでいっつもそんな仲いいのにドクオンしないのかこっちが不思議っすよ!」
「どうすれば……!」
「おいオイきみ、私ノ薬を飲めバ同期率上ガって強制どくオンが可能ダよ?」
そう声を掛けてくれたのはガーナー先生だった。屋台を俺の庭に片付けている。
ガーナー先生が差し出す薬は俺がもらったあの精神安定剤だった。
「なぁモンブラン」
「そのあだ名、定着っすか?」
「ああ、そんなことよりこれは夢じゃないんだよな? クレメルがいるのも、モンスターがいるのも、モンブランが現れたことも、ジジィが……死んだことも……」
「夢かもしんないすよ? こんなの常識的にありえないっすからね、しかもこれからお空の上に行くんすよ? いい夢じゃないっすか?」
俺はガーナー先生から精神安定剤を受け取る。「飲むノカい?」と先生は言っていた。俺は首を横に振って否定する。
「いや、夢っていうのはいつも都合のいい、俺にとっていいことばかりなんだ。俺はクレメルが目の前にいるのは俺の思いが化けさせたお化けの幽霊だと思っていた。クソジジィが病院に入院しているのは俺が一人で気楽に遊べるからだと思っていた。最初のあのモンブランが美人に見えたのは幻想だと思っていた!!」
「は!?」
「でも! 全部現実で! クレメルがいて! クソジジィが死んで! モンブランが可愛くて! 全部! 全部現実だったんだぁぁあ!!」
パリーン! と地面で割れたのはもらった精神安定剤だった。飛び出た錠剤を足で憎たらしく踏みつける。ガラス片が混じり飲めなくなった錠剤を粉々にする。
「え、えぇぇーー!? な、何してんすか! それを飲んで同期するんじゃ――」
「フガー! それ一錠作るノニどんダケ苦労するト思ってルンだよ! テメー!?」
「違うんだ! これは俺の精神を安定してくれるだけのただの薬なんだよ! それに、そんな便利な薬に頼ってこの先やっていけると俺はこれっぽっちも思わない!」
そう叫んで純白の法衣を両手で押さえるクレメルの前で頭を下げる、両手の手のひらを地面に着ける。
『パパ?』
「分かってるんだぞ! クレメル! パパ分かってるんだぞ! クレメル、パパになんか隠してるな!」
『そ、それは……』
「でも、そんなクレメルのこともパパは! 分かってやりたいんだぁぁあ!!」
俺は叫びながら、頭を上げて両手を真上に振り上げる! スカートをめくるように! クレメルの純白の法衣を前から大胆にめくってやった!
「な、何してんすかぁぁあ!!」
『あ……これは……その……』
法衣は大胆にめくれて風に乗った。クレメルは俺の視線から逃れるように身を捩って頬を赤らめた。
顕になった白くて幼い肢体、そこにあったのは純白のかぼちゃぱんつ。なるほど。今日大型スーパーで買ったあの可愛らしい下着を履いていたのか。道理で俺が分からない訳だ。俺は、女子じゃないからな。
「すごく、似合ってるぞ」
『うん……僕こういうのも履きたくて……でも恥ずかしくてパパに言えなくて』
「クレメルは恥ずかしがり屋だな、パパはクレメルのしたいことはなんでも叶えてやるから、俺はいつでもクレメルのパパだから……俺に隠し事なんてもうよせ」
『……パパ!』
瞬間、俺とクレメルの同期率が一定値を超えて、俺の体が光りを帯びる。
眼前のクレメルが俺の手を握ってきた。もちろん俺も握り返す。
握った手からクレメルの優しい気持ちがいっぱい伝わってくる。俺が想っているのと同じくらいの愛がクレメルにもあった。
「成功したみたいっすね、……さすが師匠ということなんすかね? いろいろ無茶苦茶っすけど……目の前に出ている操作端末で装備とか選べるっす!」
新里陸にそう言われ、目の前を見るとパソコンを操作するような大型キーボードと、装備やら魔法やらを設定出来る文字が現れていた。文字は指でタッチして選ぶみたいだ。
これが操作端末。俺たちに使いやすいようにキーボード仕様になっているんだろう。
武器という文字を指でタッチすると手に持つ武器を設定できる。そこにゲームで使っていたお気に入りの武器があった。それを選択。能力の数値が三倍近く跳ね上がる。
眼前のクレメルの手元が光り出して、茶褐色で木製の弦楽器が現れた。『ツァオバー・ガイゲ』という魔法のバイオリンだ。
クレメルはバイオリンを見て、弦を張った弓を振り回し首を傾げる。
『パパ、これなぁに?』
「それを弾いて魔法を発動するんだ、たぶんな」
「クレメルちゃん、分かんないんすか?」
俺はバイオリンを習ったこともないし、ゲームで実際に演奏したこともない。超級の魔法を使ったときにクレメルが弾いていた所は見たことはあるが。
「演奏者の武器は楽器なんすね。魔法は呪文を言いあげることで発動するっすよ、リストに名前が書かれてるはずっす」
そう言われて目の前に浮かび上がる魔法という文字をタッチすると、いろんな魔法の名前が書かれているリストが表示される。ゲームでの俺は闇属性以外の全ての魔法を会得していたので少し数が多すぎる。
あった、これとこれか。その魔法名を暗記する。
「クレメル、岩塊の詠唱はできるか?」
『えー? なにそれわかんないよ』
岩塊は地属性の魔力を集めて小石を岩の塊にする魔法。昨日の俺がシンクさんにぶつけまくった魔法で、ゲームではコマンドで動く魔法だった。押す、上げる、という呪文を唱えることで対象の岩を上下に操作出来るはず。
「それじゃあ、続けて言ってくれ」
『うん!』
クレメルは俺の考えていることが分かるのかバイオリンの先を、我が家の地面に向ける。
「フェルゼン!」
『ふぇるふぇん?』
「な、なんすか!?」
視界が揺れる、地震が起こる。しかし、それは我が家周辺のこと。日本列島が震えているわけではない。
「上がれ、エアーヘーベン!」
『エアーヘーベン』
次に、我が家が浮き上がった。岩塊を我が家の下の地面に範囲設定したのだ。庭もちゃんと範囲に入っている。
「上がれ(ヘーエン)、上がれ(ヘーベン)、上がれ(ベーヘン)! 上がれ(ベーエン)!!」
『ヘーエン、ヘーヘン、ベーベン! べーん!!』
俺は言葉に意味を込めて唱える。
そして、一気に足元の岩塊は上空へと昇り上がった。庭にいた俺とクレメル、新里陸、ガーナー先生の四人を乗せて上へ、上へと昇っていく。
「す、すごい速さで登っていくっす!」
「このぐらい詠唱すれば雲に届くはずだ、後は様子を見るか」
我が家を乗せたこの岩がどこまで昇って行くか分からないが止まったら、また呪文を唱えればいい。ひっくりかえるのだけは気をつけないといけない。
『ヘーヘン、ベーヘン、ベーベンベン、ベーヘンヘーエンベーベンベヘン、エーン、エーン……』
「って! 詠唱歌ったらまずくないっすか!」
クレメルがABCDのリズムで呪文を歌い上げる。
そこで空を登る速度が音速を超えた。
我が家はあっという間に目的の雲を突き抜けて雲の上にいるというギルドモンスターの姿さえ視認できずに、大空をただ垂直に昇り成層圏に到達した。
高度恐怖症なのか隣のガーナー先生が、地震が起きたら机に潜り込むように身を屈ませて這って屋台に避難する。
「私はここで降りるっすよ! フェーカーン!」
ピーピヨン!
フェーカーンという名前なのだろうあの小鳥が、モンブランの制服の後ろを小さな足で掴むとそのまま我が家から真っ逆さまに落ちていった。俺はとりあえず上がれ、上がれと歌い続けるクレメルを叱り静止させたが止まらない。
「それなら押せだ、いくぞ! 四回だぞ! 押せ押せ押せ(ドルックリュックンルックン)押せ(ドリュックン)!」
「どるくりゅくるっくん? どるっけん!」
我が家が熱圏に届きそうな勢いから一気に下に落ちる。強烈な反重力が体を襲う。しかし、今の俺の体はクレメルと記録中状態でいるのか、能力補強がされていてあまり苦ではなかった。常人なら無残に気を失い焼けて死に至るだろう。
我が家は大気を受け止めて摩擦され、熱い熱気を纏い降下していく。まるで隕石かコロニー落としのような現象が起こる。
俺とクレメルは真下のギルドモンスターの背中に降りるために真下を直視していたが何も見えない。大気とか風とか雲が邪魔をする。目が開かない。ただ、雲の白が極端に集まっているところがあるのを感じてそこを目指して唱える。
「爆風よ吹きつけろ、オルカーン!」
『オルカン!』
我が家の横に突風が吹いて進路を修正、成層圏に戻ってきた。新里陸を表す栗色が見えてくる。対流圏に入ったところで新里陸が我が家の隣にやってくる。小鳥は気楽にぴよんぴよんと囀りながら小さく羽ばたいている。
「どうやって降りるんすか! これじゃあ! ギルドモンスターに大ダメージを負わせるっすよ! そんなの前代未聞っす!!」
「確かにな……」
我が家は熱気を帯びて下に落ちている。このまま着陸すればギルドモンスター(いわばそのモンスターにもHPがちゃんとあるわけで)を殺しかねない。
『パパー! あれー! みてー!』
真下を見るクレメルに言われて一緒に真下を覗きこむが、我が家が切り裂き流れていく大気のせいで目が開けられんのだクレメルよ。と思って目を閉じたらクレメルの見ている景色が頭に浮かぶ。同期って便利だな。
クレメルの視覚を共有して見たそいつは大陸だった。大陸の淵にはぐるっと囲うように林が茂り、その前にはたくさんの家の屋根と街灯の光、中央には黒い高層ビルが建っている。ユーラシア大陸も北アメリカ大陸程もないが俺の住んでいた町ぐらいの面積はある。
そいつはクジラだった。むき出しの大きな歯、つぶらな瞳、全長一八〇〇〇〇平方メートル、青い巨体は東京ドーム四個分だ。かつてウンリーオーで最大規模と謳われたレイドボス、雲クジラ(ヴォルケン・ヴァール)だ。俺の所属していたギルドの名前にもなっている。
と、我が家が降りる予定のクジラ大陸を鑑賞していたが、さてどうやって降りようか。
「いや、こいつなら耐えられるんじゃないか?」
「なにいってんすかーー! 耐えても下の師匠の住んでる町に落ちちゃうっすよーー! 復興までどんだけ魔力と時間かかると思ってんすかーー!」
事象消去の魔法はモンスターや魔法でどんなに俺たちの世界を荒らしても無かった事にしてくれる。しかし、それは俺たちの世界だけが対象のようで、モンスターやあの背中の大陸が壊れたら無かった事にはしてくれないみたいだ。
「くそ……どうすれば……」
俺がもう打つ手なしと絶望の大空に身を投げ出して我が家を空中分解、もしくは大陸にコロニー落としでも策略しようかと思っていたその時、
ピニャァーーーーン! 空の彼方から猫の体をしたファルコンが翼を広げ飛んでくる。
アーーホーーホーー! 我が家の庭にある屋台の焼け石から黒焦げたカラスが顔を出す。
一匹の猫と、一羽の鳥は我が家の真下に潜り込み、なんと押し返した。たかが石ころ一つ、とでも言いそうだ。
『京太郎はここで終わる男の子じゃないだろう?』
『クソガキが! こりゃ死んでも死にきれんわい!』
「……おばあ……ちゃん……それにクソジジィ……!」
どこからか、もう死んでしまった優しくて大切なおばあちゃんの声と、嫌な思い出しか作っていないクソジジィの声が聞こえた。
『あたしは、いままで京太郎と一緒に過ごせて、あんたと一緒に逝けてもう思い残すことなんてないのさ!』
『クソガキ! わしが手を貸すのはこれで最後じゃぞ! 後はもう一人で生きていけ! いくぞ! ばあさん!』
『あいよ!』
『『暮井流! 硬化拳法術! 凍波硬朽!!』』
それは、いつの日か語っていた伝説。悪人を凍らせたり、自身を硬化させたりする暮井家に伝わる必殺技。
猫が鋼の肉体を纏い、肉球は柔らかいから硬いに性質を変化させ我が家を押し返す。
カラスが焦げた翼で我が家の熱に対し、氷点下まで下げる寒風を巻き起こす。
柔と剛、炎と氷があるように二匹は反対の属性、性質を持って我が家を押し上げる。
我が家の落下速度がみるみる落ちて気温が冷えていく。周りを包んでいた熱気はもうない。
大陸が目と鼻の距離になる。振動に耐えるために我が家にしがみつく。
――――――ズザァァァア!!
轟音を上げて大陸に着陸。何百メートルもひきづって大地を耕し、淵の林に激突し、大陸を揺らしてやっと止まった。
我が家は無事だった。無事にクジラの背中に広がる大陸に着陸したのだ。
「おばあちゃん……クソジジィィィィ!」
俺は勢いが止まったところで、我が家の真下に向かった。そこには我が家を押し返してくれた一匹の猫と一羽の烏がいるはずだった。
しかし、姿がない。
我が家の真下は岩塊があるだけで、大陸の土が付いてるだけだった。
俺は確認のためにもう一度、呪文を唱えて岩を上げようとしたら、我が家の下にある岩からボコッと黒いくちばしが突き出た。あほーとカラスが顔を出す。こいつは石に潜るのが好きだったな。
次に、クレメルがファルコンを抱いて俺の近くに来た。どうやら、子猫特有の柔軟さを活かして我が家が着地する寸前に、背中の翼を広げて四足の足で無事に着陸したらしい。
「うおぉーー! やったすねーー! 師匠!」
遠くから新里陸の興奮した声が聞こえる。小鳥に引っ張られながら着地する。
『パパーー!』
クレメルが抱きついてくる。その様子はとても嬉しそうだ。俺の気持ちも高揚する。
俺は上空にある真っ暗な大空を見る。雲の上の大空はたくさんの星が瞬いていた。
「本当にじゃあな、おばあちゃんそれに……と、クソジジィ」
俺はさっきまで飛んでいた大空に手を振った。そこにはおばあちゃんが教えてくれた星座、不動の星として有名な北極星の近くにある見えにくい『キリン座』が輝いていた。
それをちゃんと見つけて大きく手を振った。
俺はジジィのようになれるだろうか。
はい、ここまで見てくれた方感謝です。
この作品は大賞に投稿したものなのでもう少し続きます(イラスト執筆中
クレメル可愛いですか? え、モンブランの方が可愛い?
お話のオチがつくのはもう少し先なのです。