プロローグ
プロローグ
今でも時々思い出してしまう。俺の愛したあの世界は一体なんだったんだろうと。
そのことを思い出す度に、考える度に、その世界で過ごした三年間は無駄だったのでは? と気づかされる。
おそらく、あの世界の俺を知っている人は世界で一〇〇人にも満たないのかもしれないし、もう一人も覚えていないのかもしれない。
でも、俺は本気だったんだ、あんなに楽しくて、必死になったのは人生で初めてだった。時間を惜しむことなく人生を注ぎ込んだ。
あの世界にいれば何もいらなかった。最高に満足な毎日を送っていた。
あの時が来るまでは。
それはもう二年前のことだ。
当時、ユーザー数ランキング第一位を記録し、大人気好評中だった2DMMORPG(平面画面大規模多人数型ロールプレイングゲーム)『ウンエントリヒ・リーブリヒ・ルスト』通称『ウンリーオー』をプレイしていた最中の出来事だった。
外はクソ寒く、雪が降り積もっている冬の季節。
総プレイ時間は約一〇〇〇〇時間、三年間プレイし続けて一日平均一〇時間といった割合。
俺の溺愛したあの世界で最終時間の話。
パソコンの画面では、大きな剣を持つ赤い色の女、弓を構える黄色い男、杖を振るう緑色の男が映っている。そして、画面の中心には弦楽器を奏でる空色の女――俺がいる。それらの人物はドットの点で二頭身に構成されており、二次元のキャラクターだということが分かる。
そのキャラクターたちが剣や弓を使って行動すると、「やっ」とか「とおっ」などの声優さんの演じる声が流れる。魔法はブツブツ呪文を唱えて武器を振っている。戦っているのだ。
敵の名前は『フォイルニースドラッヘ』という黒くて臭そうな火山の黒マグマに生息しているゾンビのドラゴン。そいつはドラゴンの中でもとびきり強い奴で、俺と赤い色の女『アイリ』の二人で二〇分はかかる強敵だった。
レベル的には緑色の男『シンク』が初級者で、黄色い男『エイトメイト』が中級者な感じだ。俺とアイリは上級者で両マ(レベルもスキルもMAX)に達している。
『全体攻撃来るわよ! 隠れて!』
画面右端に更新される文字はテキストチャットと呼ばれる仲間との会話だ。
アイリのコメントに対し、シンクとエイトメイトが俺の後方に避難する。俺は『防御』というコマンドを使って、男二人をドラゴンの全体攻撃――暗黒滅撃龍種砲から守る。
戦いは五分を経過し、そろそろ敵もくたばる頃。俺はSPという、魔法を使うために消費する青色のゲージを確認。キーボードを叩いて文字を打つ。
『残り三割切りそうだから超級魔法使うよ』
『ドウゾ』『あとは頼んだす』とテキストチャットが更新される。その中でも俺が注目したのはアイリのコメント。彼女は前線で敵の攻撃をたった一人で捌いている。
黒い火山から無数に伸びる触手はアイリを集中的に狙っていた。
『詠唱中は絶対に守るからやっちゃって! クレメル!』
他の二人に比べれば奮闘している。コメントも面倒くさがらずに感嘆符などを打っているところが真剣さを増している。
『超級魔法デア・ヌスクナッカー・ズィーベント詠唱、残一〇秒』
そんなアイリの期待を裏切るわけにはいかない俺が選んだコマンドは超級魔法という魔法の中でも極めて強い魔法。その効果は味方の蘇生、回復、能力強化、聖属性付与とSPの一時的回復。超級の発動条件はSP残量を三割以上残すことだ。発動すると、SPがゼロになるまでじわじわと減っていく。
その威力や効果は絶大だがSPがゼロになると魔法は解け、SPが回復するまで行動不能状態に陥るので、何もできなくなるのが欠点だ。使いどころを見極めなければいけない。
『今すぐかわいい姿に戻してあげるね! 戦いの円舞曲! 第七曲を聞かせてあげる! さぁ! 楽しく踊ろうよ!』
そこで、俺の部屋に声と音楽が流れた。一〇秒が過ぎて超級が発動し、声優さんの甘ったるい声で言われたかわいい台詞、バイオリンやトランペットなどのオーケストラで奏でられる音楽が流れる。
画面には俺の作ったアバターがバイオリンを弾いたり、ピアノを弾いたり、バレエのような踊りを仲間と踊るシーンが流れる。それらはドットの点で構成されており、二頭身のキャラ達が可愛く動き回って敵を屠る。
フルボッコ状態という感じで敵はマグマから陸に引っ張り出されて動かなくなる。その姿はドラゴンというより魚に近い。テキストチャットに経験値や報酬の知らせ。
『グロース級、暗黒龍種フォイルニースドラッヘの討伐完了、EXP+七〇一〇〇、ボーナスEXP+七七七七、暗黒龍の飛べない翼を二枚、暗黒龍の噛めない牙、暗黒龍の歩けない爪足、暗黒龍の見えない眼を入手、転送場所にて帰還してください』
『憂いのない戦だったでござる、てかこんなもらえるんすか』
『トドメが超級、オーバーキル、更にウィークポイントだからね』
――ここだ。
俺は巨大なボスを倒した時や、自分がカッコいいトドメの仕方をするとこのボタンに手をかける。キーボードのF一〇を押してテンキーの七を押すこと。
これは、イラストアートという絵をショートカット操作で画面に表示させるものだ。画面には俺の空色のキャラが弦楽器を持って満面の笑顔に下から目線で悩殺、背景には青空と音符が描かれた一枚絵――イラストアートが出てくる。吹き出しには『愛でて、めでて?』と書かれている。思わず撫でてやりたくなるぜ。無理だけど妄想でね。
『かわいいっす~』
『がんばったねー(はーと)えらいえらい(らぶ)』
そのイラストアートの俺を愛でてくれるのはシンクとアイリ。エイトメイトは無愛想に転送場所に飛び込み我先に帰っていた。俺はいつか振り向かせてやると、胸に炎を灯らせて三人と一緒に転送場所へ。
転送した先はギルドホーム。ヴォルケン・ヴァールという名前のギルドが俺たちのギルドだ。構成人数は四〇人ほどでそこそこ有名。二年前、アイリに誘われてこのギルドに参加した時は、俺を入れてたったの六人だった。それがこんな大所帯になると少し胸に響くものがある。
このゲーム『ウンリーオー』は凶暴化したモンスターを元のかわいい姿に戻すことを戦いの目的にするゲームで、2Dゲームであり、3Dとは違い立体的なリアル感はないもののキャラの絵がかわいいのが魅力だ。
タイトルの意味は『無限の可愛さ、楽しさ』らしい。俺がそのことに気づいたのはゲームを始めて一ヶ月くらいだった。どうやらこのゲームは男子よりも女子向けらしい、それでもプレイ人口は男性の方が多いとか。
エイトメイトが『ネマス』とテキストチャットに書き残しログアウト。俺はシンクとアイリの三人で近くの椅子に座ってミニゲームやおしゃべりをしていた。クエストに出掛けてもいいのだが、今の俺は超級を使った反動でSPが底を尽いていて満足に動けない。
SPは一分毎に一ポイントずつ回復するので一日に遊べる時間は限られている。
それを考慮してかアイリとシンクが、俺を囲んでクエスト以外で遊んでくれる。
今、画面に映っているのは子猫のような姿をしているが背中に細長い羽を広げているモンスターの影姿。なんとなく分かるが名前が出てこない。
『これはシュバメッツェね』
『正解でございます』と褐色の女性がにっこりする絵。名前はガウナというキャラ。
『よく覚えてるっすね、我にはよくわからんでござる』
『アイリお姉ちゃんはモンスターの名前全部覚えてるんだよ、本当すごいなー』
ミニゲームにはウンリーオーに出てくるモンスターが描かれたトランプのゲームや、モンスターの影姿を当てたり、ウンリーオーの地名やNPCの人名を当てるクイズまである。どれも本編と同じくらい面白い。
そんなミニゲームで遊んでいた時、俺の部屋が揺れて物がカタカタと音を立てる。
――地震? 俺はすぐに治まるだろうと思ってゲームに戻った。テキストチャットではシンクも揺れていることを書いていた。俺も書こう。
『今揺れた』
『やばい、すごい揺れるす』
『そんなに?』
『あqwせdrftgyふじこlp』
『シンクがログアウトしました』
『死んだ(恐怖)』
アイリが怖いことを書き込んでいる。シンクも最後に何か書き残そうとキーボードを乱打してログアウトしてるし……おそらく地震による停電だろう。そうに違いない。
その時――
グワングワンと大きく視界が揺れた。部屋の照明、本棚、ディスプレイがガタガタと揺れまくる。机に置いてあるペットボトルのカルピスが倒れて床にぶちまかれる。
主要動。すごい揺れが来たんだ。地震の本命。
――嘘だろ、本物の地震じゃんか。
俺はパソコンとディスプレイを体全体を使って倒れないように守る。
この時の俺にとって一番大切なのは自分の命よりこのゲームだった。
地震はすぐに止んだ。部屋は散らかってやばいことになってるがまぁいい。幸い停電は起きず、インターネット回線は生きていてゲームは繋がっていたのだから。
さて、ゲームは必死に守った俺だが、アイリと二人だけになってしまった。少し昔を思い出す。こんな状況だが。
――よし、思いっきり甘えてやる。
『お姉ちゃん、すごい怖かったよぉ』
『うん、クレメルの地域は大丈夫?』
『ううん、部屋は電気落ちて真っ暗、床はカルピスまかしてびちゃびちゃだよぉ』
『なら、お姉ちゃんが電気戻るまでお話してあげる』
『うんありがと』
じゃあなんでネットは繋がっているんだ、と俺が俺にツッコミをしてしまう。
アイリは『部屋寒くない?』とか、今テレビで流れている第五回ゆるキャラグランプリの優勝はラッフェくんに決まったとか、いろんな話を聞かせてくれる。
『へーあの首長の?』
『私好きなんだ、色模様とか』
『僕は尻尾かな』
『ねークレメルは好きな人いる?』
『アイリお姉ちゃん』
『ありがと(はーと)でも私にも好きな人はいるんだよ?』
これは女子トーク、恋バナと呼ばれる雰囲気。俺はこういう女子空間がたまらなく好きだ。女の子という生き物はどうしてこんなにふわふわな可愛いことを考えるのだろう? 男だと殴り合いの青春、力と力の暴力で解決とかだ。ほんと野蛮なやつら。
『え~だれ?』
『リアルの話だから言えない、片思いなんだけどね』
『告白はしたの?』
『出来ないよ~そういうのはもう少し時が経ってからだと思ってるんだ』
『そうなの?』
『そうなの』
女子トークは三〇分くらい続き、アイリに部屋を片付けなさいと命令されて、俺はカルピスを拭くためのティッシュを手に取り床を拭き始めた。俺が部屋を片付けてる間、アイリは他の人の話や地震のニュースを調べて情報収集するらしい。さすがお姉ちゃんだ。
俺が本棚に漫画を片付けている、その時だった。パソコンからビープ音が鳴った。
初めて聞く音だな、と思いパソコンの画面を覗いた。そこには赤文字で運営からの緊急メッセージが表示されていた。
『ウンエントリヒ・リーブリヒ・ルストをプレイ中の皆様へ、大変申し訳ありませんが緊急メンテナンスのために三〇分後に強制ログアウトを致します。ご不便をかけて大変申し訳ありません』
緊急メンテナンスで三〇分後に強制ログアウト? 俺が三年間プレイしてきた中で初めての出来事だった。このゲームは低スペックのパソコンでも遊べるゲームゆえ、バグや文字化けなどの対処は水曜日の定期メンテナンスでアップデートできる。
たぶん問題はさっきの地震だろう。停電によってサーバーが落ちたとかそういうの。
画面を見ていると、アイリのテキストチャットが更新された。
『やばい』
――なんだろう?
アイリがこんなことを書き込むのは初めてだ。嫌な予感が体を走る。
今の俺は部屋の片付けのまっ最中。よって書き込むのは怒られる気がするし、じゃあまだいいか? といっても運営からの強制ログアウトの話もあるし……
返信するかしないか考えているうちにアイリの書き込みが更新していく。
『さっき聞いた話。波浪注意報が発令したみたいで大きな津波が太平洋側に来る』
『その要注意危険場所に、ウンリーオーの鯖会社が範囲に入ってるみたい』
――は? 太平洋側に津波、鯖? ああ、サーバーか。
一瞬、たくさんの鯖が太平洋沿岸に押し寄せてくるのかと思ったがそうじゃない。
さっきの地震によって発生した津波が日本の太平洋側に来るということだ。そこにウンリーオーのサーバーもあると。
え? それやばいじゃん。
『さっきの運営からの通知。あれは避難勧告のために鯖会社に勤めている人が避難する為の準備時間みたい』
『うそ』俺は無意識にそう書き込んでいた。
『ほんとよ、フレンドから聞いた話だから確証はないけど』
『津波って、ゲームはどうなるの?』
『予想だと鯖会社は浸水、鯖のデータはどうなるかわからないけど』
『つまり明日はできない?』
『明日どころかサービス自体が半年ほど復旧に時間がかかる見込みと推測してる』
『うそ、うそだよね?』
『ほんと』
『うそだよ』
『ほんとなんだよ』
「嘘だ、嘘だ、嘘だろ……こんなことあんのかよ……なんなんだよ、サーバーが落ちるんじゃなくて浸水? 半年できないってなんだそれ? 冗談だろ? あーでも聞いた話か……でもアイリの言っていることだし……どっちなんだ……これ、どっちなんだよ……」
俺は疑心暗鬼になっていた。アイリは冗談は言うが嘘を言ったことは一度もない。俺の言葉を否定し続ける様子はまるで、これからアイリの言っていた事が本当に起きると、確実にそうなると告げているようだった。
俺の『うそ』という書き込みにアイリは『ほんと』と返し続けた。
そんな俺にアイリは書き込んだ。
『うそだ、うそだ』
『クレメル、冒険に行かない?』
『ルスト、しよ?』
――冒険? こんな時に? なんで? あ――
俺が考えたのは一瞬だった。アイリの書き込みの意味を察した。
アイリが言いたいこと。それは、これから緊急メンテナンスで半年の間、ウンリーオーができなくなるなら、この最後の時間を楽しもうということだった。タイトルの略称であるウンリーオーに含まれないルストという単語の意味を思い出す。
――楽しもう。今を。
俺はキーボードを打ち込み、マウスを走らせる。
『うん! いこ! 場所は僕に任せて!』
『ええ!』
『クレメルヒェンが始まりの島、探索を開始しました』
『探索?』
『ついてきて!』
『てっきり、最新ダンジョン選ぶかと思った、意外』
『お姉ちゃん! はやく!』
鳥やうさぎに似たモンスターが出る道中を走って、俺は最奥地を目指し突き進む。
懐かしい。ここに来ることはもうほんとんどない。始まりの島というダンジョンは名前通り、ウンリーオーの冒険の出発点だ。チュートリアルで試しに始めた人も来るところなので、正に誰もが通る道だ。でも、俺やアイリは最近ここには来ていない。なぜなら、モンスターやお宝のレベルが低いからだ。
それでも、始まりの島には一年で一回、俺とアイリは二人きりで必ず来る時がある。
四月の期間限定で咲く桜を見に。
四月は現実の問題でいろいろな人がウンリーオーを離れていく時期で、俺は最初のギルドでメンバーのみんなが解散した時にここに来ていた。ここで、桜を見ていた。
『ウンエントリヒ・リーブリヒ・ルストをプレイ中の皆様へ、大変申し訳ありませんが緊急メンテナンスのために一〇分後に強制ログアウトを致します、ご不便をかけて大変申し訳ありません』
運営からの通知。クソ、早く早く。キャラの歩行速度の限界に嫌気がさしてくる。最短距離で進んでいるのにこんなに遅いなんて。
――今は冬、外は雪が降っているから四月の桜は見れないだろうな……
そして、始まりの島の最奥地、エーアストバオムの木陰にたどり着いた。そこは大きな葉を枝につけた太い幹の一本の巨木があって、その葉で出来た木陰を縁どるように木々が周りに生えている場所。当たり前だが今この場所には誰もいなかった。
四月になると、この巨木は桜になり桃色の花びらを散らせる。まるで、新しい冒険者や出会いを向かえてくれるように。または、別れを告げるように。
俺が初心者だった頃に所属していたギルドはもう解散してしまった。ギルドのみんなは就職や引越し、学校により時間に余裕がなくなってしまったからだ。
残ったのは、中学二年生に上がった俺だけだった。
『ねぇ覚えてる?』
『忘れるわけないでしょ』
『僕ここでアイリに拾われたんだよ』
『うん、あの時は桜が咲いてたね』
『僕アイリが話しかけてくれなかったらやめてた』
『あの時は探したのよ? 兄からチャットアドレスはもらってるから遠くからでもチャットはできたんだけど直接話したいなって』
『そうなんだ』
『それから、クレメルが中学生の子って聞いて推理したの』
『推理?』
『兄のギルドが解散して、クレメルはそれに反対だっていうことを知って、一人残されたクレメルはそういうのに敏感だから桜を見に行ったんじゃないかな? て』
『お姉ちゃん名探偵』
『クイズが好きだから推理も得意なのかしらね』
「…………ぐすん」
俺は泣いてしまっていた。アイリに拾われた時のことを思い出すだけで胸にじーんと響くのに、今の気持ちは顔が熱くなって勝手に歯が唇を噛んで、普段滅多なことじゃ流れない俺の頬に涙を這わせる。
この気持ちをアイリに伝えるにはどうする?
『ウンエントリヒ・リーブリヒ・ルストをプレイ中の皆様へ、大変申し訳ありませんが緊急メンテナンスのために一分後に強制ログアウトを――』もう……うるさいなぁ……
再び来た運営からの空気を読まない通知をかき消すように手を動かす。
『お姉ちゃん大好きだよ』
『私もよ』
『お姉ちゃん愛でて、めでて』
『クレメル(はーと)なでなで(らぶ)』
F一〇を押してテンキーの七を押す。イラストアートを呼び起こす。
『また会おうね(はーと)またクエいこうね(らぶ)』
『お姉ちゃん愛してるから、ずっと、愛でて、めでて』
『――――――――――――』
そこで、画面が止まった。俺はいつまでも画面の右端に続くテキストチャットを見ていた。アイリの返信が文字化けしている。いつ更新するんだろ? まだかな? 遅いな? おかしいな……
そのせいで俺がゲームからログアウトしたことに気づくのは、一〇分とかそのくらい経った後だったと思う。部屋がやたら寒かった。
その後、ウンリーオーはアイリの言ったとおりになりサーバー会社の水没、ゲームサービスを無期限休業となった。俺はウンリーオーの公式ページや、掲示板を覗いて情報を集めた。
掲示板にはギルドの名前でスレッドが立ってあり、俺の所属している『ヴォルケン・ヴァール』もあった。そこで、シンクやエイトメイトと情報のやりとりを行う事は出来たのだが、肝心のアイリとは連絡がつかなかった。他のメンバーやギルドリーダーもアイリの行方は分からないらしい。
せめて、あの最期の時に文字化けしたテキストの内容を知りたかったが、ついぞ俺がそれを知ることはなかった。
それが、二年前に起きた事件。通称、太平洋大震災。震源は太平洋海底だったので揺れはそれなりだったが、地震のせいで出来た津波がすごくて太平洋沿岸側が酷く荒らされた。
ウンリーオーがサービスを休業して数ヵ月後の、現実でも桜が散る季節。ウンリーオーの公式サイトが更新された。更新されたトップページにでかでかと書かれていたのは、
『ウンエントリヒ・リーブリヒ・ルストは四月をもってサービスを終了いたします。
昨年一二月の太平洋大震災によりサーバー本社及び近隣の地域が津波によって流されてしまいました。復興の目処が立たないために、これを区切りといたしましてサービスの終了となることを、誠に勝手ながらお伝え申し上げます。
これまでウンエントリヒ・リーブリヒ・ルストをご愛顧いただき、誠にありがとうございました。
お問い合わせはこちらへ』
それは、ウンリーオーのサービス終了のお知らせだった。俺は『こちら』という文字が青くてクリックができるようなのですぐさまクリック、連絡先の電話番号とメールアドレスが画面に映る。
それにすぐさま連絡。電話は大変混んでいて繋がらない、何時、何度かけても繋がらない。ならメールだ。
「急にやめないでください、俺のデータはどうなりますか? せめて続編などでアカウントとデータを引き継がせてください、お願いします」
俺は運営へのお願いと質問と対処の仕方を書いた内容を送った。返信が返ってきたのは二日後だった。
『大変お待たせいたしました。お問い合わせありがとうございます。申し訳ございませんが本ゲームはサービスを終了いたします。データなどは終了と同時に削除されます。続編などの予定は現時点では検討はしておりません』
――は? なんだそれ? 俺が何時間このゲームに人生とか熱意、愛をつぎ込んだと思ってんだよ?
俺はサイトに書かれた電話番号に連絡した。すると、いままで繋がらなかったくせにすぐ繋がったんだ。二日経ったからかもしれない。
「こちらウンエントリヒ・リー――」
「ウンリーオーの運営の人ですか? メール見ました。どんな形式でもいいんで俺のアバターデータだけでも返してくれませんか?」
電話に出たお姉さんの言葉を遮って、すごい早口で言いたいこと言った。少し怒っていたかもしれない。
「すみませんがアバターデータは譲渡できません」
「なんでですか?」
「利用規約にそう書いてあるからです」
「利用規約?」
それは、ゲームを始める一番最初の時、メールアドレスとアカウント、パスワードを入力した次の画面に、利用規約と書かれた何行も何十行も長々書かれている文の後に、『利用規約に同意しますか?』『はい』『いいえ』という単純な質問。
そんなの誰だって読まずに『はい』を押すに決まっている。俺はそうした。
でも、俺は諦めきれなかった。こんなの詐欺だと電話に叫んだ。
――俺の時間を返せ、俺のクレメルヒェンを返してくれ――なんて中学生を終わってもまだガキな俺は、本当にガキみたいに怒鳴った。
結局俺はウンリーオーにつぎこんだ何もかもを無くして生きていく。掲示板の仲間達はそんな俺を励まし、次のゲームに誘ってくれた。そこで、また新しく始めようと。
掲示板の仲間が励ましてくれたおかげか俺はそれに乗った。続けていれば、同じギルドと名前でいれば、アイリとまた再会できると仲間が言ってくれた事が一番効いた。
でも、始められなかった。最初のチュートリアルも始まる前の段階でつまづいた。
キャラクリエイト。
俺は必死にウンリーオーの俺のアバター『クレメルヒェン』を描いた。しかし、何度瞳の色を変えても、何度体格を細くしても、何度髪型のタイプをセットしても、それはクレメルヒェンではない。どうしてもクレメルヒェンにはならない。
そこでやっと気づいたんだ。気づいて馬鹿だな阿呆だなって俺は自分自信を罵った。
俺のクレメルヒェンは死んだ。本当の意味で。俺の前から消えてしまったんだって。もう、俺の愛したあの世界に住むクレメルヒェンはいなくなっちゃったんだ。
それからの俺は高校なんて中学を卒業する前から入学する気もなく、家で一人生活とバイトに明け暮れた。タワー型のパソコンなんて二年前の五月、いや八月からずっとつけていない。それどころか布をかぶせて目に映らないように嫌悪している。
俺の人生は平凡な日常に戻った、特に誰とも関わらない何も始まらない毎日だと俺は思っている。それが今の俺の生き方だった。
あとな、この話を聞いてもう気づいていると思うが俺は『ネカマ』だった。オカマである。女性のフリをして遊ぶ男性プレイヤーであった。
それに気づいたのはウンリーオーを初めて半年、ネット用語を学んでいた時だ。当時はそれでもいいかなと女性キャラクリエイトのままでゲームを進めていたのが、全ての間違いだった。
それがトラウマになって、俺は感情の表し方が下手になる。
俺はそんな自分自身を嫌いになってしまう。