神と人
「神の力を、利用できないか」
そんなことを言い出したのは、一体誰だったのだろう。
神の力は壮大で、それでいて気まぐれである。
雨が欲しいと人が必死で請うても、神の気が向かねば一滴たりとも雨はふらない。
世界のバランスを、その力もってして保つのが神の役目である。
故に、たかだか少々知識をつけ、意思疎通が叶うようになった生き物の勝手な言葉に、耳を傾けるわけにはいかないのだ。
とはいえ、神という存在が生まれたのは、『人の念』によると言っても良い。
世界のバランスを保とうとするその超自然的な力に、人の思念が『神』という名を与えたことにより、それはより明確で具体的な存在として生まれたのである。
人を作ったのは世界であるが、その世界の力に名をつけ『神』を生んだのは人である。
それらは、はじめはしかと共存していた。
神は、子供であり母である人間たちを、本来の役目から外れない程度に見守った。
人間は、母であり子である神を畏れ、敬い、慕っていた。
しかし。
人の欲が、ある一線を超えた時。
「神の力を、我々がより良く使うことができれば、世界はもっと良くなる」
人は、自分たちの思念には力があることを知った。そしてそれが、世の妖や、精霊や、神までも生んだのだと知った。
そしてーーーー欲してしまった。
『神を封じ、力を我々が管理すればいい』
そうすれば、きっと、世界はもっとーーー
『都合の』良い世界になるだろう。
そうして人々は今、飢饉に苦しむことも、大災害に悩まされることもほとんどなく
安心して暮らすことができるようになっていた。