流雫
道とも言えぬ、道だった。
流雫は、足元にまとわりつく草木をかき分けながら、月明かりのみを頼りに歩いていた。
闇とさほど変わらない暗さの獣道を、まるで全てが見えているかのような迷いのない足取りで進んでゆく。
歩みごとに揺れる髪は、紫がかった黒。
ぐるりと巻き付く包帯は、流雫の顔右半分をすっぽりと覆い隠し、左側からのみ金糸雀色に輝く瞳が覗いていた。
やがて、月が雲に隠れ、世界は完全に闇に包まれる。
それでもなお、流雫が歩みを緩めることはなかった。
まるで何かに取り憑かれたように、彼は夜道を歩き続ける。
突如「見えたぞ」と、何かの声。
無言で頷いて、流雫はその顔に警戒の色を浮かべた。
管轄の決まった土地の境というものに、監視がないところなど稀である。だから警戒しなければならないのだ。
やがて、松明の灯りが夜の闇に、ぼう、と浮かび上がった。
こちらからは向こうの灯りによって人の存在を肉眼で確認できるが、向こうからこちら側を見る際は夜闇が味方をしてくれる。
このまま木々に隠れ、気配を消していればまず見つかることはないだろう。
しかし、これ以上近づけば向こうからもこちらが視認できてしまう。
このように高い崖に囲まれた窪地型の地形では、まわり道をして侵入することもかなわない。
さて、どうするか。
しばしの思案の後、流雫は青碧色をした着物の懐を探り、何かを取り出した。
それは、なんの変哲もない、一枚の紙。
大きさはちょうど薬包紙ほど。
流雫はそれを自身の手のひらに乗せると、ふっ、と息を小さく吹きかけた。
しゅぅぅぅ、という微かな空気音と共に、一枚の紙が、ゆっくりと形を変えてゆく。
この小さな関門を突破するだけならば、これで十分であった。