第94話:我がままな兄さんのために
「こうすればどうですか? さすがに兄さんだって責任を取ってくれますよね」
「……俺には手を出すことはできないよ」
「なぜですか? 私には何の魅力もありませんか?」
彼の拒絶に心を痛めながら詰め寄る。
「違う。こういう形でキミを抱きたくない」
「……責任を背負う覚悟すら持ってはもらえないんですね?」
失望にも似たショックを受ける。
このままでは本当に彼が離れてしまうかもしれない恐怖が襲う。
だけど――。
「……俺はさ、家族は大事なモノだって思ってる」
「私だって大事ですよ。お父様もお母様も好きです。兄さん以上の存在ではありませんから、捨てるべき時にはその絆は捨てなくてはいけません」
「そういうんじゃなくてさ。俺達は誰に育ててもらってきた? 誰の愛情を受けてきた? それを考えたら両親だけは裏切れない」
「兄さん……?」
「もちろん、撫子も大好きだよ。俺の現在進行中の初恋で、世界で一番大好きな女の子であることに変わりはない。手離したくない」
強く、ただ強く、彼は抱きしめる。
「……何かを捨てる事はできない」
「捨ててください」
「嫌だ」
「私たちの幸せのためでしょう」
「あぁ、そうだよ。だからさ、何一つ捨てないで全部を取りに行く」
これが、兄さんの選んだもの。
猛は決して、諦めてなどいなかった。
きょとんとする撫子に彼は優しい声色で、
「全部だよ、何ひとつも諦めたくないんだ。俺の答えはこれだよ、撫子」
相手に屈せず、何も捨てない、第3の選択肢。
「諦めたくないからあがくんだ。どうしても、俺は全部を手にしたい」
「愛も、家族も、世界すらも。捨てずに手にする?」
「俺は何も捨てたくない」
それは何と自分勝手で、我が侭な発言だろうか。
優柔不断とはまた違う。
――これが大和猛と言う男の子、私の知っている兄さんはこういう人だ。
誰かを傷つけるのが苦手で、自分が傷つくのも恐れていて。
だけど、最後まで想いを強く抱いて諦めない。
全てを捨てればいいと思ってきた、撫子には出せなかった答えを彼は出した――。
「くすっ。私もずいぶんと我が儘な性格ですけど、それ以上ですね。さすがです」
小さく嘆息してから、思わず笑ってしまった。
――まったく、私以上に強情で、我が侭で、理想主義者じゃないですか。
そういう彼だからこそ好きになった。
笑いが止まらずに、彼女は口元を手で押さえながら、
「ふふっ、あははっ。兄さんらしい答えです。何も諦めたくないなんて」
「昔から何でも捨てるのが苦手なんだ」
「知ってます。子供の頃に遊んだ玩具、今でも部屋にありますもの。思い出の写真、大事にしています。あぁ、そうでした。兄さんはそういう人です」
「撫子みたいに割り切ることができないんだよな」
「全てを捨てずに、全部を取る。ひとつずつ捨ててきた私と貴方は違う。私には出せない答えを出した兄さんを信じます」
もちろん、早々都合よくはいかない。
猛の出した答えは、道としてはかなり険しいものになるだろう。
「しょうがありませんね。貴方の選択に私も賭けましょう」
撫子の選択はきっと現実的で正しい。
けれども、本当の意味での幸せにはきっとなれない。
――兄さんの選択は我がままで、甘くて、理想的なものに過ぎない。
だけども、その先には幸せが見えている。
「――我がままな兄さんのために。私も覚悟を決めました」
私達の愛はこの程度では崩れない――。
恋乙女から連絡をもらったのは深夜の1時を過ぎた頃だった。
携帯電話に出ると、疲れた様子の声で言う。
『撫子ちゃん。こんな夜遅くにごめんねぇ。時間がかかったんだ』
「いえ、頼んでいたのは私達です。それで、何か分かりましたか?」
彼女には誰が最初に噂を流したのかを調べてもらっていた。
『大変だったけど、何とか犯人っぽい女の子が分かったよ』
「ご苦労様です。その相手とは?」
『どうやら、たっくんのクラスの女の子みたい。名前は――』
その名前を聞いて素直に驚いた。
猛のクラスの女子の中で怪しんでいた子たちとは全然違ったから。
「本当に彼女なんですか?」
『多分ね。この話題の最初は彼女の発言から始まってるみたい』
「……意外な相手でした。彼女は兄さんに敵意なんて抱いてないはず」
『でも、ホントだよ。この先輩が犯人っぽい。友達や仲のいい先輩たちにも協力してもらって、ようやく見つけられたの。疲れたぁ』
本人を知っているけども、こんな真似をするタイプには思えない。
――いえ、想いが強すぎて、逆に……。
純粋な相手だからこその暴走か。
「なるほど。人は見かけによらないという事ですね」
『だねぇ。皆からはかなり信頼されてる子みたいだよ』
「……それゆえに噂の信憑性が高まった、と。厄介な相手です」
それでも、これで突破口は掴んだ。
あとは裏付けに何かあれば、彼女と対峙することができるはず。
『私にできるのもここまでだから頑張って』
「ありがとうございました。あとは、私達の行動次第です」
電話越しに感謝の気持ちを恋乙女に伝える。
「コトメさん、聞いてもいいですか」
『ふわぁ。何でもどうぞ?』
眠そうに欠伸をする恋乙女に、
「兄さんの幼馴染とはいえ、どうしてここまで協力してくれたんですか」
『友達が困ってたら力になるのは当然じゃん』
「自分の立場が危うくなるかもしれないのに」
『あー、それと、私にとっては撫子ちゃんも友達だよ?』
「……友達、ですか」
『あれぇ、私はそのつもりなのに? 違う?』
明るい恋乙女の声に胸の内に芽生えた温かな感情を言葉にする。
彼女がここまでしてくれた理由。
友人が困っていた、それだけの単純なものだ。
その友人には撫子も当然のように含まれていた。
それがどこか、くすぐったくも、嬉しくて。
「……いえ、そうですね。“恋乙女さん”は私の大切なお友達です」
『えへへっ、やっと認めてくれたね。撫子ちゃん』
初めて得られた友情、自然と口元に笑みがこぼれてしまう。
「恋乙女さん。今度、一緒に遊びに行きましょう。兄さんも連れて」
『いいね。思いっきり遊びましょう』
「美味しいパンケーキのお店を知っているんです。ぜひ、ご馳走しますよ」
『うんっ。これが終わったら、行こうね。楽しみにしてる』
ずっと、友達なんていらないと思っていたけども。
――彼女のように信頼できる存在がいてくれた事が何よりも嬉しい。
心強い友達に支えられる。
――私の友達は素敵な人です。ありがとう、恋乙女さん。
撫子にとって、何とも言えない励ましになった。
彼女は恋乙女に宣言する。
「この人迷惑な騒動に決着をつけるために、最後の戦いをしてきます――」
騒動を終わらせるために。
撫子はついに直接対決をする決意したのだった――。
【第3部、完】
第4部:予告編
ついに犯人との直接対決の時、来たる。
彼らを陥れた相手の真意とは?
しかし、その背後で暗躍する黒幕の存在。
彼女の中に渦巻く醜い感情があふれだす。
制御不能な負の感情が騒動を更に困惑させる。
そして、猛は自分の出生についての真実を知る。
撫子とは本当に兄妹なのか?
思いもよらぬ繋がりを見せる真実。
夏を前に運命が加速する――。
【第4部:心に秘めた恋情の狭間で】
例え、誰かを傷つけてでも、この愛は揺るがない――。




