第91話:俺はどうすればいいのかな
そこで、電話が切れて、再び静まり返った図書室。
最後は猛が決めること、彼女はそう言った。
「図書室で電話をするのはマナー違反だったかな」
そんな軽口と共に携帯電話をしまう。
緊張の糸が切れたようにどっと疲れと恐怖がこみ上げてくる。
「――っ」
だが、猛以上に狼狽しているのは、
「……淡雪さん?」
事態を見守っていた淡雪は、なぜかひどく動揺していた。
顔面を蒼白させているため、猛が心配そうに顔をのぞき込む。
「どうしたんだ?」
「え? あ、いえ……ごめん。こういう風に電話がかかってくるなんて思いもしなくて。私もびっくりしちゃった。女の子だったわね」
「そうらしい。これが最後通告だそうだ」
電話でのやり取りで分かったことがある。
相手は完全に猛を憎んでいるわけではなさそうだ。
本当に間違いを正したくて、そのために行動をしている。
「貴方のためだからって、言うのも一方的な想いよね」
「代わりに私と付き合え、とか言わないだけまだいいのかな」
「もし、関係を強いられたら、それに乗る?」
「まさか。そんなことはしない。できないよ」
撫子以外の女の子を愛する気はない。
「俺はどうすればいいのかな」
このままでは家族が崩壊するかもしれない。
親を巻き込まれると辛い。
撫子に言わせれば猛のこういう所が甘いのだろう。
『世界を裏切る勇気が兄さんにはないですから』
撫子なら切り捨てられるかもしれない。
何もかも捨てる勇気が猛には確かにないのだ。
「相手の言い分を飲む事は猛クンにはできない?」
「そうだな。他の誰かで想いを誤魔化すのは、辛いだけだ」
一瞬、脳裏をよぎったのは淡雪との恋人ごっこをしていた頃だ。
あの頃の猛は撫子への想いを諦めようとしていたかもしれない。
――もし、他の誰かを好きになれるのなら、と思っていたような気がする。
結局、それはできなかった。
淡雪との関係は心地よくても、本当の意味での愛情にはならなかった。
「簡単に諦めるのなら、こんな恋愛はしてないよ」
「でしょうね。猛クンはずっと撫子さんを思い続けてきたんだもの」
彼女は席を立つとそっと猛の肩に手を置く。
「……それでも、大事な人を守るためには決断も必要じゃないかしら」
「淡雪さん……」
「想いを諦めろとは私は言わない。でも、そんな今にも泣きそうな辛い顔をする貴方を放っておくこともできない。私にできることならするわ」
今の猛にはどうすればいいのかが分からない。
大事なモノを守るために、何が最善なのか。
「……なんで、こんなことになったんだろう」
猛は思わずそんな弱音を呟いていた。
「俺は自分がどうすれば最善だったのか、まるで分からないんだ」
「猛クン」
「撫子を好きになったのが間違いだった?片思いのままでいればよかった?」
あの日、あの時、あの時間。
過ごしてきた日々の中で無限に人は選択を選び続けなくてはいけない。
「俺が悪いんだよな。どうしようもない奴だから」
世の中には人生を左右する大事な選択肢があって。
「決断するべきところで、いつも間違えてばかりなんじゃないか」
それを選び間違えたのではないかと猛は不安と恐怖から後悔をしていた。
――撫子たちを守る方法がないわけじゃない。
それは距離を取ること。
彼がいなくなれば、せめて家族だけは守れるかもしれない。
脳裏によぎった最悪の結末……だが。
「……ぁっ」
気が付けばそっと淡雪が猛を背後から抱きしめていた。
この香り、温もりが彼の心を落ち着かせる。
優しい想いが、体温と共に伝わってくる――。
「猛クンは悪くない。自分を責めないで」
「……だけど、俺は」
「貴方は優しい人よ。誰よりも私がそれを知っている」
苦しい気持ちが少しだけ和らいでいく。
「例えば、相手を誤魔化すために、私に恋人役をしろと言うのならまた付き合うわ。私は貴方の力になりたいのよ。猛クンのために……」
彼女の優しさに甘えたくなる。
「……少し考えさせてくれ。幸いにも明日は土日だ、決断は月曜日にしようと思う」
「分かったわ。最後に決めるのは、貴方だもの」
電話のあの子と同じ台詞。
――決断するのは俺なんだよな。
予鈴が鳴り、長い昼休みが終わろうとしている。
運命の選択、決断と言う二文字が重く猛にのしかかっていた。
同じ頃、職員室の横にある公衆電話の前に一人の少女がいた。
「……これでいいんだよね。私は間違ってないはず」
自問自答し続けても、答えはでない。
ただ、これが正しいのだと言い聞かせることしかできない。
手が震えながらも、自分は正しいことをしている、と思い込んだ。
「どうした、椎名? もうすぐ授業だぞ」
立ち尽くしていると教師から声をかけられる。
気づけば、授業が始まる時間になろうとしていた。
「いえ、何でもないです」
「そうか。なら、いいが。ん? 顔色が悪いぞ」
「……そ、そうでしょうか」
「んー。あれか、夏バテか」
「そうかもしれません。毎日、暑くて大変ですから」
「気をつけろよ。熱中症とになると大変だ。無理はするなよ」
「ありがとうございます。先生も気を付けてくださいね。ふふっ」
愛想笑いで誤魔化した。
猛たちを陥れた張本人、椎名眞子。
純粋な心をもつがゆえに、思い込みも激しい。
「猛さん。貴方を救わなくてはいけない」
片思いの相手が、妹を好きだという禁じられた恋をしていた。
彼がキスをしていた光景を目撃してしまった。
ひどくショックを受けた眞子にできることはひとつだった。
「私が止めなきゃ。これ以上、彼を間違えた方向に進ませない」
兄妹同士の恋愛に未来はない。
それは彼女なりの覚悟だった。
「私は間違ってない。これは私にしかできない。そうだよね……?」
“誰か”に向けてそう呟くと、眞子は静かに歩き始めた。




