第90話:これは最後通告よ
図書室の一角で激震が走る。
今回の騒動の犯人から直接、電話をしてきたのだ。
『――これは最後通告よ、今すぐに妹の恋愛関係を解消しなさい』
猛の知らない低い女性の声。
聞き覚えはないが意図的に声や口調を変えているのだろう。
「……キミは誰なんだ?」
まさかの相手からのアプローチに心臓が高鳴る。
目の前の淡雪も異常な状況に気づいたようで黙り込む。
彼はそっとテーブルに電話を置いて、スピーカーモードにする。
これで淡雪にも電話の内容が伝わる。
「俺の知っている子なんだろう?」
やはり撫子たちの読みは正しく、相手は女の子のようだ。
相手からの返答がないのでさらに質問を続ける。
「キミがこの噂を流していたのか?」
『……えぇ。私がしたことよ』
「何の恨みがあってこんな真似を?」
『恨みなんてない』
「え? それじゃ、なんで」
『私は間違いを正さなくてはいけない。それだけのことだもの』
正す、と電話口で彼女は言った。
猛達の関係を壊そうとすることが使命だとでも言いたそうに。
「どういう意味だ?」
『すべては貴方達のためなのよ』
「どこが? おかげで俺達は世間から嫌われて追い込まれてる」
『それは間違えている関係だからでしょう。その自覚もないの?』
間違えた関係――。
その意図する意味を猛は理解する。
「撫子が妹だからか?」
『自分の妹と恋愛をする、それは異常だわ。貴方達の行為は愚かでしかない』
「……それを正すためにこんな真似をしたって言うのか?」
『貴方のためなのよ。全ては貴方のために私は行動しているの』
その低い声色は震えていた。
自分のしている行動が止められない。
自分の行動は正しいに違いない。
まるで心からそう叫んでいるように。
その声は怒りや悲しみ、困惑など様々な感情が入り混じっているように聞こえる。
「もうやめてくれ。俺達が間違えている道を歩んでいるのは分かってる」
『……分かっているのならやめればいい』
「できなかった。自分の気持ちを偽れなかったんだ」
『傷つき続けて、貫き通せるとでも思った?』
「例え、世界を敵に回しても貫き通せるものが“愛”って言うらしい」
これは撫子の言葉だった。
あの子の強い想いが猛に勇気を与えてくれる。
――そうだ、撫子はこういう事態も想像していたはずだ。
それでも乗り切る覚悟があった。
彼女の心の強さは彼に真似できない。
『戯言よ。貴方の行動は非難されて当然でしょう』
「そうだな。だけどさ、俺の想いはキミに否定されることじゃない」
『……間違えていても貫き通す。これから先もずっと?』
「その覚悟はとっくにできている。俺は、撫子を誰よりも愛しているから」
『――っ。愚かなことをしないで。貴方はそんな人じゃない』
猛の告白に相手はひどく悲しそうだった。
誰に理解されなくても、この気持ちだけは否定させない。
『どうして、どうして、そんな……』
「許されなくてもいい。ただ、俺はあの子が好きなだけなんだ」
『苦しんでばかりで、その先に幸せなんてないじゃないですか!』
彼女は悲痛な叫びをあげる。
声が一瞬だけ地声に変わる。
――今の声、どこかで聞いたような?
それと同時に彼は知り合いなのだという確信も得た。
間違いなく、犯人は猛の周囲にいる人物だ。
「もうやめてくれ。キミはこんな真似をするタイプの子じゃないんだろう?」
猛達の行為を目撃して、こんな真似に走った彼女だが根が悪いようには思えない。
間違いを正すと言った、その言葉には想いが感じられたから――。
『貴方が止まらないのなら、私もやめない。最初に言ったはず。これは最後通告よ』
「まだ何かするつもりなのか?」
『ご両親はこのことを知ってるのかしら?』
「――っ!?」
一番痛い所をついてきた。
撫子との関係を危惧して、警戒し続けてきたのは母さんだ。
『……お父さんは政治家でしょう。まさか自分の子供たちが恋愛してるなんて噂が流れたらとても、立場的にも困るのではないかしら?』
「脅しているつもりか」
電話を持つ手に汗がにじむ。
親に対して、この噂は性質が悪すぎる。
――家族を巻き込みたくはない。
電話口の彼女は、悲痛な想いを口にする。
『お願い。これは貴方達のためなの。今すぐに別れて……』
「なぜだ。なぜ、そこまで俺達に関わる」
『……ずっと、貴方を見てきた。片思いでもずっと見続けてきたから』
少女の揺らぐ想い。
好きだからこそ、傷つけてでも、間違いを正したい。
『私だって貴方を傷つけたくなんてない。だけど』
矛盾する想いに苦しみながらも、猛を追い込む。
『こんな過ちを見過ごす事もできないっ』
やはり、彼女は猛の身近な人物なのか。
「撫子と別れるなんて、それはできない」
『……どうしても?』
「あぁ。彼女の想いを捨てる事なんてできないよ。本気なんだ」
電話越しにぶつける想い、相手に猛の気持ちを知って欲しい。
「キミに理解しろとは言わないが、これ以上はやめてくれ」
『……女の子は他にもいるでしょう? その子と付き合えばいいじゃない』
「俺には撫子しかいないんだ」
『妹だけは絶対にダメ』
「どうして、そこまでして」
『……私がしなきゃ貴方たちが止まれない。だからするの』
そして、彼女は猛に向かって言い放った。
『これが最後よ。やめなければ、貴方は大切な人を泣かせることになる。最後は貴方が決めることよ。何もかも失う前にね』
そう最後に言葉を残して、電話は切れるのだった。
――俺が道を間違えた。それゆえに彼女にこのような行動をさせたのか。
犯人からの想いを知り、猛は悲痛な表情を浮かべることしかできなかった。
正しさと間違い。
相反する想いがぶつかりあう――。




