第88話:行き過ぎた愛は憎しみになる
悪意とは何か。
この世の中、常に悪意は人の心の中に潜んでいる。
人は簡単に他人を傷つける。
悪意のある言葉で、態度で……。
「くすくすっ。聞いた、あの二人。マジで関係を持ってるらしいよ」
「えー。兄妹なのに?」
「マジでありえなくない?」
「ていうか、普通に気持ち悪いじゃん」
むき出しの悪意が猛達に向けられる。
「前々から怪しかったけど、まさかホントにねぇ」
「普段の彼を見てたら分かるじゃん。あの目、マジで妹を愛しちゃってるし」
「実の妹なんでしょ?」
「それとも、ここにきて義妹だったとか?」
「ただ、どっちにしても、ずっと妹だった女の子を愛せるかって話だよね」
すれ違うたびに聞こえてくるのは悪意のある噂話。
どこかの誰かが流した噂は、猛と撫子を追い詰めていく。
今の噂はただキスをしていただけにとどまらない。
「兄妹がふたりっきりで家で暮らしてるのなら、やってることはひとつでしょ」
「あははっ。それって、近親相姦ってやつじゃないの」
「マジかよ? 鬼畜な兄もひどいことしてるなぁ」
「ホテルで見かけたって噂もあるよ。あのふたり、マジでキモイね」
品のない話題もちらほらと聞こえてくる。
“肉体関係を持っている。”
そんな噂は尾ひれどころではない、
ちなみに大和撫子はその件に関して大変に憤慨している。
「なんてひどい噂なんですか」
「こんなのは悪意どころじゃない」
「そうですよ。私達はホテルなど行ったことがありません!」
「……はい?」
憤慨する理由がずれている気がした。
「私がそういう関係をいくら望んでも兄さんはいつだって拒むでしょ?」
「あの、撫子さん。怒る理由が違いません?」
「それなのに、ホテルでいちゃらぶしてるとか。勝手なことばかり言いすぎです」
「えー。怒るのはそこ?」
撫子はこの状況でも我が道を行く子のようで。
「そんな羨ましい行為、できるのならとっくにしています」
「しちゃダメでしょ」
「いいえ。兄さん、放課後にでもホテルに連れて行ってください」
「噂を現実にするんじゃないっ!?」
「いいじゃないですか、既成事実なんて上等! やっちゃいましょう」
「既成事実は禁止です。落ち着きなさい」
どんなに窮地に陥っても、撫子は撫子だ。
「むしろ、赤ちゃんを作ってしまうのはどうでしょう」
「ホントに人生が終わります」
「子づくりはいい案だと思うんですが」
「自滅しかないから。バッドエンドで終わりは嫌です」
他人の噂程度には凹みもしない。
やはり、撫子は心の強い子だと逆に関心さえする。
だが、心の中では傷ついているんじゃないかと心配していた。
――弱さを人には見せない子だからな。
何でも内に秘めてしまう子だからこそ。
とても心配にもなってしまうのだ。
「なぁ、恋乙女ちゃん。噂を流してる相手って特定できないのかな?」
偶然、廊下ですれ違った恋乙女と話をしていた。
彼女には噂の出どころを調べてもらっている。
「難しいよ。ツ●ッター、L●NE。コミュニティも幅広いからねぇ」
「どうにか探すこともできない?」
「もちろん、炎上した噂が出始めた最初のきっかけ。それを発信した相手は必ずいる。でもね、そう簡単に把握するのは無理だよ。ひとつひとつ、やっていくしかなさそう」
「そうか。犯人が誰か分かればいいと思ったんだけどな」
「一応、調べてみるけど。たっくんが恨みを買った女の子に心当たりはないの」
「あいにくと自覚はないな」
猛は軽く肩をすくめながら廊下の窓から外を眺める。
「無自覚に恨みを買ってるわけだぁ」
「違います。女の子には優しくしてきたつもりなんだ」
「その優しさが仇になっちゃったのかも」
「どういうこと?」
「好きになった男が妹といちゃラブだったら、諦めるにも諦めきれないじゃない」
ここ最近は撫子の事があって猛の女子の評価もだだ下がりだった。
正直、高校1年の時のようなモテ期は終わったと嘆くくらいだ。
その中でも、わずかながらにも彼へ好意を抱き続けている少女がいた。
少女にとって裏切りの行為、悪意を引き出すには十分だったのかもしれない。
「裏切られた悲しみは怒りとなって。ヤンデレさんだね」
「行き過ぎた愛は憎しみになる。とか、やめて」
「たっくんを好きな女の子が撫子ちゃんを恨んでいる。それが一番ありえそう」
「狙いは撫子ってことか?」
「多分ね。二人の関係を壊して、あわよくばってパターンかも」
「女の子って怖いっす」
「たっくん、これから、優しく近づいてくる女の子には要注意だよ?」
心配していた友人たちには今は何もしないように言ってある。
特に修斗や優雨も影ながら心配してくれいた。
ただ、この件に下手に関わらせて、彼らに迷惑をかけたくない。
――兄妹で恋愛している。これは事実だ。理解してもらうのは難しい。
それゆえに。
幼馴染の恋乙女以外に仲間を増やせない実情もあった。
「優しくされると男って単純なのですよ」
「たっくんは乙女心を理解できない子だからなぁ」
「……そ、そんなことはないぞ」
「これまでに相当の前科があります。小さな時からそうでした」
幼馴染からのきつい一言。
返す言葉もなく「すみません」と謝罪する。
乙女心は複雑で難しいから苦手だ。
「あと自分に向けられている好意に対しても鈍いよね?」
「え? それはどうだろ?」
「鈍いと思うよ、たっくんって。それなりにモテるのに、残念男子だもの」
「ひどい言われようだな。その通りなんだろうけどさ」
猛が鈍くなければ、誰かの悪意を止めることができたのだろうか?
こんな風に傷つかなくてもよかった、と――。
「……悪意のある噂を流して、周囲を味方につけて。あとは好き放題に相手を追い込む。陰湿なやり方だねぇ。私は大嫌いだなぁ」
「噂を利用するなんてやり方、俺は……」
認めないと言いかけて猛はやめる。
身に覚えがあるというか、使ったことがあるのだ。
――今と状況は違うが淡雪さんと恋人ごっこをした時に利用したっけ。
あの時だって、すぐ人は騙されて、その噂に踊らされていた。
ふたりは恋人同士なのだと信じてしまった。
人は簡単に騙される生き物だ。
「人間関係に影響を与える、すごく単純な方法だからな」
「噂ひとつで相手を窮地に立たせることができるもの」
「目には見えない敵にどう戦えと言うのやら」
結局のところ、人は他人のことなんてどうでもいいのだ。
勝手に噂し、失望し、嫌悪して……。
猛達がいくら彼らに愛してるからと説得したところで何の意味もない。
「愛を貫くには覚悟も必要なんだな。改めて思う」
「私なりに調べてみるから。こんな噂に負けないでね」
「俺達を応援してくれる子がいるってだけでも勇気がもらえるよ」
恋乙女だけでも十分に力になってもらえている。
「そうだ。昔の友達の子にも救援してもらう?」
「え?」
「ほら、他校の子なら大丈夫でしょ。人手は多い方がいいもの」
「でも、その子たちに他校の噂なんて調べられるのか」
「今の世界って広いように見えて狭いもの。お友達の友達は知り合いってね」
「……なるほど」
「いい作戦かもしれない。たっくんが困ってるなら助けてくれるはず。情報源の特定は私たちがする。たっくんは、負けないように頑張って」
どこの誰かも知らない人の悪意が猛達を追い込んでる。
それに負けず、今はただ、突破口を探すしかないのだ。




