第68話:どういうことだよ、姉ちゃん?
「――そういう意味では二人が仲がいいのはホントの兄妹じゃないからだよね」
思いもしない相手からその言葉は放たれた。
――俺と撫子が兄妹じゃない?
そんなことがありえるのか、と猛も驚きを隠せない。
――いや、可能性がないわけでは……ない?
事実としては猛たちに何かを隠していて。
――その秘密がこれだとしたら? 待て待て、早合点するな。
これはそんなに単純な問題ではない。
困惑して黙り込んでしまう猛達に、恋乙女は事の重要性に気づいたらしい。
きょとんとした表情をする彼女は、
「あれ? 私、変なことを言った?」
「恋乙女ちゃん。冗談にしてはびっくりさせすぎだ」
「えー。冗談じゃないのに。私、聞いたんだよ。小さな頃の記憶だけども」
恋乙女の記憶力は思い出話を聞いてる限り、本物だ。
だけども、これはその思い出話とは事の重要性が大きく違う。
「……俺と撫子が兄妹じゃないって話を誰に聞いたんだ?」
「撫子ちゃんから聞いたの」
恋乙女の発言に撫子は考え込むようなしぐさを見せる。
「私からですか? あいにくと記憶にはありません」
「いつだったかな。撫子ちゃんに私は聞いたんだ」
幼い頃、撫子にこう尋ねたそうだ。
『あんなに優しいお兄ちゃんがいて、撫子ちゃんは良いね』
『はい。優しい兄さんができてよかったです』
そう撫子は笑顔で答えたそうなのだが。
「……ん? どういうこと?」
「それだけですか?」
「恋乙女ちゃん。それのどこが実の兄妹じゃないんだよ。普通の会話じゃないか」
そこから兄妹じゃないと言われると意味が分からない。
すると、恋乙女ちゃんは頬を膨らませながら、
「だーかーら、子供の頃はそれの意味に気づかなかったの。でも、今なら文面がおかしいことに気づかない?」
「よく分からない」
「兄と妹、その順番を考えてみてよ。ものすごく違和感があるから」
改めてよく考えるみることにする。
「優しい兄さんができてよかったです、だろ? 何がおかしい?」
撫子は「あっ」と小さく声をあげると、何かに気づいた様子で、
「……できて、という部分ですか?」
「そうだよ。できて、だよ。いて良いね、って聞いてるのにわざわざ、できてっていうんだから、あとからお兄ちゃんになったってことでしょう?」
「その言葉は確かにおかしいですね?」
「普通の兄妹は、兄の方が先に生まれてるからお兄ちゃんなんだもの。妹である彼女から、できてなんていう言葉が出る時点で変だもん。そりゃ、妹ができたっていうたっくんの言葉なら普通だけどさぁ」
「うーん。確かに変だけど、子供の言い間違いか記憶違いじゃないの?」
さすがに10年も前の記憶の話だ。
正確性には欠けるし、確実なことではない。
「それに撫子も小さい頃だろう? それだけで俺たちが実の兄妹ではないというのは拡大解釈すぎないか?」
「なら、一番簡単な方法。実際に両親に聞いてみたら?」
「そんなこと聞けません」
冗談にしては性質が悪く、ただでさえ兄妹の恋愛疑惑を抱かれている現在、その話題は家族内で口にするのはまずい。
――下手に藪蛇突ついて転校はしたくないです。
警戒されるのだけはよろしくない。
「私は何度も『兄さんは私と実の兄妹ではないですよね?』とお母様に聞いてますが」
「そのたびに、『そんな妄想はやめなさい』って怒られてるだろ」
「そうですね。ですが、それは本当だったという事でしょうか?」
その言葉を否定することが彼にはできなかった。
ただの子供の会話が、今の猛たちに大きな衝撃を与えていた。
恋乙女が帰ってからも、猛は微妙な空気のままソファーに寝転んでいた。
記憶がある頃にはすでに撫子は猛の妹だった。
恋乙女ほどに自分の記憶に自信なんてない。
人生を振り返ったところで、兄妹の記憶なんて曖昧すぎる。
「兄さん……?」
撫子の言葉に彼はドキッとして振り向く。
「は、はひっ」
自分でもどうして、そこまで動揺したのか不思議だった。
気恥ずかしさから撫子を直視できずにいる。
そんな猛を妹は軽く笑いながら、
「ふふっ。兄さん、ずいぶんと動揺されてるようですね」
「そりゃ、そうだろう。撫子はずいぶんと落ち着いているな」
「ようやく突破口を見つけられた、という意味では喜んでいますよ。過去の私が残してくれた希望ですから」
「前向きなことで。……突破口?」
妹は猛の寝転ぶソファーに座ると、頭をそっと抱えて膝枕する。
柔らかな太ももの感触が頭から伝わる。
「私達が兄妹であるか否かという答えは両親だけが知っています。そして、あの人たちは私達にある隠し事をしていることはご存知ですよね」
「……何かしらの秘密はあるんだろうな」
ちょっと前に撫子が「秘密をバラす」と母に言った時にすごく動揺していた。
あれが高級ブランド品を買いあさった領収証が見つかった、というだけのものではないということは容易に想像できる。
「その“秘密”というのは何のことかずっと考えています。私と兄さんが本当の兄妹の関係ではない、という事を隠しているのかもしれません」
「あくまでも、かもしれない程度の話だけどな」
「えぇ。もちろんです。確証は何もありませんから。実際は本当の兄妹で、秘密は別の事だったりするかもしれませんね」
撫子は「私はこのことが秘密であって欲しいと願っています」と呟いた。
「どういう意味だ?」
「兄さん。私は前にも言いましたが、実の兄妹であろうが、なかろうが、そんなことは些細な問題でしかないんですよ」
「些細ではないと毎回思います」
「いいえ。血の繋がりがあっても、なくても、私が兄さんを心の底から一人の男性として愛しているんです。兄さんが好きなんです」
真上から見つめてくる妹の綺麗な瞳。
撫子は優しく微笑みながら、
「実の兄妹でなければ兄さんは私を愛することに何の束縛もなければ、制限もないんですよ。私を愛してくれればいいんです」
「……おいおい、それはご都合主義ではないか」
「くすっ。それはとても素敵なことです。夢を持ってもいいじゃないですか」
――俺と撫子は本当の兄妹じゃないかもしれない、か。
冗談や疑惑だったはずなのに。
妙な現実感を得て、猛の心が揺れ動き始めていた。
夕方になり、雅が庭の水やりをするのを手伝っていた。
「猛。水を出すわよ。止めてほしかったら言って」
「はいよ。そろそろヒマワリの時期だよな」
百合の花も咲き始めている中で、向日葵の花が咲き乱れている。
――須藤家にも向日葵が植えられてたっけ。
何となくそんなことを思い出していると、
「ねぇ、猛。ヒマワリの花言葉って知ってるかしら?」
「突然、何だ?」
「ポエム大好きなロマンチストの猛なら知ってるでしょ」
「……どこから突っ込むべきなのか。知ってますけどね」
暑い夏にホースで水をまきながら、猛は質問に答える。
花言葉は昔調べまくったことがあり詳しい方だ。
「花言葉は『貴方だけを見つめてる』。ヒマワリは太陽の方角を向く習性があるから、そんな素敵な花言葉がつけられたんだろ」
「正解です。一途な花よ」
子供の頃は家の庭にヒマワリの花を植えたのを思い出す。
「撫子は向日葵が自分の身長以上に育つと喜んでたっけ」
「人を好きになるのって時間なんて関係ないっていう人もいるだろうけども、私は大切だと思うわ。想いは長い時間をかけて積み重ねていくものよ。だから、猛も自分の気持ちに素直になってみたらどう?」
「え? 俺の話?」
いきなり猛の話をふられて戸惑う。
夕日に染まる庭の片隅で雅は彼をまっすぐに見つめながら、
「……撫子はずっと猛の事を好きだったわ。例え、世界を敵に回しても。あの子の口癖のようなものだけど、それだけの覚悟はあるんでしょう」
「覚悟を持っても現実に打ちのめされるだけだよ」
「どうかしら。世界を敵に回しても、自分の愛を信じて、愛を貫く。あの子の想いの強さには感心するわ。並のメンタルじゃできないもの」
「姉ちゃんは昔から撫子の味方だよな」
「どんな困難が待ち受けていても、愛を貫く意思がある。そんな想いを抱く妹を止める言葉なんて私にはない。私はただ、あの子には幸せになってほしい。それだけよ」
「……姉ちゃん。自分に素直になるのって難しいよ。本当に、難しい」
――素直になって、自分を止められなくなったら、どうする?
自制心を失うことが猛は一番、怖いのだ。
周囲を気にすることなく、誰かを傷つけたくはない。
「人を愛する覚悟が猛には足りていないのかもしれないわ。いえ、貴方は優しい子だから、皆の事も考えてあえて自制しているだけかしら」
「ヘタレなだけですよ」
「……猛。世の中に、皆が幸せになることはないの。誰かを傷つけてでも、愛を貫く勇気を持ちなさい。それが必要な時もある」
「この場合のその誰かは思いっきり、母さんなわけなのだが」
「ふたりが世界を敵に回しても、私だけは貴方達の味方よ。それだけは忘れないで」
冗談なのか本気なのか、相変わらず分からないような顔をして言われる。
「猛が悩んでいるのは兄と妹と言う“関係”かしら?」
「それも大事なことでしょ」
「それとも家族を裏切れない優しさ? どちらにしても、悩んでいても答えは出ないわよ。行動するしかない」
「……弟に妹との恋愛を推奨しないでもらいたい」
「ふたりが幸せなどんな愛の形でもいいの。それじゃ、そんな猛に特別にこの写真をみせてあげるわ。貴方の心を解放するためにね。自分の本心に素直になりなさい。我が儘になってもいい。本能に従うのも悪くないんじゃない?」
揺らぎ続ける自制心、この想いが氾濫した時、猛は……。
「これは?」
猛に渡された一枚の写真。
それはかつて、撫子に見せず隠したもの。
「決めるのは貴方よ。どんな未来を歩むのが一番後悔しないのか、考えなさい」
雅にそう言われて彼はただ戸惑うことしかできない。
「どういうことだよ、姉ちゃん?」
撫子を愛する気持ち。
兄妹ではないかもしれない可能性。
愛と葛藤に揺れる猛を後押しするには十分なもの。
「真実は? 真実は何だ?」
動揺する猛の言葉に雅は何も答えない。
答えない代わりに優しく笑いかけるだけだ。
「この写真、どういう意味なんだよ」
世界を敵に回しても、本当に欲しいものがある。
写真に写るのは、赤ちゃん時代の撫子だった。
しかしながら、抱きかかえて微笑むのは“母”の優子ではなかった。
別の綺麗な女性の存在。
――この人は誰だ? どういう意味で、姉ちゃんは俺にこの写真を見せた?
困惑して言葉も出ない猛に、その写真は大きな影響を与えるものになる――。




