第39話:記憶の少女の正体は……
ここに一枚の写真がある。
可愛らしい女の子が写る、その写真は衝撃を与えていた。
薄茶色の長い髪、まる人形のように整った容姿。
小学生低学年くらいの可愛らしく、純粋そうな女の子。
彼女に対して抱いたのは、淡雪とよく似ているということ。
この写真の女の子が成長すれば、きっと彼女のようになっているに違いない。
――思い込んでしまえば、そうとしか見えなくなった。
だからこそ、余計に混乱していた。
――どうしてこんな写真が私の家にあるの?
以前に彼女と接点があったのかもしれない。
そして、気づく。
最初に彼女に会ったとき、初めての気持ちがしなかったということに。
『……兄さん、私と須藤先輩って昔、どこかで会いましたか?』
『あらあら。兄妹って似てるのね。猛クンにも昔、同じことを言われたわ。私は撫子さんと直接会うのは、初めてのはずよ。そんなに私は誰かと似ているのかしら?』
発言から察するに猛も同様なデジャブを感じている。
――もしも、過去に会っていてたとしたら?
それも幼い頃の記憶で思い出せないだけだとしたら。
――考えればきりがないけども、私にとってそれはとても由々しき事態だわ。
ただでさえ淡雪は彼の心の中でも特別な人。
――これ以上、特別な何かなんてあってたまるものですか。
乙女の嫉妬と警戒感から複雑な心中の撫子であった。
昼休憩の食後。
猛と別れた後、人気の少ない校舎を抜けて中庭に出た。
春の穏やかな陽気に誘われる。
「あれは……?」
撫子の視界に入ったのは綺麗な茶髪の女の人。
「須藤先輩」
苦手意識があり、唯一怖いと思える相手。
とはいえ、無視して立ち去るわけにもいかない。
それに彼女には聞いてみたいこともある。
「撫子さんじゃない。こんにちは。お昼ご飯は食べたのかしら?」
「えぇ。須藤先輩はこんな場所で何をしているんですか?」
「私もお昼。こんなにいいお天気だから、外で食べていたの。ねぇ、見て。綺麗な花でしょう。私、花が好きなのよ。撫子さんは好き?」
「好きですよ。夏にかけていろんな花が咲く季節ですから楽しいですよね」
彼女が視線で促した先、花壇には無数の花々が咲いていた。
園芸部員が毎日世話をしている自慢の花たちだ。
「よく手入れのされている、いい花壇だわ。撫子さんは好きな花ってある?」
「百合の花が好きです。須藤先輩は百合はお好きですか?」
なんとなく、そう尋ねてみると、意外な反応をする。
「百合の花。リリーって可愛いイメージだけども、私は……苦手かもしれない」
「え?」
「百合に罪はないけども、この花は嫌いなのよ」
その瞬間、脳裏によぎったのはあの古い記憶。
『――私、大和クンの事が嫌いだよ』
記憶の少女と淡雪のイメージが被る。
――まさか、そんなことって……!?
これまで、考えたこともない。
まさかの相手、記憶の少女の正体が須藤淡雪という可能性。
「……どうして、ですか」
小さく震える声で撫子は尋ね返す。
――ただの偶然。あの記憶の少女が先輩のわけがない。
想像と違ってほしいと願う。
だが、しかし。
「私、子供の頃にある男の子からユリの花をもらったことがあるの。けれど、私は彼が嫌いだったの。あの頃は嫌いでしょうがなかった」
彼女はあっさりと認めてしまった。
思わぬ展開に撫子は平然を装いながら、
「須藤先輩にそんな相手がいるんですね」
「うん。その子から送られた花だから、あとでこっそりと捨てちゃった。だからかな、ユリの花はどうにも好きになれないわ。花に罪はないのにね」
苦笑い気味に彼女はそう呟いた。
「ホント……嫌いだった。大嫌いだったわ」
どこか遠くを見つめるように視線をそらしながら呟く。
――ただの偶然、それとも? 彼女があの記憶の少女なの?
思わぬ展開になり私は動揺する。
困惑のあまり声が出てこない。
淡雪は面白くない話をされて、と勘違いしたのか、
「ふふっ。ごめんね、昔の話よ。何も知らなかった子供の頃の話。子供は無垢で思い込みが激しいから、些細なことで相手を嫌いになってしまうものでしょ」
「その子は、須藤先輩に何かひどいことをしたんですか?」
「……大切にしていたものを奪われたの。でも、奪われたものを取り返すことはできなくて。だから、嫌いになるしかできなかった」
「嫌いになるしかなかった?」
「それしかできなかったから。嫌いになることが唯一の抵抗だったのかもしれない」
彼女は「ユリは彼を思い出すから嫌いなのかもね」と呟いた。
その横顔には寂しさのようなものを感じる。
記憶にある少女と、淡雪が一致する。
――記憶の少女の正体は……貴方でしたか、須藤先輩。
言葉も出ないほどに撫子に衝撃が走る。
――もしも、同一人物だとしたら……兄さんは彼女の何を奪ってしまったの?
そんなに恨まれるようなことを彼がするとは思えない。
「その相手の事を今でも嫌いなんですか? 」
「分からないわ。私は彼が嫌いだった。それは確かだけども、今は……分からないって言うのが本音かもしれない」
「どういう意味です?」
「思い込んでいた相手と本当の彼ははあまりにも違ったから」
「その相手は、今も先輩の近くに?」
「……さぁ、どうでしょうね」
それ以上、淡雪は何も言ってはくれなかった。
撫子も深く聞くのも怖くなってしまい、追及はできない。
そっと淡雪は地面にしゃがみこむと、何かを手に取る。
その手には緑色の葉のついた白い花が握られていた。
「可愛らしいクローバーですね」
「そう。シロツメ草、この花は好きよ。雑草扱いされている花だけども、一番好きな花かもしれない。地味だけど可愛いじゃない」
「クローバーは私も好きですよ」
「子供の頃、四葉のクローバーを見つけたら幸せになれるって噂に踊らされて探し続けてたの。そんな記憶はない?」
「夕暮れになるまで探して、見つけた時にはホントに嬉しかった記憶があります」
淡雪は微笑を浮かべながら、懐かしそうに、
「私もそう。大好きなお母さんにあげたくて、ようやく見つけたの。それをあげたらすごく喜んでくれて、本当に嬉しかった」
「気持ちはよく分かります」
「子供って無邪気だから。これで花冠を作ってねだったりして。私と遊んでくれたお母さんの笑顔を思い出すの」
撫子は「先輩はお母さん想いなんですね」と言うと、
「私にとって、お母さんはかけがえのない人なのよ。世界で一番好きだから」
正直、驚いた。
こんなにも優しい笑顔をするのだと、初めて撫子は知った。
――笑うとこんなにも綺麗で可愛らしいんだ。
撫子が見たことがない、彼女の本当の笑顔。
大好きな人の事を笑顔で語る彼女に不思議な感覚を抱いた。
――やはり、どこか須藤先輩は兄さんに似ている。
その笑顔は見ていてる相手を安心させる。
まるで全てを包み込んでくれるような優しさをもっていた。
「須藤先輩。クローバーの花言葉はご存知ですか?」
間もなく昼休憩も終わるので、去り際に彼女にそう問いかける。
彼女は手に握りしめたクローバーを眺めながら、
「花言葉は『幸運』や『約束』。素敵じゃない」
「えぇ。そうですね。ラッキークローバーなんて言われてるくらいですし」
「四葉のクローバーの花言葉が好きよ」
「真実の愛。『Bemind』でしたよね」
「意味は『私のものになってください』。本当に素敵な言葉ね。私は大好きなの」
クルクルと手元でクローバーの花を回しながら、彼女は囁く。
愛するという感情は幸せなものだけではない。
それゆえに、この言葉は生まれたんだろう。
「クローバーには、もうひとつの花言葉があるんですよ」
「そうなの?」
「興味があれば、調べてみてください。クローバーの花言葉は深いんです」
「へぇ、機会があれば調べてみるわ」
――その花言葉は復讐。行き過ぎた愛は憎しみに変わる。
クローバーの花言葉には“復讐”と言う意味があるのも忘れてはいけない。
幼い頃の彼女が四葉のクローバーに込めた想い。
人を愛するということ。
人を憎むということ。
まさに裏と表、淡雪がその言葉の意味を知った時、どう思うんだろうか?
私は帰り際に兄さんに尋ねてみることにした。
すべてはただの偶然なのか、必然なのか。
「兄さん。子供の頃に女の子に悪戯をしたりしませんでしたか? 」
「悪戯って?」
「例えば、相手がお気に入りのものを奪ったり、隠したり。好きな子いじめのような類のものです。相手の気を惹きたくて悪戯する。それが男の子というものでしょ?」
「い、いきなりなんで? そんなことはした覚えはないぞ」
「……ですよね。兄さんに限ってそんな人から恨まれることはしませんよね」
――当然だ、私の兄さんが誰かに嫌われる真似をするはずがない。
それなのに、淡雪は言い切った。
『大和クン、大嫌いだよ』
記憶の少女はもう間違いなく、淡雪に違いない。
「大嫌い。そこまで嫌いになるほど、兄さんを憎んでいたんでしょうか。その理由は……? 兄さんが他人に嫌悪されるような真似をするはずないのに」
幼い子供の憎悪の理由、知るのが怖いと思えた。
「須藤先輩と昔に会った記憶はありませんか?」
「昔に会ったかもしれにないって奴?」
「些細な記憶でも構いません」
「んー、そう言われてもなぁ。淡雪さんと初めて高校であった時さ。不思議と前にどこかで会ったような、懐かしい感覚になったのは事実だよ」
でも、何も思い出せない。
「昔、どこかで会っていたのかもしれないな」
「……私と言う相手がいながら、他の女性を口説いてませんよね?」
「は?」
「例え、子供の頃でもそんな真似をしていたら、ひどい目に合わせます」
「そんなことはないから、安心してください」
彼は顔をひきつらせて、撫子からそっと距離を取る。
すぐさま距離を詰め直して、
「時に愛は憎しみに変わります。行き過ぎた愛、人はそれをヤンデレと呼びます」
「やめてくれー。ヤンじゃダメ」
「でも、死ぬほど愛されることって幸せなことだと思いませんか?」
「……思いません。何事も程度が大事なんだよ。ほどほどに愛されたい」
げんなりとして猛は深く頷いた。
この“運命”は偶然ではなく必然的なものだったのかもしれない。
「この写真に見覚えはありますか?」
「古い写真だな? ちょっと見せて」
例の幼女の写真を彼に手渡してみる。
撫子はその相手が淡雪だと確信している。
「見覚えがあるような、ないような?」
「……須藤先輩に似てると思いません?」
「淡雪さん? んー、どうだろう? 髪の色は似てる気がするけど」
「私にはそうとしか思えないんです。やっぱり、私たちは過去にあってたようですよ。この写真は家のアルバムから見つけたものなんです」
「ホントに? そっかぁ、昔の遊んでた子のひとりだったのか」
「どちらも記憶にないほどの昔なのかもしれません」
接点は見つかった。
写真が家にあったのも、過去に遊びに来ていたというのなら納得もできる。
――抱き続けてきた違和感の理由が分かった。
しかし、それは最悪のパターンだ。
猛からもらった百合を踏みにじった、記憶の少女。
――この写真の相手が淡雪さんだとしたら、記憶の少女も彼女の可能性が高い。
彼女が同一人物だというのは予想すらしていなかった。
ほぼ間違いないのは、淡雪自身の発言から確信を得た。
嫌いな相手からもらった百合を捨てたと淡雪は言った。
――過去の接点。私たちが繋がっていたのは間違いないでしょう。
撫子はため息交じり、その言葉をつぶやいた。
「あの少女は須藤先輩だったんですね」
結果からすれば、撫子にとっては最悪の相手でしかない。
その上、疑問だらけだ。
記憶の少女だとしたら、彼女は猛に恨みを抱いている。
それなのに、恋人ごっこをしてみたりして、絆を深めている。
――まさか、それすらも須藤先輩の復讐? 何を企んでいるのでしょうね。
言動と行動が一致せず。
疑惑しか想い浮かばない。
――その可能性があるのなら警戒だけはしておきましょうか。
猛に対しての憎しみが募り、復讐の機会を望んでいるかもしれない。
そんなことはさせないと、警戒しておく。
――例え、あの人が何を企んでいようと兄さんに危害は加えさせません。
猛は撫子が守り通す。
幸せな日常の中に、わずかな不安が入り込んでくる。
須藤淡雪、油断ならない相手の存在。
――昔、どんなことがあったのか。それを知らなければ始まりそうにありません。
知りたくもあり、知りたくない気持ちも入り混じる。
不安を抱えながら、夏の気配を感じる夕暮れの空を見上げた。
もうすぐ夏の季節がやってこようとしていた――。
【第1部、完】
第2部:予告編
猛が再会したのは懐かしい幼馴染、花咲恋乙女。
彼女との再会が新たなる波乱を巻き起こす事に。
複雑な恋に猛は自分の気持ちに素直になれずにいた。
その最中、淡雪と急接近する彼はある夢を見続ける。
それは、ただの夢か、それとも悲しい過去なのか。
幼馴染との再会。
母親が隠す秘密。
兄妹の関係に秘められた謎。
禁じられた恋の行方。
希望の扉の鍵は思わぬ形で猛と撫子に与えられた――。
【第2部:咲き乱れるのは恋の花】
愛の絆がある限り、この想いは絶対に諦めれない――。




