第5話:お兄ちゃんが死んじゃうからやめて
今日からは二学期が始まる。
朝から撫子は朝食を作りながら「久しぶりの学校です」とどこか憂鬱そうだ。
長期の休み明けが気だるいのは誰でも同じだと思いきや、
「休みがもっと続けば、兄さんとラブラブな毎日を過ごせるのに」
「俺達、学生の本分は勉強と青春。学校生活を満喫しなきゃいけない」
「兄さんは前向きですね。そうです、学校に通うのも嫌になるくらいにひどい噂を流しましょう。そうすれば兄さんだって」
「やめーい。俺を引きこもりにしてどうする!?」
「私を兄さんだけのものにできますよ、うふふ」
「笑わないで、普通に怖いから」
この子はやる時はやる子だ。
――ヤンデレはダメ、愛は病んじゃダメー。
愛の暴走だけは避けたい猛であった。
「ただでさえ、一学期は本当にひどい目にあったのを忘れたのか」
「忘れていません。あの件で兄さんを深く傷つけたことは……」
シュンっとらうなだれる彼女は料理をする手を止めた。
あの事件、撫子自身も絡んでいたために自分にも責任があると感じているようだ。
「自らの手で兄さんを悲しませたのは反省しています。あの件は私も犯人の一人ですからね。大いに反省して、次にする時は――」
「次はないから。もうやめてくださいね。本気でやめれ」
「ダメですか?」
「二度目があってたまりますか」
世界を敵に回わして、世界を裏切るのはもうやめて欲しい。
正直、あんな思いはもう二度としたくない。
「そろそろ、パンが焼きあがるころだな」
「こちらも出来上がりました。朝ごはんにしましょう」
猛は焼きあがった朝食のパンをお皿に乗せていく。
「うん、いい具合に焼けて香ばしい」
撫子が用意してくれたサラダとスクランブルエッグを盛り付けて朝食は完成。
「いただきます。あれ、パンの味がいつもと違う。メーカーをかえた?」
「駅前に新しいパン屋さんができたそうです。姉さんが昨日、一斤丸ごと買ってきたんですよ。何でもお友達がアルバイトをしてるのだとか」
「ふーん。うん、これは俺の好みかも」
「――ッ。バイト先の女性がですか?」
「違います。パンの味です。い、今一瞬、睨まれて怖かったよ」
彼女は「そうでしたか、ごめんなさい」と微笑を浮かべる。
――この子を裏切ったら、俺はきっと海の藻屑になるであろう。リアルで。
怒らせてはいけないと改めて感じる。
「美味しいな。食感も柔らかいし、ふんわりしている」
「パン屋さんの食パンは市販の大量生産品とはまた違う味わいがしますね」
「それがお店のこだわりってやつだな」
パンの耳まで美味しく食べられるので、気に入った。
また今度、雅に買ってきてもらうことにする。
「アルバイトか。俺もアルバイトをやってみようかな」
「あら、私と一緒に過ごす時間をなくすおつもりですか?」
「違うって。経験とか積んでみたいだけ。俺って部活もしてないだろ」
「なるほど。社会との繋がりを持ちたいのですね。もしや、新たな出会いでも求めているとか? 人間関係を広げた果てに、どなたかと浮気でもしようものなら、兄さんは一生、私の元で飼い殺しますけどね」
撫子の口元から笑みが消えて猛は思わず、背筋が凍った。
笑えない冗談だ。
「なんでそうなる。俺が浮気をするとか勝手に疑わないで」
「兄さんを信じてますよ。信じた末に裏切られたら、一人寂しく泣くだけです。ひとしきり泣いて落ち着いたら反撃開始。言葉に出来ないほどの“復讐”することを先に宣言しておきます」
「……宣言されても。怖いからだけじゃなくて、撫子が普通に好きなだから浮気なんてしません。俺は一途な男なんだけどなぁ」
「兄さん。私、一度は裏切られているのでその言葉だけは信じませんよ」
いまだに淡雪との恋人ごっこの件を根にもたれていた猛だった。
過去は消えない、消しやしない。
「撫子を裏切る真似は致しません。えぇ、決して」
「兄さん自身のためにもそう願っています」
「信頼って得るのが大変だなぁ」
信頼という木は育つのが遅いものである。
――ホントに何かされそうで怖いや。
話を蒸し返されるのもあれなので話題をかえる。
「母さんだけどさ、今日の夜に帰ってくるんだって。さっき、連絡があったよ」
「……何か私に話したいことがあると言ってましたね?」
「戦争になるようなことはしないで。話し合いで平和的な解決をしてください」
「お母様次第ですよ。私も争いは好みません。ただ、兄さんと私の平穏を打ち壊す気ならば容赦しないだけです。こうみえて、私だって平和主義者ですから」
それは嘘だと心の中で呟く猛だった。
どう考えても嫌な予感しかしない。
新学期の校内の空気は独特のものだ。
休み明け特有のざわついた空気。
教室では、どこに誰と旅行をしてきた、夏休みを無意味に過ごした、部活続きで大変だった、とあちらこちらで会話する声が聞こえる。
部活で汗を流し、真っ黒に日焼けした生徒。
かたや、夏を過ごしたくせに全く日焼けの一つもしてない生徒。
それぞれが夏休みをどう過ごしていたのかを報告しあう中で。
「結局、夏休み中は猛クンと遊べなかったわ」
と、拗ねた双子の妹が猛の隣の席に座りながら愚痴る。
夏休み中、淡雪とは何度も電話で話をしていたが、実際に会う機会はなかった。
仕方ない、彼女の方の都合が中々につかなかったのだ。
祖母の付き添いで、かなりハードなスケジュールだった様子。
「タイミングが悪かったね」
「それなのに、結衣とはダンスの応援で何度も会ったと聞いた。ずるいわよ」
「まぁね。ダンスの練習を頑張る結衣ちゃんを応援したくてさ」
夏休み中、何度か彼女の元へ足を運んだのは事実である。
――結衣ちゃんも俺の妹だからな。
どんな時でも妹を応援するのは兄の務めだ。
「淡雪はお祖母さんの関係でいろいろと忙しかったんだろ?」
「えぇ。お祖母様は一線を退いてはいるけども、それでも経済界に顔が利くから。次期須藤家の後継者としての紹介であっちこっちに挨拶回りの毎日だったわ」
口ではそう言うものの、淡雪は決してそれを嫌ってはいない。
責任感の強い子だ。
それが自分の責任だと感じた事には真っすぐ取り組む。
今回の挨拶回りの意味、そして、経済界の重鎮たる自分の祖母の活躍を傍目に見て、経験や学ぶことも多いのだろう。
「お疲れさまでした」
「というわけで、今週の土曜日は予定を開けておいてね? 私と同じ時間を過ごしてほしい。もっと、具体的に言えば、デートがしたいわ」
じゃれつく子猫のように可愛らしく甘えてくる。
淡雪が甘えられる相手は猛しかいない。
「いいよ。気分を晴らしにどこかに行こうか」
「ありがと。そして、私はこのことを撫子さんに報告する」
「やめなさい!?」
迂闊な言葉で、命のろうそくの火が消される。
「冗談よ。したら面白いことになりそうだけども」
「……お兄ちゃんが死んじゃうからやめて」
「そもそも、連絡先を知らなかったわ。あの子、教えてくれないんだもの」
「最近、仲良くなったんじゃないの?」
「連絡先を交換するほどには仲良くないわね」
「どちらにせよ、撫子には内緒でお願いします。俺の命がマジで危ない」
ただの遊びが遊びで済まなくなる。
決して、これは浮気ではない。
――妹と遊びに行くことを世間的にはデートとも浮気とも呼びません。
そう言い訳する時点でアウトであるが。
「猛クンってさぁ、撫子さんにびくつき過ぎ。相変わらず、主導権握られてる?」
「否定はしません。できません」
「すでにお尻に敷かれる関係なのね」
「情けない話ですが認めます」
「……猛クンってドMさん?」
「ち、違いますっ。変なことを言うんじゃない」
妹にからかわれてたじろぐ猛であった。
――少しは男気ってものを見せたいが……あの撫子を相手にするのは無理っす。
現実はそんなに甘くない――。




