第1話:この水着を着られなくしてくださいね?
大広間では撫子が優子と何かを話している最中だった。
また喧嘩でもしてるのかと思いきや、あっさりと離れてこちらに来る。
「撫子、母さんに何か言われた?」
「いえ。お昼の準備を手伝ってほしいとだけ言われました」
「そうか。てっきりまた戦争になるのか、と」
「心配させてしまいましたか。意外なようですが、普通の対応です」
「だな。母さん、俺たちが旅行から帰ってきても怒りもしない」
二週間ほどの愛の逃避行。
勝手に旅行に行ったことを怒ってると思いきや、帰ってきてもお咎めなし。
「お叱りでも受けると思いきや、そうでもなくて肩透かしだ」
「旅行中にメール攻撃をしても、無反応でしたし」
「なんだろう、俺たちが考え込みすぎてたのかな」
最近の優子がやけに猛たちに優しい気がする。
「とはいえ、お母様が相手なので気を緩めるわけにはいきませんが」
「いや、そこまで警戒しなくても。あ、俺たちの事を認めてくれたとか?」
「どうでしょうか。あの人に限ってそんなことはないと思います」
怪しむ様子を見せて警戒する。
「もっと別の何かを企んでいるような、陰謀の匂いを感じざるをえませんね」
「あのね、撫子さん。いつも言うんだけど、母さんのことを悪役のような目で見るのはやめてほしいな。妊娠して大変だから、こっちまで気が回らないとか」
「そういうオチならまだいいんです」
「え?」
「私が気にしているのはこれが嵐の前の静けさにならないことですね。お母様の事です。何か裏があるかもしれません」
不穏な空気を察する撫子に「そうかぁ?」と疑問を抱く。
母も新しく子供ができ、猛たちの事に反対することを諦めたのではないか。
そう思いたい猛だが、考えは甘いのだろうか。
「とにかく、気を許して油断だけはしないようにしてくださいね。油断は怖いです」
「俺は時々、撫子の方が怖いや」
「んふふ。今の発言、どういう意味か後で追求しますね」
「口が滑った。深い意味はないのでどうかご容赦を!」
撫子の微笑みが恐ろしすぎる。
静けさゆえの警戒感。
違和感のようなものを抱いているのだという。
「今は相手の出方をうかがうしかありませんね」
撫子はそう呟くと手伝いをしにいってしまった。
「嵐の前の静けさ、か……本当に嵐は来るのだろうか?」
とんでもない危機がすぐそこまで訪れているは思いもせずにいたのだった。
お盆も終わり、夏も半ばを過ぎた。
ある日の午後のことである。
「聞いてよぉ、撫子。ついに私にも春がやってきそうな雰囲気なの」
「はいはい、姉さん。その話はもう何度も聞かされています」
今日は猛と一緒にプールを楽しむ予定。
撫子が準備をしていると意気揚々と楽しそうな姉が絡んでくる。
しっぽがあれば、ものすっごく振りまくってるほどのご機嫌だ。
「初デートなんでしょう。昨日からずっと聞いてます」
「デートと言うか、初顔合わせ? 今日の夜に夕食をすることになってるの」
「うまくお付き合いまで発展すればいいですね」
「うん、頑張ってきます。お姉ちゃんも負けてられない」
先日の朝陽の結婚のニュースで本気で焦ってる様子の姉だ。
撫子も彼女の結婚にはかなりのショックを受けたが。
それ以上のダメージを受けたのが雅である。
恋愛経験ゼロ。
こうして恋人を望むようになったのは雅にとっても大きな変化ともいえる。
――ただ、二十歳を過ぎて色恋沙汰に目覚めるのは遅すぎる気もするわ。
撫子のように幼い頃から恋愛をしていれば人生はもっと豊かになっていた。
何事も経験が大事だというのに。
「結局、お相手はきららさんからの紹介ですか?」
「そう。猛が頼んでくれて、すぐに『雅さんならこの人がいい』って紹介してくれた」
「……きららさんなら、安心できますね」
家柄、性格、相性。
人を見る目のある彼女ならば、最適な相手を選んでくれたはずだ。
「お父さんも探してくれてたみたいだけど、きららの方が信頼できるし」
「あの人の持つ人脈のパワーはある意味で才能ですから」
「感謝してるわ」
「今度、誕生日パーティーに誘われています。お礼を言っておきますね」
鏡野きららは撫子もよく知る相手だ。
猛の幼馴染の一人でもあり、人当たりもよく信頼している。
「結婚までいけるかどうかはともかく、いいお付き合いができるといいです」
「そうだね。……ところで、撫子は何をしてるの?」
「兄さんがプールに連れて行ってくれるんです。学校で開放しているプールなんですけども。そのために水着の準備をしてます」
「そうなんだ? この暑い中だと日焼けもしちゃうし、気を付けてね」
撫子はうなずくと、猛が呼びに来たのでプールへと向かうことにした。
学園のプールは夏休み中、既定の日にちに解放されている。
全学年共通なので、普段の学校の授業とは違う和やかな雰囲気だ。
普段と違い、学校の授業ではないため、スクール水着でもないので、みんなそれぞれお気に入りの水着を着て楽しんでいる。
「この変態、あっちにいけー」
「うぎゃぁー!?」
露骨にえっちぃ視線を向ける男子が女子に蹴飛ばされてプールに落ちていた。
「悪は滅びるのが常、大いに反省してください」
そんな光景を眺めながら猛を待っていると、
「お待たせ。撫子、準備体操をしたか」
「ちゃんとしましたよ」
プールサイドに座る撫子に声をかけてきた。
「そうやって髪をまとめていると雰囲気が変わるな」
「長い髪なので、何もせずに泳ぐのはさすがに無理です」
軽く後ろでまとめた髪。
このままま何もせずにプールに入ると泳ぐどころではない。
猛は彼女の水着姿を一瞥すると、
「あれ? それは去年も着ていた水着じゃなかったか?」
「えぇ。お気に入りの水着ですが……」
「ん? どうした、撫子?」
彼の何気ない一言が撫子のプライドを傷つける。
プイッと拗ねながら、彼に詰め寄る。
「兄さん。今の発言は成長期の私が去年と同じ水着でも大丈夫だったのか、という事に対しての疑問でしょうか? なぜ、大丈夫なのか、と?」
「い、いや、そういう意味では決してなく」
「なにゆえに、胸まわりが苦しくならないのか、その理由を述べろと仰せですか?」
「え、あ、あのですね」
突然、詰め寄られてたじたじになる。
不愉快極まりない撫子は、
「その理由を私の口から説明しろと? なるほど、そこまで言うのなら説明しましょう。こと細かい数値と共に。説明して、納得してもらいましょう」
「だから、何も言ってませんってば! 撫子の被害妄想だ」
言葉では否定するものの、「撫子は痩せ形だからな」と無駄に付け足した。
「すみませんね。どこかの胸が大きいバカ姫と違い、それほど成長してません」
中学で身長は伸びきってしまったのか、今年になっても数センチも変わらず。
体形の方は大人びては来ているものの、同世代の友人たちより成長具合は劣る。
ここ一年で、膨らむべき所は満足に成長してくれていない。
「兄さんが揉むところを揉んでくれないから、成長具合がよろしくないのです」
「誤解を招くことを口走らないで!?」
「誤解などではありません。兄さんが積極的に協力してくれないせいです」
「俺の立場が悪くなるから。そういうことを平気で言わないでください」
「ねぇ、兄さん。来年は兄さんの手で、この水着を着られなくしてくださいね?」
撫子は彼の手をそっと取りながら、挑発的な口調で言った。
そのセリフを聞いていた周囲からは、
「あの兄妹って噂以上にヤバい関係なんじゃ」
「お風呂も一緒に入ってるって有名な話でしょう。今さらなんじゃないの」
「実の兄妹でないとはいえ、公衆の面前でああも堂々と……」
「揉み揉み放題、にゃんキュッパか。相変わらず、許せんな」
他人が噂する姿に猛は「やはりこうなるのか」と落ち込んだ。
自分に対する評価が下がるのは受け入られらないことらしい。
こういうプライドは捨ててしまえばいいのにと以前から感じている。
「それよりも兄さん。せっかくなんですからプールを楽しみましょう」
「そうだな。たまにはこうして泳ぐのも心地いい」
今の時期、普通のプールでは大勢の人で賑わって遊ぶどころではない。
学園のプールでは適度な人数が騒いでいるだけなので、十分に満喫できる。
プールの冷たい水につかりながら撫子は体を浮かせる。
「こうやって水に浮かんでいると心地が良いです」
「撫子はそうやって浮かぶのが子供の頃から好きだったな」
「私は溺れるほどに泳げないわけではありませんが、特に上手な方でもありませんから。こうやって静かに浮いているのが好きなんです」
水に浮かんでいると心がとても落ち着く。
そっと撫子に触れて「可愛らしい人魚姫だな」と囁く。
「人魚と言えば、トップレスを希望されますか」
「やめなさい。手を水着にかけないで。お兄ちゃん、露出狂は許しませんよ」
「いえ、さすがに人前で脱ぐ気はありませんが。兄さんだけになら私のすべてを見せてもいいと……きゃんっ。お腹をいきなり触らないで。くすぐったいです」
「お兄さんを困らせないでくれ。はい、素直に遊びましょう」
男としてちょっとは暴走してくれてもいいのだが、
「真面目で堅物なのも兄さんらしいです」
物足りないので、もっと自分の欲求に素直になることを要求する。
少し不満げながらも、愛する人との時間はいつだって楽しいものだ。




