プロローグ:パパにお願いがあるの
愛の逃避行と銘打った猛たちの旅行は無事に終わった。
二週間という時間はあっというまに過ぎ去るもの。
それにしても、慌ただしい毎日だった。
村の人たちにもよくしてもらい、都会では体験できないことを経験させてもらえた。
有意義な休みになったといえる。
従姉の朝陽が結婚していたという事実も驚いた。
そんな旅行が終わり、お盆の間近になると大和家では親戚一同が集まる。
大和家の親戚は結構多く、そのほとんどが日本全国地に散らばっている。
こうして年に一度や二度しか顔を合わさない親戚との触れ合いは貴重なものだった。
「普段は静かなこの家が、この時期になるとずいぶんと騒がしい」
「兄さん。ちょっといいですか。ある人を助けてあげてほしいんですが」
「いきなり何?」
「……例の件ですよ、例の件。我が一族の問題児、大和朝陽が結婚するという衝撃的事実が親戚内をパニックに陥れています。もう、大混乱です」
猛が自室から廊下に出ると、大広間からは喧噪が聞こえていた。
親戚中が朝陽の結婚という朗報に驚きを隠せずにいる。
「現場は混乱している様子だ。そんなに大騒ぎすることかな」
「えぇ、大問題ですよ。ちなみに困惑とショックで雅姉さんが倒れました」
「姉ちゃんっ!?」
朝陽の結婚でそこまで落ち込むだろうか。
「ものすごく落ち込んでいるので慰めてあげてください」
「お、おぅ。弟としてできることはしましょう。どこにいるんだ?」
「中庭です。ほら、あちらに……あらら」
ずーんっと暗い雰囲気を背負い、思いっきり落ち込んでいる雅が中庭にいた。
夏に咲く百合の花を眺めて一人寂しく嘆く後姿。
「ふふふ。乙姫には先を越され、朝陽には完敗する。私の人生、どうしてこんなに男運がないんだろう」
「哀れな負け犬の姿が……」
「おかしいなぁ、さすがに乙姫には性格で勝ってるはずなのに」
負け犬女子の負のオーラが漂っている。
そして、乙姫をディスって心を慰めてる。
どっちにも失礼である。
「……我が姉ながら見ていられませんね。ここは兄さんにお任せします」
「撫子、逃げる気か? あんな状態の姉ちゃんを慰めろと?」
「私は親戚たちを落ち着かせるというお仕事があるんです。では、また後ほど」
あっさりと身を翻し、撫子は大広間のほうへと行ってしまった。
「やれやれ。厄介なのを押し付けられてしまった」
残された猛はここから逃げ出すわけにもいかず、失意の姉を励ますことに。
真横に座ると、姉にどう声をかけていいのか悩みながら、
「あのー、姉ちゃん。大丈夫か?」
「お姉ちゃんは二十歳を過ぎてもまだ恋人もできたことがないんです」
「はぁ。それくらいなら、時々いるよね」
「ぐすっ。ダメなお姉ちゃんだね。このまま婚期を逃しちゃうのかな、あはは……」
――やべぇ、本気で自分の恋愛運のなさを落ち込んでました。
普段、ポジティブな姉が見せる意外な弱さ。
さすがに乙女にも負けて、朝陽にも完敗するとこうなる。
心が折れて、今にも倒れてしまいそうだ。
「だ、大丈夫だって。姉ちゃん、美人さんだから。心配しなくても男が寄ってくる」
「でもね、合コンに行ってもいい人に出会えないの。男友達からは恋愛対象には見られないってよく言われるし。私の何がいけないと思う?」
「正直に言えば、見た目によらず豪快なところがあるせいだろうか」
ラーメンを頼めば大盛ラーメンを軽く平らげてしまうし、性格だって誰にでも気さくさゆえに、恋愛対象として見るよりは親友ポジションに選びたいタイプだ。
長所と短所は裏表、一概にどこを直せばいいとは言いづらい。
「うわーん。やっぱり、私は残念系女子なのねぇ」
「お、落ち着いて。姉ちゃんはすごく素敵な女子だよ」
「ホントに? 婚期逃してダメ女子扱いされない? 朝陽に負けてるのよ?」
「朝陽ちゃんのことは俺も驚いてるくらいだし。うん」
彼女の場合は出会いがよかったのだ。
人の縁とは不思議なもので、思わぬことで関係が発展することもある。
「別に朝陽の幸せを妬んでるわけでもないのよ。緋色さんっていう旦那さんとも話したけどいい人っぽいし、幸せになって欲しいとは思うわ」
「緋色さんはいい人だよ。よく朝陽ちゃんをいじめてるけど、仲がいいって感じ」
彼は猛も向こうの村でお世話になったので知っている。
今日は親戚たちに紹介するためにこちらに来ているのだ。
昨日は両親に挨拶をしたらしくすごく緊張したとさっき会った時に言っていた。
「無事に結婚も認められてよかった。朝陽ちゃんはあのまま、あちらに住み続けるらしいね。村のみんなからも愛されてるし、友達も多いみたいで安心したよ」
「あの子は自分で見つけた居場所なんだって、言ってたっけ。朝陽が前にうちに泊まりに来た時があったじゃない」
「あぁ、朝陽ちゃんが家出してきたって時の事?」
「えぇ。あの時の朝陽は自分の事に悩んでた。それが今ではすっかりと悩みも解決して、女の子としても成長してたのね」
だからこそ、雅は「それに比べて、私って……」とへこみ気味だった。
「あの子は人を見る目はある方だからなぁ。人を見る目のない私はどうすれば」
「そこまで落ち込む必要はないだろう? まだ20歳なら焦ることもないし」
「猛と撫子がくっついちゃった今、私は弟と妹にも負け、従妹たちにも負けて……もしかして、大和家で将来が一番心配されてる立場なんじゃないかと」
「そこまでの事はないから安心して!?」
負のスパイラルに陥っている姉を何とか励ましていた。
ひたすら彼女の愚痴を聞かされていると、ちょうど父さんが廊下を通る。
「どうした、お前ら? もう中に入れよ。今ちょうど昼食の弁当が届いたところだ」
「そっか。そろそろ、行こうか、姉ちゃん……?」
姉は父の顔を見るや、抱きつかんばかりの勢いで迫り、
「お父さん~、いえ、パパ!」
「ぱ、パパ? なんだ、雅。どうかしたのか」
思わぬ甘い声で呼ばれ戸惑う父である。
「パパって……小学生の時以来だな。どうした、娘よ」
背水の陣、彼女はもはや手段を選んでいなかった。
「あのねぇ、パパにお願いがあるの」
「……久しぶりにパパなんて呼ばれたぜ。どうしよ」
「ちょっと嬉しそうですね、父さん」
「娘に甘えられて嬉しくない父親はいないのだ」
にやけてしまうのも男親の性というものである。
「娘がやけに甘えてくるな。なんだ、ついに車でも事故ったか。修理代を払ってほしいと泣きついてきたか。仕方ないな、いくらくらいだ?」
「違います。パパ、私の将来のためにお婿さんを選んできてください!」
頭を下げてお願いしたのは、まさかの旦那候補を探してきてという事だった。
「み、雅? は、はぁ?」
理解できない父は猛の方を見て「説明してくれ」と求める。
「朝陽ちゃんが結婚したことで姉はずいぶんと焦っておられます。男に縁のない自分に父さんから素敵な男子を紹介してあげてほしいというお願いです」
「私の事、政略結婚に利用してもいいよ?」
「しません。ていうか、今時政略結婚なんてないだろうが。しかもそういう事を男親に頼むな。可愛い娘を嫁に出したくない男親の心境を理解してだな……」
どこか呆れはてた父さんは説得しようとするも、
「それじゃ、パパは私の人生に幸せが訪れなくてもいいの?」
「そうは言わないが大学生だろ、自分で男くらい探せ。縁くらいどこにでもある」
「できないから頼んでるのっ。私も彼氏や旦那が欲しい。私だって結婚したいのぉ」
まるで駄々っ子のように父にすがりつく。
今まで見たことない姉の姿。
どうやら今回はかなり追い込まれている様子だ。
撫子が見捨てた理由がよく分かった。
「わ、分かった。分かったから。誰かいい人がいないか探してやるよ」
「ホントに? 嘘つかない? 嘘だったらパパの事を嫌いになるからね?」
「パパ言うな。……そこまで本気で追い込まれていたらどうにかしてやるしかないだろう。ただし、あくまでも縁を作るだけだからな。結婚までの責任は持てない」
「やったぁ。ご紹介だけで十分です。ぜひお願いします」
姉はメンタルが回復したのか「お腹すいたなぁ」と元気よく大広間へ。
残された猛と父さんは深いため息をつきながら、
「ああも雅が追い込まれるとは……パパだってさ。言われ慣れなくてドキッとした」
「あはは。でも、姉ちゃんの気持ちも分かる気がする」
「雅も周囲が結婚し始める年頃だ。焦る気持ちもあるんだろうが男親に頼んでくれるなよ」
娘の結婚相手を選んで、探して、と父親としてはかなり微妙で複雑だ。
「僕の気持ちも分かってほしいものだ。まったく……」
「それだけ姉ちゃんも自分の人生に男運がないって危機感を抱いてるわけで」
「しかし、いい相手ねぇ。んー、誰かいなかったかなぁ」
「知り合いの息子さんとか?」
「何気に僕の知り合いの子供って娘さんが多くてな。猛は誰か思いつかないか」
「俺に聞かれても……あぁ、でも、あの子に頼むとか」
そういうことが得意な知り合いを思い出す。
「鏡野きらら。あのお嬢様に頼んでみようか」
「なるほど。彼女なら雅にぴったりな相手も見つかるかもしれん」
「だね。きららなら、悪い相手なんて間違いなくないだろうし」
猛の知り合いで、人脈を武器にしているお嬢様がいる。
マッチングアプリもびっくりな出会いを見つけてくれると評判だ。
「近いうちに連絡しておくよ」
「そうしてやってくれ。さすがに愛娘のあんな姿は何度も見たくない」
父は「まだ若いのに、慌てすぎだ」と言いながら、
「しかし、あの朝陽ちゃんも結婚か。人生とは分からんな」
「でも、良い相手と巡り合えたようで何よりだよ」
「それもそうだ。猛も撫子を大事にしろよ。言わなくても分かってるだろうがな」
「頑張ります」
「おぅ、頑張れ」
息子の肩を叩いて父はそう笑うのだった――。




