最終話:幸せになりなさいよ、朝陽
「お姉ちゃん。可愛い妹ですが、お時間よろしい?」
その日の朝、自室から姉に電話をかけていた。
問題を先送りにし続けて、撫子達が来てから一週間近くが経過。
彼女から「いい加減に実家に話しなさい」と叱られて姉に報告する事に。
『いいけど? なによ、いい加減にこっちに帰ってくる気にでもなった? 言っておくけど、今、アンタの部屋は物置状態になってるからね』
「寂しすぎる現実ですね!? なんで物置なのよー」
『いなくなったアンタが悪い。……で、本題はなに? 今度はどうしたの?』
朝陽が結婚すると言う事実を聞くとどう思うか。
――アンタにまだ早すぎるとか、叱られたりするのかも?
両親への報告よりも前に乗り越えるべき壁がある。
「あのですね」
電話越しでも緊張感が漂う中で、勇気をもってその言葉を呟いた。
「わ、私、結婚することになりました!」
思い切って言い切ったあと、返事を待つと彼女は静かに、
『……合言葉を言いなさい』
「はい? 合言葉ですと?」
『こういう時に決めてる合言葉があったはず。いわゆるオレオレ詐欺って奴でしょう? はっ、残念でした。私の妹は結婚なんて出来るほどいい女じゃありません!』
「お待ちなさいっ。いろんな意味で妹をディスりすぎ!」
いろんな意味で心を砕かれるのだった。
「うわぁーん。何でそんなこと言うの。可愛い妹が真面目に話してるのに」
『ならば、結婚詐欺でもされてるのね。あいにくと、うちにはアンタのために払えるお金はないわ。お金の切れ目が縁の切れ目。朝陽、いい加減に目を覚ましなさい』
「ホントなんです。信じてください。私、プロポーズされて結婚する予定なんですぅ」
涙ながらに姉へ必死になって信じてもらおうとする。
「この度、彼氏と結婚することになりました。はい、本当の話です」
『……ちょっと待って。ショックが大きすぎて理解に苦しんでるわ。ありえるの? もしや、これは私の夢? それとも、日本が終わる日が近づいている?』
しばらく電話の向こうで姉が何やら考え込んでいる様子。
「お姉ちゃんは普段から私のことをどう思ってるのかよく分かります」
そこまで理解されないとは思いませんでした。
「前から付き合ってる彼氏に、こっちで一緒に暮らして欲しいって言われたの」
『なるほど。……アンタはOKしたわけだ?』
「するよ、しますよ。だって、私が結婚できるチャンスは今しかないもん」
このチャンスを逃したら人生で最後だという自覚はあるのだ。
『愛してる、結婚しよう。そうだ、結婚資金が足りてないんだ。朝陽から出してもらえないかな? ざっと500万くらい現金で欲しいんだ。とか言われたりしてない?』
「だーかーら、結婚詐欺はされてません! 指輪も既にもらいました」
あまりにもムカつくので、一度電話を切ってメールで指輪をつけた写真を送る。
「どうですか。これで信じてもらえましたか?」
『……ホントなんだ?』
「ホントだって何度も言ってるし。その、近い内にパパとママに報告したいので、お姉さまにはフォローしてもらいたいと言うご相談です」
『それくらいしてあげてもいいけど。あの、冗談ばかり言ってごめんなさい。これは素直に祝福するべき内容だったわ。結婚おめでとう、朝陽』
あまりにも素直に言われるとこっちもびっくりする。
『アンタはそっちに行って、自分の居場所を見つけたのね?』
「見つけてきました。ここが私の居場所なのですよ」
『よかったじゃない。こっちでくすぶってた朝陽の姿からは想像できない。アンタも成長したってことかしらねぇ』
この姉は文句を言いながらも朝陽を応援してくれる優しさもある。
『結婚なんてびっくりした。私達のお布団におねしょばかりしていた、あの子が……』
「しみじみと黒歴史を思い出すのはやめて。もっと良い思い出で思い出して!?」
『家族がダメダメだと諦めて家族会議までしてた、あの朝陽が結婚なんて……』
「はい。家族の皆さんにはご迷惑をかけてました、どうもすみませんでした!」
ろくな想い出のない妹であった。
――私の思い出なんて家族の中でその程度ですか、すみませんねぇ!
結婚の報告で凹まされるとは思いませんでした。
「冗談はともかくとして」
『こんな時くらい冗談はやめて、普通に祝福してください』
「はいはい。冗談はともかく、アンタが決めた事なら反対はしない。家族は多分、素直に喜ぶと思うわ。特に何だかんだで心配しているお父さんとか」
『こっちにナデと猛君がいるんだけど。もしや、送り込んだのは?』
「お父さんでしょう。実際に誰かにアンタの様子を見てきて欲しかったんだと思うわ」
内心はとても心配して、家族から愛されている朝陽である。
散々、可愛がってきた末娘なのだから。
『結婚するって事になったら、いずれ子供だってできるだろうし。その辺もちゃんと理解して、今まで以上に頑張りなさい』
「はい、努力します。朝陽ちゃん、頑張りますよ」
ダメな自分からは卒業すると決めた。
そんな朝陽に乙姫は優しい声色で言うのだ。
『――幸せになりなさいよ、朝陽。私の可愛い妹は笑顔が一番似合うんだから』
姉の言葉に「うんっ」と微笑みながら返事をするのだった。
「というわけで、今日、姉に報告してきました」
朝陽の家のリビングで先ほどの報告をする。
今日は休日なので、朝から緋色もここにいた。
ちなみに猛は朝から川釣りをしている。
散歩途中で川釣りをしていたおじいさんに誘われて田舎体験中である。
ソファーで紅茶を飲みながらくつろぐ撫子は、
「ようやくですか。それで、乙姫さんは何と? 反対でもされました?」
「信じてもらえるまでが長くて、紆余曲折はあったけど。反対とかはされなかった」
「よかった、安心したよ。確か朝陽には姉と兄がいるんだっけ」
「うん。どちらも一流大学の医大生だけどね。ちなみにこれが姉の写真です」
朝陽が携帯電話の写真を彼に見せる。
ふわふわのウェーブがかった髪がオシャレな美人さん。
「……やべぇ、美人過ぎて言葉にならない。レベル高すぎだろ」
「や、やめて、うっとりしないで。妹の前で姉に見惚れないで!? 本気で傷つく」
「冗談だよ。さすがに惚れはしないけど、素敵な人じゃないか」
「中身はドSが付くほどに超強烈な人ですけどね。見た目とのギャップが半端ないとよく言われてます。怖い人なのですよ、本当に」
「ふーん。まぁ、朝陽の方が可愛いのは間違いない。俺の好みはお前だぞ」
「ありがと、緋色。でも、密かにドキッとしたのは許さん」
「独占欲バリバリな所を見せるのはいいんですが、乙姫さんと貴方とではレベルの差があるのは事実でしょう。緋色さんの好みが可愛い子好きでよかったですね」
「……くっ、ナデは余計なひと言を言うし。あとで猛君に言いつけてやる」
仲良くなれないふたりである。
「あとね、お盆くらいにこっちに来たらどうかって」
「お盆に?」
「うん。大和家の親戚が一度に集まる機会が毎年あるんだけど、そこで、緋色を紹介するのが一番いいんじゃないかって。おじいちゃんとかも集まるし」
それが乙姫からの提案だった。
パパたちの事も含めて、一同に集まる時に紹介するのがいいだろうって。
家族は仕事に忙しいので、ゆっくりとした時間が取れる時がいい。
「もちろん、緋色の家もお盆があるから、無理は言わないけど」
「いや、そう言うことなら今年はこっちを優先するさ。ぜひ、行かせてもらおう。ただ、いきなり朝陽の親戚たちと顔を合わせるのは勇気がいるんだけどな」
「緋色が憧れてた都会に行けるよ? 私がいろいろと案内してあげる。ついで観光もしていこうよ。緋色の長年の夢を私が叶えてあげるからさぁ」
朝陽の言葉に緋色はちょっと嬉しそうだった。
「そうだな。いい機会だし楽しむくらいの気持ちで行くか」
都会に憧れている、それは今も心の奥底で眠る夢だろうから。
「結婚の話は親戚一同、驚きと衝撃に震えあがる事でしょう。朝陽ショックですね」
「普通に喜んで欲しいんですけど」
「特に私の姉さんなんかショックで泣くかもしれません」
「ミヤは彼氏さんが欲しくて焦ってるもんね」
朝陽が裏切り者扱いされそうで嫌だった。
ちょっと前の出来事を思い出した。
「まぁ、焦ったところで彼氏ができるはずもないんですが。現実とはそう言うものです」
「……ナデはミヤと違って余裕だよね」
「えぇ。愛し合ってる兄さんがいますから。ラブラブな日々を過ごしております」
「その幸せな日常が壊れるかもって思いもしないんだろうなぁ」
「この愛に全てを。私はそういう子なので」
自身満々に言い切るのがすごい。
「そのね、変な事を聞くようだけど。ナデは恋愛をしていて不安に思う事はない?」
「兄さんの近くには素敵な女子が多いので浮気をしないか不安にはなります」
「そうなの? 猛君、カッコいいし、優しいから当然かぁ」
「一番のライバルが彼の双子の実妹なんです。兄さんには実妹がいるんですが、その妹が本気で兄さんの事を愛してるので大変なんですよ。ブラコンとは恐ろしい」
貴方が言うと説得力があるような、ないような。
彼女も、撫子にだけは言われたくないと言うに違いない。
「猛君に双子の妹がいたんだ。びっくりだよ。マジかぁ」
「知らないのは貴方だけですよ、多分」
「うぅ、仲間はずはひどいや。その子とナデとも仲良くしてる?」
「お母様によく似てるので苦手意識があるのは否定しません」
「……ナデって心を許す相手が少なすぎると思うんだ」
肩をすくめる朝陽は「お友達少なそう」と呟く。
「ブラコンで人見知りが激しければそうなります。友達がいなくても幸せですから」
「自分で言うし。ナデは強いねぇ?」
「……いいえ。弱さを隠しているだけですよ」
珍しく弱気な事を小さな声で囁く。
長い黒髪がふわっとなびく横顔は、どこか寂しそうに見えた。
意外な悩みがあるのかもしれない。
「兄さんさえいれば私は幸せなんです。それが全部なだけです」
「そう言うものだよね。私も緋色がいれば幸せだもん」
大好きな人がいるだけで人生は明るくなるもの。
「ただいま。撫子、魚が何匹か釣れたんでもらってきたよ」
釣りに出かけていた猛がお魚の入った袋を持って登場する。
「あら、川魚ですね。釣りは楽しかったですか?」
「滅多にできない経験をさせてもらいました。釣りは楽しいな」
「それはよかった。釣り餌の虫が苦手で私は近づけませんでしたが」
「それじゃ、猛が釣ってきた魚で昼飯にでもするか?」
「いいですね。私が魚を捌きましょう。兄さんも手伝ってください」
「分かった。釣りはいいぞ、撫子。こう、上手く釣れた時の快感がさぁ」
「ふふっ、兄さんがそんなにハマるなんて……そんなに面白いものですか?」
楽しそうに話す猛が魚を持ってキッチンへと向かう。
「都会っ子だと釣りの経験もないだろうし、ある意味、新鮮だったんだろうね」
「都会にはないものが田舎にはある。逆もしかりと言う事か」
「地元の魅力って近くにいすぎると気づきにくいものだよ」
「……俺もそれをお前から教わったよ」
人ってないものねだりばかりで、身近な大切なものに気づけない。
この田舎町だっていいものはたくさんあるんだ。
「朝陽はまだまだ村の魅力を知らないからな。初夏の時期には川の上流の方でホタルが見れたり、秋になれば紅葉が綺麗だったり。四季の移り変わりと共に魅力もある」
「うん。私もいろいろと知りたいな」
もっとたくさんの事を知って、この場所を好きになっていきたい。
最初は希望も何もなくて、ただの逃避行だった。
だけど、辛い事も楽しい事も経験して朝陽は少しだけ大人になれた。
ちょっとは成長したのかなぁ、と実感できるほどに。
朝陽は今がすごく楽しくて充実している。
「ねぇ、緋色。私達、家族になるんだよねぇ。不思議な感じがする」
他人同士が家族になって、いつか家族が増えて。
絆を繋がりあうことで人は世界を広げていける。
「素敵な未来を一緒に作っていこうね」
「あぁ。お前が退屈な日常にだけはさせないようにしてやるよ」
緋色に甘えるように寄り添いながら朝陽達は愛を確かめ合う。
巡り巡る季節。
窓の外を眺めると清々しい夏空がとても綺麗に広がっていた――。
【 第7部、完 】
第8部、予告編
幸せな日常は約束されていたはずだった。
順調に交際を進める猛と撫子に新たなる波乱の予感。
夏の終わりは、平穏の終わり。
立ちはだかるのは母からの刺客。
突如、猛の婚約者と名乗る少女が現れる。
かつて猛が仲良くしていた幼馴染、四季彩葉。
ふたりの愛を邪魔するために、優子が選んだ婚約者候補。
自由気ままな彩葉に振り回されて撫子は困惑させられる。
猛もまた懐かしい彩葉に心を揺れ動かされる。
彩葉と撫子、猛をめぐる新たなる戦いが幕を開く。
だが、本気になった優子の陰謀はそれだけはなくて。
信じた相手に裏切られ、大和撫子、敗北の時……?
【第8部:花は散り際こそが美しく】
打ち砕かれた想い。”裏切る”のは、誰なのか――?




