第38話:どうしたいんだろう、私は……
奈保は緋色の家でのんびりとパンフレットを眺めていた。
明るい声で「こんにちはー」と挨拶すると、
「あら、二人とも仲良くデート?」
「母さん、話があるんだけど?」
「なによぉ、真面目な顔をして? ハッ、まさか……」
「違う。アンタが考えてる事ではない」
「ちぇっ。ついに緋色が覚悟を決めたのだと。朝陽ちゃんを待たせすぎ」
「何の話か分からん」
はぐらかす緋色に呆れつつ、
「つまらない男の子だわ。で、何なの?」
「親父の事だよ。ちょっと思う事があってさ。いろいろと調べてみた」
「道宏さんのこと?」
「親父がなぜこの村に来て、母さんと結婚したのか。都会を捨てて、こんな田舎町で喫茶店を開こうと思ったのか。そういう話を聞いてきた。答え合わせをしてくれよ」
朝陽達が調べてきた事柄の真実を知る人は奈保しかいない。
「ふーん。答え合わせねぇ? 聞かせてごらんなさい」
真実の答え合わせの時間だった。
都会で苦悩していた緋色の父がこの村に来て奈保と知り合った。
恋に落ちたふたり、都会を捨てこの村に住む事を決意した。
そして、喫茶店を作り、すっかりとこの村に馴染んで暮らしていた。
朝陽達の話を黙って聞いていた彼女は感心した様子で、
「よく調べたわねぇ。と言う反面、アンタは実の父親の素性を知らなすぎ」
「いてっ。叩くなよ」
「道宏さんもお堅い人ではあったけど、亡くなってから調べるとか遅くない?」
「生きてる間に聞けなかったこと、話せなったことがあるのは後悔してるさ」
たくさんの思い出とたくさんの想い。
緋色は父と何を語り合いたかったんだろうか。
彼女はソファーに座り直して、こちらを真顔で見つめる。
「ふたりが調べたことはほぼ正解よ。よく調べてきたじゃない」
答え合わせとしては、いい結果だった。
「補足説明をしましょう。道宏さんは一流企業に勤めていたけど、出世争いに負けて、子会社に出向することになっていたの。婚約者にも逃げられて、人生のどん底にいて、気分転換に温泉旅行へ来たのがこの村だったわけ」
「マジか。うちの親父は競争社会に敗北した落ち武者だったのか」
「落ち武者って……。とにかく、そんな状況の時に私と恋に落ちました。えへへ」
「えへへ、ではない。年甲斐もなくキモい」
「ホント、口の減らない子ね。可愛げないわ」
誰に対しても口の悪い緋色である。
まさに緋色クオリティー。
「道宏さんは仕事をやめて、喫茶店を作ったの。コーヒーが好きで、村の環境もいいってすごく気に入ってくれたんだ。で、アンタが生まれた後はよく知ってるでしょ」
「コーヒーバカとして世界各地のコーヒー豆を探しては旅に出る人だった」
「自分のお父さんをそう言う評価するのもどうかと思うの」
「ホントにそう言う人だったんだよ」
緋色にとって道弘はコーヒーに情熱を傾ける姿が印象的だった。
子は親の背中を見て育つ。
緋色がコーヒー好きになったの彼の影響が大きいに違いない。
「そうねぇ。コーヒーが好きで、コーヒーを淹れるのにこだわるのも、いい加減にしてほしいと思った事は否定しないわぁ」
「あっ、しないんですか」
「その上、採算度外視でこだわりの高級豆を大量に仕入れた時とか。まだまだ緋色も小さくてお金がかかる時期なのに、何やってるのと呆れたり。この人、こういう性格だから出世争いに負けたんじゃないかと本気で思った事もあったわ」
そして、奈保も言うことがひどかった。
――でも、家族だからこそ想うことも、言えることもあるよね。
決して、亡き旦那への不満が積もりに積もっていたわけではない、はず。
「母さんは親父のどういう所に惚れたわけ?」
「えー。子供の前で惚気てもいいの? 渋い声と男前の容姿にまず一目惚れ。落ち着いてる性格も素敵だったし、何よりとても優しくて……」
「……はいはい。それくらいでいいや」
「なによ、聞いておいて……とにかく、素敵な人だったわ。私もあんなことになる前に、やっておきたい事とかいっぱい未練はあった。早すぎるわよねぇ」
突然の旦那の死を悲しんで、乗り越えてきたのだ。
緋色以上に想うこともあったはずだ。
「逆に聞くけどさぁ。朝陽ちゃんは緋色のどこに惚れたの? はっきり言って、口は悪いは態度も荒い。男として魅力ある?」
「ばっさりと言いやがるなぁ!?」
「ほら、これだわ。可愛げない」
「そーですね。緋色は9割は意地悪さんです。ひどいやつ。いつも意地悪するし、余計な一言ばかり言うし。私、何度泣かされたか」
朝陽も不満げにそう言い切る。
彼も自覚はあるのか「うぐっ」と言葉に詰まって反論できず。
「……」
母親からの無言のジト目にも必死に耐えている。
そんな顔をされると辛い。
「でも……」
「でも?」
「残りの1割はすっごく優しいんですよね。私がホントに辛いとき、緋色は優しくしてくれた。傍にいて頭を撫でてくれた。そんな緋色が大好きなんですよー」
「ツンデレのデレが一割って。緋色、アンタはもう少し優しい人間になりなさい」
「真顔で説教するな。凹むわ」
「あーあ。もう、朝陽ちゃんが可哀想」
ふいに奈保は朝陽を抱きしめて、
「ごめんねぇ。私がもっと心優しい子に育ててあげれば、朝陽ちゃんを泣かすようなひどい真似をする最低クズ男にはならなかったのに」
「さ、最低クズ男……だと」
「どーしようもないバカだけど、見捨てないであげてね」
「はぁい」
謝罪と同時に「この子、悪い奴に騙されてしまいそうで怖いわ」と不安にもなる。
ちょっと優しくされたら落ちる、チョロイン。
朝陽の純粋さは危うさもある。
散々な言われようの緋色は、
「は、話を戻そうぜ。俺の名前の由来は?」
「アンタのクズ具合についてさらなる言及をすべきじゃないの? 反省しろ」
「話を戻せ。俺の事は今はいいだろ。答え合わせの続きをしてくれ」
「ちっ、仕方ないわ。そうね、緋色。アンタの名前に緋色って使ったのは私が好きな言葉だったからよ。私にって特別な意味があるの」
「お嬢にも聞いたが、どういう意味なんだ?」
「あの人のプロポーズの言葉だったのよ」
それは道弘が奈保にしたプロポーズの言葉。
『この村の夕焼けは綺麗で素晴らしい。緋色に輝くキミもとても綺麗だ』
都会を捨ててこの村で暮らす決意と覚悟を込めて。
『僕もこの村で暮らしていきたい。愛するキミとこの夕焼けを見続けていたい』
奈保を選んで、この村で暮らすことを決めた覚悟だった。
「いいなぁ、そんな風に愛されてみたいです」
「緋色に輝く? ハッ、化粧で輝くの間違いじゃ――ぐふっ」
笑いこけた緋色のお腹を奈保は強烈な一撃を加えた。
――この親子も結構、お互いに遠慮容赦がないデス。
大抵、緋色の自業自得なので同情もできない。
「笑うんじゃない。口の悪い緋色には絶対言えない言葉よねぇ?」
「い、言えるか、そんな甘ったるい言葉。マジであの親父が言ったのか」
「そうよ。緋色に輝く夕焼けが綺麗だってね。日暮緋色、夕焼けを愛する私達の想いからつけました。どうよ、自分の名前の由来を聞いてみて」
「……親父の愛はともかくとして、人に歴史ありかな」
どんな人にも歴史はあるもの。
調べてみようと思わなければ、この真実を知ることもなかった。
家族。
人は自分の家族のことを一番よく知っているつもりだ。
でも、家族は特別でも他人は他人だ。
その人の人生すべてを知っているわけじゃない。
一番身近にいた人のことも、本当の意味では知らないことだらけ。
だから、大切な人の事を知ろうと思った、その心はきっと正しい。
「まぁ、一番の驚きは親父が年下趣味でロマンチストだった所だが」
「言いたい放題ねぇ」
「そりゃそうだ。言い返す相手はいないんだからな」
「うん。そうね……言い返すとしたら、どんな言葉を言うかしらねぇ」
「さぁ、どんなセリフを吐きやがるのやら。想像しかできないな」
思った以上の収穫があったようで緋色も満足な顔をする。
自分の知りたかった、父の過去を知れてよかったのかもしれない。
「あの、奈保さん。最後にいいですか?」
「何でも聞いていいわよ?」
「奈保さんはこの村で暮らし続けたいと思ったのはどうしてですか? その、緋色のお父さんについて行けば都会暮らしもできたでしょう?」
「……好きだったからよ。この村で生まれ育って、変わらない景色も、住んでいる人々も。ここが私の居場所だと思っていたから他に行けなかった」
「居場所?」
「もちろん、都会はここに比べたら住みよくて便利で良い所でしょう。だけど、生まれ故郷ほど安心できる場所ではないでしょ?」
自分が暮らしたい場所は人それぞれだ。
都会であったり、オシャレな街だったり、田舎であったり。
その人、その人の価値観に合った場所がある。
奈保はそれがぴったりと合ったのだ。
「朝陽ちゃんの居場所はどこにあるのかしらね?」
その言葉に朝陽は何も言葉を返せなかった。
だって、今、彼女が悩んでいることそのものだったから。
――どうしたいんだろう、私は……。




