第1話:兄さん、いじわるしないでください
大和撫子。
それは、まるで美しき花のような可憐な妹。
誰もが可愛らしいと思えるその容姿。
中身も清楚な印象で、決して名前負けしていない。
そんな妹、撫子と共に食堂にやってくる。
食堂はこの時間帯は必然的に人が多く混み合っている。
適当に空いてる席を見つけて、撫子を座らせた。
「今日もレディースランチでいいのか?」
「はい、お願いしますね」
「分かった。それじゃ、席を取っておいてくれ」
昼食は大抵、妹と一緒に取る事が多い。
いつも彼女が注文するのはお気に入りの日替わりの女性向け定食。
今日のレディースランチはカルボナーラとサラダのセットだ。
猛はメニューを眺めながらボリュームのあるB定食にする。
注文して、2人分の定食を運びながらテーブル席に座る。
「お待たせ、撫子」
「ありがとうございます。今日はカルボナーラですか。美味しそうですね」
「俺はB定食にした。チンジャオロースとラーメンの中華なセットだ」
「相変わらずボリュームが多いです。私では絶対に無理です」
感心するような声で撫子。
線の細い女性の見た目通り、彼女は小食の方だ。
「いただきます」
ふたりして手を合わせてから食べ始める。
「撫子ってパスタ系なら何が好きだ?」
「兄さんはミートソースですよね。子供の頃から好きなのは知っています」
「俺の会話を先回りしないでくれ。その通りだけどさ」
猛の好みなど、撫子にはすっかりと把握されている。
自分よりも猛の事を理解してくれているのではないかとさえ思う。
「私はボンゴレ系かジェノベーゼです。あっさりしたのが好きですよ」
「ジェノベーゼってあの緑色したやつ? 俺はあんまり好きじゃないな」
「バジルの味がとても美味しいんです。確かに少しクセはあるかもしれません」
こってりとした味の方が好きな猛とは味の好みは違う。
そこは男と女の違いと言う奴か。
撫子はフォークを使いながらカルボナーラを食べる。
「撫子もたまに我が家でカルボナーラを作ってくれるよな。あれって冷凍食品? それとも手作りなのか?」
「手作りですよ。カルボナーラはパスタの中では簡単な部類に入ります」
撫子の作る料理は半端なく美味しい。
猛は料理と呼べるものはたいして作れないし、できても朝食を適当に作るくらいだ。
「レトルトでも美味しいですが、手間暇惜しまず作る料理の方が私は好きです」
「手が込んでる方が美味しさも倍増だよな」
「はい。ただ、それは私にそれだけの時間があるというだけのことですけども」
「主婦のお母さん方とはまた違うか」
「ですね。それに作った料理を美味しく食べてくれる兄さんがいますから」
彼女は満足げに微笑む。
「美味しく食べてくれる人がいると料理の腕も上達します。兄さんが望むのならお弁当も作ってきましょうか?」
「いや、いいよ。朝が弱い撫子に無理させたくないし。お昼くらいは外で食べてもいいだろ。そういや、今日の夕食のメニューは決めてる?」
「まだですよ。何がお望みでもありますか?」
ふと食べたくなったものを撫子に伝える。
「カレーとかどうだ? たまに無性に食べたくなる」
「いいですね。ちょうど、作ってみたいと思っていたカレーがあるんです」
「普通のカレールーじゃないのか」
「この間、テレビで紹介されていて、ぜひ自分でも試してみたかったんですよ」
「それって何カレー?」
「バターチキンカレーです。バターやヨーグルトを使うから、辛みが少なくて、マイルドなカレーで、家に帰ったら挑戦します」
彼女は料理が好きでよく本やHPを見ながら挑戦している。
撫子に任せておけば、猛は美味しい夕食にありつけるのだ。
「それは楽しみにしているよ」
「はいっ。そうだ、帰りに買い物に付き合ってくれます?」
「もちろん。撫子に重い荷物など持たせるわけにはいかないからな」
「兄さんはホントに優しいですよね。ふふっ」
――美味しい手作り料理を毎日食べられるのは幸せだよな。
そう思いながら、ラーメンを食べ終えた。
「……兄さん」
すると、撫子が猛の方をたしなめるような視線で見つめていた。
「なんだ? どうかした?」
「ダメですよ、またピーマンばかり残して。好き嫌いはいけません」
「見つかったか」
「隠してもダメなものはダメですよ」
「……苦手なんだよ。ゴーヤとかこれとか嫌いなのは知ってるだろ」
あまり苦みのある野菜は好きではない。
これは子供の頃からの苦手意識もあるのだろう。
食べられないわけではないのだが、苦手なのはしょうがない。
「ピーマンではなく、パプリカなら食べられるんだけど」
「言い訳してもダメです。ちゃんと食べなくては栄養がかたよります。それにピーマンは万能なお野菜なんです」
「万能野菜ねぇ? この緑の切れ端が?」
「知っていますか、ビタミンCが豊富でレモンと同じくらい含まれてるんですよ?」
「それなら、俺はレモンを丸かじりする方を選ぶね」
「もうっ、兄さんったら。酸っぱいだけですよ」
チンジャオロースの肉ばかり食べて、ピーマンを端によけていたのを見つかった。
こう言う事に関しては結構、撫子は口うるさい。
お淑やかで大人しい子ではあるのだけども、言うべき事ははっきりと言う子だ。
「ここは見逃してくれ」
「いけません」
「そこをなんとか。お願い、我が愛しい妹よ」
「ダメですよ。ほら、私が食べさせてあげますから」
彼女は猛から箸を奪うと、そっとピーマンをつかむ。
「うぅ、緑の悪魔がこっちにきやがるぜ」
「ほらぁ、兄さん。頑張って口をあけて下さい」
「苦手なものは苦手なんだ」
「それでもダメです。はい、あーん」
妹に無理やり口をあけるように促されて仕方なく口を開く。
口に広がるピーマンの苦み。
やはり猛はこれが苦手なのだ。
「やっぱり苦いじゃないか。しかも単独で食べると余計に辛い」
「……くすっ。兄さん、よくできました」
「俺は子供か」
「ちゃんと食べてくれて私は嬉しいです」
家で料理する時はピーマンを無理やり使う事はない。
嫌いなものはちゃんと分かってくれているからだ。
ただ、こういう外で食べる時だと容赦がない妹である。
「……ふぅ、最後に残したのが間違いだった」
「これからはちゃんと一緒に食べてくださいね」
ピーマンを食べさせて満足げな撫子。
だが、彼はやられっぱなしではなく反撃に出る。
「なぁ、撫子」
「なんです?」
「人にそう言うからには自分もちゃんと食べなきゃいけないよな?」
「え? そ、それは……」
猛と同じように撫子にも苦手なものがある。
ハム系が苦手で、カルボナーラのお皿にはベーコンが残ってる。
彼女の場合はこっそりとスプーンの下に隠していた。
「撫子は他の肉は大丈夫なのに、ハムやソーセージだけは嫌いだな」
「……独特の塩気や匂いがダメなんです。生ハムとか無理ですね」
「そういうものか」
「こればかりはクセみたいなものです」
どんな食べ物でも、それぞれ理由があって、苦手な人は苦手なんだろう。
だが、今はピーマンの仕返しをする時だ。
「さぁて、と。食べさせてあげるから、撫子も好き嫌いせずに食べなさい」
「これだけは、勘弁してください。兄さん」
「人の好き嫌いはダメと言っておいて、自分はいいのか?」
「そ、それはそうですけど……兄さん、いじわるしないでください」
撫子は瞳を潤ませながら猛に懇願する。
妹にそんな顔をされたら強くは出られない。
仕返しの気持ちも萎えてしまい、猛は「許してやる」と呟いた。
何だかんだいっても、妹には甘い男なのだ。
「では、兄さんが代わりに食べて下さい」
「仕方ないな。今回だけだぞ?」
「そう言う優しい兄さんが大好きですよ。はい、あーん」
撫子に食べさせてもらいながら、ベーコンは結局、猛が食べることに。
そんなやり取りをしていると、背後から同級生達が怒った様子で、
「お前らぁ、公共の場でいちゃつくんじゃねー」
「兄妹じゃなくてカップルなのか!?」
「まったくだぜ。いちゃいちゃラブラブ。いい加減にしろぉ」
いつもながら、食堂では猛達にクレームめいた視線が向けられていた。
あんまり周囲を意識してないと、こういう事になる。
――毎度お騒がしてすみません。
「はっきり言ってショックよ。あの妹さんが入学してきて初めて知ったわ」
「大和君ってクールでカッコいいと思ってたけど、今や見る影もない」
「いくら可愛いからって、妹相手にデレデレだもん」
「今はあんな猛君でも、かつては憧れてた時期が私にもありました」
「シスコンとマザコンって男子の好感度を下げるわよねぇ。ないわぁ」
――ハッ、女の子達の好感度が目に見えて下がってる!?
猛はこう見ても、一年の頃はそれなりにモテていたのだ。
撫子が入学してからは言うまでもない結果である。
「去年のモテっぷりはどこに?」
「大和猛ファンの子は阿鼻叫喚。可哀そうすぎてみてられない」
「最悪だよねぇ。裏切り行為だ。ピュア子もそう思うでしょ」
「え? あ、私は……優しいお兄ちゃんでいいと思いますけど」
「……うわぁ、まだこうして健気なファンもいるし」
「だって、仲がいいだけで別に付き合ってるわけでもないですし」
「ピュア子、無理しないで。男はあの人だけじゃないのよ」
猛のファンの一部からは擁護の声もあるようだ。
だが、ほとんどの女子からは本性がバレて好感度が下がりつつある。
「兄さん。口元が汚れてますよ」
そんな悩みなど気にしないように、ティッシュで猛の口元をふく。
その行為に皆の怒りのボルテージが上昇中。
「まるで猛君と恋人みたいな雰囲気じゃない。わざと?」
「いちゃつきを見せつけるなって言ってるだろうが!」
「羨ましいぞ、ちくしょう」
「……兄妹仲がいいからって行きすぎじゃないの?」
「見てるこっちが恥ずかしい。デキてるよ、あの子たち」
食堂内から男女関係なく抗議の声が多数よせられて困る。
「な、撫子。公共の場では少し控えよう。皆の視線が痛くて怖い」
「他人の視線なんて気にしてもしょうがないです」
「撫子はそうかもしれないが俺にも付き合いがあってね」
「……私には兄さんしか見えてません。他はどうでもいいことです」
にっこりと微笑みながら、平気でそう言う事を言う。
「大和撫子、恐るべし……」
皆から冷たい視線で睨まれても、猛に微笑み続ける撫子はすごいと思う。
……。
そんな彼らに冷たい視線を向ける女子グループがいた。
「見てよ、淡雪。ホント、あの子たちデレデレしまくってるわねぇ?」
「それが彼の本当の姿だもの。彼女が入学すればこうなることは分かっていたわ」
「昔、噂になってた通りか。シスコンさんめ。あれでいいの?」
「いいのと言われても。今の私には関係ないことじゃない」
窓際の席で茶色の髪をなびかせる女子。
彼女の瞳は困り顔の大和猛に向けられていた。
「猛クンは、妹さんが大好きなシスコンさんだからしょうがない」
「淡雪はそれでいいわけ? あの彼と良い仲だったくせに」
「面白くはないかな……」
気になる相手のあんな姿など見たいはずもなく。
「ちょっと待って、美織。そのににやっとした顔は何?」
「いえいえ。なら、面白くしちゃえばいいんじゃないの」
「はぁ。美織がそういう事を言うとろくなことがないのだけど」
「やだなぁ。そんなことないってば」
猛たちの知らないところで、ちょっとした動きが起ころうとしていた――。