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大和撫子、恋花の如く。  作者: 南条仁
第6部:虹が見たいなら雨を好きにならないと
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第54話:俺は愛されていたんです


 須藤家の客間に向かうと、神妙な面持ちで座る祖母がいた。

 

「……」


 静かに、心を澄ませて、猛が来るのを待っていた。

 その心は何を想い、考えているのか――。


「お待たせしました、お祖母様。猛クンを連れてきました」

「よく来てくれましたね。猛さん」

「こんにちは。えっと、大和猛と言います。再会と呼んでいいのでしょうか」


 十数年ぶりに成長した孫との再会だ。

 お互いに何とも言えない緊張感に包まれる。

 最初に切り出したのは猛の方だった。


「はじめまして、というのは変ですが、あえて言わせてもらいます。初めまして、お祖母さん。実の祖母にあうことができて嬉しいです」


 挨拶をする猛は「嬉しい」と言葉にした。

 それが祖母の心に触れた最初の言葉。

 

「私が貴方にしたことを思えば、対面を喜べるものではありません」

「そうでしょうか?」

「幼い貴方を母親から引き離し、双子の妹からも遠ざけた。貴方に愛を与えなかった。ひどい真似をしたのはこの私が元凶なのですから」


 その責任はすべて自分にある。

 言い訳も否定もしない祖母に、


「事情は聞いています。ですが、過去は過去でしょう。最初に言っておきますが、俺はお祖母さんを憎んではいません。旧家の古い悪習があり、それに貴方自身も悔い続けている。淡雪からもそれを聞いています」


 その言葉に淡雪は黙って頷いた。

 今回はこのふたりだけで話をさせてあげたいので、あえて何も言わない。

 

――ふたりが分かりえる事を望んでいる。


 だから彼を今は信じようと決めていた。


「淡雪とは兄妹であることも知らず、異性の友人して関係を築いてきました」

「貴方たちのことは本人には伏せていました」

「運命と言うのは不思議ですね。会うべくして会う、そんなことがあるなんて」

「淡雪さんは高校に入り、表情が柔らかくなりました。貴方のおかげです」

 

 彼女の変化は彼に恋愛していたことも含めてなので少し反応に困る。


――いい意味でも、悪い意味でも。私は彼に出会えて変わったもの。


 さすがに、そのことを祖母に言うつもりはない。


「淡雪さんと猛さん。ふたりが生まれてからもう17年になりますか」


 彼女は複雑な表情を浮かべ、重い口を開いた。


「この長い年月も、私にとってはあっという間の出来事でした」


 それは何度も、何度も繰り返されてきた須藤家の悲劇。


「この須藤家には古くから女尊男卑が極端な慣習がありました。例え子供であろうと、男の子であれば差別されて育てられる宿命を背負って生まれてくるのです」

「……須藤家の宿命ですか」

「えぇ。私の母もそうでした。私には年の離れた兄がいましたが、彼もまた満足な家族の愛を受ける事もありませんでした。妹として、悔しい想いもしたものです。のちに彼は若くして大病にかかり、亡くなりました」


 そして、彼が亡くなって初めて家族はその存在の大切さに気づいたと言う。


「私は今でもその時の母親の涙が忘れられないでいます」

「……失って初めて気づくもの。いえ、気づいてたのに、気づかないふりをして。想いを飲み込み続けてきたんですね」

「はい。あれだけ息子を冷遇してきたのにも拘らず、母の本心は愛していたんです。愛していたのに、つらく当たり続けてしまったことを、何もしてあげられなかったことを悔やんでいました」

「生きている間にしてやれたことはたくさんあったはずでしょうに」

「大切なものと言うのは、失って初めて大切なものになるのかもしれません」


 これが須藤家の呪いだ。

 人の想いや愛情を歪ませてしまう呪縛。


「これまでも、同じようなことが繰り返されてきたんですね」

「私はそうなりたくないと、母の泣き崩れる姿を見て思ったものです。でも、私にもできなかった。同じことを私もしてしまったのだから」

「俺の父に対してですね」

「貴方も含めてですよ」


 彼女だけが悪いわけではない。

 きっと須藤家の人間は同じ想いをずっと繰り返してきた。


「須藤家と言う家はずっと、男子を冷遇してきました。それは恐れでもあったのです。この日本という国は大昔から男が権力を握ってきましたから」


 社会の中心は今も男性社会だ。

 女性の社会進出は進んでも、今も不利な事はたくさんある。


「女性は男性を陰で支え続けるものというのが当たり前の時代でした。須藤家と言うのはその流れに逆らい続けた家系なのです」

「時流に逆らい続けることは大変だったことでしょう」


 女性が男性に逆らうこと。

 それは時代の流れでは異常な事だったと思われる。

 男尊女卑が当然であり、女性の身分や立場が低い時代が主流の時代だった。

 須藤家は江戸時代から続く家系。

 最初は金遣いも荒く家を潰そうとする男性に対しての反抗心だったのだろう。

 女の意地でこの家を“名家”と呼ばれるまでに押し上げてきた須藤家の歴史。

 だけど、その過程で、悲しい方向へと想いが歪んでしまっていた。


「私にも運命には抗うことができませんでした。息子を生んだ時も、後悔しながらも彼を冷遇しました。かつての母と同じように」

「……それはお祖母さんの本心ではなかったのでしょう。家には家の歴史があり、家訓であったり、決まりがあったりするものです」


 猛は冷静にそれが仕方がないことだったと受け入れている。

 誰を恨むのでもなく。

 それが時代の流れであったり、抗えないことだったと理解している。


「そして、孫である貴方たちが生まれた。可愛らしい双子の兄妹。初めての孫の誕生を喜んだのもつかの間、私は再び決断を迫られました」

「俺を幽閉するということですね」

「はい。須藤家の慣習によって、猛さんを母親から引き離してしまった」


 生まれたばかりの子供は母親だけが唯一の味方だ。

 それなのに、母から引き離されてしまったら、子供はどうすることもできない。


「幼い頃、俺は志乃さんに育てられたんですよね」

「あの子は当時、まだ家政婦としては新人でした。この家の事も事情として理解していたようですが、同情する気持ちが強かったのでしょう」

「実の母親のように俺を育ててくれた。俺はあの人に感謝しています」

「志乃は心優しい女性です。子育てを引き受けて、頑張ってくれていました」


 志乃は周囲の反対を押し切り、猛を実の子同然に育てはじめた。

 最初は同情だったがすぐに愛情に変わった。


――志乃さんがいたからこそ、猛クンはこんなにも真っすぐに育ったんだろうな。


 物心がつく前に、愛情を与えられたおかげだ。


「俺は今でもあの人に言われた言葉を覚えているんです」

「何でしょう」

「志乃さんから『運命に負けない強い子に育ってね』と言われました」

「昔の記憶があるのですか?」

「薄っすらとですけどね。俺の“猛”と言う名前も、強く生きて欲しいという両親の願いだったと聞いています。強く生きるのは難しいものですけど」


 祖母は猛の顔を見て驚いた。

 それは純粋に、彼の心の強さを見せつけられたからだ。


「俺は愛されていたんです」


 いつだって優しい微笑みを見せる。


――私の好きな人だもの。この笑みが私が一番好きな顔。


 その瞳は苦しみ悩み生き続けてきた祖母に向けられていた。


「愛されて?」

「えぇ。志乃さんにも、今の家族にも愛されていました。両親や妹、親戚や周囲の人々。小さな頃から俺は愛されていないと思わなかったことなんてありません」


 祖母は誰も彼に愛を与えなかったと後悔している。

 それを猛は否定する。


「……もちろん、お祖母さんからも愛されていたんだと思っています」

「なぜ? これだけのことをした私にそんな言葉を言えるんですか。貴方の人生を狂わせたのは私です。憎んで当然のことをしてきました」


 猛は静かに首を横に振った。


「先ほど、淡雪と一緒に中庭の離れに行ってきました。俺がこの家で暮らしていた時に利用していた場所です。そこで俺は向日葵の花を見ました」

「……向日葵」


 先ほど見た向日葵の花。

 それが愛の証だと彼は言った。

 淡雪は彼が先ほど向日葵の花を見て笑ったのが不思議だった。


――あの向日葵に何か秘密でも?


 なぜ、彼は笑ったのか、その意外な理由を知る。


「向日葵は離れの横に植えられていました。そこに意味があると俺は思います」

「……猛さん」

 

 祖母の顔色が変わる。


「お祖母さんは生け花も一流の腕前だとか。お花も好きなんでしょう。ならば、花言葉というのもよくご存じではありませんか?」


 向日葵の花言葉。

 彼はあの向日葵の花を見て、何に気づいたと言うのか。


「ちょっと待ってくれるかな、猛クン。それって、確か『貴方だけを見つめてる』って言う言葉じゃないの? 私が知るのはそんな花言葉なんだけど」

「淡雪の言うのも正解。だけど、向日葵の花言葉には別の意味もあるんだ」

「別の意味?」


 向日葵は祖母が好きだと思い込んでいた。

 それは違ったのだ。

 

『あの向日葵の花はお二人が生まれた時から、植えられ始めたものです』


 志乃いわく、淡雪達、双子の誕生と同じくして庭に向日葵が咲くようになった。

 その理由はどうしてなのか。


「向日葵の花言葉は“見守る愛”」

「見守る愛?」

「そうだよ。ずっと同じ方向を見つめて守ってくれている」


 同じく驚きを隠せないでいる祖母に言う。

 彼は祖母の“真意”を見抜いていた――。


「あの場所には毎年、決まって向日葵の花が植えられていたと聞きました。お祖母さんは俺が家を出た後も、俺の事を気にしてくれていたのではないですか? だから、ずっと向日葵の花を植えていたのでは?」


 花言葉には複数の意味があったりする。

 時には喜びや愛の意味、時には辛い別れの意味。

 人は花に想いと言う名の気持ちを込めるもの。


「向日葵の花言葉の通りに、見守ってくれていた。孫の成長を願い、遠くから見守る愛。俺がそう感じたのは気のせいではないはずです」


 あの向日葵をあえて、離れの横に植えていた理由。

 ずっと、祖母は遠く離れた猛の成長を願い続けていた。

 自らの行いの後悔と共に、表だって言葉にできない彼女の愛情もあった。


「ずっと見守り続けてくれていた。そう思うのは俺の勘違いでしょうか?」


 毎年、変わらずに向日葵の花は咲いていた。

 そこに込めた願いがあったなんて思いもしなかった。


「……幼い子にひどい真似をした、と悪夢に悩まされる日々でした。実の子に続き、可愛い孫にまで私は傷つけてしまったのですから」

「人を傷つけることを楽しんだり、喜んだりする人は稀です。人が人を傷つけることは自分も傷つくことなんです。それを貴方は良く知っています。人を傷つける痛みを知る人間だからこそ、これまで悔やみ続けてきたのでしょう」


 誰がために向日葵の花は咲いていたのか、その意味を知る。

 孫の成長に願いを込めて、向日葵をずっとあの場所に植えていた。


「向日葵の花言葉をよくご存知でしたね、猛さん」

「大和家の方に義妹がいるんですが、昔から花が好きなんです。昔、彼女を喜ばせたくて、よく調べていたんです。その時の知識ですよ」


 猛は子供の頃、撫子の名前の由来を調べたりしていた。

 花言葉に興味を抱いたのはその頃なんだろう。


「優子さんが離婚までして貴方を連れて家を出ていかなければ、どこかに養子を出す話も出ていたのです。結果的に追放することになってしまいました。せめて、貴方が幸せに生きて欲しいと願っていたのは身勝手な願いです」

「そんなことはありません。俺はたくさんの人に愛されて生きてきました。愛って言うのは目に見えないものです。ですが、人は多くの人に愛されて生きています。自分の知らない所でもきっとたくさんの愛を受けてきてるはずです」


 人はもっと自分が愛されていることを自覚するべきだ。

 愛されている事が不安になるから人は自信を失う。

 自分を大切にするからこそ、人に優しくなれる。

 彼はお祖母様に手を差し出した。


「愛して、愛されて。人は生きているんですね。俺は貴方にも愛されてたと言う事を知ることができて嬉しいですよ。お祖母さんともっとお話がしたいです」


 過去よりも未来を、淡雪の大切な人が望むもの。


「もっと分かり合いたいと思っています。だって、今の俺達にはまだ分かり合えるだけの時間が残されているのですから」

「しかし、今さらではないでしょうか」

「もう手遅れでしょうか? いいえ、手遅れではありませんよ」

「ここから初めてもいい、と。貴方はそう言ってくれるんですね」


 彼の手を祖母はそっと握り返す。

 その瞳には涙が浮かんでいた。


「許されるつもりはありませんでした。救われるつもりも。なのに、どうして」

「俺は誰かを憎むよりも、誰かを愛していきたい。それだけなんです。ここから初めて行きましょう。まだまだ時間がありますよ」


 淡雪ですらも許してくれた彼だから、祖母の行いを許してくれると思っていた。

 お祖母様は猛の言葉に、態度によって心を救われた。


「ありがとう。貴方は私達の想像以上に優しい男の子に成長してくれていたのですね。新しい家族のおかげでしょうね。育った環境がとても良かったからこそ、今の貴方がいるのでしょう」

「……はい」

「猛さん。これからも淡雪さんをよろしくお願いします。貴方にならばこの子を任せられる。きっとうまく支えてくれることでしょう」


 淡雪は祖母の泣き笑う顔なんて初めて見た。

 長年の確執が消えていく感じがした。

 彼女は須藤家の呪いから解放されてようやく前進することができた。

 

――須藤家と猛クンの関係も、これから新しい形になっていけるはず。


 そんな未来への期待をしながらも、淡雪は心の中にあることへの不安が残った。

 解決していないことがひとつだけある。

 須藤家の皆が彼によって救われた。

 だけど、ただひとり。

 

――猛クンだけは“救われていない”わ。


 それに気づいてしまった。

 

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