第45話:このクラスの皆が同じ気持ちである
その日は調理実習があり、定番のクッキーを作った。
クラスメイトの女子は男子にあげたりして盛り上がりをみせている。
そして、淡雪もまた自分の手作りクッキーを猛に差し出していた。
「ねぇ、猛クン。私も作ってみたんだけど。食べてみる?」
「いいの? そりゃ、食べてみたいよ。淡雪の手作りならね」
「ふーん。愛しの撫子さんのよりも?」
「その意地悪な質問をしてくるところが淡雪だね」
苦笑いする彼に拗ねて見せる。
――私=意地悪というイメージを持つのはやめて欲しいわ。
自分ではその自覚はない。
つい猛相手にだと意地悪くなってしまう。
「毒りんごなんてあげないわよ?」
「魔女というより、小悪魔かな」
「魔女は撫子さんでしょうに。あの子、平気で毒リンゴを差し出す子よ」
「言わないで上げて。本気でしちゃう子だから」
陰ながら撫子には「黒雪姫」と呼ばれている。
――大和撫子なんて名前だけども、本性はまるで違うわ。
見た目は清楚でも中身は暗黒だ。
「それよりも、クッキーよ。私としては結構、うまくできたつもりなの」
「塩と砂糖を間違える定番のミスをしなければいいよ」
「さっきリアルにあった事件だから触れないであげて」
クラスメイトの一人の女子が作ったクッキーがリアルにそのミスをしてひどいめに。
何も知らず、食べてしまったた彼氏が可哀想な目にあったばかりだった。
「さすがに塩辛いクッキーは苦手だな」
「あら? 塩クッキーって実際にあるのよ?」
「最初からそれを作ったのと、ミスって作ったのは全くの別物だと思うんだ」
「私も同感です」
そもそも、砂糖と塩を間違えたのなら量自体も大きく違う。
淡雪が作ったクッキーが入った袋を彼に手渡す。
香ばしいバターの匂いがするクッキー。
「見た目もいいし、美味しそうだ。いただきます」
淡雪が作ったクッキーを彼が食べようとする。
「そうだ。ねぇ、猛クン」
「なに?」
「せっかくだし、私が食べさせてあげるわ。ほら、あーん」
淡雪はクッキーを一枚手にして彼の口元に運ぶ。
「え? あ、いや……」
照れくさそうに彼はどうしたものかと戸惑う。
「ほら、お食べ?」
「それ、餌付けじゃん」
「あははっ。ワンちゃんにエサを与えるみたいだった?」
それでも、彼は口を開けてくれたので淡雪はそっとクッキーを口にいれた。
「甘い。うん、美味しいね」
「ホント? よかった。もう一枚どうぞ」
「すっかり餌付けされてるな、俺」
彼はそう言いながらももう一度口を開ける。
ふたりしてなんだか甘ったるい雰囲気になってしまう。
――いいなぁ、こういうのって。
何だか恋人ごっこをしていた頃の事を思いし出してしまった。
「こうやって人に食べさせるのって楽しいかも」
「……淡雪も食べてみる?」
「えーと。あ、あーん」
恥ずかしながらも淡雪は彼からクッキーを食べさせてもらう。
サクッと音を立てクッキーが口に入る。
「んっ」
甘くて風味のいいバターの味が口に広がる。
「自画自賛だけど、美味しい。よくできてるわ」
「淡雪って料理も上手だよね」
「……そう言ってもらえると嬉しい。ねぇ、もう一回してもらってもいい?」
「いいけど。何だか甘えたがりな結衣ちゃんみたいだな」
「それ、言わないでください」
淡雪は「あの子みたいにダメになる気がする」と実感を込めて彼に言った。
他人に甘えてはいけないと思って生きてきた。
こうして彼女を存分に甘やかせてくれる人がいると言うのは危険でもある。
人に一度でも頼り甘えてしまうと、自分にとっての制御がきかなくなるのだ。
「あーん」
何回か、そんな風に食べさせ合う行為を続ける。
甘やかされていると分かっていても、それをやめられない自分がいた。
「これ、確かに楽しいかも」
「でしょ?」
「ただね、ある程度、制御していかないとダメになってしまうわ」
そんな淡雪達のやり取りを周囲は唖然とした表情で眺めていた。
「私は今、目の前の光景が信じられないの」
「心配するな、このクラスの皆が同じ気持ちである」
ハッとした時にはもう遅い。
そうだった、ここはクラスの中だった。
周囲からはどうしていいのか分からない困惑の雰囲気。
「ふたりっきりの世界を作ってラブラブ、いちゃいちゃ。見せつけてくれる」
「い、いやいや、あのふたり兄妹なんだよね?」
「どこからどうみても兄妹じゃなくて、恋人同士にしか見えないんだけど」
「あの須藤さんにあんな乙女の表情をさせるとは……羨ましいぞ、大和」
――あー、やっちゃった?
淡雪は自分たちの軽率な行動が引き起こした騒動に苦笑い。
居心地の悪い思いになりながら、軽く肩をすくめた。
「ああいう姿を見てると、須藤さんも女の子だったんだなぁ、と」
「分かる。素直にデレる姿ってレアだよね」
「……どんな妹でも甘やかせるお兄ちゃん。さすが大和猛の得意分野だわ」
「そもそも、あのふたりが兄妹って噂はマジなのか? そこが気になる」
あちらこちらで聞こえてくる話し声に猛は「あはは」と顔を引きつらせて笑うしかできていなかった。
クラスメイトにからかわれるのはいつもの日常。
そして、いつだって悪口を囁かれるのも彼の役目だった。
「ねぇ、猛クン。私、意地悪なお願いをしてしまうかもしれないのだけど」
「はいはい。何でしょう」
「……もう一回、食べさせてもらってもいい? ハマっちゃった」
「ここでしたら、俺は確実にシスコン扱いされるんですけど!?」
そんなことを言いつつも、彼はもう一度淡雪にクッキーを食べさせてくれた。
何だかんだ言いながらも、淡雪の望みを叶えてくれる。
嫌がることをしないし、望めば望むほどに甘やかせてくれる。
――理想的なお兄ちゃんだわ。妹をダメにしてしまうタイプだけど。
興味津々のクラスメイトの視線を浴びながら、彼に甘えるのも楽しかった。
「ふふっ」
つい自然に口元に笑みがこぼれる。
そう、純粋に今の時間が楽しいのだ。
確かにこれまでの淡雪達は関係を隠して恋人ごっこをしたりしていた。
けれど、それはあくまでも、秘密の関係だった。
こんな風に見せつけるように、彼に甘えるというのは撫子だけの特権だった。
――今は私にもその権利があるはず、だって……彼の妹だもの。
妹が正々堂々と恋人のように甘えて良いのかどうかはおいといて。
「あらら、見せつけてくれるわ。大和猛と書いてシスコンと読む。間違いないね」
「さすがシスコン戦艦ヤマト。妹の甘やかせ方が半端ないわぁ」
「でも、私も一度くらいあんな風に甘えさせてもらいたいかも」
「……甘えるのはいいんだけどね。ああいうの、お兄ちゃんとしてはどうかと思う」
「人としてダメになるわ。甘やかすのにも限度があるでしょ」
手厳しい意見が女子から出てますよ。
男子はというと、猛への嫉妬と憎悪の感情が渦巻いていて。
「撫子ちゃん、ロリっ子、さらには淡雪さんだと?」
「あの変態め。どれだけ妹がいたら気が済むんだ」
「俺なんて可愛くない生意気な妹しかいないのに。世の中、不公平だ」
「……あんな美人な妹が複数人いる時点で羨ましすぎるだろ。人生の勝ち組めっ」
「ちくしょう。撫子ちゃんに告げ口してやる。せいぜい、今の幸せを味わっておきな」
そんな風に周囲から言われながらも、兄妹として同じ時間を歩んでいく。
猛という男の子は淡雪の人生を変えてくれた男の子だ。
彼が兄であるということは失恋でもあったけども、悪いことばかりじゃない。
この世界で一番頼りにしている人と巡り合えた。
淡雪の世界の色を変えてくれた男の子。
運命の出会いとその結末。
悲喜こもごもな出来事がたくさんあったけども。
彼らが出会った事に後悔なんてしていなかった――。




