第41話:私、勘違いしていたかもしれない
優子に送られて須藤家につくと、すぐさま祖母の部屋に通された。
待ち構えていた、彼女は静かな声で言うのだ。
「淡雪さん」
いつもの厳しい顔は曇りがちで、どこか弱々しくさえ見える。
「……今回の件、優子さんから聞きました。大変、驚いた事でしょう」
「はい」
「貴方に兄妹がいたことを知ってしまったのですね」
「正直、気持ちがついていきません」
「当然でしょう。これは話すつもりはなかったのですが、仕方ありません」
「お祖母様。聞かせてください。私達が生まれた時の事を……」
「そうですね。貴方にはお教えしましょう」
彼女は全ての真実を淡雪に話してくれた。
「初めて、優子さんのお腹に新たな命が宿った時には私も喜んだものです。望んでいた初孫たちの誕生に心から歓喜しました」
「でも、現実は違ったのですね」
「須藤家には積み重ねてきた罪の歴史があります。須藤家で生まれた男子は、後の家に災いを招く存在である、と――」
須藤家に生まれた男子は冷遇される悲しい運命。
男子として生まれた時点で、その運命を強制される。
「双子の兄妹。淡雪さんは須藤家の希望そのものでした。しかし、猛さんは違いました。彼は生まれながらにして、可哀想な目に合わせてしまった」
「……男子と言う理由だけで、なぜ?」
「それが繰り返されてきた歴史だからです。それを変えることは私にもできなかった。すぐに母親から引き離し、彼は幽閉生活を送るはめになりました」
幼い猛はずっと屋敷の離れに閉じ込められて過ごしていたらしい。
あの暗く狭い、牢獄のような場所で。
――たったひとり、誰の愛情も与えてもらえず、どんなに不安だったのかな。
幼児虐待もいい所、ひどい仕打ちだとしか言えない。
彼と対象的に淡雪は多くの人の愛情を受けて、何不自由なく育てられた。
――優しさ、愛情、欲しいものはすべては私だけに与えられた。
そこに疑うこともなく、何も与えられない兄がいたなんて知らなかった。
男か女か、たったそれだけの性別の差で、この家では天国と地獄の差があった。
――なんて、残酷な運命なのだろう。
淡雪は唇をかみしめて「何も知りませんでした」と呟くしかできなかった。
「貴方達、兄妹の絆を引き裂いたのは私ですから、貴方も私を恨んでいい」
「お祖母様……」
「あの子を追放したのは私です。須藤家には必要のない子供だと見捨てたのだから」
優子が離婚を切り出したのは、養子に出すという話を聞かされたからだ。
母親として子供を守るために、離縁を選んだ。
その決断をさせたのは、目の前の祖母である。
「養子に出すと決めた、それはお祖母様の意志ですか」
「……そうです。私が決めた、私の罪です」
弱々しい祖母の言葉は懺悔のように聞こえた。
「私は孫の未来よりも、須藤家の未来を選んだ。愚かな人間であると自分でも思います。そのことを彼は恨んでいるでしょう、憎んでいるでしょう。当然のことです」
この時になって、初めて淡雪はある祖母の想いを思い知る。
「何の罪もない子供にひどい真似をした。悔やんでも悔やみきれない」
「お祖母様?」
「今でもあの日々の記憶を思い出さない日はないのです。離れの部屋に閉じ込めた幼子が母を求めて泣き叫ぶ声。今も耳から離れません」
何度、涙を流したのだろうか。
心を締め付けるような痛み。
それは長い年月が経っても、そうした事実が変わらわない限り、消えない。
「私があの子を苦しめた。その罪悪感、これからもずっと消えません。ですがこれが私の罰。自分勝手に孫を苦しめた報いは受けなくては……」
その表情は苦痛に満ちて、今も苦しんでいるように見えた。
須藤家の女帝。
周囲からそう呼ばれて、恐れられてきた女社長の顔はない。
――私、勘違いしていたかもしれない。
祖母が猛をないがしろにしたことを、平然としていたと思い込んでいた。
家のためなのだと、幼い男子を切り捨てて。
――違ったんだわ。
心が引き裂かれそうだったのは、母親だけじゃなかった。
誰だって、自分の孫が可愛くないわけがないのだ。
祖母も当然ながら自分の孫である猛を愛していた。
――頭を撫でてやりたいとか、抱きしめてあげたいとか。
普通の祖母と孫のような関係をきっと彼女自身も望んでいたはずだ。
――私を可愛がってくれてたように。きっと猛クンのことも……。
愛したかったに違いない。
それを許さなかったのは、須藤家の当主と言う立場だ。
彼女は積み重ねられてきた歴史と、負の遺産に屈するしかなかった。
――歪んだ須藤家のしきたり。運命を狂わせてきた、悪しきもの。
淡雪はきゅっと唇を噛み締めて、怒りのような感情を抱く。
須藤家の愚かな歴史に抗いきれず、孫を見捨てた事実。
本当に憎まなければいけないのは祖母ではなく、その伝統そのもの。
この17年間、祖母もまた自分の行いを悔い、苦しんでいたのだ――。




