第18話:恋人経験のない子に言われるなんて
「ねぇ、猛クン。恋人ごっこはもうやめにしましょうか?」
恋人ごっこを終わらせる。
それは夏の暑い日のこと。
彼と一緒に訪れた海を満喫したあとのことだった。
「え?」
「だって、これ以上続けて本気になったら困るでしょう?」
淡雪から切り出したのは、恋人ごっこの終わりだった。
ふたりの関係は恋人なんかじゃない。
どちらも恋に憧れて、遊び半分で始めたごっこ遊び。
遊びならまだいい。
引き返せなくなる、本気になってしまう前に。
――なんて、もう既に手遅れなのだけども。
彼女は彼を本気で好きになっていた。
この気持ちを我慢するのは難しい。
けれど、淡雪は自分でその恋を捨てる決断をしている。
――猛クンへの想いを諦めなくちゃいけない。
自分で決めた事だから、淡雪はやめなくてはいけないんだ。
だけど。
そんなに簡単に切り捨てられるはずもなく――。
「……私は何がしたいのかしら」
淡雪は深くため息をつきながら自室であおむけになって寝転んでいた。
恋に浮かれてた頃よりもひどい自分の姿に呆れる。
「はぁ……どうしよう、どうしよう」
大きなため息を何度目かついて、うなだれる。
「ホント、私は何をしてるの? 何がしたいの? どうしたいの?」
自問自答しても答えはでない。
『恋人ごっこをやめましょう』
淡雪は苦渋の決断をして、彼にそう告げた。
猛の事が嫌いになったわけじゃない。
引きかえせなくなる前に、無理やりにでもという覚悟を決めた。
「その結果がコレってどういうわけよ、須藤淡雪」
自分の意思のなさに淡雪は呆れかえっていた。
淡雪の手元にある携帯電話、メールを送ったばかりだ。
『明日、会えないかしら?』
相手からも「OK」といういつも通りの返事。
そう、淡雪達はあの日から全然関係が変わっていないのである。
「恋人ごっこはやめたはずなんだけど……どうしてやめられないの」
やめられない。
この幸せな時間を失いたくない。
「うぅ。結局何も変わってない。猛クンだってやめられてないし」
お互いに、やめようと決めたはずなのに。
それができず、ずるずると後延ばしになってしまう。
「はぁ。私たちはもう引き返せなくなってるかもしれない」
淡雪は意志の弱さを嘆くしかない。
「猛クンも猛クンだわ。私の誘いを断らないもの……断られたら傷つくけど」
分かっていたことでもある。
淡雪達はこうなる前に関係をやめるべきだった。
もうすでに、手遅れになってしまった。
お互いに事情があるのに、どちらもやめられない。
「しょうがないわよね。楽しいんだもの」
淡雪は寝そべりながら自分の胸にそっと手を添える。
恋人ごっこは淡雪に恋を教えてくれた。
恋が胸を高鳴らせるものだってことも。
「……遅すぎた。するべきじゃなかった」
恋人ごっこに足を踏み出した時点で淡雪はもうダメなのだ。
恋を知らないままでいれば、婚約者の件もそのまま受け入られたのに。
知ってしまった淡雪はこの関係をやめられない――。
「私、どうしたいの。いつまでも続けていられるわけがない」
考え続けても、答えは出ない。
淡雪が悩み続けていると妹が部屋をのぞき込んでいた。
「……あれ? お姉ちゃん、またまた悩み中?」
「そうかもね」
「おや、今日は素直。ふふふっ。これは可愛い妹が株価を上げるときが来た?」
「貴方の株価は上がる気配はゼロよ」
「ひどっ!? お悩みならば、可愛い妹が相談にのってあげるよ?」
「自分を可愛いって連呼しすぎでウザいわ」
つい本音が口から洩れて、妹はものすごく落ち込んだ。
ちょっと言い過ぎたかもしれない。
「ぐすっ。お姉ちゃんの力になりたいだけなのに。ひどいや」
「……貴方の場合は下心ありきなのが見え見えなのよ」
悪い子ではないけども、自分に正直すぎるのだ。
妹を唇を尖らせながら、
「いいじゃん。で、何? 彼氏さんと喧嘩でもした?」
「別に」
「最近、何か暗い顔をしてるし」
「ちょっと距離を置きたい年頃なのよ」
「あー、あれですか。いわゆる、マンネリ気味ってやつ?」
「違います」
そういうのではない。
むしろ、離れたくても離れられない。
「お姉ちゃんと彼氏さんはラブラブなの?」
「世間並みに」
「チューとかした? もしかたら、えっちぃこともやっちゃって……いひゃい」
思わず妹の頬を引っ張ってしまった。
よく伸びる結衣の頬、彼女は不満そうに抵抗する。
「何するのー!?」
「つい勢いで。悪気はないわ」
「悪意がないなら、さっさと離してよ。しくしく、私は悲しいです」
頬から手を離すと「お姉ちゃん、ひどい」と嘆く。
「意地悪な姉だと自分でも思うわ」
「ホントです。彼氏とラブラブな日常を送ってるのに何が不満なわけ?」
「不満があるわけじゃないの」
別れが辛いなら最初から出会わなければよかった。
そんな矛盾めいたことを考え続けているだけ。
「分かった。最近、ずっと一緒にいるから飽きてきた?」
「勝手な事を言わないで!」
「お、怒らないで。びっくりするじゃん」
つい語気を強めてしまった。
――嫌いじゃないのに、彼との関係を諦めなくちゃいけない。
その矛盾に悩み、苦しんでいるのだ。
「じゃぁ、何でそんなに不満なの? せっかくの夏休み、彼氏と一緒でいちゃいちゃできていいじゃん。私が同じ立場なら不満なんて何もないのに」
「……結衣みたいな単純な思考ができたら常に幸せね?」
「ん? バカにされてる気がする?」
「気のせいよ」
時々、彼女の純粋さが羨ましい。
淡雪はいつだって余計な事まで考えてしまうから。
「海まで一緒に行ってきたんでしょ。水着姿を披露して『うわぁ、胸が大きいね』って言われてきたんでしょ。羨ましい」
「……言われません」
そんなストレートな物言いをされても嬉しくはない。
「え? 言われてないの?」
「そこで不思議そうな顔をしない。私と猛クンの関係の事は放っておいて」
「なるほど、今がお姉ちゃんたちには複雑な時期なのね。よくある、よくある」
「恋人経験のない子に言われるなんて」
この子にだけは言われたくない。
すると、結衣は思い出したように、
「そうだ。夏休み後半、お祖母ちゃんがお友達と旅行に行くんだって。その日に合わせて私も泊りがけでダンスの合宿する予定なの」
「初耳だわ」
お祖母様が旅行に出かけるのは珍しい事ではない。
だけど、監視の目から外れると言う意味では自由な時間だ。
「お姉ちゃんたちもこっそり出かけたら? ほら、別荘でお泊りとか?」
「え?」
「ちなみに私も使うよ? 新しい方の別荘は許可をもらって使わせてもらうの。夏合宿です。皆でダンスの練習をするんだ。えへへ」
結衣が最近、ハマっているのはストリートダンスだ。
飽き性の彼女がずいぶんと長続きしている。
「ほら、お姉ちゃんの気に入ってる古い方の別荘を使えばいいじゃん。最近は家族そろっての旅行もしてないし、使わなきゃもったいないでしょ?」
須藤家にはいくつかの別荘地がある。
親戚間で利用しあっている別荘の存在を結衣に言われて思い出す。
「結衣にしては良い事を言ったわ」
「もっと褒めて~」
夏の思い出を作るために。
――ふたりっきりで旅行なんて素敵かもしれない。
祖母の不在は結衣でなくともチャンスといえる。
「お姉ちゃんと彼氏さん。ついに一線を超えちゃう?」
「人をからかわないの」
「でも、期待しちゃうでしょう?」
「……私達はそういう愛欲にまみれた関係ではないし」
「付き合ってる恋人同士なら自然の流れじゃないの?」
一度もキスすらしてない。
というか、恋人ごっこでしちゃったら非常にまずい。
そういう行為をしてしまうと、淡雪はもう絶対に引き返せなくなるから。
「ひと夏の経験、楽しんでくればいいじゃん」
「結衣も早くそういう人ができたらいいのにね?」
淡雪が軽く嫌味っぽく言うと、彼女は深く落ち込んだ様子を見せながら、
「えぐっ。私の彼氏はまだ遠い未来にいるようです」
「え?」
「この前も気になる男子にフラれちゃって。私、自信なくしました」
「……えっと、微妙な所に触れてごめんなさい」
妹の哀れな姿に思わず同情して謝罪をする淡雪だった。
まだ終わらない、夏の最後の思い出づくりが始まる――。




