第128話:人はどこからきて、どこに行くのか
電車の揺れる音。
窓の外の景色は都会から田舎へと変わり。
進むにつれ、猛の知らない景色が広がっていく。
「あの、質問してもいいですか。撫子さん?」
「あっ、チョコレートありますよ。食べますか?」
「いや、チョコの話ではなくてね」
「どうぞ。はい、あーん」
猛の口にチョコを食べさせる撫子はご機嫌だった。
甘いチョコの味にホッとしつつも、本題を切り出す。
「どこに向かっているのか、目的地はどこなのか。聞いてもよろしい?」
「人はどこからきて、どこに行くのか。哲学的な問題ですか? 難しい話です」
「違います。俺達のリアルな意味での目的地だよ!」
目的地も知らされないまま電車に乗る事が不安なだけだ。
早朝の5時にたたき起こされて、旅行の準備をさせられた。
何も聞かされず、撫子と共に電車に乗って数時間。
田舎の方へと向かう電車内で不安になってもしょうがない。
「愛の逃避行に目的地なんてありませんよ?」
「マジか! しれっと言わないで」
「恋愛を認めてくれないから駆け落ちするというのもいいじゃないんですか。私達だけの愛を深め合える新天地へと向かいましょう」
「……愛の逃避行ENDとかマジで勘弁」
猛は両手で×マークを作って拒否する。
ただの逃避行だったら、猛はついていきたくない。
「駆け落ちはしないからな」
「真面目な兄さんらしい答えですね。まったく、そういう所はあの騒動があっても変わらずですか。兄さんらしくて笑ってしまいます」
「笑わないでくれ」
「……兄さんは私と違って、恋に夢中になっても他人に迷惑をかける事をしない。そういう兄さんだからこそ、私達の関係はうまくいくと思うんです」
撫子に付き合ってたら、ふたりそろって愛のために路頭に迷いそうだ。
暴走列車のブレーキ役、それがヘタレの猛である。
「相性が良いってこういう事だと思うんです」
「……そうなのかなぁ?」
「心配せずとも逃避行と言う名の旅行ですよ。期間は二週間ほど。大和家が所有している別荘があるので、そちらにお世話になる予定です」
「姉ちゃんは家にひとりでお留守番?」
「たまには一人暮らしさせるのもいいかと」
「普通に寂しがるだけです」
事情は把握した。
猛に内緒で計画してたということは、
「もちろん、母さんにも内緒ってことだろ」
つまり、これこそ、奇襲作戦〈ブリッツ〉。
やられる前にやる。
それが撫子クオリティである。
「どうしてもというなら、愛の逃避行に変更しても私はいいんですが」
「旅行でいいよ。逃避行だったらどうやって引きかえそうか悩んでた」
「引きかえすことなんてできません。もう、私達に帰る場所はないんです」
「あるよ!? ちゃんと立派な家と温かな家族がいます」
「ありますかね?」
「あります!」
夏休み初日から、こんな風に慌てさせてくれる。
相変わらず、撫子に振り回されっぱなしの猛だった。
「むぅ。兄さんはつまらないですね。シチュを楽しむ気概はないんですか」
「平穏な日常が欲しいだけっす」
「兄さん。安定を求めだしたらいけません。常に刺激を求めないと」
「嫌だよ。安定した日常と生活しか望んでないよ」
猛に寄り添いながら、可愛らしく頬を膨らませて拗ねる。
「ホント、兄さんらしい」
「真面目ですみませんね」
「いえいえ、そんな甘っちょろさも大好きです」
「ほ、褒められてねぇ」
皮肉を受け止めながら、
「それならそうと、事前に言ってくれたらよかったのに。もうちょっと、旅行準備とかしたかったな。着替えと最低限の荷持しか持ってこれなかった」
「奇襲作戦です。敵を欺くにはまず味方からと言いますし」
「あのー、しつこいようだけど母さんは敵じゃないからね」
「兄さんにとってはそうでも私には敵同然です。今日の夕方には家に来るそうです。帰ってきたらさぞや驚くでしょう」
猛達が揃って家にいなくなっていれば、慌てるだろう。
そして、激怒する姿が容易に想像できた。
「大丈夫です。『兄さんと愛の逃避行に出ました』と書置きは残してきました」
「全然、大丈夫じゃない!?」
「まぁ、雅姉さんに詳細な計画と事情を説明しているので問題にはなりませんが、私達の想いを知ってもらう機会にはなるでしょう。うふふ」
「これでいいのかなぁ、問題がこじれるだけの気がするのは俺だけ?」
猛の唇を人差し指で撫でる撫子は、
「兄さん。難しく考えるのはやめて、今を楽しみましょう」
「帰ったら帰ったで大変そうなんだけどな」
「旅は始まったばかり、終わった後で考えてくださいね」
チョコを食べながら車窓の景色を眺める撫子の横顔。
二人っきりで旅行なんて初めての経験かもしれない。
「面白い夏休みになりそうだ」
何だかんだでこの子とふたりで旅行は楽しみなのだ。




