第107話:だって、私は貴方が嫌いだったから
「お兄ちゃん……」
結衣んが猛に「大丈夫?」と心配そうな顔をする。
思ってる以上に、この場所は彼に負担をかけていたのか。
「昔の話だよ。子供過ぎて記憶に残る前の話だ。いろいろとあったけども、今、こうして生きてる。志乃さん、これから淡雪さんと話をしたいと思っています」
「淡雪お嬢様と?」
「えぇ。話をつけなくてはいけないことがあるんです」
「……ご兄妹ですからね」
兄と妹。
まだ猛には自覚こそないが、特別な縁はずっと感じていた。
「お嬢様は今、自室ではなく、暁の間にいらっしゃいます」
「暁の間?」
猛が結衣に尋ねると、
「お茶を立てたりする部屋だよ。お茶でも淹れて精神的に落ち着かせてるかも」
「なるほど。案内してくれるかな」
「うん。分かった。こっちだよ」
結衣についていく前に、猛は最後に志乃に向き合い、一礼した。
「志乃さん、貴方に会えてよかった」
「私も成長した猛さんの姿を見る事ができて安心できました。貴方は運命に負けず、とても優しい子に育っていた。それだけでも、本当に嬉しい事です」
「ありがとうございました」
その柔らかな笑みに見送られて、猛達は場所を移動する。
「お姉ちゃんの話なんだけど、前に部屋の奥であるものを見つけたの」
「結衣ちゃんがお仕置きされてたやつ?」
「あれはお尻を叩かれて痛かった、ぐすんっ」
「俺も見たくない姿を見てしまった」
「で、あの時に見つけた秘密なんだけどね。お姉ちゃんが隠していたのはお兄ちゃんの写真だったの」
思いもしない答えに「え?」と驚いた。
「そんなものが彼女の言う秘密だったのか?」
「お兄ちゃんと撮った写真。いっぱい、隠してた。その時は別れた恋人に未練があるんだなぁって思ってたけど違ったんだ」
「淡雪さんが俺の写真を……?」
「だからね、お兄ちゃんを嫌いだって言ったのは違う気がするんだ。本当は大好きなんじゃないかな? だって、嫌いな人を相手に笑顔なんてみせないよ」
猛が過ごしてた淡雪との1年間の思い出。
あのすべては偽りだったとは思いたくない。
「ちょっと前、お兄ちゃんが私のためにいろいろとしてくれたでしょ。あの時も、お姉ちゃんはすごく感謝してた。お兄ちゃんは頼りになる人だって……」
「……淡雪さんがどう思い、俺と接してたのかが知りたいな」
「今みたいに引きこもって落ち込んでるお姉ちゃんは私も見たくないの。早く元気になって、楽しい夏休みを迎えたいんだ」
結衣が連れてきてくれた部屋は内装の綺麗な茶室。
静かなその部屋に、ひとりお茶を立てる女の子。
「猛クン……?」
驚いた顔をして、猛を見つめる淡雪がそこにいた。
数日ぶりに会った彼女は顔色も悪く、ひどく落ち込んでいるように見えた。
「結衣、連絡を取らせないつもりだったのに。どうして彼を連れてきたの?」
「……お姉ちゃん。逃げないで。お兄ちゃんと話をしてほしいの」
「私は話すことなんて」
「あるよね?」
真っすぐな瞳を向けられながら、
「自分の気持ち、ちゃんと言ってないよね? 私はお姉ちゃんの気持ち、全然分からないよ。だって話してくれないんだもん」
結衣が姉を想う気持ちは本物だ。
本気で心配して、立ち直ってほしいと願ってる。
「自分の想い、嘘ついちゃダメだよ? お兄ちゃんに会いたいかったんでしょ」
「……っ……」
「お兄ちゃん、あとはよろしくね?」
「ありがとう、結衣ちゃん」
彼女は「外を見張ってくる」と言って部屋を出ていく。
残された猛達は何も言えずにいると、
「……お茶、飲む?」
彼女は小さな声で猛にそう言った。
今、淹れたばかりの抹茶のいい香りがする。
「もらうよ」
見様見真似の作法も分からず、お茶を飲む。
口に広がるのは苦みのある味。
思わず顔をしかめつつも最後まで飲み干す。
「……ごめん、普通に苦いだけだ」
「はじめての人なら当然の反応ね」
「多分、キミが淹れてくれたのは美味しいんだと思うんだけど」
「これを素直に美味しいと言えるのは、一部の人だけよ」
淡雪は「私も最初、苦いのが嫌いだったわ」と文字通りの苦笑い。
でも、彼女の淹れてくれたお茶を飲んだのは初めての経験だ。
飲み終えた器を床に置くと、どう切り出すか悩んだうえで、
「はぁ、兄妹だったなんて冗談みたいだな」
「そうね」
「今でも信じられないでいるよ」
「私もよ。猛クンがこの須藤家にいた頃、私達は一度も会う事がなかったそうよ。私も結衣が生まれるまで、兄妹なんていないと思い込んでた」
ふたりは双子なのに、互いの存在を知らずに過ごしてきた。
雰囲気が似た相手に惹かれたら、それが兄妹だったなんて。
偶然にしてはできすぎている。
「でも、成長と共に、私はある疑惑を抱き始めたの。再婚したお母さんの家には同い年で誕生日が一日違いの男の子がいる。それが兄かもしれないと思ったわ」
だが、疑いを抱いても、否定するだけの材料もあったのだ。
「大和猛。ヤマトタケルなんて、普通に考えたら、大和家に生まれた子だからつけるものでしょう? 妹さんが大和撫子だもの」
「例の名前しばりか。これには参った」
「ホントに。ただの偶然なんだと思い込むようにしていた。兄かもしれないって疑惑だけは心の中にあり続けたけども……」
名前縛りは撫子だけでなく、淡雪にも影響を与えていた。
「一度だけ、私はお母さんに直接会いに行ったことがあるのよ。小さな子供の大冒険。住所だけしか知らないのに。案の定、迷子になって不安で私は泣いていた」
「それを助けたのが俺ってわけだ?」
「えぇ。迷子になってる私に優しくしてくれて、最後には百合の花までプレゼントしてくれたの。でも、私、その花、貴方がいなくなってから捨てたわ」
そこにあるのは明確な拒絶の意思。
嫌いだという強い想い。
以前、撫子が百合の花の女の子の話をしていたことがある。
それはやはり淡雪の事だったのだ。
「――だって、私は貴方が嫌いだったから」
はっきりと言葉にされると辛い。
猛は俯きながら、深呼吸を一つしてから尋ね返す。
「どうして、そこまで憎まれていたんだろう。理由が思いつかない」
「特別、貴方が悪いワケではないの。私の勝手な嫉妬心よ」
それは子供ならば仕方のない想いだった。
「嫌いになることしかできなかった。だって、貴方はお母さんの子供だったんだもの。私が会う事を許されているのは月に1度だけ。なのに、貴方はいつでも会うことができる。幼心にそれは醜い嫉妬心に変わっていた」
「……大好きなお母さんを奪った相手、か」
誰だって母の想いは自分だけのものだと思い込んでいる。
子は母親に愛されるのが当然で、愛されているからこそ、奪われたくない。
「貴方はこんなにも優しい人なのにね?」
彼女は声を震わせながら、猛の頬を手で触れる。
「本当にひどい。貴方の事を何も知らないのに、勝手に憎んで嫌いでい続けた。成長するにつれてそれが間違いだと思ったけども、真実はさらにひどい。だって、貴方もお母さんの実の子供だったんだもの。私の屈折した思いこそ、間違いでしかなかった」
「……知らなかったんだから、しょうがないさ」
「それで済む話ではないわ。猛クン、私は貴方が実の兄だと知った時、ショックだったのよ。ずっと憎んできた相手が実兄だったんだもの。憎む理由なんてひとつもないのに。貴方にだってお母さんに愛される資格があったのに」
彼女は力なく、うなだれながら「ひどい話でしょ」と呟いた。
幼い頃からの想いに彼女は今も苦しんでいる。
「高校に入って貴方に出会ったのは偶然よ。でも、そこで私は貴方に興味を抱いたの。私が憎んできた人はどういう人間なんだろうって……それが知りたくなった」
「ただのシスコン野郎でした?」
「ふふっ。違うわ。誰よりも人を思いやれる優しい人だった。本当の猛クンを知るたびに自分自身が嫌いになったわ。勝手な想像で嫌いでい続けたのだから」
淡雪と出会った時、猛は素敵な人だと思っていた。
誰に対しても笑顔で接し、真摯に向き合う姿に好感を抱いてた。
「恋人ごっこも楽しくてしょうがなかった。……私ね、今だから言えるけど、貴方の事が本気で好きになったの。自分でも知らないうちに、大好きになった。あれだけ憎んでいたはずの想いはすっかり消えて、貴方の事ばかり考えてたわ」
「……俺も好きになりかけてたかな」
撫子がいなければ、猛達の関係はどうなったのか。
それこそ、禁断の関係になってたのかもしれない。
「猛クンはいつだって、私の頼りになる存在だった。いて欲しいときには傍にいてくれる。欲しいときには優しい言葉をかけてくれる」
「俺の方こそ、淡雪さんにはいつも助けられたな」
「幼い頃の私は貴方を憎んでいた。今の私は貴方に恋心を抱いていた。私は自分の気持ちに振り回されていたわ。自分の想いがどこにあるのか分からなくなった」
彼女は「愛と憎しみ、表裏一体の想いがあるんだもの」と嘆く。
「その二つの心は私を苦しめて、悩ませたわ。その結果どうしてしまったのか」
そう、椎名眞子を利用してあの騒動を生み出した――。
「私は貴方を深く傷つけたわ。椎名さんに助言したのは本当よ。撫子さんを好きな貴方に今度は嫉妬したの。私じゃない相手と幸せになるのが許せないって。その資格すらないのに、バカみたいに……実の兄を私は窮地に追い込んだのよ」
「……だけど、騒動を止めたのもキミだ」
「違うわ。お母さんを傷つける真似だけはしたくなかっただけ。本当に自分勝手。私は貴方を憎んだり、好きになったり、嫉妬したり、困らせて苦しめて、ひどいことをして。本当にどうしようもない愚かな自分が嫌いになる」
辛辣な表情を浮かべる淡雪さんは、
「私は貴方の傍にいない方がいいかもしれない」
「え?」
「転校した方がいいかもって。まだ相談している段階なの。ごめんね、猛クン。私、貴方の友達にも、妹にもなれない」
悩み続けていた少女の出した答え。
それは“別離”だった。
「私にできる償いはもう二度と貴方の前に現れないことだけ」
「それは本気で言ってるのか?」
「えぇ、本気よ。私達は出会わなければよかったのに……え?」
それ以上の言葉は聞きたくなくて、猛は彼女を強く抱きしめていた。
今、離してしまうと本当にもう彼女が離れてしまう気がした。
「そんな事言うなよ」
「……言うよ。私たちはもう会わない方が」
「違う。俺達がこの1年間、積み重ねてきた時間を否定しないでくれ」
「でも、だって、私は……」
「キミが思い悩み苦しむ事なんてない。同じ母親から生まれてきた兄妹なのに。色々とあったけど、この出会いには意味があったと俺は思う」
猛は彼女が逃げないように腕の中に閉じ込めながら、
「せっかく出会えたんだ。俺の前からいなくならないでくれ」
「……猛クン。だけど、私は貴方にひどい事をしたわ」
「だったら許すから」
「許す?」
「知っているだろう? 俺は妹には超絶に甘いやつなんだって」
許す事で彼女が救われるのなら。
そもそも、最初から彼女を憎んでもいないのだ。
撫子に言わせれば猛はちゃんと怒るべきだと言うのだろうけど。
困惑気味の淡雪は彼の言葉に、
「……猛クンは本物のシスコンだわ」
「今、そこでそれを言っちゃいますか」
「私にもそれは適応される?」
「当然だ。だって、俺達は兄妹なんだから」
ずっと悩んでいた。
俺は淡雪さんとどういう関係を過ごしていくのか。
そして、今、結論は出た。
「それで、いいの?」
「友人のままでい続けるのか、それとも妹として接するのか、悩んでいた。でも、ようやくそれを決めたんだ。キミには兄として接したいって」
猛達がすれ違い続けてきた時間。
取り戻す事はできなくても、新しく築き上げていくことはできるから。
過去ではない、未来を見つめた新しい関係。
「だって、“淡雪”は俺の妹なんだ。俺から離れるなんて認めたくない」
「……妹。それもそれで複雑な気持ちよ。私は貴方の妹になれるかしら」
抱きしめたまま、彼女はほんのりと顔を赤らめて、
「ねぇ、猛クン。友人としての最後の我がままを叶えてもらえない?」
「なんだい?」
「私の初恋を終わらせて欲しいの」
かかえ続けてきた想いにけじめをつけたくて。
「私は貴方を好きだった、その気持ちを過去にして」
彼女はその濡れた唇を猛に近づけてくる。
未練なら彼にだってある。
「兄妹なのに互いに惹かれあってたんだな」
「……新しい関係を始めましょう。そのために最後の未練を断ち切らせてよ」
淡雪が瞳をつむり、猛はその唇に最初で最後のキスをした。
大和猛と須藤淡雪としてのけじめ。
――本当の意味で未練や想いを整理できるのはずっと後かもしれない。
それでも、猛達は笑いあいながらお互いを兄妹だと認め合ったんだ――。




