第105話:まだ終わってないことがある
事件は終わった。
翌日には、別の噂が学校全体に広まっていた。
『大和兄妹は実の兄妹ではなく、義理の兄妹だった』
それは椎名眞子が積極的に流してくれた噂だった。
前日の内に撫子から教えられていたらしい。
噂は噂で打ち消すことができる。
新たな噂のおかげで猛達への誹謗中傷はなくなったのだった。
「これが私にできる唯一の罪の償いだから。大和さん、ごめんなさい」
改めて眞子は猛にそう謝罪をした。
いろいろとひどい目に合ったが、彼は彼女を許した。
――この子の想いも分かる。
感情の爆発、暴走する想い。
人は時々、自分で制御できないことがある。
広まった悪評も徐々にではあるが改善していきそうだ。
クラスメイトは事態の急変に驚きながらも、
「わ、私は信じてたよ?」
「そうそう。大和さんたちが近親相姦してなくてよかった」
「というか、実際の所どうなの?」
「義妹でも関係持っちゃてるの?」
「おいおい。思春期の男女が2人暮らしだぞ、2人暮らし。皆まで言うな」
「あのね、キミたち。そっちの想像もして欲しくないんですが?」
風あたりが緩まっても、猛をいじる声は消えず。
「俺と撫子はごく一般的な健全な恋人関係です」
「「……それはないわぁ」」
「誰も信じてくれてない!?」
笑いの起こる教室、険悪なムードはもうない。
いつものやりとりに安心する自分がどこかいたり。
全てがうまくいったと思いきや、そうではなかった。
「……須藤さん、今日も休みだよね。どうしちゃったんだろう?」
「噂だと転校するかもって」
「誰情報よ、それ? そんなの嘘だよね?」
「えー。嫌だよ、あんなに優しいお嬢様って他にいないのに」
淡雪はあの日以来、学校を休んでいた。
連絡と取ろうにも携帯には繋がらず。
結衣経由でも、なぜか連絡が取れずにいたのだ。
「淡雪さん」
誰も座っていない席を見つめる。
――俺は彼女のお兄ちゃんなんだな。
その実感は今もないのだが、それが事実だ。
双子だったと言う真実を知って、彼女は何を感じたのか。
「まだ終わってないことがある。俺と彼女の問題だ」
もうすぐ夏休みに入ろうとしている。
それまでに解決すべき、大切なことがある――。
「……というわけで、今回の件、恋乙女ちゃんにはお世話になりました」
猛はパンケーキ専門店で高級パンケーキを注文していた。
「私がしたのって、そんなに大したことじゃないよ?」
恋乙女はどこか照れくさそうに笑いながら言う。
今回の騒動で世話になったお礼を兼ねて、パンケーキをご馳走する事になった。
それに何より、撫子との関係はとても親密になったのが嬉しい。
――撫子にもお友達ができてよかった。ホントによかった。
それが嬉しくて。
いろんな意味で大歓迎な猛であった。
「大助かりだったよ。キミが突破口を見つけてくれなかったら追い込まれてた」
「そうですよ、恋乙女さん。私も感謝しています」
「いえいえ。問題が解決してよかったぁ」
いつのまにやら、コトメではなく恋乙女と呼び方のニュアンスが違う。
撫子も彼女の事を受け入れたんだろう。
いい友人が増えて何よりだ。
「えへへっ。こういうお店初めてで、すごく楽しみなんだぁ」
「普通では中々入る機会もありませんからね」
「デートとか? 私には機会がないなぁ。相手もいないし」
「恋乙女さんはモテるんですから、相手もいつか現れますよ」
撫子の言葉に対して恋乙女は苦笑いしながら、
「今だから言うけど、私、たっくんのこと、本気だったんだけどなぁ」
「……マジっすか」
「小さな頃の初恋です。今は……憧れ程度だけど。大丈夫だよ、撫子ちゃん。過去の話だから。私は敵になることはないからね?」
「心配はしてませんよ。私も少しは成長しました」
――目が笑ってないんですけどね、撫子さん。
ふたりして、心の中でそう呟く。
「お友達は大切にしたいものです」
「……こ、恋乙女ちゃんは恋人とか作らないのかな?」
「んー。これからかも? 恋も出会いもまだないかな」
「その時は相談にのります」
「うん。ふたりに恋愛相談するよー」
「お任せください。あっ、パンケーキがきました」
彼らのテーブルにパンケーキが並べられていく。
美味しそうな蜂蜜の匂い。
ふんわりとしたパンケーキが美味しそうだ。
生クリームでデコレーションされて、フルーツが山盛りの豪華な仕様である。
「いただきます」
「おー、相変わらず美味しいな」
「贅沢、極まれって感じだね。超甘くて最高かも♪」
恋乙女も大満足の様子だ。
――値段は気にしません、うん、せっかく事件が終わったんだからね。
そうだ、これはお祝いだ。
――お祝いには値段なんて気にしちゃダメなんだぞ。
そう心で言い訳しながら、ちらっと会計用の伝票をめくって見ると、
『1500円×3=4500円(税別)』
高校生の身分では贅沢にもほどがある。
――見なかったことにしよう。さぁ、今日は食べるぞー。……現実逃避っす。
本当にお財布に優しくないお店です。
「そういえば、たっくん。淡雪先輩が双子の兄妹ってホント?」
「……そうらしい。驚きの真実だよな」
「だよねぇ。でも、それで納得したかもしれない」
そういえば、彼女も淡雪に会ったことがあると言っていた。
「あの人、たっくんのお母さんにすごく似てるんだよね。髪色とか見た目とか」
「……私も言われて気づきました」
「身近な人って言われなきゃ気づかないものなのかも。気づいたら、そうとしか見えないんだけど。で、たっくんはこれからどうするの?」
生クリームのホイップをフォークですくいながら、
「……どうするって?」
「淡雪先輩だよ。妹として付き合っていくの?」
「それは私も気になっています。兄さん、どうするんですか?」
ここからが難しい問題ではあった。
優子はどちらでもいいと言った。
『今さら兄妹と言われても積み重ねてきた関係もあるでしょう』
友人として過ごした1年間の日々。
『兄妹として関係を見直すのも止めないわ。貴方たちで決めなさい』
兄妹が高校が同じ時点で会うことも考えられたはずだ。
母としてはこの出会いを止めることはしなかった。
『双子は惹かれあう何かがあるもの。こうして出会ったのも運命かもしれないわ』
だとしたら、出会って兄妹だと気づいた今、どうするべきなのか。
兄妹として関係を築くべきか。
それとも今まで通りの他人でいるべきか。
「これからの行動次第ってことだろうな。友達として付き合っていくのか、妹として彼女を見ればいいのか。どうするのかは悩んでいる」
「……そもそも、彼女も事件の犯人のひとりですけどね」
「あの件はもういいんだよ。俺は気にしてない」
「兄さんは優しすぎますね。もっと人に対して怒ることも必要ですよ」
淡雪と言えば不登校なのも気になっている。
「私は兄さんの恋人です。彼女ならば妹の座を譲るのも悪くありません」
「……そもそも、撫子の許可がいる問題なのだろうか」
「いりますよ。当然です」
「さいですか」
これから先の事はまだ分からない。
ただ、事実を心で受け止めて、前へ進みたいのだ。
数日後のことである。
「ん? あれは?」
校門の前で女子中学生の制服を目にした。
ツインテールの少女はこちらに気づくなり、
「お兄ちゃんっ!」
「え?」
「うわぁーん。お兄ちゃん~」
飛びつくほどの勢いで近づいてきたのは、結衣だった。
どうやら猛を待ち構えていたようだ。
いつもの明るい笑顔はなりを潜めて、雨に打たれた子犬のような顔をする。
「結衣ちゃん?」
「よかったぁ。お兄ちゃんにまた会えて」
「こっちもだよ。ずっと連絡を取りたかったのに」
「うん。お姉ちゃんに携帯電話のアドレスやら履歴やら全部消されて、お兄ちゃんへの連絡が取れなくなってたの。ひどいよぉ」
それでも、何とか連絡しようとしていた。
挙句の果てに、携帯電話まで没収されてしまったらしい。
「あのね、お姉ちゃんを助けてあげて欲しいんだ」
「淡雪さんに何があったんだ?」
「見てられないほどに落ち込んでる。もう世界の終わりって感じなほどに」
ここ数日の間、淡雪の身に起きた異変。
少女の心が崩壊寸前にまで追い込まれていた。




