ある少年が呟いた
見た目も才も何もかもが弟と妹より劣った自分を認めたくなくて、田中市太郎は引きこもっていた。
ゲームに没頭し、ゲームの世界に浸る。
家族の所為にし、財を食い潰し、同じ様にしている者は己を棚に上げ嘲笑う。
彼の小さなプライドはそれで漸く保たれる。
けれど市太郎はゲームをする気が起きなかった。
理由はよく判然らない。
ある日突然の事だった。
きっと泣きたくなる程に優しい夢を見たからだと、市太郎は思った。
「翔さん…」
昔近所に居た優しいみんなの兄さんの夢を見た。
優しかった兄さんは、早過ぎる生涯を終えた。
あの惨たらしい最後は、目に焼き付いて忘れられない程だった。
けれど、自分は忘れていた。
あんなに実の兄のように懐いていたというのに。
「忘れて欲しかったのかな…」
涙を拭うと、市太郎は決意した。
恥ずかしい生き方をしてしまったのだから、少しづつでも良いからやり直そうと。
それは田中市太郎にしてはとても勇気のいるものだった。
そしてとても大きな一歩だった。
「疎遠になってた荻原に…いや、凛子に勉強を教えて貰おう。多分俺、軽い菓子ぐらいならまだ作れるから、それがお礼で大丈夫かな?」
ドキドキと心配と緊張で胸が痛いけれど、不思議と何とかなる気がした。
「ありがとう…翔さん…きっと翔さんのおかげだよ」
そう言って市太郎は、記憶の中の笑顔の兄さんを思い浮かべた。
「よし……」
決意をした次の日。
日曜日である為に学校は休みだった。
凛子は沢山人の居る場所が苦手なので、休みは高確率で家の中に居ると市太郎は思っていた。
チャイムを押すと案の定、ドアが開いた。
「ぬ?珍しく市太郎殿である…」
巨漢の男(ずっと引きこもってた筈なのに何故か激しく見覚えがある上に名前を何故か知られてる)に見下ろされて、市太郎は腰が抜けそうになった。
「市太郎殿なら無害であるし…外は寒かったであろう?上がるがよい」
何故か家主ではない巨漢から入っていいと許可が出た。
市太郎は逆らってはいけないとびくびくしながら家の中に出来るだけ汚れを付けないように慎重に入ると、家の中が昔とは大分違う内装になっている事に気付いた。
そういえば当たり前である。
凛子の両親が居なくなってから大分時が経つのだから。
兄さんも居なくなってから大分経ったなと市太郎は感慨深げに柱を見ていると、家の中に居たらしい真っ白な男性が挨拶をしてきた。
「こんにちは!えっと、市太郎!ぼく、クオリ!宜しく!」
市太郎は巨漢の男らしい美形とはまた違う華やかな美形に硬直した。
2人とも自分の完敗過ぎて嫉妬も起こらない程に美形なのだ。
緊張し過ぎてまたドキドキしてきた胸を抑え「こんにちは市太郎です」と、なんとか返した。
「我が輩はシザリオンである、そしてあそこに居るのがヴァーデ…ヴィヴァルディである」
巨漢のシザリオンに彼処と指さされた先を見て、市太郎はまたもや硬直した。
「ふふっ…宜しくね」
市太郎は妖艶な男性の挨拶を呆然と聞きつつ、呆けたまま「此処はいつから美形の巣窟になったの」と言ったきり気絶した。
市太郎には刺激の強すぎる面々だったようである。
「う…」
「起きたか」
ラスボスの如く座る凛子が目に入り、市太郎は瞬きをした。
「あれ?凛子ってそんな容貌してたっけ…?」
平凡な顔付きだった幼なじみが明らかに美少女な顔付きになったという異常事態も、疲弊した市太郎の中では其処までの衝撃にはならなかったようだ。
そう問うてきた市太郎に凛子は「女は変わる生き物なのよ」とぬけぬけとほざいた。
「そんな訳はありませんでしょうが。私のおかげで御座いますよ」
にゅっと現れた男の声に、市太郎は聞き覚えがあった。
それ所かそれは、絶対に居ない筈の人物。
「翔さん…?」
その名前を知っているのか、男は「おや?何故私のあだ名を知っていらっしゃるのでしょうか?」と言って、不思議そうに首を傾げた。
市太郎は尚も「なんで翔さんが」と呟くも、凛子も男も首を傾げるだけだった。
何故、凛子は平気で居られるんだろう?
市太郎は凛子が薄情になったんじゃないかと一瞬憤るが、直ぐに思い出す。
何故か自分が忘れていた事を。
「…凛子も忘れてるのか…幼なじみの、兄さんのことを」
不思議そうな顔をしていた凛子が、ぴたりと無表情になった。
男はそれも不思議そうに見るばかり。
市太郎はそれでも言った。
「そうだよね。弟と凛子を庇って確かに死んだ翔兄さんが、生きている筈が無いんだ」
青ざめる凛子を横目にし、男はポンと手を叩いた。
「…ああ、成る程。だからで御座いますか」
何に納得したのか。
男は翔兄さんとは全く別の表情で呟いた。
「貴方を前にして変な事を言ってしまい、申し訳ありませんでした」
市太郎にしては素直に謝ると、男は大して気にしていないと言った。
けれども男は見れば見るほどに翔さんそっくりで、市太郎は落ち着かなかった。
それでも頑張って用を言えば、呆けた凛子の代わりに男が教えてくれると言った。
「そういえばなんてお名前なんですか?自分は…田中市太郎です」
「私は…カケルとお呼び下さいませ」
カケルは茶目っ気たっぷりにそう言うと、茶と菓子を取りに行ってしまった。
呆けた凛子だけがいる空間で、市太郎は重々しい溜め息を吐いた。
「…どう見たって…翔さんじゃん…どうなってるの…?」