記憶の中のわたし
「…あ…おはよう…」
「おはよー!」
翌朝。
私はちょっと気まずくてクオリ君とまともに話せなくなってた。
それでも空気を敢えて読まずに飛び付いてくるクオリを、踏ん張って向かいうつ。
例のイルカさんが空を飛んでいるけど、良いのだろうか。
器用に足の指でキャッチしたクオリは、ほにゃりと笑って「朝ごはんも、ちょっと、ごうかにした!」と頬を擦り寄せてきた。
クオリ…普段と怒ってる時の印象の差が激しいよ、君は。
完全にわんこに戻っていた。
クオリに気を取られていると、寝起きらしいヴァーデが「おはよう」と口に手を当て上品に欠伸していた。
本人の努力もあるのか女神の如き美貌なので、朝の日差しに当てられると神秘的である。眼福だわ。
私は元の姿の方が好きだけど。
ヴァーデは新聞とテレビを見て「此処と此処がなかった事になってるわね」と微笑んだ。
そして直ぐに「だったら全てなかった事にして頂戴」と怒り心頭だとばかりに私のおやつのリンゴをぐしゃりと潰した。
わ、私のリ、リンゴが!
クオリにうさぎさんにして貰おうと思ってたのに!
リンゴの果汁滴るその手をガシッと掴むと、ヴァーデは不思議そうに私を見た。
そして背後にクオリをくっつけたまま、椅子に座り込んでいたヴァーデに抱き付く。
「リンコ!?な、舐めないでよ!!そんなの舐めないでよ!!」
「リンコに舐められたリンコに舐められたリンコに舐められた…はぅっ…私…今なら死んでも良いわっ!!」
ヴァーデの手の皮膚すら削ぎ落とす勢いで果汁を欲しているだけなのに、なんて大袈裟な2人なんだい。
その騒ぎに気付いたシザリオンが二階から降りてきた。
体中にリスを付けているのはなんでなんだろう。
「動物達の話を繋げてみると、どうやら消えたとされている子供達は裏山に集まっているらしいぞ?」
其処まで言ってから、私達の状態に気付いたらしい。
子供が我が儘を言う時のような顔をした。
「何をやっているのであるか!?だんごさんきょうだいごっこでもしているのであるか!?是非とも我が輩を混ぜろ!」
それに「じゃあ、すっごく不本意だけど、ぼくのうしろならいーよ!」と何故かテンション高いクオリが応え、嬉しそうに「遠慮なく混ざるのである!」とクオリにくっ付いた。止めて欲しい。
「何言ってんのよあんた達…」
呆れたヴァーデの声にも反応せず、シザリオンは「クオリは子供体温なのだな!」と喜んだ。
何に喜んでんの…引くわ…
「なに言ってるの、シザリオン」
クオリの切羽詰まった心底嫌悪感で泣きそうな声を初めて聞いた。
うん、流石にちょっとそれはないよね。
「海外なら男同士でも結婚も妊娠も出来る国が有るわよ?」
ヴァーデさん鬼畜だなおい。
クオリの鳥肌が立っているだろう事は、姿が見えなくても明白だった。
「ぼく、そーいうのわかんない!」
あからさまにカマトトぶった!
「……」
シザリオンは真っ青な顔をして離れ、大人しくテレビを見た。
ああ、うん、かなり嫌なんだね、ヴァーデの言ったことが。
アホなやり取りはそこそこにし、冷めない内に朝ご飯を食べる。
妙に柔らかくて美味しいお肉は、口の中で優しく蕩けた。
喉越しまで美味しい。
「おいしー?ね、おいしーい?」
「お、美味しいよ」
ポッと頬を赤らめて「えへへ」と笑うクオリ。
…もしや松坂牛だと思ってたこのお肉は…いや、止めておこう。
裏山には夜中に行く事にして、久しぶりに家の中を掃除する。
といっても、クオリが掃除しているから塵埃とかはなく綺麗なんだけどね。
1人が4人に増えたからか、片付けないと物が仕舞えないくらい増えてきたのだ。
なので、押し入れとかを整理する事にした。
クオリはプライバシーを犯す事はしないだろうと思ってたけど、案の定、昔に両親が出て行った時に残した物を乱雑に仕舞ったままになっている。
些細な物は靴下から始まり、大きな物は服やらが詰まった段ボール箱まであった。
手前にあった段ボール箱をひょいと退かして中身を確認して見ると、古臭い本が出て来た。
何かと思って開いて見ると、そこには笑顔の女と赤い顔の赤ん坊、そして無表情の男が映っている写真が貼ってあった。
「……お母さんと、だれ?」
ティオと同じ顔をした男が無表情に、だけど少し物悲しそうな顔でそこに佇んでいた。
写真には何か書いてある。
《愛娘凛子誕生》
「わた…私…」
愛された記憶はない。
何時も無視されたし、殴られた。
それを何とも思ってなかったし、今更何も思わない。
…本当にそうだっただろうか。
ガムテープで雁字搦めにされたノートも発掘した。
幼少期の私の日記のようだ。
何の模様か判然らないけど、嫌にカラフルな絵がいっぱい書かれている。
『凛子は絵が上手いな』
…確か誰かがそう言って私の頭を撫でた。
少しだけ優しい気持ちになって、どんどん頁を捲る。
いろんな絵、いろんな物。
よく判然らないものがいっぱい描いてある中、一つの頁だけ開かなかった。
…うっすらと黒い。
魔術も使って慎重に開けると、私は開けた事を後悔した。
《凛子へ
あの女は私を愛していると言っていましたが、私にはあの女ではない愛しい人がいるのです。正直言って、愛の無い利害が一致しただけの結婚でした。それでも凛子が居てくれたので、幸せでした。還って来てくれてありがとう。》
ぞわっとした。
これをあの写真の男が書いたとするなら、あれが本当の父親なんだろう。
内容は普通なのに、普通な筈なのに、気持ち悪く感じる。
最後の還って来てくれてってなに?
誰かと重ねてる…?
『凛子は昔から絵が上手かったもんな』
『凛子は料理が上手いんだよ』
『凛子は淡泊なんだよね』
『凛子は昔は1人でトイレに行けなかったよね』
『凛子は』『凛子は』『凛子は』『凛子は』
「そ、うだ…お母さんが私に嫉妬して、殺そうと、したんだ」
それをこの人は『今度こそ凛子は殺さない』って言って、庇った。
気持ち悪いくらいの、満面の笑みだった。
それで精神可笑しくなってたお母さんは、それでも愛されたくて再婚した。
再婚相手は良い人だった。
なのに、お母さんは再婚相手を自分が殺したあの人と重ねて行動してた。
いわば似た者夫婦だったわけだ。
記憶の中で感情を押し殺してる私が、静かに泣いている気がした。
「……まあ、所詮は過ぎた話だ」
だけどあのティオと名乗った男の魂胆は解った気がする。