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次の日の朝、目覚めると隣に寝ていたリヒャルトはいなかった。
いつもの変わらない光景。イリスが起きる前にリヒャルトは出かけてしまう。
気だるい体を起こして身支度を整えていると部屋の扉がノックされた。
「はい」
「おきてるレディ?」
「先生、おはようございます」
「おはようございますオイゲン様。フリッツ」
尋ねてきたのはオイゲンとフリッツだった。
迎えに来てくれたんだろう。カバンを持って一階の食堂へと足を運んだ。
ガヤガヤと騒がしい朝、そこにはリヒャルトもいて昨日あったミーティアと談笑していた。
椅子に座りつつそれを見ていると、オイゲンにひらひらと顔の前で手を振られた。
「気になる?まぁあんなデレデレしたとこ見たことないんだろうけど」
「あぁうん……あの女性はいったい?」
ちゃっかり隣をキープしたオイゲンを見つつ、意識は二人の方に向いていた。
そわそわするイリスが気に食わないのでオイゲンはきゅっと手を握った。
「あの、手……」
「彼女はリヒャルトの元恋人」
「あぁそうなんだ」
「あれ、以外とショックじゃないんだねレディ?」
特にショックを受けることなく、なるほどと頷いたイリスに意外な顔をした。
オイゲンは嫉妬するとでも思っていたのか拍子抜けしてる。それは話を聞いていたフリッツもそうだ。
「いや、あんな美形な人が恋人の一人もいなかったなんて変でしょう?」
「それはそうかもしれないけど……レディはホント鈍感で困る」
「鈍感とは失礼ですよ」
「よかった。先生、全然気にしてない」
「少年、人の不幸を喜ぶとしっぺ返しがくるぜ?」
バチッと火花を散らす二人は無視してイリスは朝食を食べ始めた。
うまーっと食べているとオイゲンもフリッツも大きな溜息を付いて朝食を食べ始めた。
ゆったりと朝食を済ませると、食堂を後にして宿の外へと出た。
皆が整列していて、少し輪から外れるようにフリッツとイリスは立った。
「今日は二つの部隊に分けて行動する。
村の魔物被害の調査と警備する者。魔法陣の解除もしくは調査する部隊だ」
リヒャルトはテキパキと部隊を分けていき、村の調査する部隊を早々に行かせた。
残ったメンバーで森の置くの開けた場所にある魔法陣の解除するべく出発する。
「イリス。お前もついて来るんだ」
「承知しました」
「では行くぞ!ついて来い」
リヒャルトを筆頭に部隊は動き出し、森の奥へと進んでいく。
隣をあるくフリッツがそわそわと落ち着きなくキョロキョロとしていた。
「フリッツ大丈夫か?」
「え?」
「怖いなら戻ればいい。魔物と遭遇するかもしれないだろうし危険だ」
「いや先生行かせて下さい。俺なら大丈夫」
「そうか?無理そうなら言いなさい」
「はい……」
顔色悪そうなフリッツを気遣いつつリヒャルト一行は魔法陣の場所まで進んでいく。
そして何事もなく目的の場所に着き、第一騎士団の団員の守護魔法使いと召喚術士が解除にあたった。
イリスは近くでその作業を見つつ、妙な気配漂う森を気にしていた。
魔法陣の解除をしていた騎士団の団員は一様に首を傾げ始めた。
リヒャルトが二人に近づき、どうしたのかと尋ねた。
「それが解除できなくて」
「どういうことだ」
「いえ解除すること事態は簡単なんですが、私達の魔力を遥かに超えた供給をされていて出来ません」
「なんだと……イリス?」
困り顔で説明する二人の横を通り過ぎてイリスはじっと魔法陣を見つめた。
しばらく見つめているとイリスの目に、大きな脈のようなものが見え始めた。
魔法陣に魔力供給している大きな流れがある。
その大きな流れは汚れていて穢れている。それは魔法陣のせいじゃない。
確かに負の魔法陣ではあるが、大きな流れの力を穢すほどの力はない。
それに元々この大きな流れは正の気をもつのはず……だってこれは。
「龍脈と繋がってる」
「この魔法陣がですか!?」
守護魔法を扱う魔法使いが驚いたように声を上げた。
第一騎士団のメンバーであれど、龍脈を見ることはできない。
それは召喚術士もそうなのだろうイリスを驚いた顔をして見ている。
「うん。魔法陣は龍脈から力を吸い上げているから解除できないんだろう。
解除するのは不可能だ。本来ならこんなことあるはずないんだけど……」
「イリス様どう言う事なんですか」
「龍脈は正の気を孕んでいて負を拒絶するから普通はこの魔法陣に魔力を吸われる事はありえない。
けれどこの龍脈少し濁ってる……多分、源が何らかの原因で穢れを含んでしまったと考えられる」
イリスは魔法陣から目をはなし、リヒャルトを見上げた。
「一度、村に戻ったほうがいいと思います」
「何故だ?」
「村には龍脈に関する御伽噺か伝承があると思います。
龍脈の源の場所を示しているはずです。それに穢れを祓わないと魔物を生み出してしまう」
「……魔法陣はどうする。このまま放置するか」
「守護魔法に効力を抑えるものがありますから、気休め程度に施したらよろしいかと」
「ふぅ……仕方ない。術を施した後、村に帰るぞ」
リヒャルトはイリスの言葉を信じ、的確に部下に指示を出し始めた。
魔法陣から離れて指示を出すリヒャルトを見送り、ふとフリッツを振り返った。
「フリッツ?」
「……」
振り向いた先に顔面蒼白になっているフリッツが佇んでいた。
呼びかけながら手を握るととても冷たかった。何があったのかとイリスは心配してその瞳を覗きこんだ。
「手が冷たい……どうした」
「せん……せ」
「うん?」
「その、その魔法陣……おれ、が……」
それっきり口を開かなくなり、フリッツの肩が震えた。
全てを察したイリスはどうして付いてきたのか気づいた。
そうだった。この魔法陣は未熟な学生が召喚術で精霊を呼び出そうとしたときに出来たものだ。
あの野外学習にはフリッツも参加していたのだろう……そうか。
大きな体を小刻み震わせて俯く幼い子にイリスはぎゅっと抱きしめた。
頭を抱え込むように抱き寄せると、子供にしては太い腕が背中に回り強く抱きしめられた。
「大丈夫。過ちは誰にだってある。大丈夫だフリッツ……先生がなんとかしてやる」
「っ俺が見栄を張って……」
「子供なんだから当たり前だ。無理に大人ぶる必要もないさ。
頑張って成し遂げようと努力したんだろ?わかるさ、あれを解読したのは俺だから」
大丈夫。大丈夫と大事になってしまた事に後悔するフリッツの背中を優しくなでた。
震えて怖がる子供を安心させようと、何度も何度も大丈夫と言って震える体を抱きしめた。
「龍脈の穢れを取り除けばすぐに魔法陣は消える。だから大丈夫だ」
「っ……はい」
「まぁまぁこの魔法陣で魔物は活性化してはいるが、被害はまだ出てないんだ安心しなさい」
柔らかな髪をなでつつ言うと、ほっとしたような安堵の吐息が聞こえた。
よしっとバシッと強めに背中を叩くと、イリスは体を離した。
「今は効力も抑えられているし気にするな」
「はい先生……」
「ん……とあれ?皆さんどう致しました?」
やっと笑ってくれたフリッツに満足して周りを見てみると、皆が少し顔を赤らめていた。
あまりにイチャつきっぷりに見入ってしまって、こちらの方が恥ずかしくなっていた。
浮気?浮気ですか?って感じで、チラチラとリヒャルトを見るものもいる。
妙な雰囲気が漂う中でやはりイリスはよくわかっていない。
その様子にリヒャルトの部下たちは「この人天然だ」と共通の認識を持った。
「レディ!一目を気にしなよっ」
「生徒を慰めるのも俺の仕事です」
「あぁもう頑固者っ!!じゃぁ俺も傷ついたから抱かせろ!」
「ええっ?!」
オイゲンは喚きながらイリスに突進して、ぎゅうぎゅうと抱きしめ始めた。
痛い痛いと悲鳴を上げるがオイゲンはまったく聞かない。
馬鹿な事をやりだしたオイゲンに部下たちはクスクスと笑い、うけていた。
しかし、リヒャルトの顔を見た部下たちは次々と口を閉じて仕事に戻っていく。
フリッツはオイゲンをイリスから離そうと躍起になっていて気づいていない。
オイゲンも必死に抱きついているものだから気づかない。
「「!?」」
「ふぇ?」
物凄い力でオイゲンは後ろに投げ捨てられて、ついでに引き剥がそうとしていたフリッツも地面に転がった。
急に支えをなくしたイリスも倒れそうになるが、がっちりとその腰はリヒャルトに支えられた。
「度が過ぎるぞお前達」
「??」
イリスの顔を自身の胸に押し付けて、地面に転がった二人を威圧した。
顔の見えないイリスにはわからなかったが、リヒャルトの顔は殺人鬼並みの形相をしていた。
たらっと血の気が失せる顔色で二人は頭を下げた。すみませんでしたと。
「リヒャルト……助けてくれてありがとう」
「いや、気をつけろ」
頭を下げた二人を見て、リヒャルトはイリスを解放した。
ほっとしたように胸を撫で下ろしてお礼を言うイリスに、珍しくリヒャルトが微笑んだ。
「村に帰還する。はぐれるな」
「あ、うん」
「お前たちも遅れないようにしろ」
ざっと仕事に戻り、指示を出してリヒャルト一行は村に帰った。
帰り道も魔物とは遭遇することなく無事に帰り、村の村長と龍脈について聞くために話をつけた。
村長の用事が済むまで、リヒャルトは部下からの報告をうけていた。
その間、イリスは守護魔法使いと召喚術の二人につかまり質問攻めにあっていた。
「イリス様は上級魔法使いでいらっしゃいますよね!?」
「あ、あぁうん」
「それなのに何故、あそこまでの知識をお持ちで?
聞けばあの魔法陣の解読もしてしまったとかっどうやったのですか!?」
「あ、あー……」
二人に質問に合い、困っているとフリッツがやってきた。
そして自慢げに勝手にイリスの事を話しだした。
「先生は元高級魔法使い。守備魔法召喚術に長けたエキスパート!」
「まさか独学で習得した三等貴族の方の事ですかっ」
「ですが今は上級魔法ですよね?どうして位下げに……?」
「おい、フリッツ」
「それは先生の魔力が中級の魔法使いと同じ魔力量になってしまったから」
「あぁもうっ」
ええっと二人は同時に驚いて、イリスは内心めんどくさいなぁと俯いた。
二人は興味津々とばかりにイリスを見ている。魔法使いは好奇心旺盛で困ったもんだ。
「……ちょっと対価として捧げまして」
「精霊王との契約ですか!?すごい」
「今は使えませんし……本来なら中級なのですが知識を認められて上級という事になってます」
「龍脈が見えるようですがそれはどうして?」
「あぁそれは簡単な話で、俺自身も正の気の魔力だからです」
「それは珍しい。今じゃ少なくなってますよね」
「ですね」
なるほどーっと魔法使い二人は頷いて勉強になりましたと笑った。
イリスの方はと言うと苦笑いをして、ちらっとフリッツを睨んだ。
余計な事を言うなっという視線に、フリッツは不敵な笑みを浮かべた。
「イリス」
「はい」
「村長との面談だ一緒にこい」
「わかりました。すみません失礼しますね。
フリッツは学園の勉強をするように、行って来ますね」
ちょうど良い所にリヒャルトに呼ばれて、逃げるようにその場を後にした。
残された三人は残念と顔を曇らせて見送った。