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ある日、三等貴族である父親に言い渡された。
「お前、今日からリヒャルト・ハイゼンベルク・レオ様の奥方だ」
「は?どうしたんだ……頭でも打ったか?」
始めは正気を疑ったが、差し出された書類を手にして体が硬直した。
するとその書類にはこう書かれていた『婚姻届』しかもイリス・クルツ・レディと書かれている。
俺の名前だった。書かれている欄の場所は妻側だ……。
「はぇ……?へ……?ちょっと待ってくれよ。
いやいやありえないだろ。だって一等貴族だぞこの人っ三等貴族の俺がまさか」
「そのまさかだ。明日、お前は彼の屋敷に住まうからな。わかったな」
「ちょっと待て俺の承諾も無しに……」
困惑した顔で詰め寄ると、深い溜息を吐かれた。
俺の全身は冷たい汗がダラダラと出て居心地が悪い。嘘だと言ってくれ。
「三等貴族である我々に拒否権などあるわけなかろう」
「っ……!」
「それに届けはもう出てる。この書類はただの控えだ」
「そんな……俺がリヒャルト様の妻……?俺が……?」
何時の間にいたのか母親が俺の肩を叩いてた。
見ると少し顔色が悪いのか蒼白だった。労わるように背中を撫でられる。
相当ショックそうに見えたのだろうか、同情した目で見られた。
「母さんいやそこまでショックじゃないから」
「でも……」
「まぁ三男坊の務めを果たしてくるさ」
男同士で結婚する事は別に可笑しなことじゃないし……大丈夫。
二人を安心させるように笑いかけて、その次の日に実家を出ていった。
言われたとおり、リヒャルト様の屋敷に行き自分の夫となる人と対面した。
遠くから見ていた人が目の前にいて、かなり緊張した。
魔物討伐機関の第一騎士団団長リヒャルト、魔法剣士であり百戦錬磨な実力。
俺が勤めている魔法学園では優秀な成績で卒業し、エリート街道を走り続けている人物。
この国の憧れの人。そして俺も憧れる者の一人だ。
立派な人の妻になるとは思わなかったが、憧れの人と生活できるなんて夢みたいだ。
俺はワクワクとしながら、能天気にもアホ面下げて挨拶をしていた。
「始めましてイリスと申します。突然の事で驚いていますがよろしくおねが」
「よろしくするつもりは毛頭ない。お前は所詮、体裁の為の仮初の妻だ」
「……」
あまりにも冷たい声に、俺は声が出なかった。
ただ黒い瞳をぎらつかせて敵意をむき出しにして圧せられて、俺は動けないでいた。
「私はお前を認めない。
公の場ではそれらしく振舞うつもりだがそれ以外では干渉してくるな。
それと部屋は同じだが下手な事はしない方が身の為だ。まぁその貧相な体で誘惑するわけないか」
「なっ」
「ふん……私の顔に泥を塗らぬように行儀よくするんだな」
そう言い捨てるとリヒャルトはイリスを残して部屋を出て行った。
一人残されたイリスは呆然と立ち尽くして、無意識に拳を作り力強く握り締めた。
強い憧れを持っていた。
それは偽りではなく自分を奮い立たせてもくれた感情で……だからかこんなにも悔しい。
リヒャルト様は俺という存在を認めてなんていなかった。
バカだなぁどうして歓迎されると思ってたんだ……いや、考えたくなかったんだ。
知ってた……リヒャルト様には色々問題があって体裁を気にして俺を妻に迎えたことぐらい。
あの人は魔物と退治した後に気を静めるためか知らぬ女性と一夜を共にする。
しかもそれが俺みたいなヤツでも知ってるほど広まって……だから急遽、妻を迎えさせた。
俺が都合が良かったんだよなぁきっと……。
魔法学園の教師で?上級魔法使いで肩書きは申し分なくて、しかも曲がりなりにも貴族で?
そして不当な扱いを受けようとも文句も言えない貧乏三等貴族……。
「あぁもう……」
腹が立つ。ふざけんなって叫んでやりたい。
叫んで喚いて泣いてやりたいさ……でも悔しいじゃないかそんなの。
というか惨めになるだけっ可哀想になるだけだ。そんなの真っ平ご免だ。
「……ちくちょう」
悔しそうに呻くイリスの声だけがやたらと響いた。
この日から一年と少し……イリスとリヒャルトの仮面夫婦は続けられいる。
『Engagement Ring』
キーンコーンカーンコーン。
学園の定刻の鐘が鳴り響いた。今日の授業の終わりの鐘の音。
イリスはパタンと召喚術用の教科書を閉じて、授業の終わりを告げて教室を出て行った。
職員室に向かい自分の席に座り教科書をしまい、自身に与えられた研究室へと向かった。
日陰にある小さな自身の研究室へと入り、部屋にある給湯室でお茶を淹れた。
「ふぅー……」
お茶を淹れ、少し大きめの溜息を吐いて目の前の書類に目を通していた所に扉がノックされた。
飲んでいたカップを机に置き、そっと立ち上がって扉を開けた。
「どちら様ですか」
「やっほーレディ」
「……オイゲン様。セカンドネームで呼ばないで下さい」
上機嫌にズカズカと入り込むどこぞの王子様なような容姿をしている元同僚に何百回目の注意をする。
けれどニマニマと笑うばかりで聞いちゃいないし、逆に何故か不機嫌な顔をした。
「様はいらないって言ってるだろレディ?」
「そう言うわけには……夫の同僚の方を呼び捨てになど出来ません」
「ふぅーん?あんまり他人行儀な事すると俺、何するかわかんねぇけど良いってことだよね?」
「……あぁーわかった。わかったって」
イリスはめんどくさそうに言葉遣いを崩して何度も首を振った。
その様子にオイゲンは上機嫌でイリスが口をつけたお茶をぐっと飲み始めた。
「それ俺のお茶……」
「うん?上手いねこれ」
「はぁ何しに来たんだ。茶を飲みに来たわけじゃないだろ」
適当に散らかした書類をイリスは片付けながらオイゲンに聞いた。
すると待ってましたとばかりに近づいてきて、目の前にドンッと封筒を見せだした。
「なに?」
「これちょっと見てくれね?それで意見が聞きたいなぁって思ってんだわ」
「……わかった」
おチャラけた言い方ではあったがその瞳が真剣そのものでイリスは封筒を受け取った。
丁寧に封筒を開けると魔法陣が移っている写真と、それに関する記述がされている。
イリスはじっくりと写真を凝視し、物凄く近いオイゲンを見上げた。
「どうなってるんだこの魔法陣は」
「それがわからねぇからレディの所に来たんだよ。
元高級魔法使いなら何か見解が出るんじゃないかってさ、んで?どうよ」
「オイゲンは現役の高級魔法使いだろ、心当たりは?」
「魔法陣に関しては俺の分野じゃない。知ってるだろ攻撃魔法特化なんだ」
「そうだった」
納得しつつ再度魔法陣の写真に目を通して、イリスは机にある白紙の紙に魔法陣を分解した構図を書き始めた。
オイゲンは黙って紙を見続けてること数十分……。
イリスの手は止まり無言で一つの魔法陣がバラバラに描かれたものを手渡された。
「……や、見てもわかんね」
「あっえぇっとつまり、ものすごくヤバイ」
「まぁ簡潔ね。で?どうヤバイか言ってくれねぇとさ。意地悪するなよレディ」
少し困った顔をして甘いマスクを歪めて強請るがイリスには全く通用してなかった。
顔を赤らめる事もせず、淡々とわかりやすく謎の魔法陣の解説を始めた。
「なんでこうなったのか疑問だけど、守護魔法と召喚術が混ざってるんだ複雑に」
「へぇー」
「やる気ない返事だなぁ……で、厄介な事にそれで成り立ってしまった」
「んで?」
「それでこの魔法陣の役割が魔物の活性化を促す効果のモノになってると思われる」
オイゲンの顔を見るときゅっと眉間に皺がよった。
いつも真面目な顔でいればいいのにと思いつつ、事態はかなり深刻なものだ。
「どうしてこんな魔法陣が出来たんだ?オイゲン」
「あぁ……まぁレディは関係者だし言うけど魔法学園は野外学習あるだろ?
それで召喚術を生徒にやらせたんだってさ。その時に出来たものらしい」
「なるほど。だからめちゃくちゃな魔法陣だったのか」
「そうみたいだな。そんで解除しようにも出来なかったらしくてなぁそれに加えて魔物が増えて……。
というわけ、困ったんもんだよねぇ~仕事増やさないでほしいぃ」
「それは凄い不祥事だなぁ学園始まって以来じゃないのか」
野外学習自体は間違ってはいないし、見たところによると森の中で描かれたもののようだ。
召喚術は自然豊かな方が確率は上がるし、いい経験にもなる。
さて、ここで疑問が残る。幾ら複雑な魔法陣であれ魔力の供給が途絶えれば消滅するはず。
「……どうして消えないんだ?」
疑問を率直に聞くと、オイゲンはいやぁっと照れたように笑った。
「全然知らないんだよなぁ」
「おい高等魔法使い」
「いやいやだから攻撃特化だし。というか普通二つも精通しないもんだろレディじゃないんだから」
「別に俺は精通してるわけじゃない。基本は召喚術特化だし」
「でも守護魔法もそれなりに扱えるんだろ?」
「今は知識としてはあるだけだっあぁ~もぉ用心はすんだろ」
オイゲンの手に先ほど描いた魔法陣の見解をしたためた紙を握らせた。
そのまま手を放そうとしたところで、逆に掴まれてオイゲンの懐へと招かれた。
抵抗する前にオイゲンはイリスの耳元に口を寄せて色っぽく呟いた。
「まだ夫婦ごっこしてるわけ?」
「っ離れろ!」
「おっと暴力反対っ」
殴りかかろうとするイリスをひらりとかわして、へらへらと笑いながら両手を挙げる。
それにイリスは睨みつけるように青い瞳を細くした。
「何を……俺たちはごっこなんてしてない」
「嘘つかなくていいよ。俺にはわかる」
「何がわかるって?」
「だってレディからはリヒャルトの匂いがしねぇんだもん。
やっと最近わかった。レディは清いままで誰のモノでもないって」
さらっとイリスの群青色の髪を撫でつつその流れで頬に滑らせた。
イリスは動揺して拒絶できないまま、バレれしまった事に焦っていた。
「ねぇレディ痕をつけてもいい?」
「は?」
「俺の痕。その白い首に」
間近に迫る綺麗な顔に驚いたが、完全に許容を超えている出来事にただ呆然とするだけ。
固まるイリスをくすりと笑いながら柔らかい頬に軽いキスをして、その首筋を吸い上げた。
「ひっ!?」
「色気ないなぁ……ん?え……ちょっと」
「っっっ!!??」
ボボッと全身を真っ赤に染めて、あちこちと目線が定まらない。
完全に茹で上がって軽いパニックを起こしていた。
「な、な?なっななな??」
「あぁごめん冗談っ冗談だからっまったくこれだから初心は!自意識過剰だぞっ」
「じょ冗談。あっ冗談かそそそっか、おおおど驚かせるな」
妙な色気を含んだオイゲンの雰囲気に飲まれていたイリスは正気を取り戻したように口を動かした。
全く噛み合ってはいないが体がほてった事により出た汗を恥ずかしそうに拭った。
顔を手でパタパタと扇ぎつつオイゲンの顔を見ないで、ぶっきら棒に文句を言い出す。
「も、馬鹿の事してないで帰れって。どうせ仕事抜けてきたんだろ怒られるぞ」
「あー……うん、そだね」
「えっと……気をつけて帰れよ」
「うん。じゃぁまた」
「お、おうまた」
顔を赤らめたまま最後までオイゲンと目を合わさずにイリスは手を振った。
パタンと扉が閉まるまで平静を装ったがその場で腰が抜ける。
口付けられた頬と首を触って、再度また顔を真っ赤に染め上げた。
「馬鹿が。貴方と違って俺は慣れてないんだ」
はぁっと大きめな溜息を吐いて、暫く熱が冷めるまで床に座り込んだ。
イリスが熱を冷ませている頃、部屋を出て行ったオイゲンは呆けたように廊下を歩いていた。
すれ違う生徒が不審な目で見てきたが、それ所じゃなかった。
「かわえ……勿体無いなぁリヒャルトのヤツ」
イリスの様子を思い出しニヤニヤしながら、自身の上司の端正な顔を思い浮かべて馬鹿だなぁと呟いた。
白い首筋につけた赤い跡にリヒャルトは気づくのかどうなのか?クスクスと笑いながら学園を後にした。